満月の夜に君を迎えに行くから

桃園すず

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13.記憶の欠片と僕の決意

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 仕事と試験の準備に追われているうちに、あっという間に年も明けてしまった。実技試験は、日々の練習の成果があったのか、危うげなく合格することができた。吉野さんと田辺さんには感謝してもしきれないくらいだ。

 彼女のことは一向に思い出せないままだ。近頃はもしかしたらすべてはただの夢で、彼女は存在しないのじゃないかとも思い始めた。だけど、そうだとしたら部屋に残された服や荷物の説明がつかない。


「ねえ、工藤君。合格祝いに食事でもどう?」

 合格通知のあった数日後、仕事を終えると梨花さんに声をかけられた。いつものように熊谷さんの家に招待されるものだと思っていたけれど、詳細の連絡をもらって驚く。ふたりで近くのショッピングモールに出かけることになった。田辺さんのことが頭をちらついたけれど、せっかくの厚意を無下にすることもできなくて、そのまま話を進めてしまった。

「お待たせ」

 約束の日、待ち合わせ場所で突っ立っていると、後ろから手を引かれた。振り返ると梨花さんが嬉しそうに僕を見上げている。

「あ、えっと、全然待ってないよ。僕もさっき来たとこだから」
「何そのテンプレみたいな返事。あ、工藤君、何食べたいか決めてきた?」
「僕は何でもいいよ。梨花さんが食べたいもので」
「やっぱり。工藤君ならそう言うと思って、実は行きたいとこ目星つけておいたの。じゃ、行こうか」

 梨花さんは僕の腕にしがみつくようにして歩き始めた。いつもより近い距離に戸惑いながらも、振り払うこともできずに梨花さんの隣を歩く。僕の頭の中は、こんなところを田辺さんに見られたらどうやって弁解するべきだろうか、という焦りでいっぱいだった。

「工藤君、海鮮食べられる?」
「大丈夫だよ。ここにするの?」
「うん。家じゃあんまり食べないようなもの食べたくて。ここの海鮮丼おいしいんだって」

 梨花さんは自分で手の込んだ料理も作れてしまうから、こういう食事もたまにはしたいのかもしれないと想像する。僕はというと、ここ数年はスーパーで買う少し干からびかけたようなお寿司くらいしか食べた記憶がない。おいしい海鮮丼、と聞いて急に空腹感を覚えた。
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