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第二章
15話
しおりを挟む純白の布を身に纏い、昼間は無造作に束ねただけだった黒髪が、今は美しく結い上げられ、頭には幾つもの煌びやかな装飾が付けられている。
顔には白粉が塗られ、紅を差した唇は整った顔に艶やかな彩りを添える。
それをもったいぶるように面沙を着けて隠すと、春蕾はゆっくりと立ち上がり、辺りを警戒しながら部屋を出た。
「お待たせいたしました」
深く下げた頭をゆっくりと上げると、頭につけた装飾が揺れて、部屋の明かりを照り返し、夜空に浮かぶ星の瞬きのようにキラキラと輝く。
そんな輝きには目もくれず、ただその人だけを見つめて柔らかく微笑む太子自らが、いち妃をわざわざ出迎えた。
そんな太子の様子に、外で控える侍女たちが何かを察するのも無理はない。
「待っておったぞ、腹が減っただろう。其方の好きそうなものを用意させたから、遠慮なく食べると良い」
太子が侍女に声をかけると、待ってましたとばかりに次々に食事が運ばれて来た。
居間の中央を陣取っている鏡のように磨かれた大きな長テーブルに、所狭しと並んだ料理の数々。漂う匂いが食欲を刺激して、ぐぅと腹が鳴る。
包子に点心、燕の巣、フカヒレの姿煮、北京ダック、トンポーロウ、上海蟹のあんかけ、鮑、麻婆豆腐など下級文官の給金ではとても口にすることができないようなものまでなんでも揃っており、春蕾は思わず目を輝かせた。
パタン
侍女たちが食事の用意を終えて扉が閉まり、太子と2人きりになってから、春蕾はやっと声を漏らした。
「美味しそう…」
「全部其方のものだ。好きなだけ食べなさい」
「なぜです…なぜ私のためにこんな…」
太子が妃と夕餉を共にするなど、普通ならあり得ない話だ。妃は夜伽の為に呼ばれ、子を成せば良い訳で、共に食事をする必要などない。
小さく問うと、太子は春蕾と視線を合わせるように少し腰を屈め、ポンと優しく頭を撫でながら、真っ直ぐに目を見て答えた。
「其方を好いているからだ」
「…//」
そんなまっすぐな言葉にどう返せば良いか迷っている春蕾をよそに、太子は笑って席に着かせ、自らも隣に座った。
飛龍のせいで昼を食べ損ねていた春蕾は、料理を目の前にゴクリと喉を鳴らす。
すると、太子自ら春蕾の皿に取り分け始め、その手を静止しようとすると、いいからと諭された。
太子に取り分けて貰う妃が他にいようか。いや、この特別な妃以外にいるはずはない。春蕾は遠慮がちに皿を受け取り、おずおずと料理に手をつけた。
「ん…美味しい…」
初めて食べたそれらは自分の想像を遥かに超えた味で、無意識に箸が進み、みるみるうちに皿の上が減ってゆく。
すると、手の上から皿を取り上げられ、また新しく太子が取り分けて手の上に戻される。
ニコニコしながらずっと食べている様子を見ている太子に、春蕾はやっと箸を止めて不思議そうに首を傾げた。
「あの…太子殿下は召し上がらないのですか?」
「ん?あぁ、そうだな。私も頂こう。」
そう言うと、頬を栗鼠のように膨らませた春蕾の顎に優しく手を添え、顔を寄せる。そして…
チュッ
「っ?!なっ//////」
「口の端についていた。美味いな。」
かーっと顔が熱くなり、それを隠すように春蕾は次々に口へと食べ物を詰めてゆく。
太子はそんな春蕾を愛おしそうに見つめており、その視線の熱さについ目を逸らしてしまう。
「な、なんですか…」
「ん?其方が可愛くてつい、な」
「わ、私は男ですよ」
「ははは。分かっている。私の前でそんなにもりもり食べる妃は其方しかいないからな」
太子でも冗談を言って笑うのだなと思うと、なんだか気が抜ける。
緊張が解けると食欲はますます止まらず、結局用意されていた料理をほとんど平らげた。
「ふぅ…もう腹がはち切れそうです…」
「よく食べたな」
「うぅ…腹が少し苦しい、です…」
「大丈夫か?ほら、おいで。」
太子は春蕾の手を取って立たせると、気遣いながら歩いて長椅子に横になるよう促した。
腹を抱えて少し苦しそうに歩く春蕾を妊婦のようだと思った太子の心の内は知る由もない。
「太子殿下…申し訳ございません。こんな恥ずかしい姿を晒すとは…。料理があまりにも美味しくて、つい食べ過ぎて」
「気にするな」
太子殿下は先ほどの卓に戻って茶を飲んでおり、ここから少し離れた場所にその背中は見える。
話しかけて良いものか、話しかけると言っても何を話すというのか。しばらくの間、沈黙の時間が流れる。
「春蕾…」
先に口を開いたのは太子で、彼は背を向けたまま淡々と話し始める。
「飛龍将軍とは…どういう関係なのだ?」
唐突に飛んできたその質問にドキっとして、気がつけば冷や汗をも流していた。
その名前を聞くとなぜか調子が狂う。
やましいことは何も無いと言えば嘘になる。つい数時間前までその男と繋がっていたなど口にできるはずもない。
「ぇ…と…」
「飛龍将軍が目を付けていたと話すくらいだ。昔からの仲なのだろう?」
「いえ!……私は幼く、その頃の記憶が定かでは…」
「あの男を…好いているのか?」
「好いてなどおりません!むしろ太子殿下の方がっ」
言いかけて思い止まる。
今自分は何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。
太子はゆっくりと立ち上がって振り返り、春蕾の方へやって来る。
横になる妃を見下ろしていたかと思えば、バサっと布が重なる音がして、春蕾の上に覆い被さった。
太子の手入れされた艶やかな髪がハラリと天幕のように顔の横に垂れ、2人だけの空間が出来上がる。
「私の方が、何だ?」
「お、お美しくて…//」
「それから?」
「お優しくて…//」
「ふむ」
太子の手が春蕾の前髪を払い、そのまま頬を撫でる。
「そ、その…ぇ、と」
「なんだ?」
「良い…人…です…//」
「良い人か…」
太子は突然、春蕾の両手首を掴むと、片手で纏めて頭の上に押さえ付けた。
そして、顎に手を添えてその手をクイっと上げると、今まで聞いたことのない低い声で言った。
「私は悪い男だぞ?」
チュッ
気がついた時には唇に柔らかいものが触れており、それが太子の唇だと理解するのはそう難しくはなかった。
「殿下っ!//」
「妃としてここに来る以上、其方は私に抱かれても文句は言えぬ。それに、煽ったのは其方の方だぞ?春蕾」
「しかし私は男でっ」
「正体を明かした時、そんな事は関係ないと言っただろう?私は其方を好いている」
「でもっ…んっ//」
もう一度重なった唇は、今度は簡単に離れる事はなく、徐々に深く長く絡まっていく。
時折漏れる吐息混じりの声で自分の名を呼ぶ声が聞こえ、何度重ねたか分からない口づけは、ゆっくりと終わりを告げた。
「殿、下…」
「名を呼んでくれ。春蕾」
「麗孝…様……」
「春蕾…恋慕っている」
最後に名残惜しそうに小さくキスを落として自身の体を起こした太子は、春蕾を横抱きにして寝台へと運んだ。
ゆっくり降ろされた寝台はいつも通りふかふかで、途端に眠気が襲ってくる。
こんな場所で寝てはならないと分かっていても、満たされた腹と温かい寝床が揃えば、睡魔に勝てるはずもなく。
春蕾はまた、深い眠りに落ちていく。
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