剣舞踊子伝

のす

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第一章

9話

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目が覚めると、自分の部屋だった。
慌てて起き上がるが、服の乱れもない。


さっきまでのことは夢…?

誰があの男のところへなんか行くか。



ゆっくりと寝台から抜け出して立ち上がり、辺りを見渡す。
ちょうどそこへ夜鈴がやって来た。


「春蕾様、もう大丈夫なのですか?」

「え?」

「随分と疲れているようだと飛龍様が…」

「っ…またあの男がっ…」



飛龍という言葉を聞いた途端、あれは夢ではなかったと尻がキュンと窄まるのが分かり、嫌気がさした。



「こちらを」



夜鈴から手紙を渡される。
広げてその内容に目を通す。


ただ大きな紙に一言だけ


“给我带来剑舞者”
(剣舞の踊り子を連れて来い)


紙なんて贅沢品をたった一言の為に使うなんて…

その紙をぐしゃりと握りつぶし、春蕾はまた執務室へと向かうため、王宮内を歩く。
やらなければならないことが山積みなのに、あの男のせいで時間を無駄にしてしまった。


全く本当にどこまで執着するつもりだ?早く諦めてくれ…。まさか、見つけるまでずっと私が飛龍にあのような恥辱を受けるのか?
うぅ…考えたら寒気がする。そろそろ対策を考えなければ…。



物思いに耽ながら急いでいると、ちょうど前から太子が歩いてきた。
その後ろには侍女や護衛たちが大勢付き従っており、その一行とすれ違う者はみんな廊下の端に避けて頭を下げていく。


なぜこんなところに太子が…?


春蕾もすぐさま廊下の端に寄り、頭を下げると、すれ違いざまにこんな話が聞こえてきた。


「春麗は見つかったか」

「それが…春麗と言う名の女性はおりませんでした」

「彼女は確かにいる。見つかり次第すぐに後宮に迎えろ」

「はっ!」


後宮だって?!
そんなところに入ったら簡単には出られなくなる。それどころか、男子禁制のその場所で正体がバレたら確実に終わり…

ごくりと唾を飲んでその姿が通り過ぎるのを待っていたが、突然自身の前で太子が歩みを止めた。



「…その足、怪我をしたのか?」

「は、はい…」



顔が見られないようにより深く頭を下げる。


「武官ならまだしも、文官が怪我を?」

「こ、転んでしまいまして…」

「……春麗」

「っ!」

「という妃を知っているか?其方と同じように足を怪我している娘だ」

「い、いえ。存じ上げませぬ。太子殿下」




太子はそうか…と呟いて去って行った。
随分と覇気がなかった。どうしたんだろう。
何か悩みでもあるのか…?
去っていく背中を眺めながらそんなことを考えていると、突然肩にポンと手が置かれた。



「うわぁ!?!?」



驚いて振り返ると、そこには満面の笑みでしてやったりな顔の劉帆が立っていた。


「どうしたの?そんなに太子殿下のことぼーっと見ちゃって。もしかして、好きなの?」

「ち、違います!」

「えー私は好きだけどな~あの顔。すっごく綺麗だと思わない?まさに天上人って感じで品格があって」



そう言って自身の頬に両手を当てる劉帆に、春蕾はこの人が無類の男色家であることを思い出す。

この男だって目が丸くて爽やかな顔立ちで、背もスラリと高く、何もしなくたって女が寄ってくるような美貌だ。そんな男がわざわざ男と寝なくても…


「それより、さっき太子殿下に“シュンレイ”って呼ばれていたけど、どんな関係なの?」

「太子殿下は“シュンレイ”と言う名の妃殿下を探しておられたようで…」

「ふーん。妃殿下と同じ名前なんだ。珍しいこともあるもんだね」

「は、はぁ…」

「そんな事より、僕の屋敷に来ないか?」

「ぇ…」

「ちょっと何その顔!酷い!何もしないよ!!……たぶん」

「たぶん?!」

「君のことはすごくタイプだけど、嫌がる子に無理矢理はしないよ。まぁ君が望むなら大歓迎だけどね?そんなに不安なら君の友達も連れてくれば良い。」




その日の夜、磊と共に俞劉帆の屋敷を訪ねた。
立派な門の前に立ち、コンコンと戸を叩くと、すぐに侍女が出迎える。


「こちらです。どうぞ」


屋敷の中へと足を踏み入れた2人は、応接間へと通された。部屋の中には美しい刀や弓、槍などの武器が揃っており、そこへ劉帆がやって来た。

俞家は武官の中でも元は商人の家であり、今でも武官を引退した当主たちが交易商売を行っている。

異国で作られた奇妙な形の武器や崔国の名だたる鍛治職人が作ったものまで揃えられていた。


「聞くところによると、君たちは兵法や武術にも興味があるらしいな」

「ぃぇ…」

「はい!幼い頃から沢山学んできましたので!」



あまりこの話に乗り気ではない春蕾をよそに、まるで子供のように目をキラキラと輝かせている磊に、春蕾も何も言えなくなってしまった。



「好きなのを選んで持っていくと良い」

「良いのですか?!本当に?!」

「あぁ。構わぬぞ」

「ありがとうございます!劉帆将軍!」

「ですが何故私たちに武器を…」


刀を手に取りながら不思議そうに呟く春蕾に、劉帆は静かに答えた。


「最近、王位を奪おうとしている奴らがいると言う噂が私の耳に届いた。私と飛龍が真偽を調査中だが、まだ確証は得られていない。」

「本当ですか?!」

「君たちだっていつ刺客に襲われてもおかしくない状況だ。だから、自分の身は自分で守れるようにしておきなさい」

「私たちのような下っ端の下級文官が狙われることなどあるのでしょうか?」

「春蕾は下級文官と言いながら家は上級武官だ。王に近い位だからな。私なら繋がりのある磊も狙うだろう」

「わ、私も…?」

「この事は国王や太子殿下にも報告済みだ」



だからさっき、太子殿下は妃殿下を探していたのか。刺客から守らせるためにあんなに急いで後宮に迎え入れようと…。
もしかして飛龍が踊り子を探している理由も同じ…?だとしたらいつからこんな話がっ!


事は春蕾が知らぬ間に奥まで根を張り巡らされていたらしい。


「私たちは何をすればよろしいのですか」

「何もするな。相手に動きを悟られてはならない。ただ危険なことがあれば身を守れ。死ぬんじゃないぞ」





そんな話を聞いて落ち着いていられるはずがない。

磊は帰り道、かなり動揺したように貰った懐刀と弓を握りしめていた。その手は僅かに震えていて、表情もどこか怯えたように暗い。


護身用の武器をもらったからと言って強くなる訳ではない。使いこなすだけの技量が必要だ。
春蕾は幼い頃から教えられて来たけれど、磊からすれば剣を振るうことも弓を引くこともした事がないだろうに。ましてやそれで人を殺すなど…。


それから2ヶ月が過ぎた。
その間、刺客に会うこともなくただいつもと変わらない平穏が続いていた。

磊も初めこそ怯えていたが、徐々に安静を取り戻し、今では前と変わらぬ生活を送っている。

こんな気の緩みが危険だと警鐘を鳴らしていながらも、劉帆の話は嘘だったのではないかと思い始めていた頃、東西南の村で敵の侵攻を許したとの知らせが舞い込んできた。




その日の夜はまた、“春麗”が夜伽の相手として呼ばれ、舞の格好をして太子殿下の元へ向かおうとしていた所だった。
もしもの時のために、懐刀を忍ばせる。
この日、春蕾は太子殿下に自身の正体を伝えるつもりだった。


そんな日に限ってこの知らせ。
武官たちが南や東、西へと向かって行った。こんなに同時に攻め込まれたのは初めての事で、都に駐在していた武官たちがこぞって出兵する事となった。

しかし、それが罠だと春蕾たちが気づいた頃には、すでに刺客に囲まれていた。




「夜鈴!!!!!」


キンッッ


「春蕾様!!っ!」

「なぜ私の部屋に刺客が!」

「わかりませぬ!早くお逃げください!」



ズバッッッ



王宮に残った文官達の中に剣を使える者は少ない。王や太子殿下には、以前の戦いで負傷し、今回戦に出ていない春蕾の父や沢山の護衛がついているから大丈夫だろう。

夜鈴も春蕾に仕える侍女でありながら、春蕾と同じく幼い頃から剣術を磨いて来た。十分に背中は任せられる。


しかしこの狭い部屋の中での戦闘はあまりにも不利だった。


「その女だ!捕らえて連れ出せ!」


こいつらの狙いは私か?
敵兵たちは構わず向かってくる。それを舞のごとくヒラリとかわし、素早い突きで攻撃する。
敵も味方も見ている者がその軽やかな身のこなしに思わず見惚れてしまうほどに美しかった。


しかし、天井の低いこの部屋の中では剣舞が舞えない。となると、春蕾は戦えない。


「きゃぁっ!!」

「夜鈴!!ぅっ!」


背中に物凄い衝撃を感じたのを最後に、春蕾は記憶を手放した。









次に目が覚めたのは、狭い箱の中。
口には布が巻かれていて声は出せない。
小さな鍵穴から漏れる光を見つけ、そこから外を覗くと、こんな話が聞こえて来た。


「やはり剣舞の踊り子は実在したらしいな」

「本当に司春蕾の部屋にいるとは」

「この女の命と引き換えに司家の滅亡と太子の殺害は計画通りに」

「噂では雷飛龍将軍もこの女を気に入ってるとか」



こいつら、剣舞の踊り子を利用する気だ。
だが、太子の夜伽の相手に呼ばれたのはたったの二回なのになぜ。こんな女1人のために太子が何かをするとは思えないのに。



「あの堅物の太子や色好きな将軍が惚れ込んでいる女か。んふふ。王位を奪ったら、この女を私の妻として迎えてやろう」


この声…まさか!
文官の中でもかなりの大物。刘芳(リゥ ファン)大臣。

この人が黒幕…?
確かいつも王の隣に席を置き、政治に口出しをする男。王からの信頼は厚く、他の官僚たちからも一目置かれる存在。
そんな人がなぜ…








その頃…



バンッ


「春麗!」



司春蕾の部屋に刺客が入られたと聞きつけた太子は、なりふり構わず部屋に入って来た。

そこには倒れた刺客の数人と血に濡れた夜鈴がかろうじて立っていた。


「春麗はっ!」


部屋を見渡しても姿はなく、侍女がその名を聞いて泣き崩れた。そんな彼女の前に片膝をつくと、太子は優しく声をかけた。



「何があった」

「春蕾様が…連れ去られてしまいましたっ」

「衛兵。直ぐに妃を探せ!血を流させることなく私の元へ!」



その騒ぎは遠方に出兵していた劉帆や飛龍にも届いた。そして、太子殿下が夜通し馬で都中を探し回っていると言うことも。



「あの太子は何をやっているのだ。ただの妃1人のために危険なことをするなど、王位を継ぐ自覚がないのか」

「飛龍。君も雷家の当主だって事忘れてる時あるでしょ。今だってなんで私も一緒に王宮に馬を走らせているのやら」

「黙れ。急ぐぞ劉帆」

「はいはい」
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