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第一章
7話
しおりを挟む「春蕾!大変!」
磊が慌てて執務室へ入ってきた。
どうやら走ってきたようで、肩で息をしてなんとか絞り出した声で言う。
「太子殿下が剣舞の踊り子を探してるって!」
「え?!」
「でも、どの文官に聞いても居場所が分からなくて、今大変なことになってるみたいです!」
ちょうどその時、上級文官の男が3人、血相を変えて部屋に雪崩れ込んできた。
そのあまりの慌てように、これはただ事ではないことを悟る。
「司春蕾!剣舞の踊り子は知っているな?」
「え、えっと…」
「どこの誰なのだ。今夜、太子殿下の夜伽に向かわせろ。いいな?必ずだ。これは太子殿下直々の命令だ。絶対に逆らってはならぬ」
「ですがっ!」
「これで私たちの首は安心だ…」
「よかったよかった…」
「くれぐれも遅れるでないぞ?」
大変なことになってしまった。
飛龍の次は太子殿下が…
剣舞の踊り子はただの“形式上”の妃のはずではなかったのか?
上級文官たちが部屋を出ていくと、夜鈴と磊が困ったように顔を見合わせていた。
「春蕾様…どうなさいますか?今日は体調が優れないと言う事にして、私がお伝えいたしましょうか…」
「今日断っても明日、明後日…何日も騙すことはできないでしょう。」
「磊の言う通りだ。その場しのぎに過ぎない。それならば、私が行こう」
「夜伽なんて、男であることをバラすようなもの…やはり、今から真実を話す方が」
「私に策がある」
この夜伽で太子に気に入られなければいいだけだ。
だから、男であるとバレる前に、太子殿下に嫌わる振る舞いをすれば良い。女としての魅力などない事を証明すれば、夜伽など二度と呼ばれることはないだろう。
その日の夜、春蕾は髪を下ろして踊り子の衣装に着替えた。
面紗の下には厚塗りした白粉、濃すぎる眉、はみ出した真っ赤な紅を差した。
「ブハッ…流石にこの顔が夜伽に来たら共寝をする気も失せますね」
「磊、少し笑いすぎではないか?」
化粧を施す夜鈴も必死に笑いを堪えているし、流石に人の顔で笑うのは失礼ではないか。
モヤモヤしながら出来上がった顔を手鏡で覗き込むと、春蕾も思わず吹き出した。
そこに映った人物は、誰がどう見ても美人とはかけ離れており、この顔が妻になると言われたら、自分も両親を恨んだだろう。
まさに完璧だ。
夜鈴から面紗を受け取り、顔を隠す。
「よし、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ春蕾様」
「行ってらっしゃい」
部屋の前で春蕾を見送る2人は今も肩を震わせていて、よほど耐えていたのか、背中を向けた瞬間に盛大に吹き出した声が聞こえた。
春蕾はすっかり暗くなった王宮の中を歩き、太子の部屋の前にたどり着く。
「太子殿下の夜伽のお相手に参りました」
「入れ」
僅かに肩を震わせる見張り番の隣をすり抜けるとすぐに扉が開かれた。
春蕾は深く深呼吸をし、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。
普段は太子と夜伽に選ばれた妃以外の誰も入ることの許されない寝殿。
ましてや男が入るなど言語道断。
扉の中に広がるとても静かで手入れされた庭には、たくさんの花や草木が咲き乱れており、池には空の星が映っていた。
命の保証がない今の春蕾の心内とは正反対の穏やかな空間がそこにはあった。
「気に入ったか?」
「!」
声のする方に目を向けると、寝殿の入り口の扉の前に太子が立っていた。
春蕾は静かにゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めて太子の元へ歩みを進める。
そして、ある程度近くまできたところで、盛大に転んでみせた。
「大丈夫か!ほら」
太子は春蕾に駆け寄ると、掴まれと言わんばかりにスッと手を差し出した。
しかし、その手は掴まず、自力で立ち上がり、礼も言わない。
太子に対して無礼極まりない行動を重ねる。
これが一か八か、命をかけた春蕾の作戦だった。
「入りなさい」
寝殿の中に案内された春蕾は、靴をてきとうに脱ぎ散らかした。
そして、太子の部屋の扉が開かれると、進められる前に立ったまま卓の上の茶菓子をムシャムシャと頬張った。
「腹が減っているのか?」
「」コクリ
「それなら全て食べると良い。ほら、座りなさい」
そんな失礼な行動にも、太子は笑うだけで、嫌な顔ひとつしない。
なんてできた人間なんだ…いやいや、違う。そんなことを考えている場合ではなかった。
太子には、必ずこの一夜で嫌われなくてはならぬのだ。
「そんなに急がなくても良い。夜は長いのだから」
手元を見れば、茶菓子のほとんどが消えており、流石に焦る。王族に献上される品だ。きっとこの茶菓子も茶も茶器も全て高級品なのだろう。それを味わわずに貪り食うなんてもったいないことをした。
食べかけの茶菓子を一旦皿に置き、詰め込み過ぎた頬の中をもぐもぐと動かす。
太子は穏やかな笑みを浮かべながら、卓に頬杖をついて、じっとこちらを見つめていた。
そんな視線に気付いた途端、急に恥ずかしくなって、口の中のものを一気に飲み込み、そして視線を逸らす。
なんで私を見ているのか。
この厚塗りの顔が面白いのか…いや、それについては全く触れられないし、笑われてもいないし…。
「私の前でこのような振る舞いをした者は、其方が初めてだ。」
「…」
「名は何という」
「…」
「其方は私の妃だ。名を呼べぬのは…悲しい…」
「……春麗(シュンレイ)でございます…」
「春麗…美しい名だ。其方によく似合う。私は崔麗孝(サイ リキョウ)。これからは好きなように呼ぶと良い。」
太子の手がすっと伸びてきて、優しく重ねられる。その温かさに人柄の良さを感じずにはいられなかった。
こんなに素晴らしい人を欺いて良いのかと思ってしまうほど。
「夜伽の相手だが…」
その言葉にピクリと肩を揺らすと、少し困ったように笑って言う。
「私には妃が何人もいる。みんな私の権力目当ての者ばかり。今回其方をここに呼んだのも私ではない。」
ポツリポツリと呟くように語る太子も色々と苦労があるようだ。
そしてやはり太子は春蕾に気があるわけではないようだ。
「ご苦労されているのですね…」
「いつもどの官僚の家の妃かと気を遣わねばならぬ。どこの誰かも分からぬ其方になら、本来の姿でいられるのかもしれぬな…」
はぁと深くため息をつく太子は、普段の玉座に座った凛とした姿からはとても想像できなかった。
しかし、この人も人間なのだと思うと、少しだけ同情する。
「殿下が妃を拒まれてはどうですか」
「それはできぬ。父上がよく言っていた。我が国の王は飾りのようなもの。玉座を取り巻く官僚たちをまとめるには人質という名の妃が必要なのだと。」
人質…
それならば太子自身も人質じゃないか。
「良い妃が殿下の后になってくれると良いですね」
「其方が私のものになりたいと望めば、拒まぬが」
最後の言葉の色気に思わず重ねられた手を引っ込めてしまう。
そんな春蕾の様子に太子はハハハと声を出し、冗談だと笑いながら言った。
それが女性に向けられた言葉ならば良いのだろうが、男である春蕾にしてみれば馬鹿にされたようでふいっと顔を背けてツンとした顔を見せる。
「はははすまない。ところで、その厚化粧は侍女の仕業か?」
優しく顎に手を添えられ、顔を覗き込まれた。
突然のことで春蕾はハッとする。
それもそのはず。太子の顔をこんなに近くで見たのは初めてだが、ここまで整った顔をしていたことに、なぜ今まで気がつかなかったのか。
数々の女を虜にする飛龍とは違う、穏やかで優しい美形。男女問わず思わず見惚れるほどの美貌。
男の自分でもドキッとしてしまう良い香り。
「っ!…お嫌い…ですか?」
「いや。ただ、其方にはそのような化粧は似合わぬな」
「わ、私は…不細工ですので…」
「そんなことはない。そのような化粧をしていても私にはわかる」
太子はそう言って急に立ち上がると、部屋の隅に飾ってあった剣を手に取った。
春蕾に一瞬にして緊張が走る。
男だとバレたか!
ガタッと大きな音を立てて座っていた椅子を倒して立ち上がる。
そしてこちらに歩いてくる太子と向かい合ったまま間合いを取るように足を1、2歩後ろに下げた。
「春麗」
低い声で名を呼ばれ、太子は鞘から剣を引き抜いた。
ギラリと光る鋭い刃を目の前にし、思わず腰に手をやる。しかし、踊り子の衣装を着た春蕾が当然帯剣しているはずもなく、掴んだのは扇子だけ。
ここまでか…それならいっそ、正体をバラすか。
「もう一度舞ってはくれぬか」
「は、い…?!」
ずいと差し出されたそれには王家の紋章が刻み込まれており、柄には翡翠の珠が埋め込まれていた。
その剣と太子を何度も交互に見る。この剣を握ることさえも畏れ多いのに、それで舞えと…?
「その前に…」
太子は春蕾を抱きしめるように頭の後ろに手を伸ばした。
しかし、抱きしめるのではなく頭の後ろで結んだ面紗の紐を外したのだと気がついた時には、スルリと面紗が床に落ちていた。
慌てて袖で顔を隠そうとするが、それを遮るように太子は頬に左手を添えると、右の袖で春蕾の顔を優しく拭った。
「お袖が汚れます…んっ…殿下っ」
「構わぬ。やはり其方は素顔が1番美しい」
その手を払いのける勇気はなく、顔の化粧を全て取られてしまった春蕾は俯くことしかできなかった。
男だと分かったらどうされるか。
首を切られるか…見せしめにされるか…。
いろいろな考えが頭を巡る。
しかし、太子はまだ気付いていないのか、変わらない声で舞ってくれと言う。
春蕾は俯いたまま恐る恐るその剣を受け取って席を立ち、もう一度靴を履いて庭に出た。
静かに剣を一振りし、最初の構えをとる。太子は部屋の中の椅子に座り、じっとこちらを見つめていた。
春蕾はゆっくりと足を引き、膝を曲げると、一気に空に飛び上がった。
そこからはだんだんと剣舞に集中していく。しかし、時折感じる太子の視線に集中が途切れてしまう。
そして片足を上げて回転しながら飛び上がり、着地した瞬間に足首を捻ってしまい、その場に倒れ込んだ。
慌てて立ちあがろうとするが、ズキっと痛みが電流のように駆け巡り、立つことができない。
「春麗っ!」
太子は慌てて駆け寄り、座り込む春蕾の元に膝を付いた。
綺麗な衣に土が…そんな考えを跳ね除けるような慌てた声で太子が言う。
「見せてみろ。ほら」
「わ、私は大丈夫です。これくらいなんとも…痛っ」
「こんなに腫れているではないか!おい!医者を呼べ!」
太子が叫ぶと、寝殿の外が騒がしくなったような気がする。
太子は気にすることなく春蕾の体を横抱きにして抱え上げる。
「あ、お、下ろしてください…それにまだ剣が…」
「落としはせぬ。私の首に捕まっておれ」
「は、はい…//」
春蕾はぎこちなく太子の首に腕を回し、体を預けた。
太子はしっかりとその体を抱き、足早に寝殿の中へと戻ると、広々とした寝台の上に優しく寝かせた。
「その長い衣は邪魔になる。肌着になった方が良い」
「で、でも」
肌着になんてなれば平らな体を見られてしまう。それこそ男だとバレて一貫の終わり。
衣を脱ぐことを渋っていると太子は折れたようで、それならばと裾を膝までたくし上げた。
ハッとした太子はそこで手を離す。
「…す、すまない…!//つい心配する一心でっ//」
そして顔を手で覆うようにして顔を逸らした。
心なしか赤くなった耳は酒が回ったせいかもしれない。
「あ、の…ありがとうございます、殿下」
「春麗…」
太子の手がそっと春蕾の頭に触れ、愛おしそうに2、3度撫でた。
トントン
“麗孝太子殿下。医者が参りました”
部屋の外から聞こえた声で、太子は寝台から離れ、医者が入ってきた。
診察の結果は捻挫。
大きな怪我ではなかったが、しばらく安静が必要とのこと。
医者が足首に包帯を巻いていく様子を真剣に見守る太子を春蕾はぼんやり眺めていた。
実質初めての夜伽でこれだけ事件を起こしたのだ。もう2度と呼ばれることはないだろう。
さっき頭を撫でられたのも心配してくれただけで、気に入られたわけでは…。
当然このような状態で夜伽などできるわけがないと判断された春蕾は担架で寝殿を運び出された。
太子が最後までそばに居るとゴネていたようだが、すぐに別の夜伽の相手が充てがわれたらしく、春蕾はまた少し同情してしまった。
一度は救護室に運ばれたが、皆が寝静まった後に抜け出してそのまま自身の部屋に戻った春蕾は、夜伽に向かった者がどうしてこうなるのかと夜鈴に酷く呆れられた。
応援ありがとうございます!
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