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第一章
3話
しおりを挟む「はぁ…はぁ……はぁ…」
部屋の扉を閉め、その場に座り込む。
乱れた息とドクドクと脈打つ心臓が辛い。
「私を妾に…?馬鹿馬鹿しい」
あの男、最近の数々の輝かしい武功と共に聞こえてくる噂。戦に行く先々で身分に関係なく女を取っ替え引っ替えしていると言うのは、本当のようだ。
そんな男より階級が下だなんて腹が立つ。自分が上級の地位に就いたら、絶対に悪行を明るみにして、あの男の地位を失墜させてやる。そう心に誓い、春蕾は息を整えて着替えると、何事もなかったかのように宴に戻り、席についた。
宴も中盤に差し掛かり、徐々に酒が回り始めたその場所は、さっきよりも賑やかになっている気がする。
皆、春蕾が席に戻ったことに気付かないくらいだ。これでやっと豪華な夕食にありつける。
舞の前は体を軽くするために何も口にしていなかったので、腹が減っていた春蕾は、人目を憚らず次々に料理を頬張った。
「春蕾様、どこに行かれていたのです?先ほど見事な剣舞を披露した踊り子がいたのに」
「そ、そうか。磊、そんなことよりこれを食べてみて。とても美味い」
「おい」
せっかくの食事を楽しんでいると、1番聞きたくなかった声が聞こえてきた。
渋々後ろを振り返ると、飛龍がものすごい剣幕でこちらを見下ろしており、春蕾は慌てて視線を逸らす。
「っ!!」
「飛龍将軍っ!?さ、酒を…持ってきますっ!」
磊は突然現れた飛龍に圧倒され、席を立ってしまった。助けてくれそうな人が誰もいなくなった春蕾は、冷や汗を流し動揺していた。
な、なんだ…?
まさかさっきのことを…っ
「先ほどの剣舞の踊り子が誰なのか教えろ」
「ぇ」
「お前の兄の婚姻の儀であろう。司家の者か?それとも、どこかから呼び寄せたのか?」
「し、知りません」
そう答えた瞬間、胸ぐらを掴まれ、飛龍の方を強制的に向かされた。至近距離で目が合い、先ほど廊下で腰を抱かれた時と重なって、思わず肩をすくめた。
「あの女を今夜私の屋敷に連れて来い。さもなくば、お前の侍女を連れて行く」
「な、なぜその踊り子に執着しているのですか…」
「あの女は私の妾にする。そう決めたのだ」
「色好き…」
ボソッと呟いたその言葉に、飛龍は鼻で笑い、去っていった。
どうする。
踊り子を連れて行かなければ、夜鈴があの男に辱めを受けることになる。
だが、踊り子の正体が私だと知られるのは避けたい。そもそも、あの男の言葉を律儀に信じる必要もない。しかし、あの男なら本当に夜鈴を連れて行きかねない。
あぁ、参った…。
なぜめでたい兄上の婚姻の儀でそんなことに頭を悩ませねばならぬのか…。
「はぁ…」
「春蕾」
「兄上!」
「先ほどの剣舞、見事だったぞ。私も蓮花も、またお前の剣舞が見られてとても嬉しく思う」
「そう言って頂けて良かったです」
「そう言えば、さっき私のところに雷飛龍が来て、あの踊り子は誰なのかと」
「なっ!あ、兄上はなんと」
「妓楼で雇ったと伝えておいた。お前は正体を知られるのは嫌だと思ってな。駄目だったか?」
「いえ!さすがは兄上です!」
良かった。バレていない。
それにしても兄上にまで踊り子のことを聞くとは…。まあ良い。それならば、今夜は遊郭で遊女を適当に充てがえてやり過ごせば良い。
春蕾は急いで遊郭から1人、飛龍の屋敷に向かわせた。
次の日、早朝に王宮に戻った春蕾は、飛龍に見つからぬよう自室に籠っていた。
ちょうど昼を過ぎ、腹が減ってきた。
もう大丈夫だろうと少し気が緩み、気晴らしがてら外に出ようと部屋の扉を開けた。
「っ!!」
「私を欺けるとでも思ったか?」
「ど、どうしてっ…」
「昨日の女はあの踊り子ではなかったぞ」
「そ、それは…」
「なぜ隠す」
「隠してなど…」
「この街にいるのは分かっている。必ず見つけ出してやる」
「あの踊り子に執着する理由は何なのですか。女なら誰でも抱くのでしょう…?」
「フッ…よく知っているな。そう言うお前は、女を抱いたことはあるのか?」
「い、今そんなことは関係ないでしょう//」
飛龍は馬鹿にしたように高らかに笑うと、そうだろうなと納得して歩いて行った。
まただ。とても腹が立つ。
何もかも自分の先を行くあの男に、私はどうしてこうも振り回されねばならぬのか。こんなことをしている場合ではないのに。
それからは、飛龍と極力会わないように王宮の中を隠れながら過ごした訳だが、程なくして、武官たちはまた戦地へと赴いて行ったと知らせが入った。
兄や父、親しい人が側を離れるのは寂しいが、あの男も王宮を出て行ったとなれば話は別。春蕾にもやっと平穏が訪れた。
あれから毎日、飛龍に怯える気持ちを紛らわせるために、あれやこれやと執務に追われていたので、今日でやっと解放される。
筆を置き、立ち上がって腕を高く上げ、ぐっと体を伸ばす。
ちょうど視線の先に剣が見えたので、徐に手を取り、それを持って外に出た。
辺りはすっかり暗くなり、部屋から漏れる1本の蝋燭の火も頼りない。
皆寝静まり、誰もいないその場所であの日ぶりに剣を抜き、軽く振り下ろしてみた。
この瞬間が、春蕾は好きだった。
ただ頭の中を空っぽにして舞う。
目を閉じて自然の雅楽に耳を傾け、その音色に合わせて剣が風を斬り、体が宙を舞う。
誰の為でもなく、ただ心の赴くままに。
最後に素早く回転し、一突きした瞬間、背後から短く手を叩く音が聞こえた。
「っ!!!!」
突然のことに驚き、剣が手から滑り落ち、地面に跳ねた。
振り返らなくても分かる。
春蕾は慌てて両腕で顔を隠した。
なぜ飛龍がここに…戦地へ赴いたのではなかったのか。
「お前はなぜいつも顔を隠す」
「…」
「今夜はお前を抱く。来い」
「っ!」
春蕾は掴まれた腕を解こうとしたが、やはり力の差があり抜けられない。飛龍は春蕾の体を掴んで反転させた。
春蕾はいっそう顔を隠したが、その腕を退けようと腕を掴まれ強引に力を込められる。まずい。このままではっ…!
「飛龍様!」
その声がした方を一斉に見た。
助けてくれたのは、磊だった。
「なんだ。今取り込み中だ」
「あ、あの…飛龍様に客人がっ」
「こんな時間に?帰らせろ。明日出直せと申し伝えておけ」
「で、ですがっ…急用と…」
飛龍は掴んだ手を離し、渋々磊に言われた門の方へと歩いて行った。
飛龍に客人など来ておらず、遠ざけるためについた嘘だったが、今はその機転に救われた。
「磊…助かった…」
「やっぱり春蕾様だったのですね」
「…いつから知ってたんだ?」
「その剣、前に一度部屋にお招きいただいた時に飾ってあるのを見ました」
「そうか…気をつけないとな」
「なぜ隠すのです?あんなに素晴らしい剣舞ができるなら、戦に出てもきっと兄上や父上のように立派な武功を…」
「それが私にはできないのだ」
「え」
「戦には出たくない。もう、誰にも辛い思いはさせたくない……」
春蕾は磊と共に自室に戻り、過去の事を話した。
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