115 / 128
ブラック・ジャック その3
しおりを挟む
治美の読みは当たった。
治美が退院してすぐに虫プロから「ジャングル大帝」をアニメ化したいという申し出があったのだ。
ヤマケンは悪びれもせず打ち合わせのために富士見台の虫プロにまで治美に来て欲しいと言ってきた。
治美は自分の物ではなくなった虫プロを見たくなかったので、逆にヤマケンを呼びつけた。
結局、治美と親しかった穴見氏が一人で下井草の家にやってきた。
応接間に通された穴見は治美の顔を見て一瞬顔を曇らせ、それから深々と頭を下げた。
想像以上に治美の顔色は悪くやつれていたため、穴見はショックを受けたのだ。
「手塚先生、お久しぶりです。入院されていたとお聞きしましたが、お体の方はもうよろしいのですか?」
「ちょっとした胃潰瘍だったからもうすっかりいいのよ。それよりヤマケン君は来ないの?」
「さすがに先生に会うのはバツが悪いのでしょ」
かつて鉄腕アトムをテレビ局に売り込んでくれた穴見は広告代理店を辞め、今は虫プロで常務をしていた。
「奥さんのワコさんは元気にしてる?」
「妻は先生が虫プロを辞めた後、すぐにアニメーターを辞めました。先生のいない虫プロにはいたくないと言いました」
「まあ!優秀なアニメーターだったのに惜しいわね。わたしがまた新しいアニメスタジオを立ち上げた時には手伝ってもらうわ」
「それで『ジャングル大帝』のアニメ化のお話ですが。先生が七年間の長期に渡って『少年』に連載された長編大河ドラマです。これをオールカラーの連続テレビアニメにしていくつもりです」
「わーい!カラーにしてくれるのね。遂に日本初のカラーテレビアニメができるのね」
「先生。残念ながら日本初のカラーテレビアニメはついこの前フジテレビで放映された『ドルフィン王子』ですよ」
「えっ!?そうだったの!?チェッ!あなたたちがグズグズしているから先を越されちゃったじゃないの!」
「『ドルフィン王子』は全3話ですが『ジャングル大帝』は1年間、52本の長編アニメですよ。スポンサーは三洋電機で『サンヨーカラーテレビ劇場』と銘打ってサンヨーカラーテレビの販売促進のための番組とします。それにアメリカの三大ネットワークのひとつNBCに売り込むことがもう決定しています」
「NBCに!?よかった!」
「それもこれも『鉄腕アトム』のアメリカでの大ヒットがあればこそですよ」
「日本のアニメが世界に羽ばたいてゆくのね!」
治美は両手を合わせて夢心地でうっとりと宙を見つめた。
「それでですね、実はNBC側からいくつか条件がでてきたのですが…」
「ギクッ!『鉄腕アトム』の時でもアメリカのテレビ局はいろいろ下らない規制を入れて来て苦労させられたのよね」
「まず何話から放映してもいいように『鉄腕アトム』みたいな一話完結式にして欲しいと言ってきております」
「そんなバカな!『ジャングル大帝』は親子三代に渡る壮大な大河ドラマなのよ。主人公のレオは最初は生まれたての赤ちゃんだったのが成長し、ジャングルの王様になり、結婚して子供もでき、最後は荘厳な死を迎えるのよ。それが順番変えたらストーリーが無茶苦茶になるわ」
「全52話を二つに分けて第一部はレオの子供時代。第二部はレオが大人になってからの話とします。レオは結婚して子供はできますが、最後まで死にません」
「レオ、死なないの?」
「はい!絶対に死にません!」
治美はハァーと深く溜息をついた。
「―――それで他の条件はなあに?」
「黒人は出さないでほしい」
「えっ!?重要な役で一杯出てくるわよ。そんなの無理だわ!」
「向こうは黒人問題でうるさいんですよ。どうしても出すのなら悪役はダメで、顔はハンサムに描かないといけません」
「条件はそれだけかしら?」
「あと動物愛護協会もうるさいので人間が動物を虐待するシーンはダメです」
「えっ!?レオの父親のパンジャはハンターに殺されて黒人に毛皮を剥がされるんですよ。それでもレオは人間と動物の対立を仲裁するんですよ。どうするんですか?」
「ストーリーはこちらで大幅に変えさせてもらいます」
治美は「ジャングル大帝」の漫画のラストシーンを思い起こしていた。
ムーン山調査隊のただ一人の生存者のヒゲオヤジが、レオの形見の毛皮にくるまってイカダで川を下って行く。
すると人間界からジャングルに戻ってきたレオの息子ルネと偶然出会い、レオが死んだことを告げる。
「帰ったらな、お父さんがどんなに立派に死んだかを話してやろう。ごらんよ。…あの雲お父さんにそっくりだ……」
一人と一匹が見上げた空には、たてがみをなびかせたレオのような形をした真っ白な雲が浮かんでいる。
アメリカに売りこむためにはあの感動のラストシーンを切り捨てないといけないのか。
「もうどうでもいいわ。好きにしてちょうだい」
「海外に売り出すためです。どうか我慢してください」
「ちなみにタイトルはどうするつもり?」
「まだ決まってきませんが、『Jungle Emperor Leo』なんてどうでしょうか?」
「『ライオンキング』なんてタイトルはどうかしら」
治美はいたずらっぽく笑った。
結局アメリカでのタイトルは『Kimba the White Lion』というわけのわからない物になった。
「ストーリーはもうあきらめるから、ひとつだけ私の意見も聞いてもらえるかしら?」
「なんでしょう?」
「音楽にうーんと予算をかけて!予算の三分の一ぐらいは音楽に使って。ミュージカルの要素も取り入れて、画面に合わせてオーケストラに演奏させるのよ」
「音楽に力を入れるのですか!?せっかくカラーにするのですから、作画に力をいれろっとおっしゃるのならわかりますが…」
治美はコミックグラスを起動して、保存されている数少ない動画ファイルを検索した。
『ジャングル大帝』は第一話だけが保存されていた。
「第一話だけはわたしに絵コンテ切らせて。あとオープニングとエンディングもわたしが作るわ」
「えっ!?でも先生にまかせるとまた大幅にスケジュールが遅れてしまいますからね……」
「ちゃ、ちゃんと最優先で締め切りに間に合わせるわよ!えーと後はねぇ…」
治美は穴見の前で隠すことなく堂々とコミックグラスを操作し始めた。
「先生?何をされているのですか?」
「うるさいわね!音楽は『ビッグX』で担当してくれた冨田勲さんにまたお願いして。それでオープニング曲はバリトン歌手の平野忠彦さん、エンディング曲はポップス歌手の弘田三枝子さんに歌ってもらうのよ」
「先生!そこまでもう考えてらっしゃるのですか!?」
「ついでに番組に流すCMソングはエノケン、コメディアンの榎本健一に歌ってもらうといいわ。
♪うちのテレビにゃ色がない。
隣のテレビにゃ色がある。
あらまキレイとよく見たら、サンヨーカラーテレビ!」
「先生!先生が何をおっしゃっているのか私には付いてゆけません!」
治美が退院してすぐに虫プロから「ジャングル大帝」をアニメ化したいという申し出があったのだ。
ヤマケンは悪びれもせず打ち合わせのために富士見台の虫プロにまで治美に来て欲しいと言ってきた。
治美は自分の物ではなくなった虫プロを見たくなかったので、逆にヤマケンを呼びつけた。
結局、治美と親しかった穴見氏が一人で下井草の家にやってきた。
応接間に通された穴見は治美の顔を見て一瞬顔を曇らせ、それから深々と頭を下げた。
想像以上に治美の顔色は悪くやつれていたため、穴見はショックを受けたのだ。
「手塚先生、お久しぶりです。入院されていたとお聞きしましたが、お体の方はもうよろしいのですか?」
「ちょっとした胃潰瘍だったからもうすっかりいいのよ。それよりヤマケン君は来ないの?」
「さすがに先生に会うのはバツが悪いのでしょ」
かつて鉄腕アトムをテレビ局に売り込んでくれた穴見は広告代理店を辞め、今は虫プロで常務をしていた。
「奥さんのワコさんは元気にしてる?」
「妻は先生が虫プロを辞めた後、すぐにアニメーターを辞めました。先生のいない虫プロにはいたくないと言いました」
「まあ!優秀なアニメーターだったのに惜しいわね。わたしがまた新しいアニメスタジオを立ち上げた時には手伝ってもらうわ」
「それで『ジャングル大帝』のアニメ化のお話ですが。先生が七年間の長期に渡って『少年』に連載された長編大河ドラマです。これをオールカラーの連続テレビアニメにしていくつもりです」
「わーい!カラーにしてくれるのね。遂に日本初のカラーテレビアニメができるのね」
「先生。残念ながら日本初のカラーテレビアニメはついこの前フジテレビで放映された『ドルフィン王子』ですよ」
「えっ!?そうだったの!?チェッ!あなたたちがグズグズしているから先を越されちゃったじゃないの!」
「『ドルフィン王子』は全3話ですが『ジャングル大帝』は1年間、52本の長編アニメですよ。スポンサーは三洋電機で『サンヨーカラーテレビ劇場』と銘打ってサンヨーカラーテレビの販売促進のための番組とします。それにアメリカの三大ネットワークのひとつNBCに売り込むことがもう決定しています」
「NBCに!?よかった!」
「それもこれも『鉄腕アトム』のアメリカでの大ヒットがあればこそですよ」
「日本のアニメが世界に羽ばたいてゆくのね!」
治美は両手を合わせて夢心地でうっとりと宙を見つめた。
「それでですね、実はNBC側からいくつか条件がでてきたのですが…」
「ギクッ!『鉄腕アトム』の時でもアメリカのテレビ局はいろいろ下らない規制を入れて来て苦労させられたのよね」
「まず何話から放映してもいいように『鉄腕アトム』みたいな一話完結式にして欲しいと言ってきております」
「そんなバカな!『ジャングル大帝』は親子三代に渡る壮大な大河ドラマなのよ。主人公のレオは最初は生まれたての赤ちゃんだったのが成長し、ジャングルの王様になり、結婚して子供もでき、最後は荘厳な死を迎えるのよ。それが順番変えたらストーリーが無茶苦茶になるわ」
「全52話を二つに分けて第一部はレオの子供時代。第二部はレオが大人になってからの話とします。レオは結婚して子供はできますが、最後まで死にません」
「レオ、死なないの?」
「はい!絶対に死にません!」
治美はハァーと深く溜息をついた。
「―――それで他の条件はなあに?」
「黒人は出さないでほしい」
「えっ!?重要な役で一杯出てくるわよ。そんなの無理だわ!」
「向こうは黒人問題でうるさいんですよ。どうしても出すのなら悪役はダメで、顔はハンサムに描かないといけません」
「条件はそれだけかしら?」
「あと動物愛護協会もうるさいので人間が動物を虐待するシーンはダメです」
「えっ!?レオの父親のパンジャはハンターに殺されて黒人に毛皮を剥がされるんですよ。それでもレオは人間と動物の対立を仲裁するんですよ。どうするんですか?」
「ストーリーはこちらで大幅に変えさせてもらいます」
治美は「ジャングル大帝」の漫画のラストシーンを思い起こしていた。
ムーン山調査隊のただ一人の生存者のヒゲオヤジが、レオの形見の毛皮にくるまってイカダで川を下って行く。
すると人間界からジャングルに戻ってきたレオの息子ルネと偶然出会い、レオが死んだことを告げる。
「帰ったらな、お父さんがどんなに立派に死んだかを話してやろう。ごらんよ。…あの雲お父さんにそっくりだ……」
一人と一匹が見上げた空には、たてがみをなびかせたレオのような形をした真っ白な雲が浮かんでいる。
アメリカに売りこむためにはあの感動のラストシーンを切り捨てないといけないのか。
「もうどうでもいいわ。好きにしてちょうだい」
「海外に売り出すためです。どうか我慢してください」
「ちなみにタイトルはどうするつもり?」
「まだ決まってきませんが、『Jungle Emperor Leo』なんてどうでしょうか?」
「『ライオンキング』なんてタイトルはどうかしら」
治美はいたずらっぽく笑った。
結局アメリカでのタイトルは『Kimba the White Lion』というわけのわからない物になった。
「ストーリーはもうあきらめるから、ひとつだけ私の意見も聞いてもらえるかしら?」
「なんでしょう?」
「音楽にうーんと予算をかけて!予算の三分の一ぐらいは音楽に使って。ミュージカルの要素も取り入れて、画面に合わせてオーケストラに演奏させるのよ」
「音楽に力を入れるのですか!?せっかくカラーにするのですから、作画に力をいれろっとおっしゃるのならわかりますが…」
治美はコミックグラスを起動して、保存されている数少ない動画ファイルを検索した。
『ジャングル大帝』は第一話だけが保存されていた。
「第一話だけはわたしに絵コンテ切らせて。あとオープニングとエンディングもわたしが作るわ」
「えっ!?でも先生にまかせるとまた大幅にスケジュールが遅れてしまいますからね……」
「ちゃ、ちゃんと最優先で締め切りに間に合わせるわよ!えーと後はねぇ…」
治美は穴見の前で隠すことなく堂々とコミックグラスを操作し始めた。
「先生?何をされているのですか?」
「うるさいわね!音楽は『ビッグX』で担当してくれた冨田勲さんにまたお願いして。それでオープニング曲はバリトン歌手の平野忠彦さん、エンディング曲はポップス歌手の弘田三枝子さんに歌ってもらうのよ」
「先生!そこまでもう考えてらっしゃるのですか!?」
「ついでに番組に流すCMソングはエノケン、コメディアンの榎本健一に歌ってもらうといいわ。
♪うちのテレビにゃ色がない。
隣のテレビにゃ色がある。
あらまキレイとよく見たら、サンヨーカラーテレビ!」
「先生!先生が何をおっしゃっているのか私には付いてゆけません!」
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
伽藍洞で君を待つ
宮沢泉
ライト文芸
幼馴染のさーやは、七年前から帰ってこない。
さーやが行方不明になって七年が経ち、幼馴染の小野田や元クラスメイトたちは、さーやとの思い出を巡ることになる。
思い出を一つ一つ拾っていく中で、さーやの姿が掘り下げられ、隠されていた姿が顕になっていく。そして真相は予想外に転じていきーー。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
悪役令嬢カテリーナでございます。
くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ……
気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。
どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。
40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。
ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。
40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/light_novel.png?id=7e51c3283133586a6f12)
"わたし"が死んで、"私"が生まれた日。
青花美来
ライト文芸
目が覚めたら、病院のベッドの上だった。
大怪我を負っていた私は、その時全ての記憶を失っていた。
私はどうしてこんな怪我をしているのだろう。
私は一体、どんな人生を歩んできたのだろう。
忘れたままなんて、怖いから。
それがどんなに辛い記憶だったとしても、全てを思い出したい。
第5回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。ありがとうございました。
昇れ! 非常階段 シュトルム・ウント・ドランク
皇海宮乃
ライト文芸
三角大学学生寮、男子寮である一刻寮と女子寮である千錦寮。
千錦寮一年、卯野志信は学生生活にも慣れ、充実した日々を送っていた。
年末を控えたある日の昼食時、寮食堂にずらりと貼りだされたのは一刻寮生の名前で……?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】元お義父様が謝りに来ました。 「婚約破棄にした息子を許して欲しい」って…。
BBやっこ
恋愛
婚約はお父様の親友同士の約束だった。
だから、生まれた時から婚約者だったし。成長を共にしたようなもの。仲もほどほどに良かった。そんな私達も学園に入学して、色んな人と交流する中。彼は変わったわ。
女学生と腕を組んでいたという、噂とか。婚約破棄、婚約者はにないと言っている。噂よね?
けど、噂が本当ではなくても、真にうけて行動する人もいる。やり方は選べた筈なのに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる