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ある街角の物語 その3
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昭和36年6月、手塚治虫プロダクション動画部が始動した。
手塚治虫がアニメーションを制作しようとしていると言う噂を聞きつけて、何人もの人間が治美のもとを訪れた。
東映動画で「白蛇伝」からアニメーターをしていたベテランの坂本雄作がまず最初に加わった。
治美は坂本を雇うときに尋ねた。
「月給は三万円でいいかしら」
「三万円ですか!?」
坂本が驚くのを見て治美は申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいね。手塚治虫プロダクションはすべてわたし一人の原稿料でやりくりしているの。いずれアニメで利益を出るようになったらもっと給料上げるからそれまで我慢してね」
月給が少なすぎて坂本が驚いたと治美は勘違いをしたが逆であった。
「嫁をもらおか、一万三千八百円。贅沢言わなきゃ食えるじゃないか」という歌詞のフランク永井の「一万三千八百円」という歌謡曲が流行っていた頃の話だ。
「とんでもない!東映動画では初任給は一万三千円でした。そんなにもらってもよろしいのですか?」
治美は給料に文句を言われてるのでないと分かったホッとした。
「アニメーターは一人一人が特殊技能を持った作家です。能力に見合わった報酬をもらって当然よ」
次によそのアニメスタジオを飛び出した山本暎一という青年が噂を聞きつけて応募してきた。
治美は金子に教えてもらったリストに山本の名前が載っていることを確認し、その場で無条件で山本を採用した。
やがて坂本の芸大の後輩、紺野修司や同期のイラストレーター新井亮も加わった。
治美は庭にあった物置小屋を改造して撮影室にし、「マルチプレーン・カメラ」という高価なセルアニメの撮影用カメラを設置した。
五段のセル台にそれぞれ異なったセル画・背景を置いて立体感を出すためのカメラで、ウォルト・ディズニーが映画に使っているというのを知って治美が衝動買いしたものだ。
手塚治虫ファンクラブの会員で高校を出たばかりの広川和行という青年がやってきて、撮影に興味があるというので彼を撮影担当に雇った。
こうして手塚治虫プロダクション動画部は母屋の二階を間借りして数名のスタッフでのアニメ制作を始めた。
ある日、治美は雅人と他の動画部スタッフ達を集めて、母屋の二階に置いた黒板に「ある街角の物語」と大きく書いた。
「手塚治虫プロダクション動画部の記念すべき第一作です。セリフはなくて音楽と効果音だけの40分ほどのカラー映画です。主人公は壁に貼られたポスターたちです。ポスターなら動きが簡単ですからね」
確かに動かないポスターの絵が主人公ならセリフもいらないし作画枚数も節約できる。
そのために一本ストーリを考えるところが手塚治虫の凄いところだと雅人は今更ながら感心した。
雅人はその様子を部屋の後ろから8mmシネカメラという小型のビデオカメラで撮影していた。
後にアニメ史に残る人がここに集まってくるから映像資料として記録しておいた方がよいと思ったからだ。
「パリのようなヨーロッパ調のある街角、屋根裏部屋に住む女の子が大切にしていたクマのぬいぐるみを窓から落とし、屋根のといに引っかけてしまいます。ぬいぐるみは誰にも取れない。その屋根裏部屋には子だくさんなねずみの親子が住んでいて、子ねずみはぬいぐるみのクマと出会います。その他に電球の切れかけた街灯とチンピラみたいな蛾、並木のプラタナスが登場します」
治美はあらすじを話しながら、女の子、ネズミ、ぬいぐるみのクマ、街灯、蛾、プラタナスの絵を黒板に描いていった。
「街の壁にはいろんなポスターたちが張られて楽しく暮らしています。ポスターの青年バイオリニストと少女のピアニストが恋をします。しかし突然戦争が始まり、街中に独裁者のポスターが張られ、恋人同士の二人の上にも張られてしまいます。やがて街に戦火が訪れ、独裁者のポスターは燃え上がります。燃えたポスターの下からポスターの恋人たちが現れ、燃え上がりながら宙に舞います。やがて戦争は終わりました。生き残った女の子は瓦礫の山の中から半分焦げたクマのぬいぐるみを見つけます。ぬいぐるみを大事そうに抱きかかえ、瓦礫の中を去ってゆく女の子の姿で映画は幕を閉じます」
じっと話を聞いていた雅人の頭の中に映画のイメージが湧いてきた。
と、リーダー格の坂本が治美に問いただした。
「僕らは東映動画でフルアニメーションを作ってきました。ここにきてる人間はみんな絵を動かすためにアニメーターになったのですよ。それなのに絵を動かさない映画を作るのですか?」
「全部フルアニメーションの映画なんて作るつもりはありません。わたしが作りたいのはアニメーションじゃなくアニメです」
「どう違うんですか?アニメって何ですか?」
「わたしは将来テレビ用の漫画映画を作るつもりなの。毎週毎週三十分の漫画映画を放送するのよ」
「毎週三十分のアニメーションですって!?そんなの不可能です!」
坂本は紙に鉛筆で計算しながら話した。
「いいですか、手塚先生!東映動画では90分の長編を作るのに350人のスタッフで6000万の製作費と2年の期間をかけます。その率で計算すると1週間に1本30分のアニメを作るには3000人のスタッフと2000万の製作費が必要です。しかし日本中のアニメスタッフをかき集めても1000人もいませんよ」
「だからアニメーションじゃなくアニメを作るのよ。お金と時間をかけてフルアニメーションを2年に1本だけ作ったところでアニメは世の中に浸透しないわ。長い期間ずっと毎週毎週テレビで放映し続けないとダメなのよ」
「だからと言って紙芝居やパラパラ漫画みたいなアニメーションを作っても誰も観ませんよ」
「たとえ絵の動かない紙芝居でも見てもらえる方法があるわ」
「どうするんですか?」
「面白いストーリーの漫画をアニメ化するのよ!わたしは近い将来『鉄腕アトム』をテレビで放映します。日本のアニメ界の未来のために!」
手塚治虫がアニメーションを制作しようとしていると言う噂を聞きつけて、何人もの人間が治美のもとを訪れた。
東映動画で「白蛇伝」からアニメーターをしていたベテランの坂本雄作がまず最初に加わった。
治美は坂本を雇うときに尋ねた。
「月給は三万円でいいかしら」
「三万円ですか!?」
坂本が驚くのを見て治美は申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさいね。手塚治虫プロダクションはすべてわたし一人の原稿料でやりくりしているの。いずれアニメで利益を出るようになったらもっと給料上げるからそれまで我慢してね」
月給が少なすぎて坂本が驚いたと治美は勘違いをしたが逆であった。
「嫁をもらおか、一万三千八百円。贅沢言わなきゃ食えるじゃないか」という歌詞のフランク永井の「一万三千八百円」という歌謡曲が流行っていた頃の話だ。
「とんでもない!東映動画では初任給は一万三千円でした。そんなにもらってもよろしいのですか?」
治美は給料に文句を言われてるのでないと分かったホッとした。
「アニメーターは一人一人が特殊技能を持った作家です。能力に見合わった報酬をもらって当然よ」
次によそのアニメスタジオを飛び出した山本暎一という青年が噂を聞きつけて応募してきた。
治美は金子に教えてもらったリストに山本の名前が載っていることを確認し、その場で無条件で山本を採用した。
やがて坂本の芸大の後輩、紺野修司や同期のイラストレーター新井亮も加わった。
治美は庭にあった物置小屋を改造して撮影室にし、「マルチプレーン・カメラ」という高価なセルアニメの撮影用カメラを設置した。
五段のセル台にそれぞれ異なったセル画・背景を置いて立体感を出すためのカメラで、ウォルト・ディズニーが映画に使っているというのを知って治美が衝動買いしたものだ。
手塚治虫ファンクラブの会員で高校を出たばかりの広川和行という青年がやってきて、撮影に興味があるというので彼を撮影担当に雇った。
こうして手塚治虫プロダクション動画部は母屋の二階を間借りして数名のスタッフでのアニメ制作を始めた。
ある日、治美は雅人と他の動画部スタッフ達を集めて、母屋の二階に置いた黒板に「ある街角の物語」と大きく書いた。
「手塚治虫プロダクション動画部の記念すべき第一作です。セリフはなくて音楽と効果音だけの40分ほどのカラー映画です。主人公は壁に貼られたポスターたちです。ポスターなら動きが簡単ですからね」
確かに動かないポスターの絵が主人公ならセリフもいらないし作画枚数も節約できる。
そのために一本ストーリを考えるところが手塚治虫の凄いところだと雅人は今更ながら感心した。
雅人はその様子を部屋の後ろから8mmシネカメラという小型のビデオカメラで撮影していた。
後にアニメ史に残る人がここに集まってくるから映像資料として記録しておいた方がよいと思ったからだ。
「パリのようなヨーロッパ調のある街角、屋根裏部屋に住む女の子が大切にしていたクマのぬいぐるみを窓から落とし、屋根のといに引っかけてしまいます。ぬいぐるみは誰にも取れない。その屋根裏部屋には子だくさんなねずみの親子が住んでいて、子ねずみはぬいぐるみのクマと出会います。その他に電球の切れかけた街灯とチンピラみたいな蛾、並木のプラタナスが登場します」
治美はあらすじを話しながら、女の子、ネズミ、ぬいぐるみのクマ、街灯、蛾、プラタナスの絵を黒板に描いていった。
「街の壁にはいろんなポスターたちが張られて楽しく暮らしています。ポスターの青年バイオリニストと少女のピアニストが恋をします。しかし突然戦争が始まり、街中に独裁者のポスターが張られ、恋人同士の二人の上にも張られてしまいます。やがて街に戦火が訪れ、独裁者のポスターは燃え上がります。燃えたポスターの下からポスターの恋人たちが現れ、燃え上がりながら宙に舞います。やがて戦争は終わりました。生き残った女の子は瓦礫の山の中から半分焦げたクマのぬいぐるみを見つけます。ぬいぐるみを大事そうに抱きかかえ、瓦礫の中を去ってゆく女の子の姿で映画は幕を閉じます」
じっと話を聞いていた雅人の頭の中に映画のイメージが湧いてきた。
と、リーダー格の坂本が治美に問いただした。
「僕らは東映動画でフルアニメーションを作ってきました。ここにきてる人間はみんな絵を動かすためにアニメーターになったのですよ。それなのに絵を動かさない映画を作るのですか?」
「全部フルアニメーションの映画なんて作るつもりはありません。わたしが作りたいのはアニメーションじゃなくアニメです」
「どう違うんですか?アニメって何ですか?」
「わたしは将来テレビ用の漫画映画を作るつもりなの。毎週毎週三十分の漫画映画を放送するのよ」
「毎週三十分のアニメーションですって!?そんなの不可能です!」
坂本は紙に鉛筆で計算しながら話した。
「いいですか、手塚先生!東映動画では90分の長編を作るのに350人のスタッフで6000万の製作費と2年の期間をかけます。その率で計算すると1週間に1本30分のアニメを作るには3000人のスタッフと2000万の製作費が必要です。しかし日本中のアニメスタッフをかき集めても1000人もいませんよ」
「だからアニメーションじゃなくアニメを作るのよ。お金と時間をかけてフルアニメーションを2年に1本だけ作ったところでアニメは世の中に浸透しないわ。長い期間ずっと毎週毎週テレビで放映し続けないとダメなのよ」
「だからと言って紙芝居やパラパラ漫画みたいなアニメーションを作っても誰も観ませんよ」
「たとえ絵の動かない紙芝居でも見てもらえる方法があるわ」
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