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フィルムは生きている その4
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初台の自宅、二階の仕事場、治美は襖をそっと開けると耳を澄ませて階段の下の様子をうかがった。
ジャラジャラと編集者たちが麻雀パイをかき混ぜている音が聞こえる。
治美はそっと音を立てないように階段を降りると、編集者たちが控えている応接間の前を通らずに台所に向かった。
勝手口にはちゃんと雅人が靴を用意していてくれた。
治美は心の中で雅人に手を合わせながら勝手口から裏庭に出た。
裏庭には既にアシスタントの青年、月岡が治美を待っていた。
二人はこっそりと大通りに出るとタクシーを拾って、東映動画の大泉スタジオへと向かった。
タクシーの車内で月岡が心配そうに治美に尋ねた。
「手塚先生。黙って抜け出してしまいましたが、雑誌の締め切りの方は大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫じゃないわ」
「えっ!?ど、どうするおつもりですか?」
「スタジオに着いたらわたしは一時間ほどしかいられないから、あとは月岡氏お願いね。わたしはすぐに戻って原稿の続きを描かないといけないの」
「えっ!?僕一人ですか!?」
「安心して。もう一人強力な助っ人を用意しているから」
一時間ほどかけてタクシーは大泉スタジオに到着した。
スタジオの前には強力な助っ人、望月玲奈が治美が来るのを待っていた。
玲奈は年齢を年上に見せるために精一杯大人びた化粧をしていた。
「手塚先生。おはようございます」
「おはよう、石森氏。遅くなってごめんね。急ぎましょう!」
治美たちはスタジオの長い廊下を歩いて会議室に向かった。
玲奈が興奮気味にキョロキョロを周囲を見回している。
「どうしたの、石森氏?」
「ここで将来セーラームーンやプリキュアが生まれるのね!?」
「まだまだずっと先の話よ」
「宮崎駿や高畑勲はどこにいるのかな?」
「まだ入社してないと思うわよ」
「何だ、ガッカリ!」
「二人とも何の話をしているのですか?」
月岡が不思議そうにそう尋ねたが、二人は無視をした。
「そんなことより月岡氏はここでしっかりとアニメの作り方を勉強するのよ。なんだったら東映に入社してアニメーターになっても構わないわ」
「えっ!?僕はずっと先生のところで漫画を描いて行こうと思っているのですが」
「もしもの話よ。もしも漫画よりもアニメの方が好きになったら引き止めないわ。遠慮しないで自分の好きな道を進んでね」
「先生……!」
月岡は治美の優しい言葉に感動していた。
「わたしも将来自分でアニメ会社を作るつもりなの。その時には手伝いに来てね。ついでにここの優秀なアニメーターを何人か引き抜いてきてね」
「ハハハ!先生、ご自分でアニメ会社を作るおつもりですか!?」
治美が突拍子もないことを言うので、月岡は冗談だと思って笑った。
(まさか超多忙な売れっ子漫画家の手塚先生が、漫画を描きながら個人でアニメ制作なんてできるわけがない)
会議室で東映動画のスタッフと初めての顔合わせを済ますと、すぐに治美は『西遊記』の粗筋をみんなに説明しながらその場でキャラクター表を描いていった。
「孫悟空、猪八戒、沙悟浄、三蔵法師の一行。釈迦如来と観世音菩薩。牛魔王、金角、銀角、羅刹女。そして悟空の恋人の燐々ちゃん」
「悟空に恋人がいるのですか?原作の漫画には出てきませんが?」
「映画のオリキャラです」
「オリキャラ…?」
治美は皆の見ている目の前で、予定通りわずか一時間で主要人物のキャラクター表とラフなストーリーボードを描き終えた。
その場にいた人々はあまりのスピードに、ただただ治美の描く絵を見惚れていた。
だが本当はこの絵はトキワ荘で金子が昔の記憶を必死に呼び起こして描いてくれた物だった。
治美はその絵をコミックグラスのカメラを使って撮影し、その写真をトレースしていただけだった。
「恋人の燐々は孫悟空の帰りを故郷でずっと待っていたのですが、悟空が帰った時には死んでいます。ラストは燐々のお墓で泣き崩れる悟空の姿で終わります」
最後に治美はそう得意げに説明した。
「主人公の恋人が死ぬのですか?子供向けの漫画映画でそれはちょっと…」
「悲劇的結末で終わる画期的な漫画映画になりますよ!ダメかしら?」
東映のスタッフも玲奈や月岡までも無言で首を横に振った。
「わかりました!ラストは天竺からお経を持って帰ってみんなで喜ぶという普通のシーンにしましょう」
この映画は東映動画の映画だ。
自分があまり口出ししてはいけない。
治美はすぐに引き下がった。
(その代わり自分のアニメ会社を作った時は、思いっ切り好きにさせてもらうわ)
「それじゃあすみませんが、雑誌の締め切りがあるのでわたしはこれで失礼させていただきます」
「えっ!?もう帰られるのですか?」
「その替り石森氏と月岡氏を置いていきます。二人の給料はわたしが出しますから、せいぜいこき使って下さい」
「手塚先生!?」
月岡が哀れな声を上げた。
「冗談よ!二人ともしっかりとここでアニメの作り方を学ばせてもらうのよ」
そう言い残して治美は嵐のようにやって来て、嵐のように去って行った。
その後、治美は超多忙のため映画はほとんど石森と月岡の二人に任せっきりになった。
この長編漫画映画「西遊記」は昭和35年、1960年8月14日に公開された。
映画は数々の賞を受賞し、日本アニメ史に残る名作と言われた。
その頃には治美は、自分でアニメーションを制作するために着々と準備を進めていた。
ジャラジャラと編集者たちが麻雀パイをかき混ぜている音が聞こえる。
治美はそっと音を立てないように階段を降りると、編集者たちが控えている応接間の前を通らずに台所に向かった。
勝手口にはちゃんと雅人が靴を用意していてくれた。
治美は心の中で雅人に手を合わせながら勝手口から裏庭に出た。
裏庭には既にアシスタントの青年、月岡が治美を待っていた。
二人はこっそりと大通りに出るとタクシーを拾って、東映動画の大泉スタジオへと向かった。
タクシーの車内で月岡が心配そうに治美に尋ねた。
「手塚先生。黙って抜け出してしまいましたが、雑誌の締め切りの方は大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫じゃないわ」
「えっ!?ど、どうするおつもりですか?」
「スタジオに着いたらわたしは一時間ほどしかいられないから、あとは月岡氏お願いね。わたしはすぐに戻って原稿の続きを描かないといけないの」
「えっ!?僕一人ですか!?」
「安心して。もう一人強力な助っ人を用意しているから」
一時間ほどかけてタクシーは大泉スタジオに到着した。
スタジオの前には強力な助っ人、望月玲奈が治美が来るのを待っていた。
玲奈は年齢を年上に見せるために精一杯大人びた化粧をしていた。
「手塚先生。おはようございます」
「おはよう、石森氏。遅くなってごめんね。急ぎましょう!」
治美たちはスタジオの長い廊下を歩いて会議室に向かった。
玲奈が興奮気味にキョロキョロを周囲を見回している。
「どうしたの、石森氏?」
「ここで将来セーラームーンやプリキュアが生まれるのね!?」
「まだまだずっと先の話よ」
「宮崎駿や高畑勲はどこにいるのかな?」
「まだ入社してないと思うわよ」
「何だ、ガッカリ!」
「二人とも何の話をしているのですか?」
月岡が不思議そうにそう尋ねたが、二人は無視をした。
「そんなことより月岡氏はここでしっかりとアニメの作り方を勉強するのよ。なんだったら東映に入社してアニメーターになっても構わないわ」
「えっ!?僕はずっと先生のところで漫画を描いて行こうと思っているのですが」
「もしもの話よ。もしも漫画よりもアニメの方が好きになったら引き止めないわ。遠慮しないで自分の好きな道を進んでね」
「先生……!」
月岡は治美の優しい言葉に感動していた。
「わたしも将来自分でアニメ会社を作るつもりなの。その時には手伝いに来てね。ついでにここの優秀なアニメーターを何人か引き抜いてきてね」
「ハハハ!先生、ご自分でアニメ会社を作るおつもりですか!?」
治美が突拍子もないことを言うので、月岡は冗談だと思って笑った。
(まさか超多忙な売れっ子漫画家の手塚先生が、漫画を描きながら個人でアニメ制作なんてできるわけがない)
会議室で東映動画のスタッフと初めての顔合わせを済ますと、すぐに治美は『西遊記』の粗筋をみんなに説明しながらその場でキャラクター表を描いていった。
「孫悟空、猪八戒、沙悟浄、三蔵法師の一行。釈迦如来と観世音菩薩。牛魔王、金角、銀角、羅刹女。そして悟空の恋人の燐々ちゃん」
「悟空に恋人がいるのですか?原作の漫画には出てきませんが?」
「映画のオリキャラです」
「オリキャラ…?」
治美は皆の見ている目の前で、予定通りわずか一時間で主要人物のキャラクター表とラフなストーリーボードを描き終えた。
その場にいた人々はあまりのスピードに、ただただ治美の描く絵を見惚れていた。
だが本当はこの絵はトキワ荘で金子が昔の記憶を必死に呼び起こして描いてくれた物だった。
治美はその絵をコミックグラスのカメラを使って撮影し、その写真をトレースしていただけだった。
「恋人の燐々は孫悟空の帰りを故郷でずっと待っていたのですが、悟空が帰った時には死んでいます。ラストは燐々のお墓で泣き崩れる悟空の姿で終わります」
最後に治美はそう得意げに説明した。
「主人公の恋人が死ぬのですか?子供向けの漫画映画でそれはちょっと…」
「悲劇的結末で終わる画期的な漫画映画になりますよ!ダメかしら?」
東映のスタッフも玲奈や月岡までも無言で首を横に振った。
「わかりました!ラストは天竺からお経を持って帰ってみんなで喜ぶという普通のシーンにしましょう」
この映画は東映動画の映画だ。
自分があまり口出ししてはいけない。
治美はすぐに引き下がった。
(その代わり自分のアニメ会社を作った時は、思いっ切り好きにさせてもらうわ)
「それじゃあすみませんが、雑誌の締め切りがあるのでわたしはこれで失礼させていただきます」
「えっ!?もう帰られるのですか?」
「その替り石森氏と月岡氏を置いていきます。二人の給料はわたしが出しますから、せいぜいこき使って下さい」
「手塚先生!?」
月岡が哀れな声を上げた。
「冗談よ!二人ともしっかりとここでアニメの作り方を学ばせてもらうのよ」
そう言い残して治美は嵐のようにやって来て、嵐のように去って行った。
その後、治美は超多忙のため映画はほとんど石森と月岡の二人に任せっきりになった。
この長編漫画映画「西遊記」は昭和35年、1960年8月14日に公開された。
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