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トキワ荘物語 その3
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金子が心配していた通り治美はトキワ荘に引っ越した翌朝、さっそく音を上げた。
正確には音ではなく叫び声をあげたのだ。
治美の叫び声を聞いて、両隣の部屋で寝ていた雅人と金子が慌てて飛び起きた。
二人が治美の部屋に入ると、治美は恐怖でひきつった顔で「部屋にゴキブリが出たから他所に引っ越したい」と雅人に訴えたのだ。
「ゴキブリぐらいどこでもいるさ」
「それだけじゃありません。南京虫に噛まれました!痒くて痒くて仕事になりません!」
治美は噛まれて赤くなった太ももをポリポリとかきながら言った。
「本物の手塚治虫はトキワ荘に1年半も住んでいたというじゃないか」
「でも昭和30年の頃なら、もう雑司が谷の並木ハウスというアパートに引っ越していたはずです」
そう言いながら、治美はコミックグラスを起動して年表を調べ始めた。
「ほら!年表によると昭和29年10月にトキワ荘から並木ハウスに引っ越ししています」
「いや、ほらって言われても俺には年表が見えないし…」
「雑誌『少年』の昭和30年新年号別冊付録として付いた『鉄腕アトム 電光人間の巻』の表紙裏のページでアトムがこう言っています。『いま、ぼくは東京の雑司ヶ谷に、一年あとで生まれた、ロボットのおとうさんとおかあさんといっしょにすんでいます』。ほら!ほら!昭和30年の頃は手塚先生は雑司ヶ谷に住んでいないといけないわ」
「だから、ほらって言われても見えないし」
二人のやり取りを黙って聞いていた金子が口を挟んだ。
「雅人くん。手塚先生は平成生まれの繊細な女子高生なんだよ。昭和生まれの我々には耐えられても、手塚先生には耐えられないんだ。私がどこかもっと綺麗な新築マンションを探すので、引っ越してもらいましょう」
「また、そうやって金子さんはすぐに治美を甘やかす」
「私は治美さんを甘やかしているわけではない。手塚治虫先生を崇拝しているだけだよ」
治美と同じく根っからの手塚治虫ファンだった金子は、手塚作品を次々と描いている治美を本物の手塚治虫と同一視し、崇拝していた。
そのため金子は治美に頼まれたら舞い上がってどんなことでもホイホイと言うとおりにした。
「それじゃ空いたこの17号室には誰が住むんだよ?」
「あのう…、うちが住んでもええですか?」
みんなが驚いて振り返ると小森章子が部屋の入口に立っていた。
小森章子と望月玲奈の二人は治美と一緒に上京したのだがまだ下宿が決まっておらず、近所の旅館に連泊しながら治美の手伝いをしていたのだった。
「いいの、小森さん?もっと綺麗なアパート、探してあげるわよ」
「うちが大阪で住んでいた寮に比べたらずっと立派なアパートです」
「それじゃあ、今夜からこの部屋は章子さんの部屋ね。わたしは逆に章子さんが泊まっている旅館で仕事するわ」
「それで手塚先生、原稿出来たのでチェックをお願いしたいのですが…」
章子は持参した漫画原稿の束を治美に差し出した。
「わかりました!それじゃあ、これから二人で旅館に戻って仕事をしましょう」
そう言うと、治美はそそくさと章子を引き連れてトキワ荘を出て言った。
後に残された雅人が金子にポツリと言った。
「治美が一緒に住んでくれっと頼むから、俺はトキワ荘に引っ越ししたんだぞ!」
「ご愁傷様です」
正確には音ではなく叫び声をあげたのだ。
治美の叫び声を聞いて、両隣の部屋で寝ていた雅人と金子が慌てて飛び起きた。
二人が治美の部屋に入ると、治美は恐怖でひきつった顔で「部屋にゴキブリが出たから他所に引っ越したい」と雅人に訴えたのだ。
「ゴキブリぐらいどこでもいるさ」
「それだけじゃありません。南京虫に噛まれました!痒くて痒くて仕事になりません!」
治美は噛まれて赤くなった太ももをポリポリとかきながら言った。
「本物の手塚治虫はトキワ荘に1年半も住んでいたというじゃないか」
「でも昭和30年の頃なら、もう雑司が谷の並木ハウスというアパートに引っ越していたはずです」
そう言いながら、治美はコミックグラスを起動して年表を調べ始めた。
「ほら!年表によると昭和29年10月にトキワ荘から並木ハウスに引っ越ししています」
「いや、ほらって言われても俺には年表が見えないし…」
「雑誌『少年』の昭和30年新年号別冊付録として付いた『鉄腕アトム 電光人間の巻』の表紙裏のページでアトムがこう言っています。『いま、ぼくは東京の雑司ヶ谷に、一年あとで生まれた、ロボットのおとうさんとおかあさんといっしょにすんでいます』。ほら!ほら!昭和30年の頃は手塚先生は雑司ヶ谷に住んでいないといけないわ」
「だから、ほらって言われても見えないし」
二人のやり取りを黙って聞いていた金子が口を挟んだ。
「雅人くん。手塚先生は平成生まれの繊細な女子高生なんだよ。昭和生まれの我々には耐えられても、手塚先生には耐えられないんだ。私がどこかもっと綺麗な新築マンションを探すので、引っ越してもらいましょう」
「また、そうやって金子さんはすぐに治美を甘やかす」
「私は治美さんを甘やかしているわけではない。手塚治虫先生を崇拝しているだけだよ」
治美と同じく根っからの手塚治虫ファンだった金子は、手塚作品を次々と描いている治美を本物の手塚治虫と同一視し、崇拝していた。
そのため金子は治美に頼まれたら舞い上がってどんなことでもホイホイと言うとおりにした。
「それじゃ空いたこの17号室には誰が住むんだよ?」
「あのう…、うちが住んでもええですか?」
みんなが驚いて振り返ると小森章子が部屋の入口に立っていた。
小森章子と望月玲奈の二人は治美と一緒に上京したのだがまだ下宿が決まっておらず、近所の旅館に連泊しながら治美の手伝いをしていたのだった。
「いいの、小森さん?もっと綺麗なアパート、探してあげるわよ」
「うちが大阪で住んでいた寮に比べたらずっと立派なアパートです」
「それじゃあ、今夜からこの部屋は章子さんの部屋ね。わたしは逆に章子さんが泊まっている旅館で仕事するわ」
「それで手塚先生、原稿出来たのでチェックをお願いしたいのですが…」
章子は持参した漫画原稿の束を治美に差し出した。
「わかりました!それじゃあ、これから二人で旅館に戻って仕事をしましょう」
そう言うと、治美はそそくさと章子を引き連れてトキワ荘を出て言った。
後に残された雅人が金子にポツリと言った。
「治美が一緒に住んでくれっと頼むから、俺はトキワ荘に引っ越ししたんだぞ!」
「ご愁傷様です」
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