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来るべき世界 その6

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 昭和29年12月7日、火曜日。

 横山と金子は書斎で黙々と漫画原稿を描いていた。

 金子もまた喫煙者だったため、横山と一緒に書斎が仕事部屋になったのだ。

 書斎には仕事机がひとつ追加され、二人とも煙草をくわえながら原稿を描いていた。


 描き疲れた横山は肘を頭の横で抱えるようにして二の腕を伸ばした。

「うーん……。金子さん、休憩しませんか?」

 原稿用紙に前のめりになってペン入れをしていた金子が顔を上げ、壁の掛け時計を見た。

「おお!もうこんな時刻ですか」

「コーヒーを作りますよ」

「すみません」

 
 インスタントコーヒーを作りながら横山が金子に話しかけた。

「『ユートピア』の進捗状況はどうですか?」

「今で20枚、5分の1ってとこですか」

「早いですね。1日何枚ぐらい描いています?」

「4枚から5枚ですね」

「それは凄い!僕なんかせいぜい2枚ですよ」

「横山さんは貿易の仕事と兼業ですから仕方ないですよ」

「僕は昔のマンガって劇画と違って線が少ないから、もっと簡単に描けると思っていましたよ」

「私もそうでした。ところが実際は1ページのコマ数が多くて絵が小さく凝縮されているから時間がかかりますね」

「金子さんはもうすっかり漫画の描き方をマスターしましたね」

「基本的なことは手塚先生に教わりました。それに私のコミックグラスの中に『藤子・F・不二雄のまんが技法』という子供向けの漫画の描き方の本を見つけました。これがかなり役立っています」

「金子さんはよく漫画家になる決心をしましたね。マンガが好きなんですか?」

「横山君は違うのかな?」

「僕は治美さんに頼まれたのもありますが、所詮は金のためですよ」

「ははは!横山さんは正直ですねぇ!」

 金子が笑いながらポケットから煙草を取り出した。

「私はね、元に世界に戻るために漫画を描いています」

「どういう意味です?」

 横山がマッチを擦って、金子がくわえた煙草に火をつけた。

「あ、どうも…」 

 金子は煙草をうまそうに吸い込んだ。

「私たちは、この世界を漫画とアニメがあふれた世界にするために連れてこられたと思います」

「雅人くんたちもそんなことを言っていましたね」

「シミュレーション理論という言葉をご存じかな?この世は現実世界をシミュレートした仮想世界で、我々はそのシミュレーションの中で生きているって仮設です。我々は昭和29年の日本をシミュレートした仮想世界に投入されたスキーマじゃないのかな」

「ふーん…。僕らは仮想世界の中に放り込まれたのですか?何のため?」

「そりゃあ、この世界のバグを修正するためだよ。つまり、マンガもアニメもないこの世界は間違っている。我々はそれを直すためのデバッキングツールなんだよ」

「さすが元システムエンジニアだ!となると、僕らが元の世界に戻るためにはこの世界のバグを修正したらいいのだと…。バグがなくなれば用済みになった我々は、元いた世界に帰れるのだと。そういうことですね」

「――馬鹿げたマンガみたいな考えかな?」

「そうですね。手塚治虫が描きそうなSFですね」

 横山も煙草を取り出して、火をつけた。

 ゆっくりと紫煙を吐き出しながら、静かに横山が言った。

「しかし、金子さんの言葉は僕に希望を与えてくれました。もうとっくに諦めていた、元の世界に戻れるかもしれないという希望です」

 横山は金子に笑いかけた。


 その時、書斎のドアをノックして、通学カバンを下げた学生服姿の雅人が入ってきた。

「こんばんは。お二人さん」

「おお!雅人くん。どうでしたか?」

 雅人はおもむろにカバンの中から一冊の漫画本を取り出した。

 その表紙には編み笠をかぶった着物姿の少女が描かれ、世界名作長編漫画「少女白菊」と題名が書かれていた。

「貸本屋で探してきましたよ。おもしろ漫画文庫、大城のぼる作、『少女白菊』です」

「そうですか!やはりこの世界には大城のぼると言う漫画家さんは存在しましたか」

「戦前からの漫画家ですからね」

 金子が漫画本を開いて、中身を確認してみた。

「綺麗で細かい作画ですね。漫画というより劇画チックだ」

「なんだい、このマンガは?」

 横山が不思議そうに雅人に尋ねた。

「金子さんに頼まれて大城のぼるという漫画家がいるのか調べたんですよ」

「『ユートピア』の表紙を描いたのは藤子不二雄ではなくて大城のぼるというベテラン漫画家です。資料にそう描いていたのですよ。この頃は表紙だけ別の漫画家が描くことがままあったそうですよ」

「なるほど。表紙だけその人に頼むつもりですね」

「ええ。できるだけ私たちの知っている歴史通りにしたいのでね」

「しかし、雅人くん。この世界にもこんな立派な漫画本があったのかい?本屋にはまったく漫画本なんか置いていないだろう?」

「貸本屋ですよ。漫画本は高いですからね、もっぱら子供は買うんじゃなくて借りて読んでいます」

「へぇー。レンタルブックか。知らなかった」

「『ネオ書房』って貸本屋が流行っていますよ。今までの貸本屋って、保証金として本の定価を払っていたんです。本の定価が350円で貸本料金が50円だったら、400円払って、返却時に350円払い戻していたんです。でも『ネオ書房』は保証金なしで新刊を誰にでも簡単に貸してくれるんですよ」

「『ネオ書房』か…。今度僕も借りてみよう」


 1948年に神戸に「ネオ書房」という貸本屋のチェーン店が誕生し、その後大阪や京浜地区に進出した。

 貸本屋は全盛期を迎え、各貸本屋は人気のある漫画本を仕入れるようになり、出版社はこぞって漫画本を出版した。

 漫画家のトップはもちろん手塚治虫であったが、大手の出版社は他社には描かないという契約を結び、何人も専属の漫画家を抱えるようになった。

 遂に治美は、戦後初の漫画ブームを巻き起こすことに成功したのだった。
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