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きりひと讃歌 その5
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昭和29年5月23日、日曜の朝。
雅人はエリザの屋敷の二階上がって、屋根裏部屋に続く階段の下から呼びかけた。
「治美!起きてるか?」
返事はない。
雅人はスーと深呼吸をして大声を出した。
「手塚治虫先生!!毎日新聞社から手紙が届いてますよ!!」
屋根裏部屋でドスンと大きな物音がした。
ベッドから治美が落ちたのだろう。
ドドドドドッと転がるようにして、寝巻姿の治美が階段を駆け降りてきた。
「な、何の手紙です!?」
雅人は手紙を指でつまんで見せた。
「学生新聞部の担当が、貴殿の原稿を毎日小学生新聞に連載したいっとさ!」
「やったあ!!!」
治美は飛び上がって、雅人の首に両手を回して抱きついて来た。
「こ、こらっ………!」
雅人はどぎまぎして、顔が真っ赤になった。
「…………コホン!コホン!」
と、二人の背後から咳払いの音がした。
治美が振り返ってみると、そこには詰襟の学生服姿の三人の男子高生が並んで立っていた。
「えっ!?ど、どなた!?」
治美は慌てて、雅人をドンと突き放した。
「安村です」
と、小柄で眼鏡を掛けたな丸顔の少年がお辞儀をした。
「藤木です」
と、スリムで背の高い面長の少年がお辞儀をした。
「赤城です」
と、色白の整った顔立ちの少年がお辞儀をした。
「はあ…………?」
釣られて治美もお辞儀をした。
「手塚治虫先生!」
安村が治美に向かって呼び掛ける。
「…………………」
治美はボーとただ突っ立ている。
「手塚治虫先生!あなたが手塚治虫先生ですよね!」
「……あっ!ハイ!ハイ!そうです!そうです!」
ようやく治美は安村が自分に向かって話しかけているとこに気が付いた。
「ぼくたち、先輩に手塚先生の原稿を見させていただきました。とっても面白かったです!」
「ぜひ、ぼくたちに手塚先生のお手伝いをさせて下さい!」
訳が分からず、治美が助けを求めるように雅人の顔を見つめた。
「三人とも学校の美術部の後輩だよ。みんな美術部でペン画をやっているんだ。絵の上手さは俺の折り紙つきだよ」
「ええっ!!雅人さんが連れて来てくれたのですか!?」
「それと、これ………」
雅人は真新しい通帳と印鑑を治美に手渡した。
「手塚治虫名義の銀行口座と印鑑を作っておいた。これから必要だろ」
「――まだ、原稿が採用されるかどうかもわからないうちから、こんな準備をしていてくれたのですか!?」
「原稿は採用されるに決まってるさ。もっと自分の描いた原稿を信じろよ。手塚治虫の作品だろ!」
「――結局、わたしよりも雅人さんの方が、手塚作品の魅力を理解していたのですね………」
治美は瞳を潤ませながら、雅人の顔を見つめた。
「手塚先生!ぼくたちに漫画の描き方を教えてくれませんか?」
「ぼくたちも手塚先生みたいに漫画を描いてみたいんです!」
安村たちは治美に向かって深々と頭を下げた。
「雅人さん。どうしてみんなわたしに敬語なんです?」
「だって手塚治虫は今年19歳なんだろ?この中で最年長者だ」
「あ!そうでした!わたし17歳じゃ若すぎるから2歳サバ読みましたね」
本物の手塚治虫も昭和3年生まれなのを大正15年生まれと年齢詐称していた。
手塚治虫が亡くなった時に実年齢が判明し、長年の付き合いのあった関係者でさえ、そんなに若くから活躍していたのかと驚いたのだった。
治美もそのことが念頭にあってとっさに年上にサバを読んだのだが、後々まで後悔することになる。
治美はもともと同年齢の女の子の間でも頼りない子供っぽい少女だったが、背伸びしてしっかりとした大人の女性を演じなければならなくなったのだ。
「みなさん、ちょっと待っててね!」
そういうと、治美は足音を階段に響かせて駆け上がると、再び原稿の束を持って駆け下りてきた。
わら半紙に鉛筆書きの4コママンガだった。
「新しい4コママンガよ!」
「わあ、すごい!」
「読ませて下さい!」
安村達は興奮して口々に騒いだ。
「以前話した『グッちゃんとパイコさん』と『ぐっちゃん』の下絵です。主人公の名前は変わってますが、中身はマアちゃんの続きです」
「すねて引きこもってると思ってたが、ちゃんと原稿を描いていたんだな」
「まあ、わたしもちょっとだけ、反省しましたしね…………」
治美は少し照れくさそうに笑った。
すると、書斎の扉を開けてスーツ姿の横山が現れた。
「僕にも新作を読ませてください。漫画家修行のために、一緒にペン入れをしましょう」
雅人は横山の言葉を耳にし、驚くとともに喜んだ
「横山さんも漫画を描いてくれるんですか!?」
「はい!今日から僕は手塚治虫先生の弟子のひとり、横山光輝です。どうぞよろしく!」
全員で一階の食堂に行き、長テーブルで治美の描いた4コマ漫画を回し読みをしていると、そこにエリザもやって来た。
「治美!あんた、原稿売れたそうやな!おめでとさん!」
「ありがとうございます!」
「はい、これ!」
エリザが数枚の紙の束を治美に手渡した。
「何ですか、これ?」
「今までの下宿代と立て替え払いした交通費や文具代の請求書や。原稿料が入ったら、耳を揃えて払ってな!」
「え~~~~~っ!」
治美が叫び声をあげてると、雅人も畳みかけるように告げた。
「それと安村達にもちゃんと手間賃を払ってくれよ」
「え~~~~~~~~~っ!!」
雅人が作った真新しい通帳と印鑑は、そのままエリザが預かり管理することとなった。
かくして昭和29年6月1日付けで「マァチャンの日記帳」の連載が「毎日小学生新聞」で開始された。
プロ漫画家「手塚治虫」誕生の瞬間である。
治美の生まれた世界とは、実に8年5カ月も遅れての連載開始だった。
「マァチャンの日記帳」はその後70回掲載され、続けて「グッちゃんとパイコさん」、「ぐっちゃん」も掲載された。
「グッちゃんとパイコさん」はともかく、「ぐっちゃん」は本物の手塚治虫が「マァチャンの日記帳」の10年後に描いた作品だった。
そのため、かなり絵柄が洗練されモダンになっていた。
新聞を毎日購読していた子供たちは、絵柄の急激な進化にさぞや驚いたことだろう。
だが、治美たちはそんな細かいことを気にしてる余裕はなかった。
デビューを果たし、ある程度の収入も得た治美は、次に描き下ろしの単行本を発行させるのだった。
日本にストーリー漫画を根付かせた伝説の作品、「新寶島」である。
雅人はエリザの屋敷の二階上がって、屋根裏部屋に続く階段の下から呼びかけた。
「治美!起きてるか?」
返事はない。
雅人はスーと深呼吸をして大声を出した。
「手塚治虫先生!!毎日新聞社から手紙が届いてますよ!!」
屋根裏部屋でドスンと大きな物音がした。
ベッドから治美が落ちたのだろう。
ドドドドドッと転がるようにして、寝巻姿の治美が階段を駆け降りてきた。
「な、何の手紙です!?」
雅人は手紙を指でつまんで見せた。
「学生新聞部の担当が、貴殿の原稿を毎日小学生新聞に連載したいっとさ!」
「やったあ!!!」
治美は飛び上がって、雅人の首に両手を回して抱きついて来た。
「こ、こらっ………!」
雅人はどぎまぎして、顔が真っ赤になった。
「…………コホン!コホン!」
と、二人の背後から咳払いの音がした。
治美が振り返ってみると、そこには詰襟の学生服姿の三人の男子高生が並んで立っていた。
「えっ!?ど、どなた!?」
治美は慌てて、雅人をドンと突き放した。
「安村です」
と、小柄で眼鏡を掛けたな丸顔の少年がお辞儀をした。
「藤木です」
と、スリムで背の高い面長の少年がお辞儀をした。
「赤城です」
と、色白の整った顔立ちの少年がお辞儀をした。
「はあ…………?」
釣られて治美もお辞儀をした。
「手塚治虫先生!」
安村が治美に向かって呼び掛ける。
「…………………」
治美はボーとただ突っ立ている。
「手塚治虫先生!あなたが手塚治虫先生ですよね!」
「……あっ!ハイ!ハイ!そうです!そうです!」
ようやく治美は安村が自分に向かって話しかけているとこに気が付いた。
「ぼくたち、先輩に手塚先生の原稿を見させていただきました。とっても面白かったです!」
「ぜひ、ぼくたちに手塚先生のお手伝いをさせて下さい!」
訳が分からず、治美が助けを求めるように雅人の顔を見つめた。
「三人とも学校の美術部の後輩だよ。みんな美術部でペン画をやっているんだ。絵の上手さは俺の折り紙つきだよ」
「ええっ!!雅人さんが連れて来てくれたのですか!?」
「それと、これ………」
雅人は真新しい通帳と印鑑を治美に手渡した。
「手塚治虫名義の銀行口座と印鑑を作っておいた。これから必要だろ」
「――まだ、原稿が採用されるかどうかもわからないうちから、こんな準備をしていてくれたのですか!?」
「原稿は採用されるに決まってるさ。もっと自分の描いた原稿を信じろよ。手塚治虫の作品だろ!」
「――結局、わたしよりも雅人さんの方が、手塚作品の魅力を理解していたのですね………」
治美は瞳を潤ませながら、雅人の顔を見つめた。
「手塚先生!ぼくたちに漫画の描き方を教えてくれませんか?」
「ぼくたちも手塚先生みたいに漫画を描いてみたいんです!」
安村たちは治美に向かって深々と頭を下げた。
「雅人さん。どうしてみんなわたしに敬語なんです?」
「だって手塚治虫は今年19歳なんだろ?この中で最年長者だ」
「あ!そうでした!わたし17歳じゃ若すぎるから2歳サバ読みましたね」
本物の手塚治虫も昭和3年生まれなのを大正15年生まれと年齢詐称していた。
手塚治虫が亡くなった時に実年齢が判明し、長年の付き合いのあった関係者でさえ、そんなに若くから活躍していたのかと驚いたのだった。
治美もそのことが念頭にあってとっさに年上にサバを読んだのだが、後々まで後悔することになる。
治美はもともと同年齢の女の子の間でも頼りない子供っぽい少女だったが、背伸びしてしっかりとした大人の女性を演じなければならなくなったのだ。
「みなさん、ちょっと待っててね!」
そういうと、治美は足音を階段に響かせて駆け上がると、再び原稿の束を持って駆け下りてきた。
わら半紙に鉛筆書きの4コママンガだった。
「新しい4コママンガよ!」
「わあ、すごい!」
「読ませて下さい!」
安村達は興奮して口々に騒いだ。
「以前話した『グッちゃんとパイコさん』と『ぐっちゃん』の下絵です。主人公の名前は変わってますが、中身はマアちゃんの続きです」
「すねて引きこもってると思ってたが、ちゃんと原稿を描いていたんだな」
「まあ、わたしもちょっとだけ、反省しましたしね…………」
治美は少し照れくさそうに笑った。
すると、書斎の扉を開けてスーツ姿の横山が現れた。
「僕にも新作を読ませてください。漫画家修行のために、一緒にペン入れをしましょう」
雅人は横山の言葉を耳にし、驚くとともに喜んだ
「横山さんも漫画を描いてくれるんですか!?」
「はい!今日から僕は手塚治虫先生の弟子のひとり、横山光輝です。どうぞよろしく!」
全員で一階の食堂に行き、長テーブルで治美の描いた4コマ漫画を回し読みをしていると、そこにエリザもやって来た。
「治美!あんた、原稿売れたそうやな!おめでとさん!」
「ありがとうございます!」
「はい、これ!」
エリザが数枚の紙の束を治美に手渡した。
「何ですか、これ?」
「今までの下宿代と立て替え払いした交通費や文具代の請求書や。原稿料が入ったら、耳を揃えて払ってな!」
「え~~~~~っ!」
治美が叫び声をあげてると、雅人も畳みかけるように告げた。
「それと安村達にもちゃんと手間賃を払ってくれよ」
「え~~~~~~~~~っ!!」
雅人が作った真新しい通帳と印鑑は、そのままエリザが預かり管理することとなった。
かくして昭和29年6月1日付けで「マァチャンの日記帳」の連載が「毎日小学生新聞」で開始された。
プロ漫画家「手塚治虫」誕生の瞬間である。
治美の生まれた世界とは、実に8年5カ月も遅れての連載開始だった。
「マァチャンの日記帳」はその後70回掲載され、続けて「グッちゃんとパイコさん」、「ぐっちゃん」も掲載された。
「グッちゃんとパイコさん」はともかく、「ぐっちゃん」は本物の手塚治虫が「マァチャンの日記帳」の10年後に描いた作品だった。
そのため、かなり絵柄が洗練されモダンになっていた。
新聞を毎日購読していた子供たちは、絵柄の急激な進化にさぞや驚いたことだろう。
だが、治美たちはそんな細かいことを気にしてる余裕はなかった。
デビューを果たし、ある程度の収入も得た治美は、次に描き下ろしの単行本を発行させるのだった。
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