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ぼくはマンガ家 その1
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昭和29年4月26日、月曜日。
雅人は学校から帰ってくるとすぐに部屋着に着替え、茶の間で両親とちゃぶ台を囲んで夕ご飯となった。
お櫃のご飯と鍋の豆腐の味噌汁を母親によそってもらい、全員で「いただきます」と手を合わせた。
ちゃぶ台の真ん中に置かれた丼ぶりの漬物とコロッケが唯一のおかずだ。
ラジオもテレビジョンもないから全員顔を合わせて会話するしかない。
雅人が飲み込むように急いでご飯を食べていると、母親が尋ねてきた。
「そういやこの前の金髪の変な娘、どうなったんや?」
雅人の母親が漬物をボリボリとかじりながら雅人に尋ねてきた。
「あの娘ならエリザんちに下宿してるよ」
「ええ!?大丈夫かいな?あの娘、今流行りのノイローゼってやつちゃうか?」
終戦からしばらくは、みんな住む所と食べ物を探して毎日生きてゆくだけで精一杯だった。
昭和29年になってようやく生活も安定してきてゆとりができた頃、ノイローゼという言葉が流行してきた。
「衣食足りてノイローゼを知る」というやつである。
この当時、ノイローゼはちょっと高級な病気みたいで、ぜいたくな悩みだと思われていた。
「あの金髪娘、エリザお嬢さんとこで使用人にしてもらったらどうや?」
「あそこにはもう通いの家政婦の岡田さんがいるし、住み込みの横山さんだっているじゃないか」
「もう一人ぐらいええやない。あそこは金持ちやしお屋敷もだだっ広いし」
「いや。勝手に俺らが決める話じゃないし……」
「なんかあの娘、危なげで面倒みてあげないかんような気がするんや」
(治美はオフクロのひ孫だからな。何か感じるところがあるんだな…)
治美の正体を知っているのは今のところ雅人とエリザだけだった。
どうせ誰も信じないだろうし、面倒なことになるだけなので、誰にも治美が未来人だということは知らせないと決めていた。
「武士は相身互いちゅうしな、困っとるようなら手助けしたらなあかんよ」
「俺もそのつもりだよ。それでオフクロに頼みがあるんだ。オフクロの知り合いの赤本屋を紹介してくれよ」
「赤本屋を?」
「駄菓子屋に置いてる赤本の仕入れ先だよ。いいだろう?」
「別にええけどなんで?」
「治美が描く漫画を買ってもらうんだ!」
「ま、漫画……!?あの娘さん、漫画なんか描けるんか!?」
「うん。物凄くうまいんだ。あれならきっと売れるよ。間違いない!」
「へぇー、まさか漫画とはなあ………」
「とりあえず何冊か長編を描き貯めする。そして夏休みになったら俺が大阪の赤本屋に売り込みに回るって計画だ」
「そない夢みたいなこと言うて!漫画なんて儲からへんよ」
「大丈夫さ!それより仕入れ先の中で一番羽振りの良さそうな赤本屋を紹介してくれよ」
「それはええけど、あんた、受験勉強はどうするんや?来年は入試やろ?」
都合は悪くなったので、雅人は聞こえないふりをした。
無言で茶碗にお茶をぶっかけると、残った白米を急いでかっこんだ。
雅人がエリザのお屋敷に出かけると、番頭の横山が出迎えた。
雅人はこの少し年上の番頭が苦手だった。
一昨年、エリザの両親が仕事でいなくなるので住み込みで雇われたのだが、いつも暗い表情で黙々と働いている。
横山はいつも雅人が来ると「また、貧乏人の小せがれが来やがった」とばかりに露骨に嫌そうな顔をする。
「エリザお嬢様は今日はバレー教室です。お帰りは遅くになりますよ」
「いえ。エリザでなく治美はいますか?」
「おや?。治美さんに会いに来られたのですか。呼んでまいりますので、応接室でお待ちください」
雅人と治美は応接室で二人っきりになると、膝を突き合わせて今後の計画を練るのだった。
「それでは、第一回『手塚治美を手塚治虫にして、日本を漫画と漫画映画の世界一の大国にする計画』のための会議を開始する!」
「はーい!」
「今になって気が付いたのだが、『手塚治美』と『手塚治虫』は一文字しか違わないんだな」
「今更ですか!?」
治美が呆れ顔で笑った。
「『治美』って名前はやっぱり、お前の父親が手塚治虫から取ったのか?」
「それもあるでしょうが、パパとママの出会ったのが『晴海』のコミケだったから『治美』と名付けたって言ってました。ダブルミーニングですね。パパってセンスいいわ!」
「何を言ってるのかよくわからんが、今年は1954年だ。本物の手塚治虫がデビューしたのは1946年。既に8年もデビューが遅れている!この遅れを取り戻すのは並大抵のことじゃないぞ!」
「はい!」
「すべての手塚作品を発表するのは到底無理だ。要所要所、必要最低限の作品を描いてゆこうと思う」
「はい!」
「まずお前の父親は、何という手塚作品が好きで同人誌を描いたんだ?その作品は外せないからな」
「パパはすべての手塚作品を愛していました!」
「ん…………?」
「わたしもパパと同じです!すべての手塚作品を愛しています!」
相変わらず治美は屈託のない笑顔で微笑んだ。
「いやいや!そうじゃなくて、お前の父親はどんな同人誌を描いたんだ?」
「十八禁なので読ませてくれませんでした!」
「そ、そうなのか?それじゃあ、お前のお母さんは何という手塚アニメが好きで、その登場人物の扮装……コスプレをしたんだ?」
「ごめんなさい!知らないんです」
「なんだと!?」
「パパもママも詳しいことは教えてくれませんでした。両親の馴れ初めなんて恥ずかしくて子供に言えないって……」
「作品の題名がわからないのか。そいつは困ったな」
「やっぱり無理ですか……?」
不安そうな表情で治美は下から覗き込むように雅人を見つめた。
「いや!無理じゃないぞ!心配するな!いくつか手塚治虫の代表作を発表したらいいさ。しっかりと計画を立てて、着実に作業を進めていけば大丈夫だ!大船に乗ったつもりでいてくれ!」
「はい!」
治美は笑みを浮かべ、青色の大きな瞳で雅人にじっと熱い視線を送っていた。
「―――雅人さんってわたしと同じ年なのにすっごくしっかりしてますね!昔の人って、みんなそうなのかしら?」
こんな美少女に褒められて雅人も悪い気はしない。
「任せとけ!おじいちゃん、お前のためなら何でもしてやるからな!」
雅人はわざとらしく胸をドンと叩いた。
「頼もしいです、雅人さん!」
「あー、治美。ちなみに手塚治虫は生涯、何作ぐらい漫画と漫画映画を残したのかな?」
「作品数はちょっと分かりませんが、マンガは15万ページぐらいかな?」
治美はさらりと恐ろしい数字を口にした。
「えっ!?何頁だって!?」
「15万ページ」
「じゅ、じゅ、じゅ、15万ページ!!!?」
嘘だろ!?という言葉を雅人はかろうじて飲み込んだ。
雅人は学校から帰ってくるとすぐに部屋着に着替え、茶の間で両親とちゃぶ台を囲んで夕ご飯となった。
お櫃のご飯と鍋の豆腐の味噌汁を母親によそってもらい、全員で「いただきます」と手を合わせた。
ちゃぶ台の真ん中に置かれた丼ぶりの漬物とコロッケが唯一のおかずだ。
ラジオもテレビジョンもないから全員顔を合わせて会話するしかない。
雅人が飲み込むように急いでご飯を食べていると、母親が尋ねてきた。
「そういやこの前の金髪の変な娘、どうなったんや?」
雅人の母親が漬物をボリボリとかじりながら雅人に尋ねてきた。
「あの娘ならエリザんちに下宿してるよ」
「ええ!?大丈夫かいな?あの娘、今流行りのノイローゼってやつちゃうか?」
終戦からしばらくは、みんな住む所と食べ物を探して毎日生きてゆくだけで精一杯だった。
昭和29年になってようやく生活も安定してきてゆとりができた頃、ノイローゼという言葉が流行してきた。
「衣食足りてノイローゼを知る」というやつである。
この当時、ノイローゼはちょっと高級な病気みたいで、ぜいたくな悩みだと思われていた。
「あの金髪娘、エリザお嬢さんとこで使用人にしてもらったらどうや?」
「あそこにはもう通いの家政婦の岡田さんがいるし、住み込みの横山さんだっているじゃないか」
「もう一人ぐらいええやない。あそこは金持ちやしお屋敷もだだっ広いし」
「いや。勝手に俺らが決める話じゃないし……」
「なんかあの娘、危なげで面倒みてあげないかんような気がするんや」
(治美はオフクロのひ孫だからな。何か感じるところがあるんだな…)
治美の正体を知っているのは今のところ雅人とエリザだけだった。
どうせ誰も信じないだろうし、面倒なことになるだけなので、誰にも治美が未来人だということは知らせないと決めていた。
「武士は相身互いちゅうしな、困っとるようなら手助けしたらなあかんよ」
「俺もそのつもりだよ。それでオフクロに頼みがあるんだ。オフクロの知り合いの赤本屋を紹介してくれよ」
「赤本屋を?」
「駄菓子屋に置いてる赤本の仕入れ先だよ。いいだろう?」
「別にええけどなんで?」
「治美が描く漫画を買ってもらうんだ!」
「ま、漫画……!?あの娘さん、漫画なんか描けるんか!?」
「うん。物凄くうまいんだ。あれならきっと売れるよ。間違いない!」
「へぇー、まさか漫画とはなあ………」
「とりあえず何冊か長編を描き貯めする。そして夏休みになったら俺が大阪の赤本屋に売り込みに回るって計画だ」
「そない夢みたいなこと言うて!漫画なんて儲からへんよ」
「大丈夫さ!それより仕入れ先の中で一番羽振りの良さそうな赤本屋を紹介してくれよ」
「それはええけど、あんた、受験勉強はどうするんや?来年は入試やろ?」
都合は悪くなったので、雅人は聞こえないふりをした。
無言で茶碗にお茶をぶっかけると、残った白米を急いでかっこんだ。
雅人がエリザのお屋敷に出かけると、番頭の横山が出迎えた。
雅人はこの少し年上の番頭が苦手だった。
一昨年、エリザの両親が仕事でいなくなるので住み込みで雇われたのだが、いつも暗い表情で黙々と働いている。
横山はいつも雅人が来ると「また、貧乏人の小せがれが来やがった」とばかりに露骨に嫌そうな顔をする。
「エリザお嬢様は今日はバレー教室です。お帰りは遅くになりますよ」
「いえ。エリザでなく治美はいますか?」
「おや?。治美さんに会いに来られたのですか。呼んでまいりますので、応接室でお待ちください」
雅人と治美は応接室で二人っきりになると、膝を突き合わせて今後の計画を練るのだった。
「それでは、第一回『手塚治美を手塚治虫にして、日本を漫画と漫画映画の世界一の大国にする計画』のための会議を開始する!」
「はーい!」
「今になって気が付いたのだが、『手塚治美』と『手塚治虫』は一文字しか違わないんだな」
「今更ですか!?」
治美が呆れ顔で笑った。
「『治美』って名前はやっぱり、お前の父親が手塚治虫から取ったのか?」
「それもあるでしょうが、パパとママの出会ったのが『晴海』のコミケだったから『治美』と名付けたって言ってました。ダブルミーニングですね。パパってセンスいいわ!」
「何を言ってるのかよくわからんが、今年は1954年だ。本物の手塚治虫がデビューしたのは1946年。既に8年もデビューが遅れている!この遅れを取り戻すのは並大抵のことじゃないぞ!」
「はい!」
「すべての手塚作品を発表するのは到底無理だ。要所要所、必要最低限の作品を描いてゆこうと思う」
「はい!」
「まずお前の父親は、何という手塚作品が好きで同人誌を描いたんだ?その作品は外せないからな」
「パパはすべての手塚作品を愛していました!」
「ん…………?」
「わたしもパパと同じです!すべての手塚作品を愛しています!」
相変わらず治美は屈託のない笑顔で微笑んだ。
「いやいや!そうじゃなくて、お前の父親はどんな同人誌を描いたんだ?」
「十八禁なので読ませてくれませんでした!」
「そ、そうなのか?それじゃあ、お前のお母さんは何という手塚アニメが好きで、その登場人物の扮装……コスプレをしたんだ?」
「ごめんなさい!知らないんです」
「なんだと!?」
「パパもママも詳しいことは教えてくれませんでした。両親の馴れ初めなんて恥ずかしくて子供に言えないって……」
「作品の題名がわからないのか。そいつは困ったな」
「やっぱり無理ですか……?」
不安そうな表情で治美は下から覗き込むように雅人を見つめた。
「いや!無理じゃないぞ!心配するな!いくつか手塚治虫の代表作を発表したらいいさ。しっかりと計画を立てて、着実に作業を進めていけば大丈夫だ!大船に乗ったつもりでいてくれ!」
「はい!」
治美は笑みを浮かべ、青色の大きな瞳で雅人にじっと熱い視線を送っていた。
「―――雅人さんってわたしと同じ年なのにすっごくしっかりしてますね!昔の人って、みんなそうなのかしら?」
こんな美少女に褒められて雅人も悪い気はしない。
「任せとけ!おじいちゃん、お前のためなら何でもしてやるからな!」
雅人はわざとらしく胸をドンと叩いた。
「頼もしいです、雅人さん!」
「あー、治美。ちなみに手塚治虫は生涯、何作ぐらい漫画と漫画映画を残したのかな?」
「作品数はちょっと分かりませんが、マンガは15万ページぐらいかな?」
治美はさらりと恐ろしい数字を口にした。
「えっ!?何頁だって!?」
「15万ページ」
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