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29.掴み取れなかった恋 ◇
しおりを挟む「俺が彼女に会った時、別人のように大人しくなっていましたよ。川に突き落とされた記憶が毎夜逆行再現され、寝る度に飛び起き、夜もなかなか眠れないようです。突然涙が出たり、息苦しくなったり、身体の震えもあるそうですよ。今は医者の治療を受けています。まぁ俺は同情なんて一切しませんけどね。陛下の苦しみの原因を作ったヤツの事なんて。陛下の苦しみ以上に苦しめばいい」
「………」
「ゼベク」
アディオ様が唇を噛んで俯き、リオーシュがゼベクを窘めるような口調で名前を呼んだ。
「あぁ、言葉が過ぎました? これは大変失礼致しました」
ゼベクは恭しくリオーシュに礼をしたけれど、心の中は悪いとは少しも思っていないのだろう。
(リオーシュ至上主義のゼベクの気持ちを考えたら、私の妹に対してそんな事言われても怒れないわ……。――カトレーダ、突き落とされた時の恐怖が頭に染み付いてしまったのね……。余程怖かったに違いないわ。アディオ様、なんて事をしてくれたの……)
「そんな中ですが、彼女は勇気を絞り出して話してくれましたよ。御両親に窘められたんでしょうね。陛下とエウロペア様には申し訳ない事をしたと、反省の姿を見せていました。――彼女、フォアレゼン公爵令嬢に会う為に家を抜け出したそうです。『あなたが言った事と違う結果になった。姉は帰ってこなかった。どういう事だ』と文句を言う為に。その途中で殿下に会い、『姉は家に帰らせる』、『義姉は連れて行かせない』で口論になったと。そして激昂した殿下に、近くで流れていた川へと突き落とされたそうです」
ゼベクの言葉に、リオーシュは目を見開き愕然としながらも質問を投げた。
「……そ、そんな……事が……。し、しかし、アディオは何故、カトレーダ嬢がロアを連れて帰りたい事を知っていたんだ?」
「恐らく、エウロペア様の御両親と陛下との会話を、扉の外で聞いていたのでしょう。そしてカトレーダ嬢に、エウロペア様は連れて行かせない事を断言して諦めさせる為、シルヴィス侯爵家に一人で向かっている所に運良く彼女と出くわした……ってとこですか。――ですよね? アディオ殿下」
「…………っ」
ゼベクが話を振ると、アディオ様は顔を歪めて下を向いた。
「一生目を覚まさないと思っていたエウロペア様の妹が目覚めた事、ちゃんと彼女の息の根を止めなかった事が貴方の運の尽きですね。その詰めの甘さと温い考えが、ぬくぬくと育った甘ちゃんな貴方らしい」
(この人、サラッと怖い事言ったーー!!)
「何だと……っ!!」
アディオ様がカッとなってゼベクに掴み掛かろうとしたけれど、私を片手で支えながら軽く交わした彼は、言葉を続ける。
「それに、陛下はもう二度と不貞をしないですよ。今回の事件は宰相の陰謀で、陛下は強い『媚薬』を飲まされてしまったのです。ですので、陛下が自主的にしたのではありません。まぁ、陛下に“迷い”と“隙”があったのはかなりの落ち度ですが。――ねぇ、陛下?」
「はぁっ!?」
アディオが素っ頓狂な声を上げる中、今度はリオーシュに話を振ったゼベク。
「………っ」
リオーシュは苦虫を噛み潰したような顔になったが、瞬時に真剣な顔つきに代わり、アディオ様にハッキリと言った。
「アディオ、もう一度言う。私が愛しているのはエウロペア只一人だ。お前が何を言おうが、ロアは渡さない。もう二度とこんな事は起こさない。私の命に賭けて誓おう。だからアディオ、ロアの事は諦めてくれ」
(……リオ……)
アディオは憤怒の表情でリオーシュを見ていたが、やがて風船が萎んだように顔をグシャリと歪めた。
「……何だよ……。最初から入り込む隙なんて無かったのかよ……」
「私が学園に在園中、ロアを婚約者にする為に、彼女の御両親に幾度も頼みに行った。その度に義父上殿に断られていたが。私が王に即位してからこれで最後と決め、ロアを妃に望む手紙を出した所、漸く承諾を得たんだ。私より早くお前が積極的に動いていたら、もしかしたらお前の隣にはロアがいたかもしれないな……」
(……っ! リオ……そうだったのね……。きっとお父様は、フォアレゼン公爵家の顔を立てて断り続けていたのね。何も言ってくれないんだから、お父様は……。もう……)
「……ただ黙って見ていた僕と、行動に移した兄さんの差……か。――はっ、完敗だな……」
そう呟き嘲笑ったアディオ様は拳を握り締め、項垂れた。
「……アディオ。お前は“罪”を償わなきゃいけない。そしてカトレーダ嬢にも誠心誠意を込めて謝罪するんだ。生きていてくれた事、目を覚ましてくれた事に深く感謝をしてな」
「……あぁ、分かってるよ……」
「行こうか、外で護衛を待たせている。先に護衛と私の馬で城へ戻れ。私はロアを連れて馬車で帰るから。……逃げるなよ」
「逃げないよ……。もう……格好悪い所は義姉さんに見せたくない……」
「…………」
(アディオ様……。貴方の気持ちに答える事は出来ないけれど……私を好きになってくれてありがとう……。しっかりと“罪”を償って――)
リオーシュは俯くアディオ様の背中を手で優しく押しながら、部屋から出て行った。
ふと見ると、ベッドの脇に例の書物が置かれている。私の視線の先を見てそれに気付いたゼベクは、すぐにその書物を手に取った。
私はと言えば、先程ゼベクが言った言葉が頭の中をグルグルと重く駆け巡っていた。
(迷いと隙……。“迷い”って何だろう……。リオはカトレーダとの不倫を迷っていた……? 「したい」って気持ちもあったの……?)
その時、頭をコツンと叩かれ、私はハッと思考から抜け出し、ゼベクを見た。
彼はこちらを見ながら苦笑を浮かべ、首を左右に振る。
「貴女が考えているものじゃありませんよ。貴女との『初夜』を失敗した事を、アイツは貴女の妹にバカ正直に言ってしまったんです。で、彼女に『練習台になりましょうか』と言われ、もう失敗したくないし、貴女を今度こそ存分に気持ち良くさせたかったアイツは、一瞬ですが迷ってしまったんですよ。要は貴女の為の“迷い”だったんです。その迷いが隙を生んで、『媚薬』を飲まされてしまった、という訳です」
(なっ……!? はぁっ!? り……リオの馬鹿っ! 大馬鹿者の大阿呆者っ!! それで上手になったって私が喜ぶ訳がないでしょっ!? 逆にカンッカンに怒るわよっ!? 何考えてるのよもうっ! 信じられないわっ!)
「ははっ、ですよね? アイツはホント、そこら辺がてんでダメダメなんですよ。貴女と結婚するまで、女性と付き合った事が一度も無かったので、女性の心にかなり鈍いんです。仕事はかなり出来るのにね?」
(えぇ、本当にそうよね――って、さっきから私の考えてる事と会話してる!? 何で分かるのよ!? 怖いっ、怖いってばっ!)
ゼベクは戦々恐々する私に小さく吹き出すと、漆黒の瞳を細め、自分の唇に人差し指を当てた。
「これは絶対秘密にして頂きたいんですがね。俺、人に触れながら神経研ぎ澄ますと、その人の考えが何となく伝わってくるんですよ。失敗する事が殆どだし、他人の思考なんて興味無いから滅多にやりませんけど。貴女の場合は非常に興味が――んんっ、言葉が喋れない分必要な事なので、誠に失礼ながら読ませて頂いています」
(えぇっ!? 何そのすごい能力はっ!? それに何か言い掛けて言い直した!? 気になるんですけどっ!?)
「しかし貴女の思考はとても解り易いですね。通常は霧が掛かったようにボンヤリとしか分からないのですが。根がバカ正直だからでしょうか。あぁ、そう言えばアイツもバカ正直だったな。――ははっ、似た者夫婦ですね」
(ちょっ、馬鹿にした!? したわよね絶対っ!? 本当この人性格がアレね!? ミュールの代わりに蹴飛ばして踏みつけてやるんだからっ!)
「くはっ! 本当に貴女は……面白いな……ククッ」
(また読まれたっ!? もう……! 急いでここから飛び降りなきゃ――)
「させませんよ?」
ゼベクが笑いながら私の頭を片手でガシッと掴む。
「貴女がその姿でいる限り、俺の肩の上が定位置なんですよ。期間限定の決定事項なので諦めて下さい」
(はぁっ!? 人の意見無視して勝手にそんな決定事項決めないでっ!? いい歳した大人の男性が女の子の人形肩に乗せて歩いて恥ずかしくないのっ!?)
「いや全っ然?」
(はあぁっ!? 神経とんでもなく図太すぎないっ!? それとも人間じゃないとか!? 全身真っ青な血が流れてるんじゃないのっ?)
「ふはっ!」
「――お前、本当リーエの事気に入ってるんだな」
そこへ、苦笑しながらリオーシュが戻って来た。私は慌てて振り回していた腕をピタリと止める。
幸いにも、リオーシュはリーエちゃんをゼベクが動かしたと思ったみたいだ。
あ、危なかった……。
「リオーシュ、殿下は城に戻ったのか」
「あぁ。ここにいた侍女も一緒に馬に乗せて帰って貰ったよ。別荘にはもう私達以外誰も居ない」
「そうか。――なら、お前が気になっているだろう話をしようか」
ゼベクの言葉に、リオーシュの表情が瞬時に引き締まる。
「“覚悟”は決めたか?」
それは、リオーシュだけでなく、私にも訊いているように……そう感じた。
「……頼む」
リオーシュが両目をギュッと瞑り頷くと同時に、私もゼベクにしか分からないよう、小さく頷いてみせたのだった。
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