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80.Ishreeze Side 8

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 泣き疲れて自分の胸の中で眠ってしまった女性を抱きかかえると、イシュリーズは自分の部屋へと運びベッドに寝かせる。
 彼女の涙と鼻水でベトベトの顔に苦笑しながら、タオルで綺麗に拭き、毛布をそっと掛けた。
 スースーと寝息を立てて眠る女性の顔は、目を閉じると幼くなりあどけなくて。その顔にますます“あの子”を思い出し、イシュリーズはそれを振り払うように頭を振った。

(今度はこの子を“あの子”の代わりにしようとするのか。本当に馬鹿で愚かだな、俺は……。いい加減にしろ!!)

 自分自身を罵倒したイシュリーズは居間へと戻り、今度はユーナをそっと抱きかかえると外に出た。
 家を見張っていた兵士達に許可を貰い、ユーナを丁重に埋葬する。庭に咲いている彼女の好きだった花を摘むと、埋葬した場所に置き、長い時間手を合わせた。

 イシュリーズの中で、《勇者》への怒りと憎しみが激しく渦巻いている。自分が城で豪遊したいが為に幼い少女を殺すだなんて、決して許される所業ではない。
 今すぐ《勇者》の元に行って、その全身をズタズタに斬り刻んでやりたいくらいだ。

(でもそれは、君が望んでいない事だな、ユーナ……)

 ユーナは自分を責めるな、人を憎むな、と言った。大切な彼女の最期の願いは聞き入れてあげたい。

(俺は、《勇者》が君を殺害した徴証を見つけ、公で制裁をしたい。奴には厳格な処罰が必要だ。それなら許してくれるだろう? ユーナ……)

 立ち上がり、その場を後にしたイシュリーズは居間に戻ってきた。一通りザッと見て回り、殺害の証拠になりそうなものを探したが見つからず、落胆の息が洩れる。
 元《雷の聖騎士》の件が片付いたら改めて細密に調べようと胸に決め、居間を綺麗にした。
 ユーナの血があちこちに付いた部屋にいるのは、耐え難いものがあったのだ。

 その後シャワーを浴びたイシュリーズは、スラックスだけ履いて自分の部屋に戻った。
 黒髪の女性は変わらず、ベッドの上で寝息を立てて眠っている。けれどその目にはまた涙が溜められ、いくつか頬を伝っていた。

「…………」

 その頬の涙を自分の指で拭き、少し思案した後、イシュリーズは彼女と同じベッドに入ろうとした。

『イシュリーズ』

 すると、ベッドの脇に立て掛けてあった《ウインドブレイド》の咎める声が頭に響く。

「今は何だか温もりが欲しくて……。今日だけ許して下さい、ウイン」
『……やれやれ。今日だけだからな。朝、お嬢さんに叩かれても私は知らないぞ』
「ふふ、……はい」

 イシュリーズは小さく苦笑すると、毛布をめくり、女性のすぐ隣で身体を横にした。そして、彼女の目元に溜まる涙を拭き取ると、その背中に自分の腕をゆっくりと回し、優しく抱きしめる。

 ……温かい。とても。
 さっきも感じたが、この温かさは覚えがある……。
 それを確かめたくて、《ウインドブレイド》の非難を承知で一緒のベッドに入ったのだが――

 イシュリーズはゴク、と喉を鳴らし唾を呑み込むと、頭を下げ女性の首筋に鼻を近付けた。

「…………っ!」


 懐かしい……あの匂い……。
 忘れるはずがない、“あの子”の匂いを――
 まさか……まさかそんなことが――


 いつの間にか女性の背中に回す腕に力が入り、身体が密着していたらしい。
 イシュリーズの裸の胸に、むに、と柔らかい感触が走った。

(あ――)

 それは、女性の胸の感触だった。小振りだけど、弾力のある胸の柔らかさ――

「…………っ!?」

 それを感じ取った瞬間、イシュリーズの下半身に異変が起こった。

(そんな……。まさか……っ?)


 ……勃って、しまった。
 自身が。二十年振りに。


(ホムラに娼館に誘われた時、何をされても全然反応しなかったのに……)

 それなのに、この子の小さな胸で? しかも直接ではなく、彼女はちゃんと服を着ているのに?

(……一体……どうして……。――あ)

 イシュリーズは、昔自分が確信していたことを思い出していた。


 “俺は、柚月以外の女性には決して欲情しないだろう”


「…………っ」

 気付けば鼓動も早くなっている。顔も燃えるくらい熱いので、きっと赤くなっているに違いない。

 【聖なる武器】の視界は、物体から出ている赤外線を検出して熱や温度を繊細に感知し、相手を認識しているので、イシュリーズの急激な体温の変化を察しているだろう。

『イシュリーズ、どうした?』

 案の定、《ウインドブレイド》から声が掛かる。

「……いえ、何でも……。その、この子の体温が予想以上に温かくて……」
『そうか。彼女は今日会ったばかりの、初対面のお嬢さんだ。必要以上にくっつくなよ』
「…………」 

 イシュリーズは聞かなかったことにして、懐かしい匂いと温かさのする女性を腕の中に閉じ込め、身体を密着させた。

 その匂いと、柔らかい胸の感触を味わいながら――



********



 パチリ、と目を開けイシュリーズは眠りから覚めた。
 久し振りに深く睡眠出来た気がする。ユーナを失くし、しばらくは眠れないかと覚悟していたが。
 それはきっと、隣に眠るこの子の体温が心地好かったお蔭だろうか。
 それとも――

 ふと、女性がモゾモゾと動き、イシュリーズの胸に頬を擦り寄せてきた。
 その可愛らしい仕草に、彼は自然と微笑みながら彼女の黒髪を撫でる。

 女性は目を閉じたままフフッと笑うと、今度はイシュリーズに大胆に抱きついて頬を擦り寄せてきた。
 その仕草がまるで甘える“あの子”のようで、思わず彼も彼女を抱きしめ返してしまった。
 昨日感じた懐かしく甘い匂いと心地良い温もりが、イシュリーズの冷えた心にじんわりと温かく染み込んでいく。
 女性を腕の中に閉じ込め、そのまま頭を撫でていると、彼女がゆっくりと目を開け、弾かれたように顔を上げてきた。
 
「おはようございます、お嬢さん。こんなに密着してきて……。寒かったのですか? 俺は暖かかったですか?」

 微笑し、至近距離で目を合わせながらそう言うと、女性の顔が瞬時に真っ赤になる。
 すると何を思ったのか、突然ベッドから飛び降り、額を床に付けて謝罪の姿勢を取ったのだ。

 何かを一生懸命叫んでいるが、やはり内容が分からない。
 彼女の行動に困惑し疑問符を浮かべていると、《ウインドブレイド》が説明をしてくれた。

(あぁ、なるほど。俺の格好を見て夜這いをしてしまったと思ったのか。それをしたのは俺の方なのに……。――くっ)

 可笑しくなって、口に手を当て笑いを堪えていると、真っ赤になった女性に涙目で睨まれてしまった。

(そんな顔で睨まれてもただ可愛いだけなのに。自分では気付かないものなのか……? ――駄目だ、可笑しくて……っ)


 耐え切れず吹き出してしまい、またもや睨まれてしまったが、やはりただただ可愛いだけだった。



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