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75.Ishreeze Side 3

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 その事件が起こったのは、《聖騎士》達と《勇者》が各地に現れた魔物を退治して帰還し、風の国の広場でそれぞれ家族の再会の喜びを分かち合っていた時だった。

 イシュリーズは柚月の様子を見ようと視線を向けると、彼女は父親のシデン・ライジンに高い高いをして貰い、思い切りはしゃいでいるところだった。
 その微笑ましい光景に、イシュリーズの口元に自然と笑みが浮かぶ。

(おれとゆづきちゃんの時間をじゃましてくるすごくイヤな人だけど、ゆづきちゃんにとっては大好きな父上なんだよな。――あぁ、あんなに笑って……。かわいいな、ゆづきちゃん……)

 しかし、笑っていた柚月が急に真剣な表情になると、シデンの手から跳び降りた。
 そして、柚月は彼女の父の前に立ち、両手を大きく広げたのだ。

「ゆづきちゃん……?」

 そしてイシュリーズは、柚月と、彼女を咄嗟に抱きしめた蕾が、魔物の大きな角によって二人同時に貫かれるところをハッキリと見てしまった。


「……え……?」


 不意に視界が暗くなり、バサリと翼の羽ばたく音が聞こえる。
 父ルザードが背中から双翼を出し、自分と母セイラを抱えて飛んだのだ。

「ま――待って父上っ! ゆづき……ゆづきちゃんは……っ!」
「黙ってろ! 安全な場所に降ろすから、お前は母と一緒に避難しろ! セイラ、イシュリーズを頼んだぞ」
「……えぇ、分かったわ」

 ルザードは広場から離れた場所に二人を降ろすと、すぐに踵を返し翼を羽ばたかせ広場へと戻っていく。

「行くわよイシュリーズ。母さんの手を離さないで」
「母上、ゆづきちゃんはっ!? つぼみさんはどうなったのっ!? ねぇ――ねぇっ、母上ってば!!」
「…………っ」

 その問いに、セイラの表情が苦悶に歪んだ。何も言わず、イシュリーズの手を引っ張り駆け出す。
 彼女の紫の瞳が、涙に滲んで揺らめいている。それに気付いたイシュリーズはただギュッと唇を噛み、母に付いていくことしか出来なかった。


 ――後日、母から聞かされたことは、柚月と蕾は亡くなって元の世界へと還り、シデンは【闇堕ち】して封印されたとの事実だった。



 その日を境に、イシュリーズは喜怒哀楽を出さなくなり、表情そのものが消えてしまったのだった――



********



 それから十年の月日が流れても、イシュリーズは表情を顔に出すことは一切なかった。
 そして『あの日』から、誰に対しても、親に対しても敬語を使うようになり、周りから一線を引くようになってしまったのだ。


 原因は“柚月の死”と分かっていた旧友のホムラ・カジンは、彼女のことを忘れさせる為に何度か無理矢理女遊びに誘ったが、どの娼婦もイシュリーズの心を掴むことは出来なかった。

「俺は貴女に対し、何もしません。脱ぎもしないし、脱がす事も止めて下さい。ここにいるのに、大変失礼な事を言っているのは十分に分かっています。お金は倍払いますので、すぐに出て行って下さって構いません」

 部屋にいるイシュリーズを訪れた娼婦に、彼は無表情のまま、必ず最初にこの台詞を言った。
 この世界の娼館は、男が最初に部屋に入り、女が後から入る。そして用が済み、女が部屋から出た時点で終了となる。

 この台詞を聞き、怒ってすぐに部屋を出ていった娼婦もいたが、他の者より抜きん出るほど眉目秀麗な彼なので、何とか気を惹こうとする者が大半だった。
 自ら全裸になり、まずは身体から虜にしようと強引に迫ってきた娼婦もいたが、彼の男根が一切勃たず、誰もが失敗に終わってしまった。
 女性の裸を見ても、彼は全く何も感じることはなかった。豊満な胸を自分の身体に押し付けられても、だ。

(俺は、柚月以外の女性には決して欲情しないだろう。……するわけがない)

 自分では分かり切っていたことだが、旧友の心配する心が十分に伝わってきて、その誘いを無下には出来ず付き合ってあげていたのだ。
 娼館から出て、結果を訊く度ホムラが残念そうにしていたのが心苦しかったが、こればかりはどうしようも出来ないことだった。



 いくら年月が流れても、柚月がいない世界は色が無く、何もかもが虚しい。
 あの笑顔、あの温もり、あの匂いがひどく恋しい。

 会いたい。焦がれるほどに柚月に会いたい。抱きしめたい。いつもみたいに頬や額にキスしたい。あの温もりを、あの匂いをもう一度味わいたい。


 ――けれどもう、この世界では決して会えない――


 自死しようと何度も考えたが、それは地に堕ちる行為だから出来なかった。
 優しい柚月は、絶対に天に昇っているから。

 ならば自分は“《聖騎士》の後継者”として多くの人を助け、良き行いを繰り返し、天に昇ろう。

 天は、この世界でも異世界でも繋がってるから。探せばきっと会えるだろう。


 ――自分の、心から愛する“あの子”に。


 それを支えに、俺はこの空っぽな世界を生きていこう。



 念願の死が訪れる時まで――



 そう心に秘め、日々を過ごしていたイシュリーズに、その五年後、ある変化が訪れることになる。



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