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73.Ishreeze Side 1 *イシュリーズ視点

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 自分のことを、“ただの道具”だと思っていた。


 “あの子”に出会うまでは――



********



 カン! カァンッ!


 澄み渡る大空に、木刀の打ち合う音が鳴り響く。


「肩に力が入り過ぎている、力を抜け!」
「はいっ」
「脇がガラ空きだぞ、ちゃんと締めろ!」
「はいっ」


 低音の男性の声に、まだ声変わりもしていない子供の高い声が応える。

「あっ……」

 カァンッと甲高い音が響き、木刀がクルクルと回り、宙を舞う。
 男の子の持つ木刀が、男性の振り上げた木刀によって飛ばされたのだ。

「……今日はここまでにする。自分の反省点を振り返り、次までに直しておけ」
「あ、ありがとう……ございました……」

 男の子はゼイゼイと荒く息を吐きながら、男性にペコリと頭を下げる。
 男性と男の子の髪の色は、同じ灰青色だ。この二人は親子のようだった。

「…………」

 長い髪をなびかせながら足早に家へと入っていく父親を、男の子は虚ろな目で見送る。

「イシュリーズ坊っちゃん、お怪我はありませんか?」

 庭での親子の打ち合いをハラハラしながら見ていたお手伝いの老婆が、心配そうに声を掛けてきた。

「うん、だいじょうぶ。もんだいないよ」
「それは良かったですけど……。まだ五歳の坊っちゃんに、あんなに厳しくしなくても……」
「しかたないよ。おれはこのフウジン家の……“《風の聖騎士》のコウケイシャ”なんだから。ほかにだれもいないんだから……」
「坊ちゃん……」


 ――そう、しかたないことなんだ。


 おれの未来が、たった“ひとつ”しかえらべないことも。

 父上が、おれを“《風の聖騎士》のコウケイシャ”とだけしか見ていなくても。

 母上が“ナイショのしごと”でいつも家をあけてて、おれの話をきいてくれないことも。

 まわりの友だちに、「《聖騎士》になれるなんてうらやましい、めぐまれてる」って決めつけられることも。


 みんな、みんな、みんな。
 だれもおれの話を聞いてくれない。
 おれを見てくれない。
 おれを求めてくれない。


 だっておれは、この家の、いいように使われる“道具”みたいなものだから――



********



「ねぇ、イシュリーズ。シデンさんの奥さんのつぼみ、覚えてる? あなたも何回か会ってると思うけど」

 珍しく家にいた母が、ソファに座って本を読んでいるイシュリーズにそう声を掛けてきた。

「うん。たしかイセカイからきたって人だよね? かみの毛がくろ色の……」

 黒色の髪や瞳はこの世界では忌み嫌われているが、イシュリーズは特に気にしていなかった。
 イセカイから来たっていうのも、別に興味が湧かない。
 そう思ったイシュリーズは、微かに自嘲する。


(心うごくものがなにもないおれは、まさに“道具”みたいなものだな……)


「そうそう。その蕾の赤ちゃん、産まれて二ヶ月になったの。少しは落ち着いてきたかなって思って、見に行っていい? って手紙を送ったら、快諾の返事が返ってきたのよ。イシュリーズも一緒に行かない? 赤ちゃん見たことないでしょ?」
「まぁ……とくに予定ないからべつにいいけど……」

 正直面倒だったが、家にいたら、仕事から帰ってきた父に問答無用で稽古をさせられそうなので、母と一緒に行くことにした。
 稽古の予定がない日まで、木刀を振り回したくない。

「よし、決定ね。ライジン家のお庭に、移動先の結界張ってあるからすぐに行けるわよ」
「えぇっ、それつかうの? とんだあとフラフラするからイヤなんだけど……」
「フラフラで済むんだからいいじゃない。大人の場合はもっとフラフラするらしいわよ? 母さんは平気だけどね。ほら、文句言ってないで支度して来なさい」
「はーい……」

 やっぱり家にいれば良かったかな、と少し後悔しつつも準備をし、母と一緒にライジン邸へと飛ぶ。
 母の《移動結界術》は、あっという間に着くのが利点だが、着いた後の立ち眩みはやっぱり慣れない。

「うぅ、やっぱりフラフラする……」
「すぐに収まるわ。ほら、早く玄関に行くわよ」

 母はイシュリーズの手をやや強引に引っ張り、玄関に行くとチャイムを鳴らした。
 すぐに扉が開かれ、長い黒髪の女性が笑顔で出迎えてくれた。


「セイラさん、いらっしゃい。……あら? 確かイシュリーズくんだったよね? 君も来てくれてありがとう」
「ゴメンね、いきなり二人で押し掛けちゃって」
「ううん、嬉しいわ。主人は日中いないから、話し相手が欲しかったの」


 ふんわりと微笑む女性は、活発な自分の母とは対照的で穏やかで可愛らしい人だ。
 性格が正反対だから、逆に気が合うのだろうか。

「あっ、立ち話させちゃってごめんなさいね。さぁ、上がって上がって」
「ありがとう。お邪魔しまーす」
「しつれいします……」

 玄関で靴を脱ぎ、案内された部屋へと入る。
 
「ちょうど今起きたところなのよ」

 そう言いながら、蕾はベビーベッドの横に立ち、笑顔でセイラとイシュリーズを手招きした。
 二人はそっと歩き、ベビーベッドを覗き込む。

「わぁ~っ! とっても可愛い!」
「ふふっ、ありがとう。柚月ゆづきっていうのよ。女の子なの」

 そこには、大きな茶色の瞳をクリクリさせながら、仰向けで手足をバタバタ動かしている赤ん坊がいた。
 頭には黒色の髪の毛が少し生えていて、すごく柔らかそうな髪質だった。

 イシュリーズは、そのとても小さな存在を、食い入るように見つめた。無意識の内に、その存在に向かって手を伸ばしていたらしい。
 柚月が、伸ばしたイシュリーズの人差し指をグッと掴んだことで、彼は自分のした行動に気が付いた。

「あ……」

 赤ん坊のすごく小さな手が、イシュリーズの指に温かさを伝えてくる。離さないというように、懸命に力を込めてきて。


 そして彼女はイシュリーズを見上げると、おもむろに目を細め、口の端を上げたのだ。


「あらあら、笑ったわ。初めての笑顔よ。イシュリーズくんのことが気に入ったのかしら?」
「あははっ、良かったじゃないイシュリーズ。こんな可愛い子に好かれて~」

 蕾とセイラの声は、イシュリーズには聞こえていなかった。
 彼は今この瞬間、彼女に釘付けになっていたのだ。

 すごく小さなクシャクシャの手でイシュリーズの指を掴んで笑う柚月に、彼は彼女に求められているような気がした。
 彼女は、自分のことは何も――本当に何も知らない。

 何も知らないからこそ、“本当の自分”を求めてくれているかのような気持ちになったのだ。


 ――気付けば、イシュリーズの両目から涙がポロポロと溢れていた。


「イシュリーズくん、どうしたの!? どこか痛いの!?」
「え、イシュリーズっ!?」

 蕾とセイラが、急いでイシュリーズに駆け寄る。
 彼は涙を拭き、慌てて誤魔化しの返答をした。

「あ……、ご、ごめん。その、この子がとてもかわいくて……」

 驚いていたセイラは、イシュリーズの言葉にプッと吹き出す。

「えぇ~? 可愛過ぎて涙出ちゃったの? やだもう大袈裟ねぇ。ビックリさせないでよー」
「うん、ごめん……。とってもかわいい……」
「ふふっ。ありがとう、イシュリーズくん」

 イシュリーズが泣いても、柚月は彼の指を離さずに、じっとその顔を見つめていた。
 イシュリーズは不思議そうに見てくる彼女に小さく笑い、その頭を撫でる。

 想像通りのフワフワとした髪触りで、彼は帰るまで、ずっと彼女の頭を撫で続けていた。



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