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小話 “幸せ”の味 1

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 新生アグウェル王国王城の、ある一室にて。
 毎日苛烈な戦いが繰り広げられ――


 今日もまた、熱き戦いの火蓋が切って落とされようとしていた――






「シェラト君、少し見ない間にまた大きくなりましたねぇ。顔と髪の色が奴似なところは悔しいですが、笑顔と瞳の色はリュシルカにそっくりで微笑ましいです」
「ふふっ、本当に成長が早いよ。お座りはもう完璧だし、ズリバイもするようになったんだよ。起きてる時は少しでも目が離せなくなっちゃった」
「確か八ヶ月になったんですよね? あっという間にすくすくと育っていきますねぇ。その成長、一瞬たりとも見逃さないようにしないとですね」
「うん、本当にね? この子の成長に置いていかれないようにしないとだよ」


 ――王妃の部屋にて。

 このアグウェル王国の王妃であるリュシルカと、彼女に会いに来たコハクは、柔らかい敷物の上に座り、小さな紙風船で遊んでいる赤ん坊を微笑ましく眺めていた。
 この子は、アグウェル王国の王であるホークレイと、リュシルカの間に産まれた赤ん坊だ。
 名前は二人で毎日悩み、候補を出し合い、結果『シェラト』と名付けた。
 髪は父似の無造作に跳ねる灰青色で、瞳は母似の綺麗なエメラルドグリーンの、目がくりっとしたとても可愛らしい男の子だ。


「コハクは? 赤ちゃんは考えてるの?」
「向こうも欲しいみたいですし、考えてはいるのですが、もう少し二人の生活を楽しみますよ。あの人意外に旅行が好きで、色々な場所に連れて行ってくれますし。予約していた宿が向こうの手違いで取れていなかったり、行こうと楽しみにしていた話題のお店が臨時休業だったり、歩いていたら頭に鳥のフンがドンピシャで落ちてきたり、相変わらず貧乏くじ引きまくっていて面白いです」
「あ、あはは……。オズワルドさんも元気そうで何よりだよ。コハクも楽しそうで良かった。彼のこと、ちゃんと好きなんだね」
「はい、あの人といると色々な意味で楽しいです。好きですよ、本当に」

 コハクはそう言って、美麗な顔に優しい笑みを浮かばせる。

「……ふふっ、それを直接本人に伝えたら絶対に喜ぶのにな」
「調子に乗って抱きついてくるので、特別なことが無い限り言いませんよ」
「コハクらしいなぁ」

 リュシルカがクスクスと笑っていると、「だぁ」とシェラトが彼女に両手を伸ばしてきた。

「ん? どうしたのシェラト? 抱っこかな? それともおっぱい?」

 リュシルカがシェラトを抱き上げると、彼はリュシルカの胸の間に顔をグイグイと押し付けてきた。

「あ、おっぱいだね。待ってて、今あげるよ」
「……この仕草、奴と瓜二つですね……。流石おっぱい魔人ジュニアといったところでしょうか……」
「もう……変な呼び名付けないでよ、コハク」

 リュシルカが苦笑しながら、上着を持ち上げシェラトの顔を自分の胸に近付けると、すぐに乳首に深く食い付き吸い始めた。

 ちなみに、ドレスは授乳し難く汚れると面倒なので、部屋の中にいる時は上着とスカートに分かれた庶民の服を着ている。
 そして授乳期の間は、ホークレイの掛けた胸の『防衛魔法』は一時的に解除されている。


「……この凄まじい食い付きよう……。やはり奴を彷彿させますね……。恐らく、シェラト君はおっぱいからなかなか離れてくれないのでは?」
「えっ、よく分かったね? そうなの、一度授乳し始めたら長い時間離れてくれなくて……。離乳食は沢山食べてくれるから、様子見してるんだけどね」
「流石おっぱい星人ジュニア、顔も似てるけど血も争えないということですか」
「だから変な呼び名付けないでってば」

 真面目な表情で頷くコハクに、リュシルカが呆れた顔で返した時、トントン、とノックの音が聞こえた。

「あ、はーい」
「ちょっ、リュシルカ!? 今授乳中――」
「大丈夫、このノックの音はホークレイだから。胸も半分隠れてるから大丈夫だよ」
「……ノックの音で分かるなんて……。もう既に熟年の夫婦化している……」

「ルカ」

 扉を開けて入って来たのは、リュシルカの言った通りホークレイだった。
 そして、妻の母乳を吸っている自分の息子に気が付くと、あからさまに顔を顰める。
 ふっと、シェラトが自分の父に目を向けた。
 途端、二人の間に激しい火花が飛び散ったのをコハクは瞬時に察する。


(……リュシルカ。今、父子が母のおっぱいを巡って猛烈な戦いを心の中で繰り広げていますよ)
(えっ!? 私にはただ見つめ合っているようにしか見えないけど……)
(いえ、私にはハッキリと見えます。奴の背後には鷹が、シェラト君の背後には虎が凄まじく威嚇し合って、激しい落雷の中一触即発な状態なのが――)
(えぇー……。どんな状況なのそれは……)


 コハクとリュシルカがヒソヒソと言い合っていると、ホークレイがツカツカと歩いて来て、シェラトの視線に合わせるように膝をつき身を屈めた。


「なぁ、ラト? この際言わせて貰うが、ソレは本来父さんのモノなんだからな? お前には貸してるんだ。そう、、だからな?」


 至極真剣な表情でシェラトに言い聞かせているホークレイに、コハクは心底呆れた顔を彼に向けた。


「うわっ、滅茶苦茶大人気無い台詞が飛び出しましたよ? 大の大人が何赤ん坊と競い合ってるんですか。全く見苦しいったらないですね」
「……何だコハク、いたのか。うるせぇな、これは俺にとって重要かつ重大な問題で――」


 その時、シェラトがホークレイに向かってニッと笑い、視線をリュシルカの胸に移すと、その小さな両手を添えて飲みを再開した。


「……こ、いつ……ッ! 勝ち誇った顔で俺に笑い掛けたぞ……! 『負け惜しみ言ってんじゃねーよバーカ』って確かに聞こえたぞ……ッ!」
「私も聞こえましたね。『親父が何と言おうとこのおっぱいはもう一生僕のモンなんだ。そこで指でも咥えて悔しがってろバーカ』……と」
「私にはただ笑っただけに見えたけど!? それにシェラトはそんな乱暴な言葉は使いません!!」


 ホークレイは眉間に皺を作り両目をギュッと閉じると、床にガクリと両手をついてボソリと言葉を零した。


「……まさか、自分の息子が強力で強大なライバルになるなんて……。ラトが産まれてから今まで、もう八ヶ月も触ってねーから、触りたくて触りたくて仕方ねーってのに……。くそッ、独り占めなんてずりーぞラト……」
「失礼致します。ホークレイ様、こちらにいらっしゃいますか? お伺いしたいことがございますので、執務室においで頂けますか?」
「……あぁ、分かった。今行く」


 ノックの音と共に宰相の声が聞こえ、ホークレイはノソリと立ち上がると部屋から出て行った。
 その背中は、何だか哀愁が漂っていたような気がする……。


「……で、結局何しに来たんですかね、奴は? 自分の息子に敗北しに来ただけでしょうか? 随分前にも似たようなことがあったような……」
「きっと様子を見に来てくれたんだと思うよ。ホークレイ、朝から晩まですごく忙しいのに、ああやってちょこちょこ顔を出しに来てくれるんだ。私に疲労回復効果のあるハーブティーや、シェラトに新しいおもちゃを持って来てくれることもあるよ」
「いいお父さんをしているんですね。『王』としても立派に責務をこなしていますし。あの異常なおっぱいへの執着は困りものですけどね」
「あはは……」


 リュシルカは苦笑すると、ホークレイの出て行った扉に視線を移し、何かを決意したように小さく頷いたのだった。



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