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第一章 愛さないと決めた男と愛すると決めた娘

7.突然の別離宣言

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 毎日が幸せ生活が三ヶ月目に入った頃。
 廊下を歩いていると、前からウルグレイン伯爵が歩いて来たので、いつもの通り笑顔を向け擦れ違ったところ、何と彼が私に話し掛けてきた。
 顔合わせの日以降、初めてのことだった。


「君は……本当にそれでいいのか?」


 久し振りに聞いたウルグレイン伯爵の第一声がそれだった。

「え?」

 けれど何を言っているのか分からず、私は思わず足を止め、首を傾げて問い返してしまった。
 ウルグレイン伯爵は見上げる私と目が合うと何故か顔を赤くし、怯んだかのように少し後退る。しかし小さく首を振ると、思い切ったように口を開いた。


「……っ。君は、今までずっと俺の為に尽くして……。俺は君を愛さないと言ったのに、それでいいのか!? 今までの御令嬢達のように君は見返りを求めないのか!?」


 ウルグレイン伯爵は、どうしてか泣きそうな表情で私を問い詰めている。
 私は首を傾げたまま、またもや問い返してしまっていた。


「人を愛するのに見返りは必要なのですか? 私はそんなもの求めません。愛する人が、健やかに幸せに暮らせているのなら、傍にいられなくともそれで十分です」
「…………っ!!」


 ウルグレイン伯爵は、大きく衝撃を受けたように綺麗な蒼色の瞳を見開き、私を見つめた。


「それに……伯爵様は私を助け出してくれました。その御恩に報いりたいのです」
「あれは……ヴォルターが縁談相手を決めたのであって、俺は何も――」
「いいえ。伯爵様は確かに私を助けてくれました。一生を賭けても足りないくらいの恩なのです」


 私の表情はきっと、自然に笑顔になっていたと思う。 
 ウルグレイン伯爵の瞳が大きく揺らぎ、やがて顔に掌を置くと下を向き、震える唇を開いた。


「……出て行ってくれないか……」
「え?」
「この家から出て行ってくれ。そうしないと、俺は君を――」
「…………」


『どうして?』
『私、悪いことしましたか?』
『何か余計なことを言ってしまいましたか?』


 様々な疑問が頭の中を駆け巡って口から飛び出ようとしたけれど、私はそれを慌てて喉の奥に押し込んだ。
 訊いたところで結末は変わらないからだ。冗談ではないことは、ウルグレイン伯爵の深刻な様子で分かる。


「……分かりました……。今まで本当にありがとうございました。どうかお元気で――」


 私は何とかその言葉を口から捻り出すと、ウルグレイン伯爵にクルリと背を向けて、振り返らずに自分の部屋に走った。
 そして、少ない自分の荷物だけを持って伯爵家から飛び出す。ヴォルターさんや使用人さん達にお別れの挨拶は言えなかった。


 ――会ってしまったら、その場で泣き崩れてしまいそうだったから。



 ##########



 賑わう町の通りを一人、トボトボと歩く。


 ……あぁ、これからどうしよう……。
 ランブノー家には絶対に帰りたくないし、ここで安い家を借りて仕事を探そうかな?
 お金を稼いでお店で物を沢山買って税金をしっかり納めれば、伯爵領も潤って、ひいてはウルグレイン伯爵の為にもなるよね?


 ……うん、大丈夫だよ。だって独りじゃないもの。
 だから大丈夫――


 ぼんやりとした脳で今後のことをあれこれ考えていると、一際大きい声で話す町の人達の話が耳に入ってきた。


「おい、聞いたか? また近くの山で暴れたらしいぞ、あの例の超巨大な魔物」
「あぁ、聞いた聞いた。暴れる度にウルグレイン伯爵が出向いて抑えてくれてはいるけど、倒すまではいけないらしいな。あの伯爵が倒せないなんて、それだけ凶悪で強力な魔物ってことだ……。この町に下りて来たらと思うとゾッとするぜ」
「だよな……。アイツさえいなくなってくれれば、このウルグレイン領は安泰なのに」
「あの、すみません。その魔物が住んでいるって山はどこですか?」


 突然会話に入ってきた私に、町人さん達は心底驚いたといった感じでこちらを勢い良く見た。


「おぉ……ビックリさせんなよ、嬢ちゃん。魔物が住む山を知りてぇのか? ほら、あそこに見える山だよ。絶対に近付くんじゃねぇ――」
「あそこですね? 教えて下さってありがとうございました!」


 私は町人さん達にペコリと深く頭を下げると、山に向かって走り出した。


「おい嬢ちゃん、山に行くのか!? 野次馬なら止めときな!! 危ねぇぞ!!」
「――あぁ、行っちまった……。猫のように足速ぇなぁ。しかし無謀過ぎるぜあの嬢ちゃん……。なぁ、ウルグレイン伯爵に伝えに行った方が良くねぇ?」
「あぁ、そうだな。急ごう!」


 町人さん達の会話が風に乗って耳に流れてきたけれど、私はその時既に魔物のことで頭が一杯で、彼らの会話はすぐに脳内から忘却された。



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