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27.対決
しおりを挟む駐在場所から離れた所まで激痛に耐えながら何とか歩き、フレイシルは両膝をガクリと地面につけた。額から汗がポタポタと地面に落ち続け、身体中の冷や汗が酷い。
自分の身体の中で浄化させるのは難しそうだ……。さっきからソレが暴れまくっていて、浄化に必要な集中が上手く出来ない。
体内で浄化が出来ないのなら、体外に出して決着をつけるしかない――
フレイシルは、自分に掛けていた『幻惑魔法』を解除した。彼女の姿が、月光を受け輝く銀色の長髪の、ほっそりとした美しい女性へと変わる。
これから起こる戦いに、他の魔法に魔力を消費する余裕なんてないと判断したのだ。
瞬間、フレイシルの身体から暗黒の靄が飛び出した。
それは一つに固まり、悪魔のような姿へと形作られていく。
真っ黒な肌、頭の両脇から伸びた鋭い角、背中から生えたコウモリのような漆黒の羽――
セリュシオンが魔物化した時の姿が、そこにあった。
「……我ハ外ニ出ラレタノカ。貴様ノ体内ハ胸糞悪クテ堪ラナカッタゾ。前ノ男モ、我ヲ長イ間閉ジ込メヤガッテ……。暴レテイルノニ、ナカナカ身体ヲ渡シテハクレナカッタ。シカモ何度モ動キヲ封ジ込メヤガッテ、忌々シイ奴ラメ……絶対ニ許サナイ。男モ貴様モ、グチャグチャノ八ツ裂キニシテ殺シテヤル」
聞き取り辛いが、人間の言葉を発している。
何やら怖いことを言っているが、フレイシルの今の気持ちは全く怖くなかった。
――“あの時”の恐怖と絶望に比べたら、こんなの全然大したことじゃない。
フレイシルは少し考え、ネグリジェの上に羽織っていたカーディガンのポケットに入れてあった手帖に文字を書き、魔物に見せた。
『私の中でさっさと消えてくれれば良かったのに。しつこい魔物は嫌われますよ。あ、もう既に皆からとっても嫌われていますね。ザマーミロですね』
「…………。我ハ『崇高ナル魔界ノ頂点ニ立ツ者』ダ。シカシ、人間ノ言葉ヲ話セテ理解デキルガ文字ハ読メナイ。言イタイコトガアルナラ言葉ヲ発シロ」
フレイシルはコク、と神妙に頷くと、手帖にスラスラと文字を書き、再び魔物に見せた。
『「崇高なる魔界の頂点に立つ者」なのに人間の文字が読めないのですか? 馬鹿ですか? なるほど大馬鹿なんですね。「愚鈍なる馬鹿の頂点に立つ者」と言い直した方がいいですよ? あなたによく似合っている【二つ名】でとっても素敵です。略して「馬鹿の神様」でいいですか?』
「…………何ガ書イテアルノカ分カラナイガ、馬鹿ニサレテイルノハ分カッタ!! コノ小娘メ……今スグニ八ツ裂キニシテヤル!!」
魔物は劈くように咆哮すると、激しい怒りに任せてフレイシルに飛び掛かってきた。
フレイシルは素早く声なき詠唱すると、魔物に向かって解き放つ。
「ッ!?」
途端、魔物の動きがビキッと止まった。『拘束魔法』が発動したのだ。魔力を流し続けている間、相手の動きを止めることが出来る。
これは、フレイシルが六年前の“あの事件”の後、必死になって習得したものだった。
――もう、あんな苦しく辛い思いをしたくないという一心で――
「グッ、クソ……ッ!!」
魔物が『拘束魔法』を抜け出そうと藻掻いている間に、フレイシルは距離を詰めると、魔物の身体にガシッと抱きつくように両腕を回した。
そして、全力の『浄化魔法』を発動させた。
『浄化魔法』は、毒を浄化させ治す。魔物の存在が“毒そのもの”なので、この魔法はかなり効果がある筈だ。
「ッ!? コレハ――ヤ、ヤメロッ!! ハナセェッッ!!」
淡い温かな光を纏い始めた魔物は焦り始めたが、フレイシルは『拘束魔法』と『浄化魔法』に神経を集中させる。
この魔物を倒すには、莫大の魔力が必要になるだろう。恐らく、途中で魔力が尽きるはずだ。
……それでも構わない。魔力の代わりに自分の命を消費し、この魔物を必ず倒す……!!
……それで、辺境伯やアディやカイさん、兵士の皆が平和に暮らせるのなら――私の命なんて安いものだ!!
私は彼らに、沢山の幸せと喜びと笑顔を貰った。
暗い深い沼の中にとっぷりと沈んでいた“あの頃”、私が心から笑える未来がくるなんて全く想像していなかった。
……本当に、幸せだった……。
このまま命が尽きても構わないと思うほどに。
――あぁ、けれど。
“あの人”に、もう一度逢いたかったな。
黒い髪と瞳の、太陽みたいな笑顔が素敵な“あの人”。
私の所為で挨拶も出来ないまま別れて、伝えたいことを伝えられなかったのが残念だけど……。
私の、最初で最後に好きになった人。
これからもずっと、あなたのことが大好きです――
無意識に『浄化魔法』の方に魔力を多く注いでしまったらしく、『拘束魔法』の威力が弱まっていたようだ。
魔物の腕が伸びてきて、フレイシルの首をガシッと掴まれる。
「……っ!」
「離セッ!! 離サナイト、コノ首ヲヘシ折ルゾッ!!」
急いで『拘束魔法』を強めにしたが、フレイシルの首に掛かる魔物の手の力が徐々に強くなっていく。
しかし彼女は決して離さず、『浄化魔法』の威力を緩めなかった。
首を絞められ酸素が薄くなり、苦しさで意識が朦朧としてきたけれど、唇を血が滲むまで強く噛み、その痛さで気を失うことを防いでいる。
もうすぐ魔力が尽きる……。私の命を魔力に変換して、とびきり全力の『浄化魔法』を――!!
――その刹那、バキッ! と何かをぶつ音が響き、同時に魔物の身体が遠くに吹っ飛ばされた。
ふっと首の圧力がなくなり、バランスを崩し咳き込みながら倒れそうになった身体が、逞しい腕に支えられる。
見開いた自分の瞳に、綺麗な紅い瞳が映ったかと思うと、唇が誰かの唇で塞がれていた。
「っ!?」
瞬間、何かの液体が口内に流し込まれ、フレイシルは思わずそれをコクリと飲み込んでしまう。
――この味に、彼女は覚えがあった。
『魔力回復剤』……!?
全て飲み込んだ後、その唇はゆっくりと離れ、フレイシルの噛み締め切れて血が滲んでいた部分を舌で舐められる。
目の前の見知った顔に、フレイシルは愕然として“彼”を見上げた。
「……怪我や辛い箇所は」
低く短く訊かれた質問に、フレイシルは慌てて小さく首を左右に振る。
素早く彼女の身体を見回したその男は、その返答が嘘でないことを確認すると、彼女を静かに地面に座らせ、ゆっくりと立ち上がった。
「……言いたいことは山ほどある。けどそれは後だ。あの黒コウモリ野郎を消滅させてからな。お前はそこで動かず休んでろ」
灰青色の髪と真紅の瞳――セリュシオンが、フレイシルの目の前に立ち、ヨロヨロと起き上がろうとしている魔物を鋭い視線で見据えていた――
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