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3.“最悪”の立ち聞き

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 フレイシルに充てがわれた部屋は、元は小さな物置部屋だったものだ。そこを彼女が整理して使っている。

 汚れたドレスを脱ぎ、誰にも見つからないように急ぎ足で共同風呂に行きシャワーを浴びると、再びそっと部屋に戻った。
 床に敷いた古びた布団の上に寝転んでも、先程の衝撃的な光景が頭から離れずなかなか寝付けない。

 何度目かの溜め息をつくと、扉をノックする音が聞こえた。


「フレイシル、帰ってるんだろう? 今すぐ僕の部屋に来て欲しい」


 ボラードの声だった。そしてすぐに足音が遠ざかっていく。
 フレイシルは躊躇したが、グッと拳を握り締めると立ち上がり、彼の部屋へと向かった。

 部屋の前に立ち扉をノックすると、「入っていいよ」と返しがあり、フレイシルは静かに扉を開く。
 ボラードはソファに座っており、正装の姿から普段の姿へと戻っていた。


「君が僕を置いて先に帰ったということは……休憩室の僕達を見たんだね? 終わった後、扉が少し開いているのに気付いたから」


 フレイシルはその質問に下を向くと、フッとボラードが笑った気配がした。


「アレは口止め料さ。そうしないと、君の悪評が広がってしまうだろう? 君の為にやったことさ。大好きな君の為に……ね」


 その言葉に、フレイシルは首を横に振った。『私は何もしていない』と、懸命に身振り手振りで訴える。

 ボラードはソファから立ち上がると、そんな彼女に近付き、その頬を思い切り平手で打った。
 フレイシルの身体が宙に浮き、床にドサッと勢い良く叩き付けられる。

 彼女は最初、何が起こったのか分からなかった。
 しかし、次第に痛みを伴っていく頬と身体に、呆然とした表情でボラードを見上げる。

 彼は、微笑を浮かべフレイシルを見つめていた。


「君の弁解はどうでもいいよ。それよりも、僕に恥を曝したのはいけなかったな。あのドレス、一昔前に流行ったものだったんだろう? 今は誰も着ていないってさ。君も女性なら、どうしてそれに気付かなかった? そんな女をパートナーにしたなんて、恥もいいところだ」


 ボラードは笑顔で言葉を紡ぎながら、今度はフレイシルの腹を蹴り上げた。
 呻いて身体を丸める彼女の腕を掴むと、ボラードは恍惚な表情になり彼女を抱きしめる。


「これは“お仕置き”だよ。君は痛い目を見ないと分からないだろう? 大好きな君の為だよ。君を想ってのことなんだ。どうか分かって欲しい」


 『大好きな君の為』。
 『君を想って』。


 その甘く心に染み入る言葉に、フレイシルはズキズキとする痛みに耐えながらも、虚ろな瞳でコクリと頷いた。


「ふふっ、君なら分かってくれると思ったよ。好きだよ、フレイシル。君はとても可愛いよ。君の笑顔がとても好きなんだ。また僕の為に笑っておくれ」


 ボラードはフレイシルを抱きしめながら、彼女の頭を撫でる。
 フレイシルはその優しい手つきに目を閉じ、身を委ねたのだった――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 その日を境に、ボラードの暴力が始まった。
 彼は様々な理由でフレイシルを自分の部屋に呼び出し、彼女を痛みつけた。


「僕に笑顔を向けなかった」
「僕以外の男に色目を使った」
「僕の靴が磨かれていなかった」


 そして暴力を振るわれた最後には、フレイシルを優しく抱きしめ、頭を撫でて甘い甘い言葉を吐くのだ。
 使用人達の苛めと暴力も変わらず続いており、フレイシルの身体には痣が消えず増え続けていた。




 ある日から、ボラードの部屋に見知らぬ女性が出入りするようになった。二十代半ば位の、草原色のウェーブの掛かった長い髪と瞳をした女性だ。
 彼女は必ず、ボラードの両親が出掛けている時に屋敷に訪れていた。

 フレイシルは下を向いて床磨きをしていて、その女性と顔を合わすことはなかったが、自分の近くを通り掛かる度、


「ブタ、邪魔」
「はぁー……醜いったらありゃしないわ」
「デブが移るから端っこ行ってよ」


 と、舌打ち混じりに呟かれ、水の入ったバケツを蹴られて辺りを水浸しにされ、フレイシルはその度に深い溜め息をついていた。



 そんなある日のこと、用事でボラードの部屋の前を通り掛かったら、中から彼の声が聞こえてきた。
 足を止めたフレイシルは、部屋の扉が少し開いていることに気付き、何気なく耳を澄ませてみる。


「ボラード様のお家にお伺いさせて頂く度に、あのふくよかな女性がいらっしゃるのですが、彼女を辞めさせることは出来ないのですか? その……、私、醜いものは苦手で――」


 この声は、あの見知らぬ女性だ。


「申し訳ありません、『聖女』様。彼女は僕の為にも必要なのですよ」
「ボラード様の為?」
「えぇ。彼女は僕の引き立て役なのですよ。彼女がヘマをする度、僕の評価がグングンと上がるんです。それに、僕のペットでもあるんです。甘い言葉を囁けば目を輝かせて僕に尻尾を振り、従順になるんです。殴ったり蹴ったりしても構わない、僕のストレス発散にもなっているんですよ。醜いペットほど可愛いってもんです」
「まぁ……ふふっ。ボラード様ったら、悪いお方ですわ」
「幻滅しましたか?」
「ふふ、まさか。私も彼女を醜いと思っていますもの。そんなボラード様も好きですわ」
「僕も聖女様が一番好きです……愛しています。今度、可愛くおねだりされた宝石を買ってきますね」
「あら……ふふ、嬉しいですわ。お礼は――」
「また可愛くおねだりして下さい。あとは……」
「あっ、もう……ついさっきもしたばかりですのに――」
「貴女が魅惑的なのが悪いのですよ?」
「いやだ、ボラード様ったら……」


 ……この先はもう聞きたくない。
 

 フレイシルは耳を塞ぐと、自分の部屋に駆け込んだ。
 そして、声もなく泣きじゃくった。
 悲しみと苦しみが雫に溶けて流れてくれることを願って、涙が枯れ果てると思うくらい泣いた。



 ――どのくらいの時間が経っただろうか。
 涙が止まり、落ち着いたフレイシルは、深呼吸を一つした。
 その顔つきは、何かを決意したような真剣なものに変わっていた。
 フレイシルは机代わりの木箱に向かい、紙と筆を執る。


 暫くして書き終えたフレイシルは、それを丁重に三つに折り畳む。
 そして少ない荷物をまとめると、デッセルバ邸を飛び出したのだった。





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