上 下
2 / 47

2.“最悪”の日々

しおりを挟む



「いつまで這いつくばってんのよ、このブタ女ッ! そんなに太ってるから動きがトロいのよ!!」


 フレイシルが雑巾で床磨きをしていると、突然お尻を蹴られ、その衝撃で彼女の身体が勢い良く床へと倒れ込んだ。


「うわっ、ブタが床に寝そべってるー。これからソテーにでもされちゃうのかしら?」
「こんなの食べても美味しくないって! 一噛じりしただけでも吐き出す不味さだわー」


 他の使用人達の嘲笑を浴びながら、フレイシルは唇を噛んで俯く。


「ブタと言えば、奥様もすっごいブタよね? ――いえ、アレはブタどころじゃないわ。巨大なゴリラよ!」
「あはははっ! ゴリラがドスドス歩く度地響きがするじゃない? このままじゃこの屋敷がゴリラの地震で壊れちゃうかも! 心配だわー」
「キャハハハッ!」


 使用人達はフレイシルだけでは飽き足らず、デッセルバ夫人の陰口まで叩いている。
 フレイシルは辺りを見回し、夫人がいないことを確認するとホッと息をついた。


「いいこと? ここの床磨きが終わったら、次は窓拭き全部ね! さ、私達は休憩しましょ? 美味しいお菓子が手に入ったのよ。皆で食べましょうよ」
「いいわね、賛成! 丁度小腹が空いていたのよー」
「口も聞けない不気味な誰かさんのお蔭で気分悪いし、美味しいお菓子を食べて気分転換しましょう! こんな女がボラード様に優しくされているなんて、ホントムカつくわー!」
「ボラード様、こんなブタ女にも声を掛けるなんて、すごく出来たお方よね……。あぁ、益々惚れちゃうわ!」
「あっ、抜け駆けは駄目よー?」


 使用人達は笑いながら、フレイシルを残して去って行った。


「…………」


 フレイシルが俯いたままでいると、誰かの手が自分に向かって差し出された。


「大丈夫かい? 全く、酷いことをするね」


 ボラードだった。フレイシルと同じ薄茶色の髪を結んで肩に下ろし、柔和な笑みを彼女に向ける。
 フレイシルは彼を見るとホッとしたように笑みを浮かべ、その手を取った。
 ボラードはフレイシルを立ち上がらせると、彼女の制服に付いた埃を払う。


「このこと、僕が後で父さんに伝えておくね。少し休む?」


 ボラードの気遣いに、フレイシルはニコリと微笑むと首を左右に振った。


「頑張り屋さんだね。そんなところも好きだよ。無理せずにね?」


 ボラードは優しい笑みを見せフレイシルの頭を撫でると、手を振って自分の部屋へと戻って行った。



 彼はフレイシルが使用人になった頃から、こうして彼女をいつも気に掛けてくれた。
 優しい言葉と、「好きだよ」という甘い言葉を乗せて。

 ボラードの両親は、フレイシルに衣食住を提供してくれてはいるが、それだけだ。
 ゴーンは彼女とすれ違っても無視をし、夫人に関しては、毎回「今日も醜いブタがいるわ。ブーブー鳴いて汚らわしい」と鋭い目つきで睨みつけてくる。
 他の使用人達に馬鹿にされ、理不尽な暴力を振るわれる中、唯一ボラードだけは自分に優しく接してくれた。


 そんな彼にフレイシルが“特別な感情”を抱くようになるのは、そう時間は掛からなかった――




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「フレイシル。僕のパートナーとして、今度開催される舞踏会に一緒に出て欲しいんだ」


 ボラードの部屋に呼ばれたフレイシルは、彼からそう告げられ、思わず目が点になった。


「ははっ、その顔も可愛いね。僕は君のことが好きだから、是非パートナーになって欲しいんだ。うちの商会の宣伝の為に行くようなものだから、皆に挨拶だけして踊らない予定だよ。だから安心していいからね。一緒に来てくれるかい?」


 微笑みながらそう言うボラードに、フレイシルは顔を赤らめながら、小さく首を縦に振った。


「良かった。ドレスは母が用意してくれるから、当日はよろしくね」


 頭を撫でてくるボラードに、フレイシルは赤ら顔で微笑み頷いた。


 他の使用人達からの苛めや暴力は変わらず続いており、舞踏会にフレイシルがボラードと参加することが分かると、更に苛めは加速した。
 痣が身体中に出来、とても辛かったが、フレイシルはボラードの掛けてくる優しく甘い言葉と、彼の隣に立てる舞踏会のことを思うと、何とか耐えることが出来た。



 ――そして、舞踏会当日。
 ボラードの母が用意したドレスを怪訝な目で見つめ、暫く悩んだ末に自分で着て、フレイシルは彼と一緒に馬車に乗って会場に向かった。

 到着して会場に入った早々、ボラードは


「ちょっと貴族の方達に挨拶に行って来るよ。君は料理を楽しんでて」


 と言い、フレイシルから離れて行った。
 何もすることがないので、端っこの方に行こうと足を動かした刹那、突然何かがぶつかってきてフレイシルは床に倒れ込んでしまった。
 それと同時に、濃い色の付いた飲み物がフレイシルの頭から被せられる。髪とドレスが、その飲み物の色に染まっていった。


「あーらごめんなさい? 存在感薄くて気付かなかったわ~。図体は大きいのにね?」


 頭上から女性の声が降ってきて、その周りでクスクスと笑い声が聞こえてきた。


「何でアンタみたいなブタがボラード様のパートナーやってんのよ。ムカつくったらないわ」


 髪の毛からポタポタと雫を落としながら、フレイシルは顔を上げると、どこかの貴族の令嬢が憎々しげにフレイシルを見下ろしていた。
 焦げ茶色のソバージュの髪に、吊り目の同じ色の瞳で、鼻の周りのソバカスが特徴的な令嬢だ。

 ボラードは、急発展した今注目のデッセルバ商会の令息として、人気が高まっていた。
 いつも柔和な微笑みを浮かべていて、誰にでも優しく、令嬢達の間で一目置かれる存在となっていたのだ。


「それに、一昔前に流行ったドレスなんか着ちゃって。よく外が歩けたわね? ホンット恥ずかしいったらないわ。そんなんでボラード様の隣に立とうだなんて……身の程を知りなさいよ、この雌ブタッ!!」


 どこかの貴族の令嬢の一喝に、周りにいた取巻きらしき令嬢達がうんうんと同調し、扇で口を隠しながらフレイシルの悪口を次々と言い始める。
 フレイシルはそれに、俯いて耐えていた。


「……どうしたのですか?」


 そこへ、挨拶が終わったボラードが戻って来た。
 どこかの令嬢が、これ見よがしに彼にもたれ掛かる。


「この娘が突然ぶつかってきたので、手に持っていた飲み物を零してしまったんです。ボラード様のパートナーに申し訳ないことをしましたわ……」


 その言葉に、フレイシルは瞳を見開いて令嬢とボラードを見上げた。
 彼がこちらに目を向けたので、フレイシルは必死になって首を左右に振り続ける。
 それを見たボラードは、令嬢に視線を戻すと、申し訳なさそうに頭を下げた。


「僕のパートナーが、大変失礼なことをしました。貴女には飲み物は掛かりませんでしたか? ぶつかった際、お怪我は?」
「あ……はい、大丈夫ですわ」
「念の為、休憩室で確認致しましょう。もし少しでも付いていたなら弁償致します。あぁ、彼女のことはお気になさらず。ぶつかってきた彼女が悪いのですから」


 ボラードはニコリと笑ってそう言うと、令嬢をエスコートして会場を出て行った。


「まぁ、何てお優しいお方なの……」
「なかなかいないわよね、あんな殿方は……。今度からデッセルバ商会でお買い物しようかしら」
「えぇ、そうしましょう。きっとボラード様みたいに素敵な商品が揃ってるに決まってますわ」


 ボラードのことを褒め称える言葉が行き交う中、フレイシルは俯きながら会場を飛び出した。
 とぼとぼと廊下を歩いていると、休憩室から声が聞こえてきた。扉が少し開いているようだ。

 フレイシルはボラードの様子を見ようと、休憩室の中をそっと覗き込むと――


「ウフフッ、ボラード様ったら……。ドレスを確認すると言って、全部脱がせるなんて……」
「君の魅力に我慢出来なかったんだ。この休憩室は貸し切りにしたから、誰も入って来ないよ。じっくりと君を堪能しようか……」
「嬉しい、ボラード様……」


 ソファの上で、身体と唇を重ね合うボラードとどこかの令嬢が目に飛び込んできて、フレイシルは両手で口を抑え、その場から急いで離れた。



 外に駆け出して帰宅者を待っていた馬車に乗り込んだフレイシルは、心臓が早鐘を打つ中、真っ青な顔でデッセルバ邸へと戻ったのだった。




しおりを挟む
感想 74

あなたにおすすめの小説

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~

紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。 ※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。 ※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。 ※なろうにも掲載しています。

【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから

gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...