上 下
40 / 84

39.賭けをしよう。神はどちらに微笑むか

しおりを挟む



カサンドラの耳が此方へ近付いてくる足音を聞き取った。
心臓がドクドクと嫌な音を立てるのを無視して耳を澄ませ、それが一人分の足音である事に僅かながら安堵した。
一人だけなら、あるいは。


そしてその時はやってくる。
鉄格子がギィ……と嫌な音を立てて開き、横たわっている私の近くに人の気配が忍び寄る。
しゃがみ込んで私の髪を一房手にした時___



カサンドラは瞬時に体を起こして捻り、燭台を持った右手を思い切り振り上げた。

「ぐ…っ…!」

不意打ちを受けた男は、身構える間もなく燭台で頭を殴りつけられて地面へ転がった。
倒れ付した男は細身で濃いブロンドの髪をした青年だった。きっと黒髪の悪魔と言い合いをしていた男に違いない。

カサンドラは素早く昏倒している男の首に手をやって生きている事を確認した後、男の懐を探って牢屋の鍵を奪う。
そしてカサンドラは錆びついた鉄格子の扉を抜けると、今度はその扉を締めて鍵を掛けた。

__やった! 男を閉じ込める事に成功したわ!

歓喜に声を上げそうになるのを必死で堪え、極力足音を立てないように暗闇の中を走り出す。
その手には片方に燭台を、もう片方に牢屋の鍵を持っていた。



けれど簡単に脱出する事は叶わなかった。どうやら此処は地下牢のようだ。それも迷宮のようになっていて、何処へ行けば外へ出られるのか皆目見当もつかない。
カサンドラは既に数十分迷宮を彷徨っていた。既に自分が居た牢獄がどっちだったかさえも分からない。
このままでは此処で一人死に絶えてしまいそうだ。

なんて恐ろしい場所なの。あのまま鉄格子の奥に居たほうが良かったかしら……。

そう考えたものの、首を横に振ってその考えを否定する。そんな筈は絶対に無いのだから。
暗闇を彷徨っている内に弱気になってしまったが、上手く牢を抜け出したのはどう考えても正解だった。
あの場所に留まって居れば、あの黒髪の男に何をされるか分かったものではないのだから。


もう暫く迷路のような暗闇を彷徨っていると、何処からか水の音が聞こえてきた。
ハッと弾かれたように顔を上げ、壁に手をついて走り出すと漸く開けた場所に出た。

けれどそれは出口という訳では無かった。 
洞窟のように薄暗い空間の正面には段差があり、その段差の先にはさざ波が立つ水が満ちている。水の音だと思っていたのは、どうやら波の音だったらしい。


きっとこの地下迷宮はずっと昔に使われていた牢獄だ。
そしてこの空間は牢獄の番人が、海を通って外から物資を運び込む為の船の係留所だろう。
けれど見渡す限り船が係留されている様子は無い。
カサンドラは呆然と、薄暗いせいで闇のような色をした水面を見つめた。


此処に飛び込む勇気が私にあるかしら?外へ繋がっているという保証も無いのに。
それに冬の海を泳ぐなんて正気じゃないわ。
冷たい水に浸かった途端に心臓が止まってしまう……。

カサンドラは後ろを振り返ってみた。今は何も聞こえない。遠くの足音すら耳に届かない。
けれど此処で呑気に突っ立っているだけでは見つかるのも時間の問題だ。


カサンドラは暫くの葛藤の末、まず始めに着ていたグリーンのローブと履いていたブーツを脱いで、持っていた燭台と共にその場に静かに置いた。
ローブはお気に入りなので悔しいけれど、水を吸ったら重くなって私共々沈んでしまう。

そして次にドレスの紐を一本解き、髪を纏めてキツく結いあげる。

最後に石造りの段差の部分に腰を下ろし、裸足の右足を水の中に沈めてみた。
とても冷たくて凍りつきそうだ。


どうせ捕まれば、あの男に酷い目に遭わされる。それならこちらに賭けてみるしかないわ……。
私が出口を見つけられずに暗い海に沈むか、あいつが治安判事に捕まるか、どちらが勝つか勝負しましょう。



カサンドラは意を決して水に体を沈めると、その凄まじい冷たさに、ハッと一つ息をついたきり暫く息が出来なくなる。
一瞬で体が冷えきり感覚が鈍くなるのが分かる。

みるみる内に決意が揺らいでしまいそうになり、弱気になって再び陸に上がってしまう前に両手と両足を動かした。


此処から逃げ出して、治安判事の屋敷に駆け込んでやるわ! あいつを捕えてもらうの。
だから頑張るのよ、サンディー。貴女には勇気があるでしょう!

そう何度も自分に言い聞かせて、今にも止まってしまいそうな腕で水を掻いた。
冷たさのせいで感覚の無くなっていく足を必死にバタつかせた。
ドレスは水を吸って重くなり、冷たい布が張りついた肌はどんどん冷えていく。
ドレスまで脱がなかったのは失敗だったかもしれない。いっその事シュミーズになってしまえば良かった。


それでもカサンドラは気にせず………と言うより気にする余裕も無く、必死で洞窟の先まで泳いだ。


いつか闇の中に光が差す事を心から願って



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】

小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」 ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。 きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。 いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

痛みは教えてくれない

河原巽
恋愛
王立警護団に勤めるエレノアは四ヶ月前に異動してきたマグラに冷たく当たられている。顔を合わせれば舌打ちされたり、「邪魔」だと罵られたり。嫌われていることを自覚しているが、好きな職場での仲間とは仲良くしたかった。そんなある日の出来事。 マグラ視点の「触れても伝わらない」というお話も公開中です。 別サイトにも掲載しております。

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

悪女は婚約解消を狙う

基本二度寝
恋愛
「ビリョーク様」 「ララージャ、会いたかった」 侯爵家の子息は、婚約者令嬢ではない少女との距離が近かった。 婚約者に会いに来ているはずのビリョークは、婚約者の屋敷に隠されている少女ララージャと過ごし、当の婚約者ヒルデの顔を見ぬまま帰ることはよくあった。 「ララージャ…婚約者を君に変更してもらうように、当主に話そうと思う」 ララージャは目を輝かせていた。 「ヒルデと、婚約解消を?そして、私と…?」 ビリョークはララージャを抱きしめて、力強く頷いた。

不器用(元)聖女は(元)オネエ騎士さまに溺愛されている

柳葉うら
恋愛
「聖女をクビにされたぁ?よしきた。アタシが養うわ」 「……はい?」 ある日いきなり、聖女をクビにされてしまったティナ。理由は、若くてかわいい新人聖女が現れたから。ちょうどいいから王都を飛び出して自由で気ままなセカンドライフを送ってやろうと意気込んでいたら、なぜか元護衛騎士(オネエ)のサディアスが追いかけて来た。 「俺……アタシ以外の男にそんな可愛い顔見せるの禁止!」 「ティナ、一人でどこに行っていた? 俺から離れたらお仕置きだ」 日に日にオネエじゃなくなってきたサディアス。いじっぱりで強がりで人に頼るのが苦手なティナを護って世話を焼いて独占し始める。そんな二人がくっつくまでのお話をほのぼのと描いていきます。 ※他サイトでも掲載しております

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...