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27.暖炉の炎
しおりを挟むヒース・コートの敷地に到着した事で張り詰めていた緊張が解れ、脇目も振らずに屋敷の中へと駆け込んだ。
ひんやりと冷たい空気に満ちているものの、恐ろしい程に寒い外から比べると屋敷の中は天と地ほどの差があるように思えた。
風と雪が無いって素晴らしいわ‥‥!
玄関ホールで仁王立ちしながら怖い顔をしていたロイスは今の私の状態を見てぎょっとし、パッと姿を消したかと思うと、素早く私の側へともう一度姿を現した。
「カサンドラ、凍りつきそうじゃないか!」
ロイスは焦った様子で私の状態を確認しようと忙しなくブルーの瞳を動かした。 カサンドラはロイスに微笑もうとしたものの、寒さで震える唇は動いてくれない。
「‥‥ロイス‥。 約束通り、戻って‥来たわよ」
「誰がこんなに冷えきってまで真夜中に戻って来いと言った?」
「‥‥日にちは、約束から過ぎてしまったけど‥」
「いいから早く暖炉に火を起こすんだ。 体を温める必要がある」
先程の屋敷までの駆け足で殆んど体力を使い果たしたらしく、よろよろと応接間の暖炉の前に行ってドサリと力無く座り込む。
長時間寒さに晒されたせいで硬直している腕を何とか動かし、漸く念願の暖炉の炎を見ることが出来た。
「‥‥暖かい‥‥」
暖炉の炎に手を翳して震える指先を温める。 体の中の氷が暖かい炎を前にして溶け出しているようだ。
芯まで冷えきって強張っていた体から漸く緊張が抜ける。
ロイスは私が落ち着くまで何も言わず、ただ側で見守ってくれていた。
きっと私をひどく叱りつけたい筈なのに、此方を見つめる彼の瞳はとても気遣わしげだった。
しばらく暖炉で体を温めた事で体の震えも収まり、はぁ‥‥と肺の冷たい空気を吐き出した。
それを合図に、ロイスが眉を潜めながら声を掛ける。
「この酷い雪道をどれくらい歩いてきた?」
「‥‥三時間くらいかしら? 覚えていないわ」
「なんでそんな愚かな真似をしたんだ。 凍え死んでたかもしれないんだぞ‥!」
「‥‥そうね。確かに何度も死にそうだと思ったのよ」
「お前にも考える頭くらい有るだろ。それとも、その綺麗な頭の中は空っぽなのか?」
「人を案山子みたいに言わないでくれない?」
「無茶をする分、案山子より質が悪い」
そうは言っても、あの場合は仕方が無かったのよ。 私はこれ以上無いほどの最良の選択をしたわ。
そうは思っても口には出さなかった。 ロイスが心から私の身を案じてくれている事は確かなのだから。
それに私も、あの恐ろしい出来事は話したくない。 思い出したくもない。
だから私は反論せず、僅かに肩を竦めて見せるだけに止めた。
大分部屋も暖まってきたので雪で濡れたローブを脱ぐと、その下に着ている服を見たロイスが微妙な顔をした。
カサンドラと目が合うと、彼は片方の眉を上げて再び口を開く。
「その格好は何なんだ?」
「『医師志望の青年』のように見えるでしょう?」
「気でも触れたのか?
………まさかとは思うが、その格好で彷徨いてないよな? 頼むから違うと言ってくれ」
何時も偉そうなロイスが動揺するのが面白くて、瞳を煌めかせながらニンマリと微笑む。
「すれ違う女の子みんなが私に夢中だったわ」
「君は本当に……とんでもない人だな……」
「似合ってる?」
「レディは普通、そんな格好しないもんだろ」
「私はするわ」
「どうしてお前はそうなんだよ」
「ロイス、似合ってる?」
わざわざもう一度尋ねる私に、ロイスは呆れたように溜息を一つ吐いた後、首を横に振った。
「君はドレスの方が似合うだろ」
「それなら着替えて来るわ。もう随分と体が温まったから」
「もう少しそこに座ってろ。風邪引くぞ」
そうは言っても雪で湿った服が肌に張り付いて冷たい。このままでいる方が風邪を引きそうだった。
何時にも増して過保護になっているロイスを何とか宥め、一度寝室へと行ってドレスへと着替えた。
再び応接間へ戻った時、既にロイスは部屋に居なかった。
ロイスがカサンドラの前に姿を現している時以外、彼が何処で何をしているのかは分からない。
もしかしたらゴーストも眠るのかもしれない。或いはヒース・コートの何処かに居るのかも。
ふとある事を思い出したカサンドラは、帰って来た時に放り出したままだった鞄を漁って、ショールに包んでいたナイフを取り出した。
これを目にしただけでも恐ろしくなるわ……。
でも……
手にしたナイフを暖炉の炎にかざし、持ち手に彫られているのが何か確認してみた。
そしてハッと息を呑み、驚いて瞳をまんまるに丸めた。
ナイフの柄に彫られていたのは、姉の元婚約者フレデリックの生家。
エヴァンズ侯爵家の紋章だった___
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