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プロローグ
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……今になって思えばいろいろなことがあったもんだ。
冷たい雪の中、野良猫として生まれた俺は、生きるためにゴミ箱を漁って餌を探したり、近くの猫たちとナワバリを争ったり、まあ野良猫らしい生活を続けていた。餌がまずいことを除けばなかなか楽しい暮らしだったと思う。
そんなことをし続けて三年ぐらいたったある日、いきなりガラの悪い人間達に連れ去られたかと思うと、今の飼い主である男と女がいる家に同種の雌とともに連れてこられた。連れてこられた当初は心細そうにしていた雌を背に、飼い主たちに反抗していたものだ。
俺の飼い主たちは猫である俺たちを殴ったりするような悪い人物ではなかった。が、なかなか奇特な人物であった。男は言葉を話すことのできない俺たちに対し、不可思議な話をしてきた。桃から人間が生まれて鬼退治をしに行く、などというくだらない話も多かったが、面白い話も多く俺たちはよく聞き入っていたものだ。
女のほうはよく料理を作っては俺たちにふるまってくれた。ゴミ箱から漁っていたご飯とは比べ物にならないぐらい美味く、特にご飯にかつお節を乗せたものがお気に入りだった。
一緒に連れられてきた茶色の毛並みを持つ猫はとても真面目で世話焼き好きだった。馬鹿なことをやって呆れさせることもあったが、普段から彼女には世話になりっぱなしだった。そして何より美人(美猫?)だった。綺麗な女の子にお世話されて嬉しくない男がいるだろうか、いやいない。
しばらくたった頃家族が増えた。飼い主たちの間に男女の双子の子供が生まれ、俺と茶毛の猫の間にも5匹の子供が生まれたのだ。
二人の子供たちはすくすくと育っていった。時には二人の喧嘩の仲裁をし、耳や尻尾を引っ張られまくったり、またある時には二人の家出に付き添って一夜を外で過ごしたりした。弟や妹ができたようで、二人の成長を楽しみに見守っていたものだ。
俺たちの子供はとてもかわいらしかった。男が「目に入れても痛くない」なんて言っていた時は馬鹿にしていたが、人のことは言えなかった。つい構いすぎて子供たちにうっとうしそうにされることもあったけれど……。
――そんな日々を過ごしながら今、俺は家族に看取られながら最期の時を迎えようとしている。
……そんな泣きそうな顔をしないでくれ。俺はみんなのおかげで楽しく過ごせたんだ。
――さようなら、そしてありがとう……
こうして俺の生涯は幕を閉じた。
◇ ◇ ◇
……と、思っていた。
散乱するゴミ、よどんだ空気、濁った水、いわゆるスラムというやつだ。俺の生まれた場所にも似ている。ここが死後の世界というやつなのだろうか。だとしたら、ここは地獄というやつだろう。こんなところが天国なんだとしたら前世で善行を積んできたやつらがかわいそうだ。
周囲の様子を探るべく辺りを見回してみると、割れた鏡が目に入る。そこに映り込んだ姿に思わず息を呑んでしまった。
左右で色の異なる目。あの男はオッドアイと言っていただろうか。これは変わりない。昔からこの青と琥珀色の目は気に入っていた。
ただ、問題はそれ以外だ。全身を覆っていた白い体毛は頭と顔の一部にしか残っておらず顔立ちもかなり変わっている。いや顔だけではない。全身からも毛がなくなってしまっており形状も変わってしまっている。
端的に言ってしまえば「人間」になってしまっている。ガクジュツテキにいうのであれば「ヒト」というのだったか?
これはいったいどういうことだ?これまでのことを思い出そうとしてあることに気づく。
……記憶がなくなっている?
正確に言えばいくつかの記憶が飛んでしまっているというべきか。あの家で得たであろう知識は覚えているのだが、あそこで何があったかというような具体的なエピソードをほとんど思い出すことができない。
そして一番の問題は名前を思い出せないことだ。不可思議な物語を語ってくれたあの男、美味い食事を作ってくれたあの女、弟や妹のように思っていた二人の子供たち、世話好きな茶毛の猫にその子供たち、そして自分自身。そのすべてが思い出せない。
どういうことかと混乱していると、目の前に一匹の猫が現れ、水たまりに落ちた。その猫は慌てて水たまりからはい出し「にゃあ」と一鳴きしたかと思うと、どこからともなく火の玉が出てきた。その火の玉で体を乾かし終えたかと思えば、それは魔法のように消え去った。
その一連の流れを見つつ、俺はある種、確信めいた結論に達していた。
「異世界転生」
昔、あの男が話していた話の内の一つだ。当時はなんてばからしいんだと思って鼻で笑っていた気がするが、ただの猫が火をつけたり、消したりしているのを見ると決して馬鹿にすることはできない。
俺は異世界に来たのだ、人間として。
であれば、一度死んだ俺にせっかく与えられた命だ。思い残すことのないようにせいぜい楽しく過ごすことにしよう。
さあ、俺の物語の始まりだ。ふと俺が前世で好きだった猫の登場する話を思い出す。その冒頭に出てくる言葉を借りるのであれば、吾輩は猫で……いや違うな。俺はもう猫じゃないし、前世でつけられた名前も忘れてしまった。ならばこういった方が正確だろう。
吾輩は猫であった、名前はもうない
冷たい雪の中、野良猫として生まれた俺は、生きるためにゴミ箱を漁って餌を探したり、近くの猫たちとナワバリを争ったり、まあ野良猫らしい生活を続けていた。餌がまずいことを除けばなかなか楽しい暮らしだったと思う。
そんなことをし続けて三年ぐらいたったある日、いきなりガラの悪い人間達に連れ去られたかと思うと、今の飼い主である男と女がいる家に同種の雌とともに連れてこられた。連れてこられた当初は心細そうにしていた雌を背に、飼い主たちに反抗していたものだ。
俺の飼い主たちは猫である俺たちを殴ったりするような悪い人物ではなかった。が、なかなか奇特な人物であった。男は言葉を話すことのできない俺たちに対し、不可思議な話をしてきた。桃から人間が生まれて鬼退治をしに行く、などというくだらない話も多かったが、面白い話も多く俺たちはよく聞き入っていたものだ。
女のほうはよく料理を作っては俺たちにふるまってくれた。ゴミ箱から漁っていたご飯とは比べ物にならないぐらい美味く、特にご飯にかつお節を乗せたものがお気に入りだった。
一緒に連れられてきた茶色の毛並みを持つ猫はとても真面目で世話焼き好きだった。馬鹿なことをやって呆れさせることもあったが、普段から彼女には世話になりっぱなしだった。そして何より美人(美猫?)だった。綺麗な女の子にお世話されて嬉しくない男がいるだろうか、いやいない。
しばらくたった頃家族が増えた。飼い主たちの間に男女の双子の子供が生まれ、俺と茶毛の猫の間にも5匹の子供が生まれたのだ。
二人の子供たちはすくすくと育っていった。時には二人の喧嘩の仲裁をし、耳や尻尾を引っ張られまくったり、またある時には二人の家出に付き添って一夜を外で過ごしたりした。弟や妹ができたようで、二人の成長を楽しみに見守っていたものだ。
俺たちの子供はとてもかわいらしかった。男が「目に入れても痛くない」なんて言っていた時は馬鹿にしていたが、人のことは言えなかった。つい構いすぎて子供たちにうっとうしそうにされることもあったけれど……。
――そんな日々を過ごしながら今、俺は家族に看取られながら最期の時を迎えようとしている。
……そんな泣きそうな顔をしないでくれ。俺はみんなのおかげで楽しく過ごせたんだ。
――さようなら、そしてありがとう……
こうして俺の生涯は幕を閉じた。
◇ ◇ ◇
……と、思っていた。
散乱するゴミ、よどんだ空気、濁った水、いわゆるスラムというやつだ。俺の生まれた場所にも似ている。ここが死後の世界というやつなのだろうか。だとしたら、ここは地獄というやつだろう。こんなところが天国なんだとしたら前世で善行を積んできたやつらがかわいそうだ。
周囲の様子を探るべく辺りを見回してみると、割れた鏡が目に入る。そこに映り込んだ姿に思わず息を呑んでしまった。
左右で色の異なる目。あの男はオッドアイと言っていただろうか。これは変わりない。昔からこの青と琥珀色の目は気に入っていた。
ただ、問題はそれ以外だ。全身を覆っていた白い体毛は頭と顔の一部にしか残っておらず顔立ちもかなり変わっている。いや顔だけではない。全身からも毛がなくなってしまっており形状も変わってしまっている。
端的に言ってしまえば「人間」になってしまっている。ガクジュツテキにいうのであれば「ヒト」というのだったか?
これはいったいどういうことだ?これまでのことを思い出そうとしてあることに気づく。
……記憶がなくなっている?
正確に言えばいくつかの記憶が飛んでしまっているというべきか。あの家で得たであろう知識は覚えているのだが、あそこで何があったかというような具体的なエピソードをほとんど思い出すことができない。
そして一番の問題は名前を思い出せないことだ。不可思議な物語を語ってくれたあの男、美味い食事を作ってくれたあの女、弟や妹のように思っていた二人の子供たち、世話好きな茶毛の猫にその子供たち、そして自分自身。そのすべてが思い出せない。
どういうことかと混乱していると、目の前に一匹の猫が現れ、水たまりに落ちた。その猫は慌てて水たまりからはい出し「にゃあ」と一鳴きしたかと思うと、どこからともなく火の玉が出てきた。その火の玉で体を乾かし終えたかと思えば、それは魔法のように消え去った。
その一連の流れを見つつ、俺はある種、確信めいた結論に達していた。
「異世界転生」
昔、あの男が話していた話の内の一つだ。当時はなんてばからしいんだと思って鼻で笑っていた気がするが、ただの猫が火をつけたり、消したりしているのを見ると決して馬鹿にすることはできない。
俺は異世界に来たのだ、人間として。
であれば、一度死んだ俺にせっかく与えられた命だ。思い残すことのないようにせいぜい楽しく過ごすことにしよう。
さあ、俺の物語の始まりだ。ふと俺が前世で好きだった猫の登場する話を思い出す。その冒頭に出てくる言葉を借りるのであれば、吾輩は猫で……いや違うな。俺はもう猫じゃないし、前世でつけられた名前も忘れてしまった。ならばこういった方が正確だろう。
吾輩は猫であった、名前はもうない
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