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番外編2
王子の決断 1
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「こんな時刻まで仕事ですか?」
開いたままの扉からアンリ王子が顔を出した。声をかけながら扉をコンコン、と二度ノックしながら。
「リュセットと言ったか。あの者と結婚することを決めたのだな」
ちらりとアンリ王子を見やった後、再び書類に視線を落とす。そんな様子を見ながら、アンリ王子は部屋へと足を踏み入れた。
「ええ、兄上が結婚するつもりがないのであれば、僕がもらいます」
「えらく入れ込んでるではないか」
珍しいと言いたげにルイ王子ははっ、と息を小さく吐き出して笑った。
「彼女は信頼できる人間だと思ったからですよ」
「たった数回会っただけでか?」
皮肉を込めて言われた言葉に、アンリ王子は微笑みながら応戦する。
「それを言うのであれば、リュセットの姉であるマーガレットに関してはどうだったのでしょうか? 兄上は彼女のことを信頼していなかったのですか? 舞踏会までに何度か会っていたのでしょう? おおっと、そんなに怖い顔で睨まないでくださいよ」
ルイ王子の鋭い視線がアンリ王子を貫いた。けれどアンリ王子はそんなルイ王子の視線を受けてもなお、笑っている。
「……そんなもの」
ルイ王子はそこまで言って、再び口を閉ざした。続きの言葉は心の中に落とし込んで。
「そんなもの?」
「……」
言葉の続きを待ってみるが、ルイ王子がその続きを言う様子がないと判断したアンリ王子は、肩で息をついた。困ったようで、呆れたように微笑みながら。
「僕はまだリュセットの家族に関しては信頼していませんけどね。もちろんマーガレットもですが」
ルイ王子は何も言わず、書類にサインを書き込み、再び別の書類へと視線を走らせている。そんな様子を見ながら、アンリ王子は独り言のように続きを話し始めた。
「リュセットのあの自己評価の低さといい、今日着ていたドレスといい……僕の勘ですが、彼女の家族はリュセットを虐げているように思えるのです。舞踏会の日も彼女はずっと一人で行動していたようですし。家族と言っても再婚した相手、実の父親も母親もすでに他界しているようですからね」
「そこまで心配しているのであれば、リュセットとさっさと結婚してしまったらどうだ」
アンリ王子がひとりごちる様子に痺れを切らしたのか、ただ一息つきたいだけなのか。ルイ王子は首を回しながら書類から視線をあげた。
「俺の後などと言わず、お前が先に結婚してしまえばいい」
「それはできません。と言うか、そんなことをしてしまっては、兄上は本当に結婚をしなくなる気がするのです」
「するさ、いつかな」
「そのいつかとは今世のことでしょうね?」
冗談交じりにそう言ったが、ルイ王子は答えない。アンリ王子は近くにある二人がけのソファーに腰を下ろし、さらにこう言った。
「まぁ、僕からマーガレットと兄上のことに首を突っ込むつもりはありませんが、他の誰か別の方でも早く見つけてほしいものです」
二人がそんな会話を繰り広げている、そんな時だった。ちょうど扉の向こう側からひっそりと姿を現したのは、リュセットだ。ルイ王子が黙って彼女に視線を送ると、その視線に気がついたアンリ王子は席を立ってリュセットの元へと駆けつけた。
「お帰りなさい。遅かったですね」
「申し訳ありません。少しお姉様と話し込んでいたものですから」
「何も謝る必要はないですよ。さぁ中へどうぞ」
アンリ王子はリュセットが持つトランクを手に取り、訝しげな顔を向けた。
「荷物はこれだけなのですか? 他の荷物はもう部屋に運んだのでしょうか?」
「これだけですわ。元々荷は少ないのです」
にっこり微笑みながらリュセットは返事を戻す。アンリ王子が聞きたかったのは、他に荷物がないのかということ。普通の令嬢であればもっと荷物があってもおかしくないのだ。アンリ王子の顔が曇った様子を背に、リュセットはルイ王子と向き合った。
「ルイ王子、姉のマーガレットと話してきました」
ルイ王子は何も言わずただ静かにリュセットを見つめるだけ。だがリュセットの表情を見る限り良い話が聞ける様子ではないことは悟っていた。そしてリュセットも言いにくそうにゆっくりと小さな口元を開いて、こう言った。
「姉は何かに囚われでもするように……やはり、王子という肩書きを心底嫌っております」
「はっ、それは程のいい言い訳だろうがな」
「……それは違います!」
思わず叫んでしまったことに驚き、リュセットは再び落ち着いた口調でこう言った。
「姉は、ルイ王子のことを今でも慕っています……」
目を伏せながら、マーガレットに問いただした最後の言葉を思い返していた。
『……さぁどうだったかしら? もう忘れてしまったわ』
マーガレットはそう言いながら、笑っていた。けれどそれは傷だらけの中、必死になって笑顔を取り繕っているような、そんな繊細さをリュセットは感じていた。
(……お姉様はルイ王子のことが今でも好きなのだわ。私がアンリ王子と結婚すると知らず、ルイ王子と結婚すると思いながら……)
リュセットはあの時初めて見た。涙も流さず、微笑みながら泣く人を。
アンリ王子と結婚することは今はまだ誰にも言わないようにとアンリ王子と約束していた。まだアンリ王子のことを世間は認識していない。だから結婚するまではアンリ王子はひっそりといたいからと。
アンリ王子の気持ちを考慮し、その条件を飲んだが、マーガレットと対面するときは自分が罪人のような気持ちになり、胸が締め付けられる思いだった。
開いたままの扉からアンリ王子が顔を出した。声をかけながら扉をコンコン、と二度ノックしながら。
「リュセットと言ったか。あの者と結婚することを決めたのだな」
ちらりとアンリ王子を見やった後、再び書類に視線を落とす。そんな様子を見ながら、アンリ王子は部屋へと足を踏み入れた。
「ええ、兄上が結婚するつもりがないのであれば、僕がもらいます」
「えらく入れ込んでるではないか」
珍しいと言いたげにルイ王子ははっ、と息を小さく吐き出して笑った。
「彼女は信頼できる人間だと思ったからですよ」
「たった数回会っただけでか?」
皮肉を込めて言われた言葉に、アンリ王子は微笑みながら応戦する。
「それを言うのであれば、リュセットの姉であるマーガレットに関してはどうだったのでしょうか? 兄上は彼女のことを信頼していなかったのですか? 舞踏会までに何度か会っていたのでしょう? おおっと、そんなに怖い顔で睨まないでくださいよ」
ルイ王子の鋭い視線がアンリ王子を貫いた。けれどアンリ王子はそんなルイ王子の視線を受けてもなお、笑っている。
「……そんなもの」
ルイ王子はそこまで言って、再び口を閉ざした。続きの言葉は心の中に落とし込んで。
「そんなもの?」
「……」
言葉の続きを待ってみるが、ルイ王子がその続きを言う様子がないと判断したアンリ王子は、肩で息をついた。困ったようで、呆れたように微笑みながら。
「僕はまだリュセットの家族に関しては信頼していませんけどね。もちろんマーガレットもですが」
ルイ王子は何も言わず、書類にサインを書き込み、再び別の書類へと視線を走らせている。そんな様子を見ながら、アンリ王子は独り言のように続きを話し始めた。
「リュセットのあの自己評価の低さといい、今日着ていたドレスといい……僕の勘ですが、彼女の家族はリュセットを虐げているように思えるのです。舞踏会の日も彼女はずっと一人で行動していたようですし。家族と言っても再婚した相手、実の父親も母親もすでに他界しているようですからね」
「そこまで心配しているのであれば、リュセットとさっさと結婚してしまったらどうだ」
アンリ王子がひとりごちる様子に痺れを切らしたのか、ただ一息つきたいだけなのか。ルイ王子は首を回しながら書類から視線をあげた。
「俺の後などと言わず、お前が先に結婚してしまえばいい」
「それはできません。と言うか、そんなことをしてしまっては、兄上は本当に結婚をしなくなる気がするのです」
「するさ、いつかな」
「そのいつかとは今世のことでしょうね?」
冗談交じりにそう言ったが、ルイ王子は答えない。アンリ王子は近くにある二人がけのソファーに腰を下ろし、さらにこう言った。
「まぁ、僕からマーガレットと兄上のことに首を突っ込むつもりはありませんが、他の誰か別の方でも早く見つけてほしいものです」
二人がそんな会話を繰り広げている、そんな時だった。ちょうど扉の向こう側からひっそりと姿を現したのは、リュセットだ。ルイ王子が黙って彼女に視線を送ると、その視線に気がついたアンリ王子は席を立ってリュセットの元へと駆けつけた。
「お帰りなさい。遅かったですね」
「申し訳ありません。少しお姉様と話し込んでいたものですから」
「何も謝る必要はないですよ。さぁ中へどうぞ」
アンリ王子はリュセットが持つトランクを手に取り、訝しげな顔を向けた。
「荷物はこれだけなのですか? 他の荷物はもう部屋に運んだのでしょうか?」
「これだけですわ。元々荷は少ないのです」
にっこり微笑みながらリュセットは返事を戻す。アンリ王子が聞きたかったのは、他に荷物がないのかということ。普通の令嬢であればもっと荷物があってもおかしくないのだ。アンリ王子の顔が曇った様子を背に、リュセットはルイ王子と向き合った。
「ルイ王子、姉のマーガレットと話してきました」
ルイ王子は何も言わずただ静かにリュセットを見つめるだけ。だがリュセットの表情を見る限り良い話が聞ける様子ではないことは悟っていた。そしてリュセットも言いにくそうにゆっくりと小さな口元を開いて、こう言った。
「姉は何かに囚われでもするように……やはり、王子という肩書きを心底嫌っております」
「はっ、それは程のいい言い訳だろうがな」
「……それは違います!」
思わず叫んでしまったことに驚き、リュセットは再び落ち着いた口調でこう言った。
「姉は、ルイ王子のことを今でも慕っています……」
目を伏せながら、マーガレットに問いただした最後の言葉を思い返していた。
『……さぁどうだったかしら? もう忘れてしまったわ』
マーガレットはそう言いながら、笑っていた。けれどそれは傷だらけの中、必死になって笑顔を取り繕っているような、そんな繊細さをリュセットは感じていた。
(……お姉様はルイ王子のことが今でも好きなのだわ。私がアンリ王子と結婚すると知らず、ルイ王子と結婚すると思いながら……)
リュセットはあの時初めて見た。涙も流さず、微笑みながら泣く人を。
アンリ王子と結婚することは今はまだ誰にも言わないようにとアンリ王子と約束していた。まだアンリ王子のことを世間は認識していない。だから結婚するまではアンリ王子はひっそりといたいからと。
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