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番外編2
婚約
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*
静かな部屋の中、紙が擦れる音の中にコンコンと乾いたノック音が響いた。
「——入れ」
部屋の主がそう声をかけたと同時に、重厚な両扉の片側がそっと開く。扉の外に立っている人物を書類の隙間からそっと視線を向けた後、再び目線は書面に向かう。
「失礼いたします」
きちんとお辞儀をした後、部屋の中へと遠慮がちに足を踏み入れたのはリュセットだ。
「なんだ、まだいたのか」
あっさりとそんなことを言うルイ王子。リュセットには目も向けずにそう言った。職務の邪魔をするのは申し訳ないという思いからか、リュセットは遠慮がちに微笑んだ。
「今から一旦家に帰るつもりですわ」
「一旦?」
リュセットの物言いにピクリと神経質そうな眉が揺れた。書類から視線を移すと、覚悟を決めたように凛と立つリュセットの姿がそこにはあった。
「はい。先ほどアンリ王子から正式に婚約の申し込みがあり、私はそれを受け入れることにいたしました」
このセリフは予想していなかったのか、ルイ王子は驚いたように少し目を見開いた後、顔を隠すように手に持っていた書類を机の上に置いた。
「ほう。先ほど俺が言った時は否定していたが、結局はそうなったのか」
ルイ王子は愉快そうに笑っている。そんな様子を見つめていたリュセットは、再びこう言葉を吐き出した。
「ですが、私は条件を付けました」
「条件?」
ルイ王子が復唱する様子を見て、リュセットはゆっくりと首を縦に振った。
「ルイ王子が先に結婚をなさるということ」
「ははっ」
ルイ王子は片手で頭を抱えるようにして笑っている。そんな様子をじっと見つめるリュセット。
「なぜお前がそんな心配をする必要があるのだ?」
「アンリ王子はルイ王子のことを心配しておいでですわ。ルイ王子だけではなく、この国の行く末も案じておいでです。だからこそあの方はルイ王子の婚約者を探そうとしていたのですから」
「だからと言って、なぜお前がそんなことを心配する必要がある? アンリこそさっさと結婚した方が良い身の上のなのだ。お前はまだ知らないだろうがな」
「呪い師の話でしたら聞いておりますわ。その上で二人で話し合った結果、意見が一致したのです」
「……ならばお前らは、つくづく馬鹿者だな」
ルイ王子は大きく息を吐き出し、呆れたように目を細めてリュセットを見やる。リュセットはしっかり背筋を伸ばし、小さく微笑みながらこう言った。
「ルイ王子、聞かせては下さいませんか? 私の姉、マーガレットと何があったのかを。今、ルイ王子が姉のことをどのように思っているのかをきちんとその口から聞きたいのです」
「……こじれた糸はそう簡単には解けん」
彼女のしつこさに根負けしたようにルイ王子がそう言うと、リュセットは満面の笑みを浮かべてこう言った。
「裁縫は私の得意なことの一つですわ。ですから、こじれたものを解くのは得意なのです」
「では、解けるものなら解いてみろ。俺は何もしていない。あいつが突然態度を変えたのだ。俺が王子だということを知ってな」
ルイ王子はポケットからシルバーのネックレスを取り出した。そのネックトップを指で触れながら物思いに耽っている。リュセットはそのネックレスを見て、ハッとした。
「それは、以前姉が持っていたものと同じ……そういえば以前ルイ王子からいただいたものだとおっしゃっていました」
「ああ。だがこれも不要だと捨てられていたところを、別の令嬢が見つけて持ってきたのだ」
「……捨てる? 姉はそのようなことをいたしません。私はそれを大事そうにつけていた姿を見ています。母に騎士との恋愛はやめるようにと反対されていたあの時も、姉は母と口論になりながらもそれはそれは大切そうに……」
リュセットはあの舞踏会の招待状が届いた朝の出来事を思い返していた。あの時、マーガレットはネックレスをつけて、ルイ王子にもらったドレスを嬉しそうにしながら、ドレスと共にダンスを踊っていた。リュセットはマーガレットのそんな可愛らしい様子を見るのは初めてのことだった。マーガレットに自分まで嬉しくなるようなそんな表情をさせたルイ王子とはどんな相手かと、リュセットは想像を膨らませていたのだ。
あの時はまだマーガレットはルイ王子のことをカインだと思っていたのだが。
「姉が肩書きにこだわる方だとは到底思えませんわ……身分のことで母に反対されていても姉はルイ王子への想いは一切揺らいでいなかったのですら……」
「ああ、肩書きにはこだわらないと言っていた。だがそれも、王子を除くようだがな」
つくづく変わったやつだ……と、小さくつぶやきながらルイ王子はネックレスを見つめている。
「なぜ、王子がダメなのか……姉は何か理由を言っていたのでしょうか?」
「王室は堅苦しいからと言っていた」
「それだけ……?」
ルイ王子が首を縦に振った様子を見て、リュセットの胸の内で疑問が膨らんでいく。
(お母様にあれだけ反対されていたマーガレットお姉様が、相手が王子で王室が堅苦しいからという理由だけで、相手を嫌いになったりするかしら……?)
「何か理由があって、ルイ王子を諦めようとしている……?」
(そう考える方が、辻褄は合う気がするけれど。その理由が分からないわ……)
リュセットは顔を上げて、再びルイ王子に向き合った。ルイ王子も、リュセットのそんな姿をじっと観察している。
「私が今から家に帰り、姉と話をしてみようと思います。きっと姉は何かに悩んで、ルイ王子のことを忘れようとしているように感じるのです」
「……勝手にしろ」
そう言って、ルイ王子は背後にある窓の外を見るため、再び椅子をリュセットとは反対の方向へと向けた。その様子をみて、リュセットはこの話し合いは終わりだと感じ、ルイ王子の背中に向けて会釈をした。
そして身を翻す前に、リュセットはこんな言葉を残した。
「……姉はルイ王子からもらったドレスを抱えながら嬉しそうにダンスを踊っておりました。ルイ王子と会う約束をしていたにも関わらず、母に外出することを禁じられた時はとても悲しんでおりました。……そして、舞踏会の日はたくさんの涙に頬を濡らしていました。きっとそれも全てはルイ王子のために——」
静かな部屋の中、紙が擦れる音の中にコンコンと乾いたノック音が響いた。
「——入れ」
部屋の主がそう声をかけたと同時に、重厚な両扉の片側がそっと開く。扉の外に立っている人物を書類の隙間からそっと視線を向けた後、再び目線は書面に向かう。
「失礼いたします」
きちんとお辞儀をした後、部屋の中へと遠慮がちに足を踏み入れたのはリュセットだ。
「なんだ、まだいたのか」
あっさりとそんなことを言うルイ王子。リュセットには目も向けずにそう言った。職務の邪魔をするのは申し訳ないという思いからか、リュセットは遠慮がちに微笑んだ。
「今から一旦家に帰るつもりですわ」
「一旦?」
リュセットの物言いにピクリと神経質そうな眉が揺れた。書類から視線を移すと、覚悟を決めたように凛と立つリュセットの姿がそこにはあった。
「はい。先ほどアンリ王子から正式に婚約の申し込みがあり、私はそれを受け入れることにいたしました」
このセリフは予想していなかったのか、ルイ王子は驚いたように少し目を見開いた後、顔を隠すように手に持っていた書類を机の上に置いた。
「ほう。先ほど俺が言った時は否定していたが、結局はそうなったのか」
ルイ王子は愉快そうに笑っている。そんな様子を見つめていたリュセットは、再びこう言葉を吐き出した。
「ですが、私は条件を付けました」
「条件?」
ルイ王子が復唱する様子を見て、リュセットはゆっくりと首を縦に振った。
「ルイ王子が先に結婚をなさるということ」
「ははっ」
ルイ王子は片手で頭を抱えるようにして笑っている。そんな様子をじっと見つめるリュセット。
「なぜお前がそんな心配をする必要があるのだ?」
「アンリ王子はルイ王子のことを心配しておいでですわ。ルイ王子だけではなく、この国の行く末も案じておいでです。だからこそあの方はルイ王子の婚約者を探そうとしていたのですから」
「だからと言って、なぜお前がそんなことを心配する必要がある? アンリこそさっさと結婚した方が良い身の上のなのだ。お前はまだ知らないだろうがな」
「呪い師の話でしたら聞いておりますわ。その上で二人で話し合った結果、意見が一致したのです」
「……ならばお前らは、つくづく馬鹿者だな」
ルイ王子は大きく息を吐き出し、呆れたように目を細めてリュセットを見やる。リュセットはしっかり背筋を伸ばし、小さく微笑みながらこう言った。
「ルイ王子、聞かせては下さいませんか? 私の姉、マーガレットと何があったのかを。今、ルイ王子が姉のことをどのように思っているのかをきちんとその口から聞きたいのです」
「……こじれた糸はそう簡単には解けん」
彼女のしつこさに根負けしたようにルイ王子がそう言うと、リュセットは満面の笑みを浮かべてこう言った。
「裁縫は私の得意なことの一つですわ。ですから、こじれたものを解くのは得意なのです」
「では、解けるものなら解いてみろ。俺は何もしていない。あいつが突然態度を変えたのだ。俺が王子だということを知ってな」
ルイ王子はポケットからシルバーのネックレスを取り出した。そのネックトップを指で触れながら物思いに耽っている。リュセットはそのネックレスを見て、ハッとした。
「それは、以前姉が持っていたものと同じ……そういえば以前ルイ王子からいただいたものだとおっしゃっていました」
「ああ。だがこれも不要だと捨てられていたところを、別の令嬢が見つけて持ってきたのだ」
「……捨てる? 姉はそのようなことをいたしません。私はそれを大事そうにつけていた姿を見ています。母に騎士との恋愛はやめるようにと反対されていたあの時も、姉は母と口論になりながらもそれはそれは大切そうに……」
リュセットはあの舞踏会の招待状が届いた朝の出来事を思い返していた。あの時、マーガレットはネックレスをつけて、ルイ王子にもらったドレスを嬉しそうにしながら、ドレスと共にダンスを踊っていた。リュセットはマーガレットのそんな可愛らしい様子を見るのは初めてのことだった。マーガレットに自分まで嬉しくなるようなそんな表情をさせたルイ王子とはどんな相手かと、リュセットは想像を膨らませていたのだ。
あの時はまだマーガレットはルイ王子のことをカインだと思っていたのだが。
「姉が肩書きにこだわる方だとは到底思えませんわ……身分のことで母に反対されていても姉はルイ王子への想いは一切揺らいでいなかったのですら……」
「ああ、肩書きにはこだわらないと言っていた。だがそれも、王子を除くようだがな」
つくづく変わったやつだ……と、小さくつぶやきながらルイ王子はネックレスを見つめている。
「なぜ、王子がダメなのか……姉は何か理由を言っていたのでしょうか?」
「王室は堅苦しいからと言っていた」
「それだけ……?」
ルイ王子が首を縦に振った様子を見て、リュセットの胸の内で疑問が膨らんでいく。
(お母様にあれだけ反対されていたマーガレットお姉様が、相手が王子で王室が堅苦しいからという理由だけで、相手を嫌いになったりするかしら……?)
「何か理由があって、ルイ王子を諦めようとしている……?」
(そう考える方が、辻褄は合う気がするけれど。その理由が分からないわ……)
リュセットは顔を上げて、再びルイ王子に向き合った。ルイ王子も、リュセットのそんな姿をじっと観察している。
「私が今から家に帰り、姉と話をしてみようと思います。きっと姉は何かに悩んで、ルイ王子のことを忘れようとしているように感じるのです」
「……勝手にしろ」
そう言って、ルイ王子は背後にある窓の外を見るため、再び椅子をリュセットとは反対の方向へと向けた。その様子をみて、リュセットはこの話し合いは終わりだと感じ、ルイ王子の背中に向けて会釈をした。
そして身を翻す前に、リュセットはこんな言葉を残した。
「……姉はルイ王子からもらったドレスを抱えながら嬉しそうにダンスを踊っておりました。ルイ王子と会う約束をしていたにも関わらず、母に外出することを禁じられた時はとても悲しんでおりました。……そして、舞踏会の日はたくさんの涙に頬を濡らしていました。きっとそれも全てはルイ王子のために——」
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