サンドリヨン 〜 シンデレラの悪役令嬢(意地悪姉役)に転生したので前職を生かしてマッサージを始めました 〜

浪速ゆう

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本編

結婚式 6

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「なんで、またそんな嘘を……?」
「あいつは俺よりもこの国と、この王城の行く末を案じているからな。その上切れ者だ。だからきっと、ふるいにかけようとでもしたのだろう。マーガレットとマーガレットの家族がどういう輩か確かめるためにな」

(……だから、片田舎な男爵なんて言ったのか。お金や地位目当ての親族がいると、あとあと面倒になりかねないから……とか?)

 そのふるいにまんまと引っかかったイザベラとマルガリータ。今頃あのアンリ王子の姿を見て、愕然としていることだろう。

「リュセットは……このことを知っていたの?」

 全てを知っていて、彼女は結婚に合意をしたのだろうか。そんな疑問がマーガレットの中で膨らんだ。
 ルイ王子はマーガレットのまつげに残っていた涙を指の腹ですくい取りながら、微笑んだ。

「ああ、全て理解した上で、彼女はアンリとの結婚を承諾したのだ」
「ならば——」

 次の疑問が湧いたと同時に、マーガレットの口は開き、そしてそれを吐き出す前にルイはそっとマーガレットの唇に触れた。

「全て円満だ。皆合意の上での決断だ」

 そっと離された指。それが離れていく頃には、マーガレットの口は静かに閉じていた。

「だからマーガレット、もう一度だけ問う」

 真剣な眼差しは、真っ直ぐマーガレットの心を溶かしていく。けれど同時に、本当にこれでいいのだろうかと疑問も過ぎる。この世界が再び闇に飲まれ、無に還ったりしないだろうか。この物語が消えてしまったりしないだろうか。
 そして——ルイ王子を消してしまったりしないだろうか、と。

「マーガレットは俺について来る気はあるか?」

 その言葉は、大地を揺るがした。少なくともマーガレットにはそう感じた。
 溢れ出る涙が、マーガレットの心を揺らしながら、もう二度と聞くことのないと思っていた言葉を、優しく、甘く、ルイ王子は紡いでいく。

「王位は捨てた。俺はもう王子でも、この城の者でもない。地位も名誉もないただの男だ」

 ルイ王子とリュセット。その二人が共に歩むのが運命なのであれば、それを受け入れる覚悟を決め、マーガレットはルイ王子のことを忘れようとした。
 ここに来る時の馬車に揺られながら、マーガレットは移り変わる景色を眺めていた。この景色のように、自分の気持ちが移り変わる日がいつか来るのだろうか……と、見えない未来の姿を想像しては、自分を必死に律した。
 騎士団長だと思っていた人物がルイ王子なのだと知ったあの日から、マーガレットの涙は止まらない。
 ルイ王子がマーガレットに求愛をしてもなお、マーガレットの視界も世界も、さっきのように闇に飲まれることはなさそうだった。それが何より、マーガレットの瞳を濡らす。そしてそれは頬を伝い、マーガレットのドレスを濡らしていく。涙が流れる感覚も、頬を伝うそれの暖かさも、マーガレットは全てを感じ取っていた。

「そんな奴にお前はついて来るか?」

 ルイ王子はマーガレットに手を差し伸べる。変わらないあの真っ直ぐな青い瞳をマーガレットに向けながら。
 本当にこの手を取ってしまってもいいのだろうか。これは理りに反しないのだろうか。
 頑なになっていたマーガレットの心。同時に臆病になってしまったマーガレットの理性が、差し伸べられた手を取ることを躊躇わせる。

 ——そんな時だった。突然マーガレットの脳内であの言葉が響き渡っていた。

『これはリュセットの物語。けれど、それと同時にこれは、マーガレット……あなたの物語でもあるのね』

 それは以前アリスが言った言葉。魔法使いで、プラタナスの妖精、アリス。彼女は言った。
 物語の宿命はもうすぐ終わり、あなたの運命はもうすぐやってくる、と。そして再び彼女の言葉がマーガレットの脳内で反芻するようにこう言った。

『あなたは今、幸せかしら?』

 その言葉達はマーガレットに勇気を与えてくれるような気がした。言葉はきっとマーガレットの記憶からくるもの。アリスはマーガレットを手助けはしない。リュセットにかけたように、魔法もかけない。
 けれどマーガレットに魔法は必要なかった。

「……幸せが手元に無いのなら、自分で作り上げていくまでだわ……」

 ぽつりとそう呟いたと同時に、城内にある時計台の鐘がゴーン、ゴーンと大きな音を鳴らし、12時の合図を送り始めた。
 そしてその音はどこか、シンデレラの鐘の音を想像させる。午前0時の鐘の音で魔法が切れるあのストーリーと同じように。マーガレットの肩に乗っていた呪縛のような重りが、ふっと和らいだ気がした。

「あなたはもう、地位も名誉も何もない、可哀想なただの男……」

 マーガレットはそっとルイ王子の手を取り、さらに言葉を紡ぐ。

「……だから代わりに、私の愛をあなたにあげるわ」

 そう言った瞬間だった。その瞬間、マーガレットの視界はまた見えなくなった。
 闇がまたマーガレットを襲ったのかと錯覚しそうになり不安が襲った。けれどそれは一瞬のこと。マーガレットの鼻腔内は甘美な香りが広がり、その体には暖かな熱が広がっていた。
 視界は相変わらず見えない。けれどそれは悲観的なものではなく、もっと魅惑的なものだった。

 ——ルイ王子がぎゅっとマーガレットを抱きしめていた。

 ルイ王子の胸の中で、マーガレットは再び瞳が揺らぐのを感じる。たくさん涙を流し、たくさん心を砕き、たくさん感情をすり潰し、人知れずルイ王子への想いを断ち切ろうとした。多くの時間を費やし、涙はとっくに枯れ果てたと思っていた。けれど、枯れることを知らない瞳は、まるで泉のように涙を放出し、頬を濡らした。
 ルイ王子を想い、恋い焦がれて眠れぬ夜。その恋を成就するようにと、星に願うことも、月に祈ることもできず、ただいつかこの気持ちが消えてくれることだけをじっと待ち、耐えていたのだ。

「……ごめんなさい」

 思わず出た言葉。マーガレットはルイ王子の胸の中で泣きじゃくりながら懺悔の言葉を述べる。

「……ごめん、なさい……」

 ルイ王子が王位継承権を放棄したのは、間違いなくマーガレットのため。マーガレットと出会っていなければきっと今頃、ルイ王子は王子としてリュセットと結婚していたかもしれないというのに。

(……私は、ルイ王子の未来を摘んでしまった)

 自分がルイ王子をもっと強く突き放していれば。もっと早い段階でルイ王子の正体に気づいていれば。何より——ルイ王子を愛しさえしなければ。全ては丸く収まっていたというのに。

「……なぜ謝る?」

 いつになく優しい声。ルイ王子はマーガレットの髪を耳にかけながら、そう耳元で囁いた。

「マーガレット、お前は何に対して謝っているのだ?」

 マーガレットはただルイ王子の胸元にしがみつくようにして、首を左右に振るだけ。溢れ出る涙は、溢れ出る感情とともに、マーガレットの口を塞ぐ。
 そんなマーガレットの頭を優しく撫でながら、ルイ王子はマーガレットのそこに、そっとキスを落とした。

「自分が幸せかどうかなど、自分で決める」

 ルイ王子が囁くその言葉に、マーガレットは一瞬顔を上げた。その言葉には聞き覚えがあった。それは以前マーガレットが言った言葉だったからだ。
 マーガレットの顎をそっと指で持ち上げながら、ルイ王子はマーガレットの目尻にキスをした。涙をそっと拭うかのように。

「もしお前が俺のことで謝っているのだとしたら、それは俺を馬鹿にしていることになる」

 ぴしゃりとそう言った後、ルイ王子はマーガレットの瞳を食い入るように見つめる。曇ることのない青い瞳を輝かせながら。

「これは俺が決めたことで、俺が責任を負うことだ。マーガレットでは決してない」

 ルイ王子の言葉がすっと、マーガレットの胸元に落ちてきた気がした。溢れていた涙も、ピタリと止まった。ルイ王子に持ち上げられていた顔は、いつしか自分の意思で向けていた。

「俺の責任を、勝手にお前が背負うな」

 ルイ王子がそう言った後、そっとマーガレットに向かって顔を近づけてくる。マーガレットはそれを受け入れようと静かに瞼を下ろした——その時だった。

「……アンリとリュセットの結婚披露として、パレードへ向かうのだろう」

 盛大なマーチングバンドの音が城内に響き渡っていた。

「見に行くか?」

 マーガレットが音のするお城の正面玄関である庭の方角を見つめいている様子を見て、ルイ王子はそう助言した。

「……リュセットは私の可愛い妹だから、祝福してあげたい」

 今度こそ、心からリュセットの幸せを願える。そこには邪魔立てする感情は一切ない。それが何より嬉しくて、マーガレットは泣き笑いを浮かべた。

「では覗きに行くか」

 ルイ王子はそう言った後、再びマーガレットの顎を掴んで顔を自分の方に向けさせた。マーガレットはルイ王子が優しく微笑みを向けてくれていることに、思わず涙を浮かべてしまった。
 なにせもう、甘く軋む胸の高鳴りを抑える必要がないのだから。

「ならばその前に、こちらも誓いを立ててからとしよう」

 そう言って、ルイ王子はマーガレットの唇にそっと、誓いのキスを交わした。
 甘く、とろけるようなキス。それは誰もいない城の外で。保証人のひとりもいないこの場所で。後方から聞こえるリュセットとアンリ王子を祝うマーチングバンドの音楽が、まるでマーガレットとルイ王子をも祝福しているかのように響き渡る、この世界の片隅で——。


  *


 これはシンデレラの物語。それと同時に、これはシンデレラの義姉である悪役令嬢、マーガレットの物語。
 もしこのマーガレットの物語もシンデレラ同様に童話として本の中に紡がれているとすれば、きっと最後はこう締めくくられるだろう。

 めでたし、めでたし——と。
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