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本編
舞踏会二日目 3
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「……このようなところで、一体何をしてるのだ?」
人の声がした瞬間、マーガレットはそれを神の助けだと思った。けれどその声を聞いた瞬間、それは神ではなく悪魔だったのだとマーガレットは思った。
ぎゅっと閉じていた瞼を押し開けて、マーガレットが見つめた先にいる人物。ブロンドヘアーを靡かせ、青い瞳は深い怒りを滲ませたーールイ王子だ。
「……ル、ルイ王子!」
ウィリアム公爵はルイ王子の顔を見るなり、慌てた様子でマーガレットの体を引き離した。
「今回の舞踏会は普段の社交界とは違い私の誕生を祝う日でもあるのだが、どうやら何か勘違いをした輩が淫欲にかられて令嬢に手を出していると報告を受けてな、気になって見にきてみたのだが……」
ルイ王子は厳しい目つきでウィリアム公爵へと冷淡な視線を投げた。
「まさか、ウィリアム公爵がそのようなことをしでかしていたわけではあるまいな?」
「ま、まさか。こちらのマーガレット嬢が目にゴミが入ったと言っていたので、見てあげていたのです」
「ほう、こんな人気のない暗がりで? しかもたった二人きりで?」
「はい。マーガレット嬢は広間の人の多さに酔ってしまわれたとのことでしたので、夜風に当たれば少しは体調も良くなるかと思ったので……」
とんだ作り話だ。マーガレットも何か言ってやりたい気持ちだが、ただ静かに口を閉ざし、ルイ王子と視線を合わせようとはしない。
そんなマーガレットを見つめた後、再びウィリアム公爵に向かってこう言った。
「なるほど。それであればマーガレットには客間を用意しよう。少しの間横にでもなれば体調は良くなるだろう」
「そっ、それはいい考えかも知れません!」
ウィリアム公爵は居心地の悪いこの場を早く立ち去りたいと言いたげに、マーガレットに背を向けた。
「では私の役目はこれ以上ないようですので、これにて失礼致します」
あんなにねちっこく、しつこい男が、ルイ王子の手前ではあっさりと尻尾を巻いて帰っていく。とことんこの世とは縦社会なのだとマーガレットは痛感していた。
「お前はいつも襲われているな」
ルイ王子はため息をついた。そんな様子がさっきまでのホッとした気持ちを萎め、不快な気持ちがむくむくと膨らんでいく。
「その中の一度は、一体誰だったのでしょうか?」
「ああ、勘違いだったがな」
「同じことです」
ルイ王子は小さく笑った。そんな顔を見てしまうと、マーガレットの胸は無条件で軋む。その軋む胸を押さえつけて、ルイ王子の目を見ずにこう言った。
「どうして私がここにいるとご存知だったのでしょうか?」
偶然なのか、必然なのか。
ルイ王子が助けに来てくれたタイミングは、まるで山賊に襲われていたあの時を彷彿させ、ルイ王子の声を聞いたときは、思わず溢れそうになった涙をこらえるのに必死だった。けれど喜んではいけない。頼ってもいけない。もうルイ王子とは関わってはいけないのだ。
「カインがマーガレットがあのウィリアム公とダンスをしていると報告があってな。あいつは昔から女遊びが過ぎると耳には入っていたからな。だから気になって来てみれば……」
続きは言わず、ルイ王子は頭を抱えるように額に手を当ててはぁ、とため息をついた。
「困っているところを助けていただき、誠にありがとうございました」
マーガレットはドレスの裾を持ち上げ、会釈をした。そのまま顔を上げずに、言葉を繋ぐ。
「それでは、私もこれにて失礼致します」
「待て。お前は何に怒っているのだ?」
立ち去ろうとするマーガレットを制し、ルイ王子は腕を掴んだ。力強い手。惹きつける力強い眼差し。それらを振り払うように、マーガレットは微笑んだ。
「怒る? どうしてでしょうか?」
「その口調が何よりの証拠かと思うが?」
「王子と話すのに敬語は当たり前かと存じます」
マーガレットの言葉に、ルイ王子の眉はピクリと反応を示した。
「では、俺が王子だから怒っていると言うのか?」
今度はマーガレットが反応を返す番だった。マーガレットの肩がピクリと揺れる。ルイ王子はそれを見逃さなかった。
「お前はつくづく変わっている。普通は騎士よりも位が高いと知れば喜ぶのが道理だろう」
「では私は、その道理から外れているようですわ」
ルイ王子の手を振り払おうとしたが、上手くいかない。マーガレットの腕をさらに強く掴み、ルイ王子はこう言った。
「マーガレット、相手が例え平民でも騎士でも……誰でもいいと言ったのはお前ではないか」
(そう、私はあなたが誰でも良かった)
マーガレットは泣き出してしまわないように、空いた片手を強く握りしめた。強く、強く。痛みを感じて、決して涙が溢れてしまわないように、神経を別のところへ集中させながら。
「その言葉に嘘偽りはないと、言ったのはお前であろう?」
ルイ王子の声がどんどん鋭く、尖をみせる。マーガレットは思わず挫けてしまいそうなその声にも、必死になって戦った。
「そんなもの嘘に決まっているではありませんか。誰でも良いわけがありませ——」
「マーガレット!」
マーガレットが全て吐き出す前に、ルイ王子はそれを制するように叫んだ。
「昨日、お前と踊ると言って他の者と踊ったのは悪かった。だがあれは——」
「いいのよ、そんなことはどうでも!」
今度はマーガレットが言葉を止める番だった。
先ほどまでの着飾った言葉は消え去り、感情を露わにした声が広い庭の中で小さく響く。
「そんなもの、どうでもいいわ」
マーガレットの脳裏には美しく着飾った、本物のヒロインであるリュセットの姿と、その隣で手を取って踊るルイ王子の姿が微笑んでいた。
マーガレットは昨日、二人が踊っているところを見たわけではない。けれどその光景が容易に想像できるのは、この物語が“彼らの物語”だからなのかもしれない。周りが羨みながらも、お似合いな二人だと祝福を送り、そんな中で踊るルイ王子とシンデレラのリュセット。
「私は、王子様になんて興味はないの。だって窮屈でしょ? お城のことを気にかけ、たくさんのマナーや古いしきたりを重んじて、きっと窮屈ったらないわ」
マーガレットは背筋を伸ばして、真っ直ぐルイ王子を見つめた。
マーガレットが好きな青い瞳。少し神経質そうに見える目尻も、笑えば優しく角を落とし、あの薄い唇が「マーガレット」と甘く囁く。サラサラの金色の髪、その白い肌、すっと筋の通った高い鼻。何もかもが愛おしく、何もかもが恋しい。
「いい歳して独り身なんて寂しいわよ。さっさと昨日のご令嬢と婚約なり結婚なりしてしまえばいいんじゃない? お似合いだったじゃ——」
その続きを紡ぐことはできなかった。なぜなら、ルイ王子はマーガレットの口をその手で塞いでいたからだ。
「もういい」
冷たい言葉だった。氷の刃で、心臓をひと突きにでもされたような気分だった。けれど何より一番冷たいと感じたのは、ルイ王子のその瞳。青い瞳は、氷のように冷え切っていた。
「先ほど、リズイラという令嬢がこれを持って来た」
「……!」
口を塞がれたままで、マーガレットは思わず息を飲む。それもそのはず、ルイ王子の手の中から現れたのは、王家の紋章が入った、あのネックレスだった。
「マーガレットがこのネックレスを捨てたと言っていた」
思わず体が震えそうになるのを、マーガレットは必死になって踏みとどまる。
(ここで微動だにすれば、心の中を見透かされてしまう。ルイ王子とはそういう男……)
ルイ王子の冷たい視線を受けながら、マーガレットは目を逸らしたい気持ちでやまやまだ。けれどそれをしてはいけないと本能で感じていた。しっかりと握りこぶしを作り、抑えられている口元では奥歯を噛み締めた。
「あの令嬢は俺に合わせて言うことを変えたりしてな、胡散臭いと思っていたのだがどうやら本当のことだったようだな」
そう言った後、ルイ王子はマーガレットの口を解放した。温かなルイ王子の手が離れていくと、冷たい夜風がマーガレットの口元をそっと撫でた。
それと同時に、ルイ王子はマーガレットに背を向けて歩き始めた。一度も振り返らず、それ以上何も言わず。
それは、マーガレットにとって好都合だった。……なぜならマーガレットの頬には、温かなものがとめどなく幾つも流れ落ちていたから。
(私は、あなたが誰でも良かった。そう……王子以外であれば、誰でも——)
人の声がした瞬間、マーガレットはそれを神の助けだと思った。けれどその声を聞いた瞬間、それは神ではなく悪魔だったのだとマーガレットは思った。
ぎゅっと閉じていた瞼を押し開けて、マーガレットが見つめた先にいる人物。ブロンドヘアーを靡かせ、青い瞳は深い怒りを滲ませたーールイ王子だ。
「……ル、ルイ王子!」
ウィリアム公爵はルイ王子の顔を見るなり、慌てた様子でマーガレットの体を引き離した。
「今回の舞踏会は普段の社交界とは違い私の誕生を祝う日でもあるのだが、どうやら何か勘違いをした輩が淫欲にかられて令嬢に手を出していると報告を受けてな、気になって見にきてみたのだが……」
ルイ王子は厳しい目つきでウィリアム公爵へと冷淡な視線を投げた。
「まさか、ウィリアム公爵がそのようなことをしでかしていたわけではあるまいな?」
「ま、まさか。こちらのマーガレット嬢が目にゴミが入ったと言っていたので、見てあげていたのです」
「ほう、こんな人気のない暗がりで? しかもたった二人きりで?」
「はい。マーガレット嬢は広間の人の多さに酔ってしまわれたとのことでしたので、夜風に当たれば少しは体調も良くなるかと思ったので……」
とんだ作り話だ。マーガレットも何か言ってやりたい気持ちだが、ただ静かに口を閉ざし、ルイ王子と視線を合わせようとはしない。
そんなマーガレットを見つめた後、再びウィリアム公爵に向かってこう言った。
「なるほど。それであればマーガレットには客間を用意しよう。少しの間横にでもなれば体調は良くなるだろう」
「そっ、それはいい考えかも知れません!」
ウィリアム公爵は居心地の悪いこの場を早く立ち去りたいと言いたげに、マーガレットに背を向けた。
「では私の役目はこれ以上ないようですので、これにて失礼致します」
あんなにねちっこく、しつこい男が、ルイ王子の手前ではあっさりと尻尾を巻いて帰っていく。とことんこの世とは縦社会なのだとマーガレットは痛感していた。
「お前はいつも襲われているな」
ルイ王子はため息をついた。そんな様子がさっきまでのホッとした気持ちを萎め、不快な気持ちがむくむくと膨らんでいく。
「その中の一度は、一体誰だったのでしょうか?」
「ああ、勘違いだったがな」
「同じことです」
ルイ王子は小さく笑った。そんな顔を見てしまうと、マーガレットの胸は無条件で軋む。その軋む胸を押さえつけて、ルイ王子の目を見ずにこう言った。
「どうして私がここにいるとご存知だったのでしょうか?」
偶然なのか、必然なのか。
ルイ王子が助けに来てくれたタイミングは、まるで山賊に襲われていたあの時を彷彿させ、ルイ王子の声を聞いたときは、思わず溢れそうになった涙をこらえるのに必死だった。けれど喜んではいけない。頼ってもいけない。もうルイ王子とは関わってはいけないのだ。
「カインがマーガレットがあのウィリアム公とダンスをしていると報告があってな。あいつは昔から女遊びが過ぎると耳には入っていたからな。だから気になって来てみれば……」
続きは言わず、ルイ王子は頭を抱えるように額に手を当ててはぁ、とため息をついた。
「困っているところを助けていただき、誠にありがとうございました」
マーガレットはドレスの裾を持ち上げ、会釈をした。そのまま顔を上げずに、言葉を繋ぐ。
「それでは、私もこれにて失礼致します」
「待て。お前は何に怒っているのだ?」
立ち去ろうとするマーガレットを制し、ルイ王子は腕を掴んだ。力強い手。惹きつける力強い眼差し。それらを振り払うように、マーガレットは微笑んだ。
「怒る? どうしてでしょうか?」
「その口調が何よりの証拠かと思うが?」
「王子と話すのに敬語は当たり前かと存じます」
マーガレットの言葉に、ルイ王子の眉はピクリと反応を示した。
「では、俺が王子だから怒っていると言うのか?」
今度はマーガレットが反応を返す番だった。マーガレットの肩がピクリと揺れる。ルイ王子はそれを見逃さなかった。
「お前はつくづく変わっている。普通は騎士よりも位が高いと知れば喜ぶのが道理だろう」
「では私は、その道理から外れているようですわ」
ルイ王子の手を振り払おうとしたが、上手くいかない。マーガレットの腕をさらに強く掴み、ルイ王子はこう言った。
「マーガレット、相手が例え平民でも騎士でも……誰でもいいと言ったのはお前ではないか」
(そう、私はあなたが誰でも良かった)
マーガレットは泣き出してしまわないように、空いた片手を強く握りしめた。強く、強く。痛みを感じて、決して涙が溢れてしまわないように、神経を別のところへ集中させながら。
「その言葉に嘘偽りはないと、言ったのはお前であろう?」
ルイ王子の声がどんどん鋭く、尖をみせる。マーガレットは思わず挫けてしまいそうなその声にも、必死になって戦った。
「そんなもの嘘に決まっているではありませんか。誰でも良いわけがありませ——」
「マーガレット!」
マーガレットが全て吐き出す前に、ルイ王子はそれを制するように叫んだ。
「昨日、お前と踊ると言って他の者と踊ったのは悪かった。だがあれは——」
「いいのよ、そんなことはどうでも!」
今度はマーガレットが言葉を止める番だった。
先ほどまでの着飾った言葉は消え去り、感情を露わにした声が広い庭の中で小さく響く。
「そんなもの、どうでもいいわ」
マーガレットの脳裏には美しく着飾った、本物のヒロインであるリュセットの姿と、その隣で手を取って踊るルイ王子の姿が微笑んでいた。
マーガレットは昨日、二人が踊っているところを見たわけではない。けれどその光景が容易に想像できるのは、この物語が“彼らの物語”だからなのかもしれない。周りが羨みながらも、お似合いな二人だと祝福を送り、そんな中で踊るルイ王子とシンデレラのリュセット。
「私は、王子様になんて興味はないの。だって窮屈でしょ? お城のことを気にかけ、たくさんのマナーや古いしきたりを重んじて、きっと窮屈ったらないわ」
マーガレットは背筋を伸ばして、真っ直ぐルイ王子を見つめた。
マーガレットが好きな青い瞳。少し神経質そうに見える目尻も、笑えば優しく角を落とし、あの薄い唇が「マーガレット」と甘く囁く。サラサラの金色の髪、その白い肌、すっと筋の通った高い鼻。何もかもが愛おしく、何もかもが恋しい。
「いい歳して独り身なんて寂しいわよ。さっさと昨日のご令嬢と婚約なり結婚なりしてしまえばいいんじゃない? お似合いだったじゃ——」
その続きを紡ぐことはできなかった。なぜなら、ルイ王子はマーガレットの口をその手で塞いでいたからだ。
「もういい」
冷たい言葉だった。氷の刃で、心臓をひと突きにでもされたような気分だった。けれど何より一番冷たいと感じたのは、ルイ王子のその瞳。青い瞳は、氷のように冷え切っていた。
「先ほど、リズイラという令嬢がこれを持って来た」
「……!」
口を塞がれたままで、マーガレットは思わず息を飲む。それもそのはず、ルイ王子の手の中から現れたのは、王家の紋章が入った、あのネックレスだった。
「マーガレットがこのネックレスを捨てたと言っていた」
思わず体が震えそうになるのを、マーガレットは必死になって踏みとどまる。
(ここで微動だにすれば、心の中を見透かされてしまう。ルイ王子とはそういう男……)
ルイ王子の冷たい視線を受けながら、マーガレットは目を逸らしたい気持ちでやまやまだ。けれどそれをしてはいけないと本能で感じていた。しっかりと握りこぶしを作り、抑えられている口元では奥歯を噛み締めた。
「あの令嬢は俺に合わせて言うことを変えたりしてな、胡散臭いと思っていたのだがどうやら本当のことだったようだな」
そう言った後、ルイ王子はマーガレットの口を解放した。温かなルイ王子の手が離れていくと、冷たい夜風がマーガレットの口元をそっと撫でた。
それと同時に、ルイ王子はマーガレットに背を向けて歩き始めた。一度も振り返らず、それ以上何も言わず。
それは、マーガレットにとって好都合だった。……なぜならマーガレットの頬には、温かなものがとめどなく幾つも流れ落ちていたから。
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**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
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ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
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