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本編
葛藤
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涙は泉のよう。枯れることなく、次から次へと溢れ出してくる。けれどそれは涙だけではなかった。溢れ出してくる感情と記憶が、マーガレットの胸の奥をぎゅっと締め付けて、それを感じれば感じるほど、再び涙が止まらなくなるのだ。
すると、お城から少し離れた庭に立つ時計塔がポーン、ポーン、と0時を知らせた。それは魔法が切れる音。リュセットが着ているあのドレスと、馬車。それらは魔法が切れてきっと今頃元の服と元の姿に戻っていることだろう。
マーガレットは願うように空を見上げ、ひときわ輝く一等星に向かって、こう願う。焦がれるように恋をしたこの気持ちも、ルイ王子への想いも、全て魔法が解けるように溶けて消えてしまえばいいのに……と。
「……お母様達が戻ってくるまでに顔を洗いに行かなければ」
マーガレットは再び扇で顔を覆い隠し、人が少ない庭から城内へと戻る。そこから一番近くの化粧室へと逃げ込むように駆け込んだ。
駆け込んだ先で鏡に映る自分の顔は、目も当てられないほど涙で化粧は崩れ、瞳は赤く染まり、瞼は少し腫れていた。鏡の中の自分を覗き込んだ時、自分の胸元にかかるあのネックレスが目に飛び込んできた。それにそっと手を触れた後、再び涙が溢れてきそうになる。悔しさやもどかしさから、それを外して鏡の前の桟に置いた。
蛇口をひねり、勢いよく流れ出した水を両手いっぱいにすくい上げて勢いよく顔をすすぐ。キン、と冷えた水はマーガレットの頭をすっきりとさせてくれた。
頭が冷えたところで、再び鏡の中に映る自分の姿を見て、さっきまで弱りきっていた自分を振り払うかのように、顔を振った。ちょうどそんな時、扉が開かれた。
「冷たいっ!」
扉を開けて入って来た令嬢に、マーガレットが弾いた水がかかってしまったようだ。
「ごめんなさい。私の水がかかってしまったのでしょうか?」
手に持っていたハンカチで彼女にかかった水しぶきを拭おうとしたが、手を弾かれてしまった。
「汚らしいハンカチで私に触らないでいただけるかしら?」
令嬢はマーガレットのことを汚いものでも見るかのような視線を投げつけながら、小さなポーチからハンカチを取り出し、顔に飛んだ一雫を拭っている。
「マーガレット、お久さしぶりね? あなたの家はとっくに没落したものだと思っていましたわ」
どうやらこの令嬢はマーガレットのことを知っている様子だ。けれど、マーガレットには覚えがない。マーガレットの記憶は遡れて数ヶ月。それ以上前の記憶はまるで切り取られたかのようにプツリと記憶がない。この令嬢はきっとその失われた記憶の中で出会った人物なのだろうと、マーガレットは推測していた。
何故この令嬢が敵意むき出しなのかが分からない。それは以前のマーガレットの素行のせいなのか、それとも何か因縁のようなものが二人の間にあるのか……今のマーガレットには知る由もなかった。
「今日のダンスにもあなた達姉妹を誘う殿方などいらっしゃらないようですが、その貧乏ったらしい姿のせいかしらね」
クスリと嫌味な笑みをこぼし、この令嬢は洗面台で手をすすぐ。
「私はあなたに何かしたのでしょうか?」
鏡越しにそう聞いてみるが、令嬢は顔を歪ませなが目くじらを立てた。
「嫌味を言うのが本当にお上手だこと。あなたとマルガリータは昔からね。ああ、醜い顔を見ているとこちらまで醜くなってしまうわ」
いわれのない嫌悪を向けられるのは気分が良いとは言えない。だが、マルガリータがリュセットに対する態度を見ていると、昔の自分の素行に自信のないマーガレットは思わず口をつぐんだ。
すると、鏡の前に置きっぱなしだったマーガレットのネックレスを見つける。
「あら、これは……」
「……! それは、私のですわ」
ネックレスに手を伸ばしたが、一歩間に合わずマーガレットの手は空を掴んだ。令嬢はマーガレットのネックレスを見つめながら、疑惑の色をその顔に滲ませた。
「このネックレスが、マーガレットの……? 下手な嘘をおっしゃらないで」
「いいえ、それは私のです。今顔を洗った際に邪魔になって取って置いたのですわ」
再びネックレスに向かって手を伸ばす。が、令嬢はそんなマーガレットの手を寸前のところでかわし、扇で手を叩いた。
「このネックレスは間違いなく王族のものですわ。あなたのような没落貴族が持てる代物ではありません」
「いいえ、それは間違いなく私のものです。この城の騎士団の方からいただいたものです。功績を讃えて王族からいただいた名誉の称号だと言っていましたわ」
「嘘をつくならもっとマシな嘘をつくのね。これは騎士がもらうものとは違いますわ。騎士がもらうものであればこのプレートの裏にナンバリングと名前が記載されるはずですもの。けれどこれには記載がない。それは王族が持つネックレスだからですわ」
その言葉に、マーガレットは愕然とした。これでカインがあのルイ王子なのだという証拠を、今目の前で突きつけられている……そんな気がしたのだ。
「ともかく、こちらは王族の方に私が直接お返しいたします。きっと王族のどなたかがここにお忘れになったのですわ」
「ちがっ!」
マーガレットが再び異論を唱えようとしたが、令嬢は蔑んだ目でマーガレットを見据えてこう言った。
「それとももし、これが本当にマーガレットのものなのだと言うのであれば、あなたはこれを盗んだことになりますわ。だってこのようなものを没落貴族がお持ちな訳がありませんもの」
「けれど……!」
マーガレットは下唇を噛みながら、頭の中で巡る別の声に耳をすませていた。このままネックレスを返した方がいいんじゃないか、と。そうすればルイ王子と直接会うこともなく、未練もなく断ち切れると。
けれど未練はどうしてもつきまとうとも思っていた。そんな気持ちがあのネックレスを返したくないという考えがせめぎ合う。そんな風に考えが纏まらず、それがマーガレットの言葉を濁していた。
けれどそんなマーガレットの様子を見て、それはこの令嬢の意見に賛成していると捉えたらしく……。
「わかればいいのよ」
そう言って、令嬢はほくそ笑みながら化粧室を出て行った。
マーガレットのネックレスと共に——。
すると、お城から少し離れた庭に立つ時計塔がポーン、ポーン、と0時を知らせた。それは魔法が切れる音。リュセットが着ているあのドレスと、馬車。それらは魔法が切れてきっと今頃元の服と元の姿に戻っていることだろう。
マーガレットは願うように空を見上げ、ひときわ輝く一等星に向かって、こう願う。焦がれるように恋をしたこの気持ちも、ルイ王子への想いも、全て魔法が解けるように溶けて消えてしまえばいいのに……と。
「……お母様達が戻ってくるまでに顔を洗いに行かなければ」
マーガレットは再び扇で顔を覆い隠し、人が少ない庭から城内へと戻る。そこから一番近くの化粧室へと逃げ込むように駆け込んだ。
駆け込んだ先で鏡に映る自分の顔は、目も当てられないほど涙で化粧は崩れ、瞳は赤く染まり、瞼は少し腫れていた。鏡の中の自分を覗き込んだ時、自分の胸元にかかるあのネックレスが目に飛び込んできた。それにそっと手を触れた後、再び涙が溢れてきそうになる。悔しさやもどかしさから、それを外して鏡の前の桟に置いた。
蛇口をひねり、勢いよく流れ出した水を両手いっぱいにすくい上げて勢いよく顔をすすぐ。キン、と冷えた水はマーガレットの頭をすっきりとさせてくれた。
頭が冷えたところで、再び鏡の中に映る自分の姿を見て、さっきまで弱りきっていた自分を振り払うかのように、顔を振った。ちょうどそんな時、扉が開かれた。
「冷たいっ!」
扉を開けて入って来た令嬢に、マーガレットが弾いた水がかかってしまったようだ。
「ごめんなさい。私の水がかかってしまったのでしょうか?」
手に持っていたハンカチで彼女にかかった水しぶきを拭おうとしたが、手を弾かれてしまった。
「汚らしいハンカチで私に触らないでいただけるかしら?」
令嬢はマーガレットのことを汚いものでも見るかのような視線を投げつけながら、小さなポーチからハンカチを取り出し、顔に飛んだ一雫を拭っている。
「マーガレット、お久さしぶりね? あなたの家はとっくに没落したものだと思っていましたわ」
どうやらこの令嬢はマーガレットのことを知っている様子だ。けれど、マーガレットには覚えがない。マーガレットの記憶は遡れて数ヶ月。それ以上前の記憶はまるで切り取られたかのようにプツリと記憶がない。この令嬢はきっとその失われた記憶の中で出会った人物なのだろうと、マーガレットは推測していた。
何故この令嬢が敵意むき出しなのかが分からない。それは以前のマーガレットの素行のせいなのか、それとも何か因縁のようなものが二人の間にあるのか……今のマーガレットには知る由もなかった。
「今日のダンスにもあなた達姉妹を誘う殿方などいらっしゃらないようですが、その貧乏ったらしい姿のせいかしらね」
クスリと嫌味な笑みをこぼし、この令嬢は洗面台で手をすすぐ。
「私はあなたに何かしたのでしょうか?」
鏡越しにそう聞いてみるが、令嬢は顔を歪ませなが目くじらを立てた。
「嫌味を言うのが本当にお上手だこと。あなたとマルガリータは昔からね。ああ、醜い顔を見ているとこちらまで醜くなってしまうわ」
いわれのない嫌悪を向けられるのは気分が良いとは言えない。だが、マルガリータがリュセットに対する態度を見ていると、昔の自分の素行に自信のないマーガレットは思わず口をつぐんだ。
すると、鏡の前に置きっぱなしだったマーガレットのネックレスを見つける。
「あら、これは……」
「……! それは、私のですわ」
ネックレスに手を伸ばしたが、一歩間に合わずマーガレットの手は空を掴んだ。令嬢はマーガレットのネックレスを見つめながら、疑惑の色をその顔に滲ませた。
「このネックレスが、マーガレットの……? 下手な嘘をおっしゃらないで」
「いいえ、それは私のです。今顔を洗った際に邪魔になって取って置いたのですわ」
再びネックレスに向かって手を伸ばす。が、令嬢はそんなマーガレットの手を寸前のところでかわし、扇で手を叩いた。
「このネックレスは間違いなく王族のものですわ。あなたのような没落貴族が持てる代物ではありません」
「いいえ、それは間違いなく私のものです。この城の騎士団の方からいただいたものです。功績を讃えて王族からいただいた名誉の称号だと言っていましたわ」
「嘘をつくならもっとマシな嘘をつくのね。これは騎士がもらうものとは違いますわ。騎士がもらうものであればこのプレートの裏にナンバリングと名前が記載されるはずですもの。けれどこれには記載がない。それは王族が持つネックレスだからですわ」
その言葉に、マーガレットは愕然とした。これでカインがあのルイ王子なのだという証拠を、今目の前で突きつけられている……そんな気がしたのだ。
「ともかく、こちらは王族の方に私が直接お返しいたします。きっと王族のどなたかがここにお忘れになったのですわ」
「ちがっ!」
マーガレットが再び異論を唱えようとしたが、令嬢は蔑んだ目でマーガレットを見据えてこう言った。
「それとももし、これが本当にマーガレットのものなのだと言うのであれば、あなたはこれを盗んだことになりますわ。だってこのようなものを没落貴族がお持ちな訳がありませんもの」
「けれど……!」
マーガレットは下唇を噛みながら、頭の中で巡る別の声に耳をすませていた。このままネックレスを返した方がいいんじゃないか、と。そうすればルイ王子と直接会うこともなく、未練もなく断ち切れると。
けれど未練はどうしてもつきまとうとも思っていた。そんな気持ちがあのネックレスを返したくないという考えがせめぎ合う。そんな風に考えが纏まらず、それがマーガレットの言葉を濁していた。
けれどそんなマーガレットの様子を見て、それはこの令嬢の意見に賛成していると捉えたらしく……。
「わかればいいのよ」
そう言って、令嬢はほくそ笑みながら化粧室を出て行った。
マーガレットのネックレスと共に——。
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