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本編
舞踏会一日目 1
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マーガレットは馬の蹄が石畳の床を蹴る音だけを聞いていた。隣に座るマルガリータの興奮した声も、イザベラが付けた鼻につく香水の香りも全て視野の外に置き去りにして。あてもなく窓の外に映る暗闇だけを見つめていた。
せっかくカインに貰ったドレス。一度も袖を通すことなくマーガレットの元を去ってしまった。それに袖を通すことはもう二度とやっては来ないだろう。
代わりに着たコーラルオレンジのドレスは、元々着るつもりなどなかったものだ。着ても一夜限り。自分にはカインのドレスがあるから不必要なものと考えて適当に選んだそれは、やはりカインからもらったものと比べると断然見劣りする品だった。
「マーガレットったら、いつまでも冴えない顔をして。本当にいつまでたっても子供ですわね」
普段使用しているものとは違う舞踏会用の豪華な扇で口元を隠しながら、嘲るような表情でイザベラに話を振った。
けれどイザベラはマルガリータの言葉には何も言わず、ただまっすぐ背筋を伸ばしていつもと変わらぬ様子でそこに座っているだけだった。
「あら、見てお母様! お城が見えて来ましたわ!」
馬車の窓にへばりつくようにしてお城を見つめるマルガリータの姿は、まるで子供が真新しいおもちゃを買ってもらった時のよう。マーガレットのことを子供だと罵ったばかりだが、この様子の方がもっと子供じみている。
「なんて大きくて、美しいのでしょうか……私が王子様に見初められればあれは私のもの……」
幸せなため息をこぼして呟く言葉は、夢物語だ。マルガリータはお城の魅力に魅了されていた。
マーガレットもマルガリータに習ってお城を見つめた。巨大な庭のはるか向こうにそびえ立つ優美なお城。昔読んだ絵本の中の世界が目の前に広がっていた。
門の入り口で招待状を見せ、再び馬は馬車を揺らしながら城の敷地内へと踏み込んだ。マーガレットはつい数日前まで、この日を楽しみに待ち遠しく思っていたにも関わらず、今となってはその気持ちも半減していた。カインに会えることを楽しみにしていたにも関わらず、今はドレスのことをなんと言い訳をしたらいいのか……そんなことばかりを考えている。カインのことだから怒るだろうか。呆れるだろうか。もしくは、嫌われてしまうのではないか。考えつくものはマイナスなことばかり。マーガレットはお城の入り口に着くまで、そんな不安な気持ちで胸がいっぱいだった。
その気持ちを和らげようとでもするかのように、カインから預かったネックレスを手に持つ扇とともに握りしめた。母親の前でこれをつけると取り上げられる可能性もあると思い、お城に着いたらこっそりつけようと考えていたのだ。
「さぁ娘達、行くよ」
馬車が停まったと同時に、使用人が扉を開けて、イザベラが一番に馬車から降りた。頭に帽子を被っているイザベラは、それが馬車のドア枠にぶつからないよう気をつけながら。
一歩馬車を降りれば、イザベラは扇で口元を隠し、まるで貴婦人のように背筋をしっかりと伸ばして次に降りるマルガリータを見つめている。イザベラが社交の場数を踏んで来たというのが、その出で立ちを見ればよくわかる。
「さぁ、パーティの始まりだよ。今までの成果はここで見せつけなさい」
マーガレットが最後に降り立った後、招待状を入り口の使用人に渡し、三人は中へと足を踏み入れた。
「マーガレット、どこへ行くの?」
「馬車に酔ってしまったので、お手洗いへ行って少し外で涼んでから参りますわ」
刺繍のハンカチで口元を押さえ、さらにそれを隠すようにして扇で鼻まで覆った。
「後でちゃんと戻ってくるんだよ」
人混みの多い入り口で、他の人に紛れるようにしてマーガレットは姿を消した。イザベラかマルガリータが付き添うと言いかねないためだ。
「お母様よろしいのですか? マーガレットはあんなことを言ってきっと騎士に会いに行くつもりですわよ」
扇で口元を隠し、母親の顔に近づいてそう耳打ちをした。
「今日のところは大目に見てあげなさい。マーガレットの相手は騎士団長と言っていたね。今日は城の警備も厳重になる日だからそんな大それたことはできはしないさ」
*
広間へと流れていく人の波を縫うように、マーガレットは人混みの流れに逆らって歩いた。気分悪いなど嘘だ。早くカインに会って話がしたかった。お城で待つと手紙には書かれていたが、どこに行けば会えるのかは分からない。闇雲にあたりを見渡していたその時、入り口に立つ男性が目についた。それは室内を警備している兵士だ。
息を整えながら、マーガレットは手に握りしめていたネックレスをつけて、深く深呼吸をついた。
「あの、騎士団の長を務めていらっしゃるカイン様にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃるのかご存知でしょうか……?」
ほんのり口元には笑みを乗せる。お城の場できちんとした礼節を振る舞う様子に、兵士は敬礼をした後、口を開いた。
「カイン様でしたらこの先を抜けた庭で警備をしております」
「わかりました、ありがとうございます」
マーガレットは丁寧にお辞儀をした後、背筋をシャンと伸ばして歩き出した。さっきの兵士が指し示していた方向へ一直線に歩いて。
本当は駆け出したい気持ちでいっぱいだが、周りの目を気にしてなるべく上品に振る舞うことを心がけている。
華やかな宮殿のようなお城の廊下を歩きながら、沢山の貴族とすれ違う。その人達の上品な様子に感化されてのことだった。
それにここは王が住まうお城。下手に目立つことや無礼な振る舞いとなることはなるべく避けるのが賢明だと考えていた。
長い廊下を抜け、両開きの大きな窓が開かれた先を出ると、そこにはトピアリーの迷路が広がっていた。樹木を刈り込んで立体的に仕立て上げられた造形物。その隙間には薔薇の花が散らばるように顔を覗かせている。
人気の少ないこの場所に騎士の服を着た男性を見つけ、マーガレットは再び声をかけた。
「あの、私騎士団長をなさっているカイン様を探しているのですが、お見かけしませんでしたか?」
さっきの騎士とは違う色のジャケットに身を包んだその人物は、この闇に飲まれるように黒い髪を靡かせて振り返る。すると黒い瞳がマーガレットを捉えたかと思えば、驚いたように目を一瞬大きく見開いた。
さっきの騎士よりも階級が上なのだろうか。羽織るジャケットの色が赤ではなく、紺色だ。
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
マーガレットの姿を足元から頭の先まで見た後、柔らかな口調でそう言った。けれど、その瞳は笑っていないとマーガレットは感じた。
「失礼いたしました。私はマーガレットと申します」
ドレスの裾を持ち上げ、会釈をする。頭を下げながらも、この男の様子をちらりと見やった。男は明らかにマーガレットの様子を訝しんでいた。男が全身を下から上まで見上げた時、一瞬マーガレットの胸元で目を止めたのを見逃さなかった。
「マーガレット様でございますね。話はお伺いしております。どうぞこちらへ」
(話は聞いている……?)
この男の返答にマーガレットは小首を傾げた。するとその様子をちらりと横目で見た男は、マーガレットを迷路の庭園の中へと案内しながらこう言葉を付け加えた。
「マーガレットと言う名の女性が訪ねてくると聞いておりましたので」
「そう、でしたか……」
カインからどこで落ち合うかも聞いていない。手紙でもお城で待っていると書いていたが、それがどこなのかも明確に書かれていなかった。
正直会えるのか不安はあったマーガレットだが、カインはマーガレットがきっと自分を訪ねて兵士に聞いて回ると思っていたのだろう。
暗い道を男は近くにあった灯篭を持って迷路の中へと突き進んで行く。マーガレットが転ばないように隣に立ち、マーガレットの足元を照らしながら。
「……聞いていたドレスとは違うドレスをお召しなのですね」
男はちらりとマーガレットのドレスを一瞥し、再び前を向いた。男の言葉にマーガレットの頬はカーッと熱くなる。それは恥ずかしさからではなく、罪悪感からだった。
この男は知っているのだ。カインがマーガレットへ送ったドレスを。
「……これには事情がありまして……」
ドレスの裾を持ち上げていた手にぎゅっと力がこもった。
「失礼いたしました。干渉するつもりはありませんので、お忘れください」
淡々とした口調でそう言い放ち、樹木の角を曲がった先で男は再び口を開いた。
「あちらでお待ちでございます」
そう言って差し出された手の先を見つめると、この迷路の真ん中に広がる小さな広場だった。周りは灯篭でライトアップされ、広場の真ん中には小さな噴水がある。そのすぐそばの屋根の下には小さな丸いテーブルと、そこで足を組みながらお茶を啜っているのはーー。
「——カイン!」
思わずそんな風に叫んで、止まっていた足を踏み出した。一直線に。カインのいるあの場所へーー。
せっかくカインに貰ったドレス。一度も袖を通すことなくマーガレットの元を去ってしまった。それに袖を通すことはもう二度とやっては来ないだろう。
代わりに着たコーラルオレンジのドレスは、元々着るつもりなどなかったものだ。着ても一夜限り。自分にはカインのドレスがあるから不必要なものと考えて適当に選んだそれは、やはりカインからもらったものと比べると断然見劣りする品だった。
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普段使用しているものとは違う舞踏会用の豪華な扇で口元を隠しながら、嘲るような表情でイザベラに話を振った。
けれどイザベラはマルガリータの言葉には何も言わず、ただまっすぐ背筋を伸ばしていつもと変わらぬ様子でそこに座っているだけだった。
「あら、見てお母様! お城が見えて来ましたわ!」
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「なんて大きくて、美しいのでしょうか……私が王子様に見初められればあれは私のもの……」
幸せなため息をこぼして呟く言葉は、夢物語だ。マルガリータはお城の魅力に魅了されていた。
マーガレットもマルガリータに習ってお城を見つめた。巨大な庭のはるか向こうにそびえ立つ優美なお城。昔読んだ絵本の中の世界が目の前に広がっていた。
門の入り口で招待状を見せ、再び馬は馬車を揺らしながら城の敷地内へと踏み込んだ。マーガレットはつい数日前まで、この日を楽しみに待ち遠しく思っていたにも関わらず、今となってはその気持ちも半減していた。カインに会えることを楽しみにしていたにも関わらず、今はドレスのことをなんと言い訳をしたらいいのか……そんなことばかりを考えている。カインのことだから怒るだろうか。呆れるだろうか。もしくは、嫌われてしまうのではないか。考えつくものはマイナスなことばかり。マーガレットはお城の入り口に着くまで、そんな不安な気持ちで胸がいっぱいだった。
その気持ちを和らげようとでもするかのように、カインから預かったネックレスを手に持つ扇とともに握りしめた。母親の前でこれをつけると取り上げられる可能性もあると思い、お城に着いたらこっそりつけようと考えていたのだ。
「さぁ娘達、行くよ」
馬車が停まったと同時に、使用人が扉を開けて、イザベラが一番に馬車から降りた。頭に帽子を被っているイザベラは、それが馬車のドア枠にぶつからないよう気をつけながら。
一歩馬車を降りれば、イザベラは扇で口元を隠し、まるで貴婦人のように背筋をしっかりと伸ばして次に降りるマルガリータを見つめている。イザベラが社交の場数を踏んで来たというのが、その出で立ちを見ればよくわかる。
「さぁ、パーティの始まりだよ。今までの成果はここで見せつけなさい」
マーガレットが最後に降り立った後、招待状を入り口の使用人に渡し、三人は中へと足を踏み入れた。
「マーガレット、どこへ行くの?」
「馬車に酔ってしまったので、お手洗いへ行って少し外で涼んでから参りますわ」
刺繍のハンカチで口元を押さえ、さらにそれを隠すようにして扇で鼻まで覆った。
「後でちゃんと戻ってくるんだよ」
人混みの多い入り口で、他の人に紛れるようにしてマーガレットは姿を消した。イザベラかマルガリータが付き添うと言いかねないためだ。
「お母様よろしいのですか? マーガレットはあんなことを言ってきっと騎士に会いに行くつもりですわよ」
扇で口元を隠し、母親の顔に近づいてそう耳打ちをした。
「今日のところは大目に見てあげなさい。マーガレットの相手は騎士団長と言っていたね。今日は城の警備も厳重になる日だからそんな大それたことはできはしないさ」
*
広間へと流れていく人の波を縫うように、マーガレットは人混みの流れに逆らって歩いた。気分悪いなど嘘だ。早くカインに会って話がしたかった。お城で待つと手紙には書かれていたが、どこに行けば会えるのかは分からない。闇雲にあたりを見渡していたその時、入り口に立つ男性が目についた。それは室内を警備している兵士だ。
息を整えながら、マーガレットは手に握りしめていたネックレスをつけて、深く深呼吸をついた。
「あの、騎士団の長を務めていらっしゃるカイン様にお会いしたいのですが、どちらにいらっしゃるのかご存知でしょうか……?」
ほんのり口元には笑みを乗せる。お城の場できちんとした礼節を振る舞う様子に、兵士は敬礼をした後、口を開いた。
「カイン様でしたらこの先を抜けた庭で警備をしております」
「わかりました、ありがとうございます」
マーガレットは丁寧にお辞儀をした後、背筋をシャンと伸ばして歩き出した。さっきの兵士が指し示していた方向へ一直線に歩いて。
本当は駆け出したい気持ちでいっぱいだが、周りの目を気にしてなるべく上品に振る舞うことを心がけている。
華やかな宮殿のようなお城の廊下を歩きながら、沢山の貴族とすれ違う。その人達の上品な様子に感化されてのことだった。
それにここは王が住まうお城。下手に目立つことや無礼な振る舞いとなることはなるべく避けるのが賢明だと考えていた。
長い廊下を抜け、両開きの大きな窓が開かれた先を出ると、そこにはトピアリーの迷路が広がっていた。樹木を刈り込んで立体的に仕立て上げられた造形物。その隙間には薔薇の花が散らばるように顔を覗かせている。
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「あの、私騎士団長をなさっているカイン様を探しているのですが、お見かけしませんでしたか?」
さっきの騎士とは違う色のジャケットに身を包んだその人物は、この闇に飲まれるように黒い髪を靡かせて振り返る。すると黒い瞳がマーガレットを捉えたかと思えば、驚いたように目を一瞬大きく見開いた。
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マーガレットの姿を足元から頭の先まで見た後、柔らかな口調でそう言った。けれど、その瞳は笑っていないとマーガレットは感じた。
「失礼いたしました。私はマーガレットと申します」
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「マーガレット様でございますね。話はお伺いしております。どうぞこちらへ」
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「マーガレットと言う名の女性が訪ねてくると聞いておりましたので」
「そう、でしたか……」
カインからどこで落ち合うかも聞いていない。手紙でもお城で待っていると書いていたが、それがどこなのかも明確に書かれていなかった。
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暗い道を男は近くにあった灯篭を持って迷路の中へと突き進んで行く。マーガレットが転ばないように隣に立ち、マーガレットの足元を照らしながら。
「……聞いていたドレスとは違うドレスをお召しなのですね」
男はちらりとマーガレットのドレスを一瞥し、再び前を向いた。男の言葉にマーガレットの頬はカーッと熱くなる。それは恥ずかしさからではなく、罪悪感からだった。
この男は知っているのだ。カインがマーガレットへ送ったドレスを。
「……これには事情がありまして……」
ドレスの裾を持ち上げていた手にぎゅっと力がこもった。
「失礼いたしました。干渉するつもりはありませんので、お忘れください」
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「あちらでお待ちでございます」
そう言って差し出された手の先を見つめると、この迷路の真ん中に広がる小さな広場だった。周りは灯篭でライトアップされ、広場の真ん中には小さな噴水がある。そのすぐそばの屋根の下には小さな丸いテーブルと、そこで足を組みながらお茶を啜っているのはーー。
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