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本編
脱走 2
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マーガレットがキッチンに着くと、すでに朝食は用意されていた。テーブルの上に乗った暖かなパンと、サラダ、そしてベーコンだ。
ベーコンの焼いた匂いがマーガレットの腹部をうならせた。
「朝食の用意が……まぁ、マーガレットお姉様、それは……」
リュセットのその言葉に眉根を寄せて振り返ったのはマルガリータ。昨夜とばっちりをくらい裁縫の技術を伸ばすように言われた怒りが余韻を引いている様子だった。ぶっきらぼうな表情を見せた後すぐにマーガレットの服を見て、細い瞳を必死になって見開いた。
「あーっはははは。なんですのその格好は」
予想外の服装に驚いたマルガリータはいつもの扇で口元を隠すことさえ忘れ、声を荒げて笑った。その隣に座るイザベラはいつもよりも口角をさらに下げ、汚れたものを見るような目でマーガレットを見ている。
「マルガリータ、はしたない笑い方をするのはおやめ。そしてマーガレット、なんだいその服装は」
マーガレットは二人の様子にも動じず、すっとテーブルについた。
「今日から引きこもる事になったので、着飾るのはやめる事にしましたの。これなら肩のコリを気にせずとも裁縫に集中できますわ」
「そんな格好でするやつがあるかい。外に出ずともいつでも綺麗な格好をしておくのが一流女性としての身だしなみだよ!」
室内にいるのに、わざわざ着飾っている必要性を全く感じないマーガレットはとことんイザベラの考え方とは合わない。ましてやマーガレットは元マッサージセラピストだ。マッサージとは基本コリをほぐす事。あん摩師や整体、理学療法士とは違い、治療を目的としていない。けれどどのジャンルにも言えるのが、コリを作らない、体のストレスを溜めないのが一番効果的なのだ。
そのため、人に見せるわけでもないのであればわざわざあんなにしんどい思いをしてドレスを着るのは非効率な気がしていた。
「そもそもその服じゃコルセットの役割もなしてないじゃないか。腰は細ければ細いほど美しく、毎日締めておかなくちゃ緩むのは目に見えてるよ。それに……」
イザベラがちらりとリュセットを見やる。リュセットはそんな視線を感じてもいない様子でマーガレットのカップに温かな紅茶を注ぎ入れた。
「それはサンドリヨン、あんたの洋服かい? みすぼらしいったらありゃしない」
悪びれもせずリュセットを目の前にそんなことを言いのけるイザベラの神経が理解できない。リュセットは気まずそうで、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「これはリュセットの実母が着ていた洋服です。それを私がお願いをしてお借りしているのです。お母様こそそんな言い方はリュセットに対して失礼だと思わないのですか?」
「ほーらお母様、昨夜私が言った通りでしょう? マーガレットはやたらと灰かぶりの肩ばかり持つのです。この私達よりも灰かぶりのことばかり気遣って、挙句にこんなみっともないものを着るなど、頭がおかしくなったとしか思えませんわ」
マーガレットは肩を怒らせながら、立ち上がった。バンッ、と両手でテーブルを叩き、その衝動でカップの中に注がれた紅茶がソーサーの上に溢れた。
「そんなにみっともないと仰るのであれば、リュセットにもドレスの一つくらい用意差し上げればいかがでしょうか? 彼女が着ている服は私が今着ているものよりも相当古く、くたびれているのですよ!?」
リュセットが恥ずかしそうにエプロンをぎゅっと握りしめた。その様子をみて、マーガレットは自分の言葉も彼女を傷つけているのだと気付き、下唇に歯を立てた。
「……昨夜はあまり眠れていなくて体調が良くありませんの。そのせいで気が立っているようです。一日部屋で横になろうと思っていたので、リュセットが貸してくれたこの服ならドレスよりかは気分が幾分かマシになるかと思っていたのですが、今すぐにでも休息が必要な気がしてきましたわ」
マーガレットは朝食には手もつけず、そのままキッチンを後にした。そんな後ろではマルガリータが不気味に笑う笑い声だけが聞こえて、マーガレットはさらに不快感を募らせていた。
「マーガレットお姉様」
部屋に戻る前に駆けてきたのはリュセットだった。朝食のパンとベーコン、サラダを一つの皿に盛ってくれていた。
「こちらを。少しでもお召し上がりください」
「……リュセット。ありがとう」
正直、食欲はとっくに何処かへと行ってしまったけれど、リュセットの心遣いが嬉しくてマーガレットはそれを受け取った。
「あと、その服を着ているということは……」
人差し指をそっとリュセットの薄いピンク色をした唇に当てた。
「少し勉強をするつもりだから、誰も私の部屋には近づかないようにお願いね」
とはいえ、これだけイザベラを怒らせたのだ。今日はもうここへは来ないだろうと踏んでいた。マルガリータも用がなければ基本マーガレットに会いには来ない。その上今日は体調が悪いと言ってあるため、裁縫はしないことを知っているマルガリータがそのことで冷やかしにやってくることもない。
全ては計画通りだった。
「そうですか。ですがあまり無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう。リュセットも私が部屋を出てくるまでここには近づかないようにお願いね。もしかすると眠気に負けて寝ているかもしれないから。昼食も必要であれば自分で取りに行くわ」
「わかりましたわ」
リュセットは何もかも疑う様子もなく、キッチンへと戻って行った。これでリュセットも部屋を覗きにくることもない。
リュセットはマーガレットの体調を気にして声をかけにくる可能性があった。その時に部屋にマーガレットがいないとなると家中を探し回るかもしれない。するとイザベラやマルガリータに出かけたことがバレるかもしれない。
そうならなかったとしても、家を出ることをリュセットが知ってしまうと昨日のドレスの時のように、何かあればリュセットが責められる可能性もなくはない。何かと罪をリュセットに着せようとするあの諸悪の根源であるマルガリータがあの手この手で要らぬことを吹聴して回るからだ。
「よし、行くか」
一度部屋へと戻り、昨日準備しておいた荷物を掴み、リュセットからもらった朝食を流し込むようにして食べ干し、そっと部屋を後にした。
今皆がキッチンで朝食を食べているのは間違いない。マーガレットは大手を振って、玄関から家を飛び出した——。
マーガレットがキッチンに着くと、すでに朝食は用意されていた。テーブルの上に乗った暖かなパンと、サラダ、そしてベーコンだ。
ベーコンの焼いた匂いがマーガレットの腹部をうならせた。
「朝食の用意が……まぁ、マーガレットお姉様、それは……」
リュセットのその言葉に眉根を寄せて振り返ったのはマルガリータ。昨夜とばっちりをくらい裁縫の技術を伸ばすように言われた怒りが余韻を引いている様子だった。ぶっきらぼうな表情を見せた後すぐにマーガレットの服を見て、細い瞳を必死になって見開いた。
「あーっはははは。なんですのその格好は」
予想外の服装に驚いたマルガリータはいつもの扇で口元を隠すことさえ忘れ、声を荒げて笑った。その隣に座るイザベラはいつもよりも口角をさらに下げ、汚れたものを見るような目でマーガレットを見ている。
「マルガリータ、はしたない笑い方をするのはおやめ。そしてマーガレット、なんだいその服装は」
マーガレットは二人の様子にも動じず、すっとテーブルについた。
「今日から引きこもる事になったので、着飾るのはやめる事にしましたの。これなら肩のコリを気にせずとも裁縫に集中できますわ」
「そんな格好でするやつがあるかい。外に出ずともいつでも綺麗な格好をしておくのが一流女性としての身だしなみだよ!」
室内にいるのに、わざわざ着飾っている必要性を全く感じないマーガレットはとことんイザベラの考え方とは合わない。ましてやマーガレットは元マッサージセラピストだ。マッサージとは基本コリをほぐす事。あん摩師や整体、理学療法士とは違い、治療を目的としていない。けれどどのジャンルにも言えるのが、コリを作らない、体のストレスを溜めないのが一番効果的なのだ。
そのため、人に見せるわけでもないのであればわざわざあんなにしんどい思いをしてドレスを着るのは非効率な気がしていた。
「そもそもその服じゃコルセットの役割もなしてないじゃないか。腰は細ければ細いほど美しく、毎日締めておかなくちゃ緩むのは目に見えてるよ。それに……」
イザベラがちらりとリュセットを見やる。リュセットはそんな視線を感じてもいない様子でマーガレットのカップに温かな紅茶を注ぎ入れた。
「それはサンドリヨン、あんたの洋服かい? みすぼらしいったらありゃしない」
悪びれもせずリュセットを目の前にそんなことを言いのけるイザベラの神経が理解できない。リュセットは気まずそうで、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「これはリュセットの実母が着ていた洋服です。それを私がお願いをしてお借りしているのです。お母様こそそんな言い方はリュセットに対して失礼だと思わないのですか?」
「ほーらお母様、昨夜私が言った通りでしょう? マーガレットはやたらと灰かぶりの肩ばかり持つのです。この私達よりも灰かぶりのことばかり気遣って、挙句にこんなみっともないものを着るなど、頭がおかしくなったとしか思えませんわ」
マーガレットは肩を怒らせながら、立ち上がった。バンッ、と両手でテーブルを叩き、その衝動でカップの中に注がれた紅茶がソーサーの上に溢れた。
「そんなにみっともないと仰るのであれば、リュセットにもドレスの一つくらい用意差し上げればいかがでしょうか? 彼女が着ている服は私が今着ているものよりも相当古く、くたびれているのですよ!?」
リュセットが恥ずかしそうにエプロンをぎゅっと握りしめた。その様子をみて、マーガレットは自分の言葉も彼女を傷つけているのだと気付き、下唇に歯を立てた。
「……昨夜はあまり眠れていなくて体調が良くありませんの。そのせいで気が立っているようです。一日部屋で横になろうと思っていたので、リュセットが貸してくれたこの服ならドレスよりかは気分が幾分かマシになるかと思っていたのですが、今すぐにでも休息が必要な気がしてきましたわ」
マーガレットは朝食には手もつけず、そのままキッチンを後にした。そんな後ろではマルガリータが不気味に笑う笑い声だけが聞こえて、マーガレットはさらに不快感を募らせていた。
「マーガレットお姉様」
部屋に戻る前に駆けてきたのはリュセットだった。朝食のパンとベーコン、サラダを一つの皿に盛ってくれていた。
「こちらを。少しでもお召し上がりください」
「……リュセット。ありがとう」
正直、食欲はとっくに何処かへと行ってしまったけれど、リュセットの心遣いが嬉しくてマーガレットはそれを受け取った。
「あと、その服を着ているということは……」
人差し指をそっとリュセットの薄いピンク色をした唇に当てた。
「少し勉強をするつもりだから、誰も私の部屋には近づかないようにお願いね」
とはいえ、これだけイザベラを怒らせたのだ。今日はもうここへは来ないだろうと踏んでいた。マルガリータも用がなければ基本マーガレットに会いには来ない。その上今日は体調が悪いと言ってあるため、裁縫はしないことを知っているマルガリータがそのことで冷やかしにやってくることもない。
全ては計画通りだった。
「そうですか。ですがあまり無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう。リュセットも私が部屋を出てくるまでここには近づかないようにお願いね。もしかすると眠気に負けて寝ているかもしれないから。昼食も必要であれば自分で取りに行くわ」
「わかりましたわ」
リュセットは何もかも疑う様子もなく、キッチンへと戻って行った。これでリュセットも部屋を覗きにくることもない。
リュセットはマーガレットの体調を気にして声をかけにくる可能性があった。その時に部屋にマーガレットがいないとなると家中を探し回るかもしれない。するとイザベラやマルガリータに出かけたことがバレるかもしれない。
そうならなかったとしても、家を出ることをリュセットが知ってしまうと昨日のドレスの時のように、何かあればリュセットが責められる可能性もなくはない。何かと罪をリュセットに着せようとするあの諸悪の根源であるマルガリータがあの手この手で要らぬことを吹聴して回るからだ。
「よし、行くか」
一度部屋へと戻り、昨日準備しておいた荷物を掴み、リュセットからもらった朝食を流し込むようにして食べ干し、そっと部屋を後にした。
今皆がキッチンで朝食を食べているのは間違いない。マーガレットは大手を振って、玄関から家を飛び出した——。
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