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本編
わだかまり 4
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マーガレットはその中から一着取り出し、広げた。するとそれはお世辞にも綺麗とは言えず、洗濯しても落ちきれなかったシミや汚れが柄のように浮き上がっていた。明らかに着潰された衣服だった。毎日リュセットが着ている服ではあるはずだが、普段のリュセットは忙しなく動いているしエプロンをつけていることが多いせいか、こうもまじまじと洋服だけを見るとみすぼらしさがより浮き彫りだった。
「マーガレットお姉様は一体、何のために私の洋服が必要なのですか?」
リュセットのクローゼットの中身に気をとられていたせいで、意識が別のところに向いていた。そんなマーガレットの意識はこの質問によって戻ってきたようだ。
「今朝言ったでしょう? マッサージを勉強中だと。実際にマッサージの実践を兼ねて練習する時に、私の服ではどうしても動きづらくって」
「なるほど、そうでしたか。しかし実践するのはどうやって……?」
「枕を使ってみたり……あと、友人にお願いしてマッサージをさせてもらえないか聞いてみようかと思っているの」
カインとのことは伏せておいた。男性にマッサージの練習台になってもらい、さらにお金までもらうなど普通に考えればおかしな話だ。いくらリュセットがマーガレットを慕っていることを差し引いても、理解してもらえるとは思えないからだ。しかもカインのことを話すとなると経緯も話すことになり、もっと話の方向が脱線してしまう。挙句、会うのを止められるかもしれない。
そこまでに至らないとしても、万が一イザベラやマルガリータ達にこのことが知られたら、リュセットとは違う意味で厄介になる。実際にはまだ明後日にならないとわからない。お金のやり取りもマッサージもしていないのだから、これが本当にマーガレットにとって良い話とは限らない。
ただし一つ分かっていることは、これが本当に双方にとって良い提案でカインからの打診が良い話だとしても、あの二人が絡んでくれば必ず良い方向には進まなくなる。男性と二人で会う、男性の体に触れる。特にイザベラはそんな事を未婚の女性がすることではないと目くじらを立てて怒り狂うに決まっている。
「でもこのことはマルガリータお姉様とお母様には内緒にしていてもらえるかしら? きっと二人はこのことを喜ばないと思うから」
「そうかしら、マーガレットお姉様のマッサージはお上手だと思いますわ。……私には少し強すぎましたが」
リュセットは肩をすくめながら、申し訳なさそうな表情をした。しかしすぐにいつもの笑みを携えて、話を続けた。
「マルガリータお姉様もお母様も、マーガレットお姉様がマッサージを勉強してお二人にして差し上げればきっと、喜ぶに違いありませんわ」
リュセットを信用していないわけではないが、こういうプラス思考なところがマーガレットにとっては不安要素だった。そのため今回カインとのことには触れず、この話も二人だけの秘密にしてもらいたいのだ。
あれだけイザベラやマルガリータにいじめられたり蔑まれても、ひたむきで前向きでいられるのはある種の特技ではあるとマーガレットは思っている。しかし、その特技は今のマーガレットの状況には不安でしかないのだ。
「いいえ、よく考えてみて。私が勉強をしているなどと知れば、お母様はどう思うかしら? 勉強などせずに素敵な殿方を探せと言うに決まっているわ。そうすればお母様は私が勉強できないようにするに決まっているもの」
「……確かに、そうかも知れません」
リュセットにも思い当たる節がある様子で、少し考えるような素ぶりを見せたあと、マーガレットの意見に同意するように小さく頷いた。
「マルガリータお姉様にはもう今朝のことでバレてしまいましたが、趣味程度で通せば大丈夫でしょう。けれど、練習までしてると知れば、お母様に告げ口をされてしまう可能性があるわ。それはどうしても避けたいの」
「そうですわね。マルガリータお姉様はきっと、マーガレットお姉様が根を詰めすぎて体調を壊したりすることを心配されて、お母様に伝えてしまうかも知れませんわね」
リュセットにとってマルガリータとはどういう性格をした人物なのか聞いてみたくなるような回答だが、今はそんな欲求を押しのけて、リュセットの澄んだ瞳を真っ直ぐ見つめながら頷いた。
「そうでしょう。だからね、リュセット。この服を借りることも、私が何をしようとしているのかもここだけの話にして欲しいの。お願いできるかしら……?」
「もちろんですわ。私はマーガレットお姉様のなさろうとすることを心から応援いたします」
「ありがとう、リュセット!」
そう言って、マーガレットはリュセットの手を両手で包み込むように掴んで、微笑んだ。するとリュセットも咲き誇る大輪の花のように上品な笑みをこぼした。
リュセットは素敵なドレスもアクセサリーも持ち合わせていないけれど、この笑顔がそれらを上回るほど美しいものだとマーガレットは心からそう感じた。いくらマルガリータやマーガレットが着飾ったところで、いくらリュセットが着古した服を着ていたとしても、リュセットのこの天然の美しさには叶わない。と、そうマーガレットが感じた瞬間だった。
「ところでマーガレットお姉様、どれか合う洋服はありましたか?」
「そうねぇ……」
正直どの洋服もサイズが合わない。特に腰回りが問題だった。ここが合わなければ、わざわざリュセットに借りる意味がない。今着ているドレスも腰がかなり絞られているため、こんな格好でマッサージをすれば服が破れるか、嘔吐するかのどちらかだ。
「これはどうでしょうか? 私には少し大きいのであまり使用していないのですが」
リュセットがクローゼットの奥から取り出したのは、今までのものとは少し違うタイプの洋服だった。それを広げてみると、サイズ感がマーガレットにぴったりで腰のあたりにもゆとりがある。
「これなら私でも着れそうだわ! これ借りても良いかしら?」
「ええ、実はそれ、私の亡くなったお母様が若い頃に着ていたものなんです。他のドレスは売りに出されてしまいましたが、これは売るにもお金にならないからと取って置いたのです」
売ったのはもちろんイザベラだ。ウィルヘルムと再婚した時ドレスは全て没収されていた。その上、ウィルヘルム亡き後はそれもお金の足しにすると言われ売られたのだ。
リュセットはその時も悲しそうな顔こそしたものの、それを甘んじて承諾していた。
「私では着る機会がなかったので、マーガレットお姉様に着ていただけるのであれば服が喜ぶと思いますわ」
「えっ、そうだったの? ダメよ、それならこれは借りられないわ」
手に持っていた洋服をそのままリュセットに押し返した。けれどリュセットも洋服を押し返しながらこう言った。
「大事に置いておいても痛むだけですから。マーガレットお姉様のお役に立てて、そのあとは私がこれを洗濯いたします。クローゼットの中に入れていては触れることも見ることもありませんから。ですからどうか遠慮をなさらないでください」
そこまで言われてしまうと、逆に断りにくくなったマーガレットはありがたくそれを借りることにした。
「お勉強、頑張ってください」
リュセットの部屋を後にし、リュセットの母親の形見だという洋服。決して重くはないはずのそれは、どこかずっしりとした重みを感じた。
「マーガレットお姉様は一体、何のために私の洋服が必要なのですか?」
リュセットのクローゼットの中身に気をとられていたせいで、意識が別のところに向いていた。そんなマーガレットの意識はこの質問によって戻ってきたようだ。
「今朝言ったでしょう? マッサージを勉強中だと。実際にマッサージの実践を兼ねて練習する時に、私の服ではどうしても動きづらくって」
「なるほど、そうでしたか。しかし実践するのはどうやって……?」
「枕を使ってみたり……あと、友人にお願いしてマッサージをさせてもらえないか聞いてみようかと思っているの」
カインとのことは伏せておいた。男性にマッサージの練習台になってもらい、さらにお金までもらうなど普通に考えればおかしな話だ。いくらリュセットがマーガレットを慕っていることを差し引いても、理解してもらえるとは思えないからだ。しかもカインのことを話すとなると経緯も話すことになり、もっと話の方向が脱線してしまう。挙句、会うのを止められるかもしれない。
そこまでに至らないとしても、万が一イザベラやマルガリータ達にこのことが知られたら、リュセットとは違う意味で厄介になる。実際にはまだ明後日にならないとわからない。お金のやり取りもマッサージもしていないのだから、これが本当にマーガレットにとって良い話とは限らない。
ただし一つ分かっていることは、これが本当に双方にとって良い提案でカインからの打診が良い話だとしても、あの二人が絡んでくれば必ず良い方向には進まなくなる。男性と二人で会う、男性の体に触れる。特にイザベラはそんな事を未婚の女性がすることではないと目くじらを立てて怒り狂うに決まっている。
「でもこのことはマルガリータお姉様とお母様には内緒にしていてもらえるかしら? きっと二人はこのことを喜ばないと思うから」
「そうかしら、マーガレットお姉様のマッサージはお上手だと思いますわ。……私には少し強すぎましたが」
リュセットは肩をすくめながら、申し訳なさそうな表情をした。しかしすぐにいつもの笑みを携えて、話を続けた。
「マルガリータお姉様もお母様も、マーガレットお姉様がマッサージを勉強してお二人にして差し上げればきっと、喜ぶに違いありませんわ」
リュセットを信用していないわけではないが、こういうプラス思考なところがマーガレットにとっては不安要素だった。そのため今回カインとのことには触れず、この話も二人だけの秘密にしてもらいたいのだ。
あれだけイザベラやマルガリータにいじめられたり蔑まれても、ひたむきで前向きでいられるのはある種の特技ではあるとマーガレットは思っている。しかし、その特技は今のマーガレットの状況には不安でしかないのだ。
「いいえ、よく考えてみて。私が勉強をしているなどと知れば、お母様はどう思うかしら? 勉強などせずに素敵な殿方を探せと言うに決まっているわ。そうすればお母様は私が勉強できないようにするに決まっているもの」
「……確かに、そうかも知れません」
リュセットにも思い当たる節がある様子で、少し考えるような素ぶりを見せたあと、マーガレットの意見に同意するように小さく頷いた。
「マルガリータお姉様にはもう今朝のことでバレてしまいましたが、趣味程度で通せば大丈夫でしょう。けれど、練習までしてると知れば、お母様に告げ口をされてしまう可能性があるわ。それはどうしても避けたいの」
「そうですわね。マルガリータお姉様はきっと、マーガレットお姉様が根を詰めすぎて体調を壊したりすることを心配されて、お母様に伝えてしまうかも知れませんわね」
リュセットにとってマルガリータとはどういう性格をした人物なのか聞いてみたくなるような回答だが、今はそんな欲求を押しのけて、リュセットの澄んだ瞳を真っ直ぐ見つめながら頷いた。
「そうでしょう。だからね、リュセット。この服を借りることも、私が何をしようとしているのかもここだけの話にして欲しいの。お願いできるかしら……?」
「もちろんですわ。私はマーガレットお姉様のなさろうとすることを心から応援いたします」
「ありがとう、リュセット!」
そう言って、マーガレットはリュセットの手を両手で包み込むように掴んで、微笑んだ。するとリュセットも咲き誇る大輪の花のように上品な笑みをこぼした。
リュセットは素敵なドレスもアクセサリーも持ち合わせていないけれど、この笑顔がそれらを上回るほど美しいものだとマーガレットは心からそう感じた。いくらマルガリータやマーガレットが着飾ったところで、いくらリュセットが着古した服を着ていたとしても、リュセットのこの天然の美しさには叶わない。と、そうマーガレットが感じた瞬間だった。
「ところでマーガレットお姉様、どれか合う洋服はありましたか?」
「そうねぇ……」
正直どの洋服もサイズが合わない。特に腰回りが問題だった。ここが合わなければ、わざわざリュセットに借りる意味がない。今着ているドレスも腰がかなり絞られているため、こんな格好でマッサージをすれば服が破れるか、嘔吐するかのどちらかだ。
「これはどうでしょうか? 私には少し大きいのであまり使用していないのですが」
リュセットがクローゼットの奥から取り出したのは、今までのものとは少し違うタイプの洋服だった。それを広げてみると、サイズ感がマーガレットにぴったりで腰のあたりにもゆとりがある。
「これなら私でも着れそうだわ! これ借りても良いかしら?」
「ええ、実はそれ、私の亡くなったお母様が若い頃に着ていたものなんです。他のドレスは売りに出されてしまいましたが、これは売るにもお金にならないからと取って置いたのです」
売ったのはもちろんイザベラだ。ウィルヘルムと再婚した時ドレスは全て没収されていた。その上、ウィルヘルム亡き後はそれもお金の足しにすると言われ売られたのだ。
リュセットはその時も悲しそうな顔こそしたものの、それを甘んじて承諾していた。
「私では着る機会がなかったので、マーガレットお姉様に着ていただけるのであれば服が喜ぶと思いますわ」
「えっ、そうだったの? ダメよ、それならこれは借りられないわ」
手に持っていた洋服をそのままリュセットに押し返した。けれどリュセットも洋服を押し返しながらこう言った。
「大事に置いておいても痛むだけですから。マーガレットお姉様のお役に立てて、そのあとは私がこれを洗濯いたします。クローゼットの中に入れていては触れることも見ることもありませんから。ですからどうか遠慮をなさらないでください」
そこまで言われてしまうと、逆に断りにくくなったマーガレットはありがたくそれを借りることにした。
「お勉強、頑張ってください」
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