サンドリヨン 〜 シンデレラの悪役令嬢(意地悪姉役)に転生したので前職を生かしてマッサージを始めました 〜

浪速ゆう

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本編

早朝の出来事 7

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 マーガレットは一度図書館へ行った際、この世界では本を借りるのもお金が必要なのだと知った。義父親のウィルヘルムが帰らぬ人となった今、イザベラは娘達に玉の輿と結婚し、生活を豊かにすることばかり考えている。また、イザベラに言わせると、女性は知性をつけると可愛げがなくなり、男性から敬遠されると言う。だからこそ余計に本を借りるためにお金を貰うことは不可能だった。
 もし5ソルドのお金があれば……そんな思いに瞳を輝かせているマーガレットに、カインはさらにこう言葉を続けた。

「もちろん、マーガレットの腕をみてそれに合わせて報酬は上乗せしよう。5ソルドはあくまで目安で言ったまでだ」

 この美味しい申し出に飛びつきたいところだが、マーガレットには一抹の不安があった。それはこの世界に転生してからマッサージをしたことがないため、手の感覚、力加減が上手くできるかがわからない。曲がりなりにも前世ではセラピストとして、プロとして働いていた経験があり、前世ではスクールも出ている。そんなプロ意識から下手なマッサージはしたくないとも思っていた。金額に見合うテクニックがあるのかどうかが疑問であり、見合わなければお金を貰う資格はない。マーガレットは真面目にそんな事を思っていた。

「とても嬉しい申し出ではありますが、先ほども申し上げた通り、私はまだマッサージを勉強中なのです。それも独学で勉強しているため、人様にして差し上げるなど……」
「ならば余計にいい機会だとは思わないか? 勉強するにも資料が必要だろう。資料を借りるのも買うのも、金がかかること、そうだろう?」

 マーガレットは言い返すことが出来ない。カインの言うことは正しく、マーガレットがこの申し出を引き受けたい理由でもあるのだ。カインはなかなか頭がキレる上に、人の弱いところを突くのも上手い。カインが若くして騎士団長をしている理由が分かった気がした。

「それに、実際に人の身体に触れて見なければ、技術は向上しないのではないか? いくら座学で勉強したところで、頭でっかちになるだけではないか? 実戦では使えないというのでは意味がないように思うのだが」

 マーガレットは口を真一文字に締めている様子を見て、カインはクスクスと笑った。今度の笑い方は嫌味を感じるようないつもの笑みだった。

「金を貰えて勉強が思う存分できる。俺はさしずめパトロンといったところだな」
「……それでは、カイン様、あなた様の利点はなんなのでしょうか? 私のような見習いにも満たない者にお金を費やす理由が知りたく存じます」

 女性とは男性よりも地位が低いと感じるこの世界で、そんな甘い話はあるはずないとマーガレットは思っていた。女性の地位が低いということは、何かあれば泣き寝入りしなければならないのはこちらの方。その上マッサージは身体を触り、触れる仕事。満里奈として生きた前世でも何度かセクシャルな目的でマッサージを受けに来るお客がいた。マーガレットとなった今でもその記憶は残っていた。
 そのため、いくら騎士団長とはいえ、カインが変な気を起こさないとも限らなければ、実際はそういう目的で提案している可能性も無きにしも非ずなのだ。現に昨日も勘違いとはいえ、マーガレットはすでに一度カインに押し倒されているのだ。マーガレットが必要以上に警戒するのもおかしくはない。

「俺はマーガレット一途な思いに感銘を受けたのだ。それに、お前の技術は悪くはないと思う。俺はそれで頭痛や身体の不調が改善し、マーガレットは金と経験が貰える。双方にとって利があるとは思わないか?」

 マーガレットは考えるように、腕を組んで口元に手を当てた。悪い話ではない、けれどどうしても不安は拭えないでいた。何せ昨日はカインから、今日は山賊から襲われそうになったのだ。特に山賊が触れたあの気持ちの悪い感覚は今でも記憶に焼きつき、離れない。
 そんな不安を感じている中、カインは再びマーガレットの手を取った。

「マーガレットよく聞け。これはビジネスだ。俺はお前にやましい感情を抱くことはないし、純粋にマッサージをして欲しいと思っている」

 そして、腰に差していた剣を抜き差し、顔の前に突き立てた。

「この剣に誓おう、俺の言葉に嘘偽りがないことを。そして、誇りと名誉にかけて」

 真っ直ぐ、射抜くようにマーガレットを見つめるカインの瞳は、一点の曇りもないように思えた。この人を信じても大丈夫……そんな風に思えることが不思議でならなかった。
 昨日はあんな出会い方をし、まだ出会ってたったの二日の間柄だというのに。

「……わかりました。そこまでおっしゃるのであれば、カイン様のお言葉を信じましょう」

 マーガレットが胸を張ってそう言うと、カインは少しばかり微笑んだ後、剣を鞘に納め、マーガレットの手の甲にキスを落とした。

「二言はない。信じろ」

 カインの柔らかな唇が触れたそこを、マーガレットは無意識でそっとそこに触れた。まるで近いの証が消えてしまわないようにと願うかのように。

「話が決まれば街まで馬を走らせよう」
「馬!?」

 マーガレットは馬に乗ったことがない。乗れるのか、そもそも振り落とされないのかが不安だった。

「いえ、歩いて帰れます」
「今朝襲われたというのに、また同じことを繰り返すつもりか?」

 カインが冷ややかに言うが、カインの言葉尻よりも今朝の光景を思い出してマーガレットは背筋が凍りそうになった。

「わかったのなら、乗れ」
「……よろしくお願いいたします」

 降参とでも言いたげに、マーガレットは頭を下げた。すると、下げた頭の上からカインの大きな手が触れた。まるで子供をあやすように撫でるそれは、意外とマーガレットの怯えた心を解きほぐしていく。
 カインは馬の首を撫でた後、ふわりと軽やかに馬の上に飛び乗った。

「手を貸せ、1、2、3で引き上げるから思いっきりジャンプをするつもりで飛び乗れ」
「えっ、そんな!」

 自分の背丈よりも大きな馬にどうやって……そんな不安を感じる暇もなく、カインはカウントを始めた。

「1、2……3!」
「きゃっ」

 マーガレットは思わず目を瞑り、カウントに合わせてジャンプしたが、カインが上手く引き上げてくれた。マーガレットが恐る恐る目を開けると、すっぽりとカインの腕の中に埋まるような形で馬の上に跨っていた。
 カインの吐息が髪にかかる。心音が聞こえてきそうなこの距離に、流石のマーガレットも赤面してゆく顔を抑えられずにいた。

「顔が真っ赤だぞ」

 わざわざ指摘しなくてもいいものを、カインは嫌味ったらしくそう言った。マーガレットの様子を見て、完全に楽しんでいる。

「う、馬に乗るのは初めてなので、緊張しているのです」
「では、馬のたてがみをしっかりと握り締めておけ。マーガレットが強く握ったところで、馬にとっては痛くもかゆくもないから、遠慮はするな。さもないと振り落とされるぞ」

 マーガレットはカインが指し示したあたりのたてがみを両手で必死に掴んだ。すると、そんなマーガレットを包み込むようにしてカインは手綱を握り、走り出した。
 上質なシルクを思い起こすような艶のある毛並みをした黒馬。風を切り裂きながら走るその力強い姿に、振り落とされそうだとかいう不安を一切感じない。それは馬の扱いが上手いカインのおかげなのか、それとも馬が優秀なのか。乗馬が初めてのマーガレットにとってその答えは見つけ出せそうにもない。

 そうこうしている間に、街の入り口に着いた。先にカインが下馬し、抱きかかえるようにして、マーガレットも下馬した。

「では早速だが、明後日、マーガレットと俺が初めて出会ったのと同じ時刻にここで落ち合おう」
「……はい、かしこまりました」

 マーガレットは再びドレスの裾を持ち上げ、会釈する。

「あと、俺のことはカインでいい。その振る舞いも言葉遣いも不要だ。職務と城以外で堅苦しいのはごめんだからな」

 そう言って、カインは再び馬に飛び乗り、片手を上げて走り去った。マーガレットはまだ初めての乗馬の感覚と、カインから発せられた甘いパフュームの香りに酔いしれていた。それは今朝のあの不快な感覚すらも消し去るほどに。
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