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第1章、旅立ち編1――その日青年は最強と謳われた魔王候補生を救った
ミースクリア勇者協会
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勇者協会《ソサエティ》と目立つ看板を掲げた建物は、ミースクリアでは時計塔に次ぐ大きな建物で、街の観光名所にもなっている。
石造りの三階建てには、大きなガラス窓がつけられており、青い屋根が目立つ。看板の上では燃ゆる炎をイメージした魔素《マナ》が光を放っていた。
その勇者協会は街の中央、メインストリートに面したところにある。
街は祭りの最中で当然、街の中央となれば、人通りが一番多い場所だ。
エリンスははぐれないように自然とアグルエの手を握りしめる。
往来するフラフラする足取りの酔っ払いや、並んで歩き談笑する集団、露店に目を取られ前を見ていない者など。
それぞれが祭りの空気に翻弄されて、注意力散漫に歩いているために、真っすぐ進むエリンスたちが神経を使う羽目になる。
エリンスは人混みに圧されないようアグルエをかばいながら道を開き、前だけを見て必死に歩いていた。
だからアグルエがどんな表情をしてついて来ていたのか――エリンスには知る由もない。
◇◇◇
そうして、二人は街の喧騒から逃げるように勇者協会へと飛び込んだ。
この日の勇者協会は関係者しか立ち入れないために、人も疎《まば》らだったことが救いだ。
ようやくエリンスは「ふぅ」と一息つくことができた。横で再び項垂《うなだ》れているアグルエも、「すごい人通りね……」と疲労を隠し切れない様子だった。
「いらっしゃいませ、ようこそ勇者協会へ! ご依頼ですか? それともお仲間をお探しですか? 我々にサポートできることなら何なりとお申し付けください!」
二人を見て、疲労感を吹き飛ばすような明るい返事をしてくれたのは、勇者協会入口正面のカウンターにいる受付のお姉さんだった。手を顔の前に出して、案内するような仕草に笑顔が眩しい。
勇者協会は勇者候補生を管理してサポートする団体でもある。
この世界の全ての主要都市に存在し、ほとんどの町村と連携し展開する。
今の時代、世界を旅する必要がある勇者候補生にとっては、欠かせない存在となっているものだ。
町人から依頼を受け、依頼解決へと乗り出す勇者候補生との仲介役を担うこともある。
依頼を解決すれば勇者協会から報酬をもらうことができたり、旅の途中で功績を上げれば、勇者協会から評価されて表彰されたりすることもある。
また勇者協会には毎年の勇者候補生の成績が記録されている。勇者候補生一人一人の実績や功績、現在の同盟《パーティー》状況までもがまとめられており、勇者候補生であれば誰でも確認することができるようになっている。
勇者協会お決まりの受付のお姉さんの挨拶に、エリンスはどう返事をしようかと迷っていた。
「依頼、でいいのかな……?」
アグルエのほうをうかがいながらボソッと呟く。アグルエも身構えたような表情でエリンスと顔を見合わせた。
しかし返事をしたのは、受付のお姉さんでもなければアグルエでもなかった。
「あれ、これはこれは。エリンス・アークイルじゃねぇか」
エリンスは嫌味を含んだその声に聞き覚えがあった。声のしたほうへと顔を向け、「やはり」と表情を強張らせる。
「落ちこぼれ最下位のおまえが今更ここにきたところで、同盟《パーティー》を組んでくれる相手なんて見つからないと思うぜ」
エリンスと同年齢である十七歳の割には筋肉質で大柄な体格。突っ立てた髪型からはいかつさを感じ、鋭い目つきは兎を狩る鷲のようだ。
防具は鉄の胸当てをつけただけの身軽さ。背中には体格に見合う大剣とも呼ばれる、大きな両手剣を背負っている。
「ジャカス……」
会いたくないやつに出会ってしまった――エリンスは困った顔をしたまま返事をした。
その青年は、ジャカス・ハルムント。
エリンスとは同郷の出身であり、同時期に『師匠』から剣を習ったこともある勇者候補生だ。
「別に、仲間を探しにきたわけじゃない」
「探しても見つかりっこないもんな」
そう言いながら「ワハハ」と笑うジャカスには、弱者を相手にする強者の余裕がうかがえた。
「ふふっ、なーに? ジャカスって落ちこぼれくんと知り合いだったのー?」
ジャカスの横で同じように笑ったのは、少し露出の目立つスレンダーな体型の女性だった。
肩口で揃えた赤い髪に、日焼けした小麦色の肌。ぱっちりとした緑色の目が印象的。
スラッとした手足に踊り子のような服装。腰には短剣を携えている。
エリンスは彼女の名も知っていた。勇者候補生の試験を受ける際、やたらジャカスと仲良さそうに振る舞っていたことが印象深かった。
名はミルティ・カルジャ。魔導士の血筋を持つ勇者候補生。
状況を見る限り、ジャカスと同盟《パーティー》を組んだのだろうことは想像がついた。
ジャカスはミルティのほうへと体を向けて、大げさな動作で腕を広げてから喋り出す。
「こいつとは同郷なんだよ」
「へぇー意外な繋がり!」
そこでジャカスは再びエリンスのほうへ向きなおって口を開いた。
「それにしてもよく候補生になれたよな。運だけで生き残った落ちこぼれがよ」
エリンスはそれに対して、何も言い返せない。
「本来ならあいつが、その資格を手にするのが相応しかったんじゃねえのか」
ジャカスはエリンスの痛いところを的確に突いてくる。
同郷の好《よし》みというやつは、人に知られたくない過去も知られているということだ。
だからエリンスにとっては、出会いたくないやつだった。
言い返してやりたい。
だけど、それは――事実だから言い返せない。
エリンスは拳を握りぐっとこらえた。
こういうことも想定できたから本当は立ち寄るつもりはなかったのに、と思わなくもない。
だが、そんなエリンスとは裏腹に、口を開いたのは横にいたアグルエだった。
「あなたたち二人の事情ってやつはわたしにはわからない。だけどその言い方は、酷い。あなたみたいなのが勇者候補生? 勇者候補生って、あなたみたいなのでもなれる粗末なものなの?」
アグルエは凛とした風に胸を張って口を出した。
そのような言われようをして、ジャカスも黙っていなかった。
「は? なんだ、おまえ……?」
「わたし? わたしは、――魔導士。エリンスの仲間の」
――へっ?
と、心の中で呟いたのはエリンスだった。
――いつ仲間になった?
それは怒りから飛び出しただろう、あからさまなアグルエの嘘だった。
「魔導士ぃ? そんなもん、俺にだってわかる。おまえからは一切魔力を感じない。だろう? ミルティ」
「えぇ……この子、魔素《マナ》を持っていないように見えるけど……」
魔導士とは、魔法に優れた者――魔素《マナ》を扱うことに秀でた者を差す言葉。
故に魔導士は魔素《マナ》を多く扱えて、魔素《マナ》の集合体である『魔力』を体内に多く持つことができる。
魔力の量こそが、魔導士の実力だとされている。
魔素《マナ》を扱うことができるものからすれば、体内にある魔力をおおよそは感じることができるのだ。
だから一般的に魔導士たちは、互いの実力を対面しただけで測ることができる。
「こいつはめでたいもんだ。魔力を感じない魔導士と落ちこぼれ勇者候補生、お似合いだぜ」
面白いものでも見たといったように「ワハハハハ」とジャカスは笑った。
アグルエの中で怒りの炎が燃え上がったのが、横にいたエリンスにも伝わるようだった。
アグルエが静かに右手を前に出すと、そこには手のひら大の黒い炎が浮かんでいた。
先が透き通って見える薄い黒い光を持つ炎――綺麗な宝石のようにすら見えるそれは、だけど深淵へと繋がる異質なものであるようにすら見える。
それを見たミルティは、「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げ、表情が一瞬で青ざめた。
そして次の瞬間、アグルエは黒い炎をジャカスに向かって放つ。
腰に手を当てて笑い続けたジャカスがそれに気づいたのは、彼の左手を黒い炎が包んだときだった。
「あっ?」
ジャカスは左手を眼前へと上げて、黒い炎を不思議そうに眺めている。
炎と言えば熱いもの、というイメージがごく当たり前にある。しかし、ジャカスは黒い炎から熱を感じていないようだ。
「訂正して。そしてエリンスに謝って」
アグルエが怒りを殺して静かに口にする。
ジャカスは何をされているのか、全く気づいていない様子で返事をした。
「謝る? なんで俺が。ただ事実を言っ――って、あちぃ! なんだこれ! 熱い!」
エリンスを相手にして余裕の態度を貫いていたジャカスであったが、その余裕はもう存在しなかった。
ジャカスは黒い炎のまとわりついた左手をぶんぶんと振り回しながら、熱さから必死に逃げようと勇者協会内を走り回った。
しかし、いくらそうやっても黒い炎が消えることはない。カウンターにあったピッチャーの水を掛けてもびくともしない黒い炎に、ジャカスは次第に恐怖を感じたように表情が青ざめていった。
「わ、悪かったって! 訂正する、おまえはすげー魔導士だっ!」
アグルエの真意はそちらではなかっただろう。ただジャカスの様子に満足したのか、アグルエは右手を振って魔法を取り消した。
ジャカスは左手の黒い炎が消えても、熱さに耐えられないといった様子で悶えながら転がり、そしてその場から逃げ出した。
ミルティもばつが悪そうな顔をしたままアグルエへと目線を送り、逃げたジャカスを追いかけて、勇者協会を飛び出していく。
勇者協会の受付のお姉さんは、慣れた様子でニコニコと見守っていた。「またのお越しを~」といつもの調子で挨拶をしているだけだった。
勇者協会にいれば、こういったトラブルは日常茶飯事らしい。
勇者協会は勇者候補生を管理する、といっても勇者候補生同士の問題には不介入が鉄則だ。あくまでも勇者候補生にとっては我関せずといった立場でいるだけだった。
「ふん」と鼻を鳴らして満足そうにするアグルエに、エリンスはすっかり置いていかれてしまった。
しかし、心に閊《つか》えていた悔しさが消えていることに気がついた。
アグルエに礼を言いたい気持ちもあったのだが、とりあえず訂正はしておこうと考えて口を開く。
「仲間になったつもりは、ないんだけど」
エリンスにも出まかせの嘘だとはわかっていた。
しかしまたしても、そのエリンスの呟きにこたえたのは、受付のお姉さんでもアグルエでもなかった。
「すげー魔導士がいるじゃん! 決めたぜ、アーキス! 俺はこいつを仲間にする」
その声にはさっぱりと聞き覚えのないエリンスであったが、アーキスという名前に聞き覚えがあった。
声のほうへと目を向けると、やはりそれはエリンスも見聞きしたことがある人物だった。
片目が隠れる長さの黒髪に、額にはサークレットが光る。
先を見据えるような涼しい瞳をして、整った顔立ちをしている。
軽鎧《ライトアーマー》をつけてマントを羽織った長身の男――アーキスと呼ばれた男が「やれやれ」と首を振りながら、もう一人の男と並んで寄ってきた。
もう一人の男――声の主にも、エリンスは見覚えがあった。
爽やかで活発というような軽快さを纏い、長身のわりには少年のような眩しさも併せ持つ青年。
短い金髪は清潔感に溢れていて、何物にも染まりそうもない、力強い翠色《すいしょく》の瞳を宿している。
身につけた軽鎧《ライトアーマー》には、とある王国の紋章が入っている。
今年の勇者候補生でありながら、試験の段階で既に二つ名が通っているほど。
勇者候補生ランク第一位、アーキス・エルフレイ、天剣のアーキス。
勇者候補生ランク第二位、メルトシス・ファーラス・リカーリオ、神速のメルトシス。
エリンスとアグルエに近づいて来たのは、その二人だった。
石造りの三階建てには、大きなガラス窓がつけられており、青い屋根が目立つ。看板の上では燃ゆる炎をイメージした魔素《マナ》が光を放っていた。
その勇者協会は街の中央、メインストリートに面したところにある。
街は祭りの最中で当然、街の中央となれば、人通りが一番多い場所だ。
エリンスははぐれないように自然とアグルエの手を握りしめる。
往来するフラフラする足取りの酔っ払いや、並んで歩き談笑する集団、露店に目を取られ前を見ていない者など。
それぞれが祭りの空気に翻弄されて、注意力散漫に歩いているために、真っすぐ進むエリンスたちが神経を使う羽目になる。
エリンスは人混みに圧されないようアグルエをかばいながら道を開き、前だけを見て必死に歩いていた。
だからアグルエがどんな表情をしてついて来ていたのか――エリンスには知る由もない。
◇◇◇
そうして、二人は街の喧騒から逃げるように勇者協会へと飛び込んだ。
この日の勇者協会は関係者しか立ち入れないために、人も疎《まば》らだったことが救いだ。
ようやくエリンスは「ふぅ」と一息つくことができた。横で再び項垂《うなだ》れているアグルエも、「すごい人通りね……」と疲労を隠し切れない様子だった。
「いらっしゃいませ、ようこそ勇者協会へ! ご依頼ですか? それともお仲間をお探しですか? 我々にサポートできることなら何なりとお申し付けください!」
二人を見て、疲労感を吹き飛ばすような明るい返事をしてくれたのは、勇者協会入口正面のカウンターにいる受付のお姉さんだった。手を顔の前に出して、案内するような仕草に笑顔が眩しい。
勇者協会は勇者候補生を管理してサポートする団体でもある。
この世界の全ての主要都市に存在し、ほとんどの町村と連携し展開する。
今の時代、世界を旅する必要がある勇者候補生にとっては、欠かせない存在となっているものだ。
町人から依頼を受け、依頼解決へと乗り出す勇者候補生との仲介役を担うこともある。
依頼を解決すれば勇者協会から報酬をもらうことができたり、旅の途中で功績を上げれば、勇者協会から評価されて表彰されたりすることもある。
また勇者協会には毎年の勇者候補生の成績が記録されている。勇者候補生一人一人の実績や功績、現在の同盟《パーティー》状況までもがまとめられており、勇者候補生であれば誰でも確認することができるようになっている。
勇者協会お決まりの受付のお姉さんの挨拶に、エリンスはどう返事をしようかと迷っていた。
「依頼、でいいのかな……?」
アグルエのほうをうかがいながらボソッと呟く。アグルエも身構えたような表情でエリンスと顔を見合わせた。
しかし返事をしたのは、受付のお姉さんでもなければアグルエでもなかった。
「あれ、これはこれは。エリンス・アークイルじゃねぇか」
エリンスは嫌味を含んだその声に聞き覚えがあった。声のしたほうへと顔を向け、「やはり」と表情を強張らせる。
「落ちこぼれ最下位のおまえが今更ここにきたところで、同盟《パーティー》を組んでくれる相手なんて見つからないと思うぜ」
エリンスと同年齢である十七歳の割には筋肉質で大柄な体格。突っ立てた髪型からはいかつさを感じ、鋭い目つきは兎を狩る鷲のようだ。
防具は鉄の胸当てをつけただけの身軽さ。背中には体格に見合う大剣とも呼ばれる、大きな両手剣を背負っている。
「ジャカス……」
会いたくないやつに出会ってしまった――エリンスは困った顔をしたまま返事をした。
その青年は、ジャカス・ハルムント。
エリンスとは同郷の出身であり、同時期に『師匠』から剣を習ったこともある勇者候補生だ。
「別に、仲間を探しにきたわけじゃない」
「探しても見つかりっこないもんな」
そう言いながら「ワハハ」と笑うジャカスには、弱者を相手にする強者の余裕がうかがえた。
「ふふっ、なーに? ジャカスって落ちこぼれくんと知り合いだったのー?」
ジャカスの横で同じように笑ったのは、少し露出の目立つスレンダーな体型の女性だった。
肩口で揃えた赤い髪に、日焼けした小麦色の肌。ぱっちりとした緑色の目が印象的。
スラッとした手足に踊り子のような服装。腰には短剣を携えている。
エリンスは彼女の名も知っていた。勇者候補生の試験を受ける際、やたらジャカスと仲良さそうに振る舞っていたことが印象深かった。
名はミルティ・カルジャ。魔導士の血筋を持つ勇者候補生。
状況を見る限り、ジャカスと同盟《パーティー》を組んだのだろうことは想像がついた。
ジャカスはミルティのほうへと体を向けて、大げさな動作で腕を広げてから喋り出す。
「こいつとは同郷なんだよ」
「へぇー意外な繋がり!」
そこでジャカスは再びエリンスのほうへ向きなおって口を開いた。
「それにしてもよく候補生になれたよな。運だけで生き残った落ちこぼれがよ」
エリンスはそれに対して、何も言い返せない。
「本来ならあいつが、その資格を手にするのが相応しかったんじゃねえのか」
ジャカスはエリンスの痛いところを的確に突いてくる。
同郷の好《よし》みというやつは、人に知られたくない過去も知られているということだ。
だからエリンスにとっては、出会いたくないやつだった。
言い返してやりたい。
だけど、それは――事実だから言い返せない。
エリンスは拳を握りぐっとこらえた。
こういうことも想定できたから本当は立ち寄るつもりはなかったのに、と思わなくもない。
だが、そんなエリンスとは裏腹に、口を開いたのは横にいたアグルエだった。
「あなたたち二人の事情ってやつはわたしにはわからない。だけどその言い方は、酷い。あなたみたいなのが勇者候補生? 勇者候補生って、あなたみたいなのでもなれる粗末なものなの?」
アグルエは凛とした風に胸を張って口を出した。
そのような言われようをして、ジャカスも黙っていなかった。
「は? なんだ、おまえ……?」
「わたし? わたしは、――魔導士。エリンスの仲間の」
――へっ?
と、心の中で呟いたのはエリンスだった。
――いつ仲間になった?
それは怒りから飛び出しただろう、あからさまなアグルエの嘘だった。
「魔導士ぃ? そんなもん、俺にだってわかる。おまえからは一切魔力を感じない。だろう? ミルティ」
「えぇ……この子、魔素《マナ》を持っていないように見えるけど……」
魔導士とは、魔法に優れた者――魔素《マナ》を扱うことに秀でた者を差す言葉。
故に魔導士は魔素《マナ》を多く扱えて、魔素《マナ》の集合体である『魔力』を体内に多く持つことができる。
魔力の量こそが、魔導士の実力だとされている。
魔素《マナ》を扱うことができるものからすれば、体内にある魔力をおおよそは感じることができるのだ。
だから一般的に魔導士たちは、互いの実力を対面しただけで測ることができる。
「こいつはめでたいもんだ。魔力を感じない魔導士と落ちこぼれ勇者候補生、お似合いだぜ」
面白いものでも見たといったように「ワハハハハ」とジャカスは笑った。
アグルエの中で怒りの炎が燃え上がったのが、横にいたエリンスにも伝わるようだった。
アグルエが静かに右手を前に出すと、そこには手のひら大の黒い炎が浮かんでいた。
先が透き通って見える薄い黒い光を持つ炎――綺麗な宝石のようにすら見えるそれは、だけど深淵へと繋がる異質なものであるようにすら見える。
それを見たミルティは、「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げ、表情が一瞬で青ざめた。
そして次の瞬間、アグルエは黒い炎をジャカスに向かって放つ。
腰に手を当てて笑い続けたジャカスがそれに気づいたのは、彼の左手を黒い炎が包んだときだった。
「あっ?」
ジャカスは左手を眼前へと上げて、黒い炎を不思議そうに眺めている。
炎と言えば熱いもの、というイメージがごく当たり前にある。しかし、ジャカスは黒い炎から熱を感じていないようだ。
「訂正して。そしてエリンスに謝って」
アグルエが怒りを殺して静かに口にする。
ジャカスは何をされているのか、全く気づいていない様子で返事をした。
「謝る? なんで俺が。ただ事実を言っ――って、あちぃ! なんだこれ! 熱い!」
エリンスを相手にして余裕の態度を貫いていたジャカスであったが、その余裕はもう存在しなかった。
ジャカスは黒い炎のまとわりついた左手をぶんぶんと振り回しながら、熱さから必死に逃げようと勇者協会内を走り回った。
しかし、いくらそうやっても黒い炎が消えることはない。カウンターにあったピッチャーの水を掛けてもびくともしない黒い炎に、ジャカスは次第に恐怖を感じたように表情が青ざめていった。
「わ、悪かったって! 訂正する、おまえはすげー魔導士だっ!」
アグルエの真意はそちらではなかっただろう。ただジャカスの様子に満足したのか、アグルエは右手を振って魔法を取り消した。
ジャカスは左手の黒い炎が消えても、熱さに耐えられないといった様子で悶えながら転がり、そしてその場から逃げ出した。
ミルティもばつが悪そうな顔をしたままアグルエへと目線を送り、逃げたジャカスを追いかけて、勇者協会を飛び出していく。
勇者協会の受付のお姉さんは、慣れた様子でニコニコと見守っていた。「またのお越しを~」といつもの調子で挨拶をしているだけだった。
勇者協会にいれば、こういったトラブルは日常茶飯事らしい。
勇者協会は勇者候補生を管理する、といっても勇者候補生同士の問題には不介入が鉄則だ。あくまでも勇者候補生にとっては我関せずといった立場でいるだけだった。
「ふん」と鼻を鳴らして満足そうにするアグルエに、エリンスはすっかり置いていかれてしまった。
しかし、心に閊《つか》えていた悔しさが消えていることに気がついた。
アグルエに礼を言いたい気持ちもあったのだが、とりあえず訂正はしておこうと考えて口を開く。
「仲間になったつもりは、ないんだけど」
エリンスにも出まかせの嘘だとはわかっていた。
しかしまたしても、そのエリンスの呟きにこたえたのは、受付のお姉さんでもアグルエでもなかった。
「すげー魔導士がいるじゃん! 決めたぜ、アーキス! 俺はこいつを仲間にする」
その声にはさっぱりと聞き覚えのないエリンスであったが、アーキスという名前に聞き覚えがあった。
声のほうへと目を向けると、やはりそれはエリンスも見聞きしたことがある人物だった。
片目が隠れる長さの黒髪に、額にはサークレットが光る。
先を見据えるような涼しい瞳をして、整った顔立ちをしている。
軽鎧《ライトアーマー》をつけてマントを羽織った長身の男――アーキスと呼ばれた男が「やれやれ」と首を振りながら、もう一人の男と並んで寄ってきた。
もう一人の男――声の主にも、エリンスは見覚えがあった。
爽やかで活発というような軽快さを纏い、長身のわりには少年のような眩しさも併せ持つ青年。
短い金髪は清潔感に溢れていて、何物にも染まりそうもない、力強い翠色《すいしょく》の瞳を宿している。
身につけた軽鎧《ライトアーマー》には、とある王国の紋章が入っている。
今年の勇者候補生でありながら、試験の段階で既に二つ名が通っているほど。
勇者候補生ランク第一位、アーキス・エルフレイ、天剣のアーキス。
勇者候補生ランク第二位、メルトシス・ファーラス・リカーリオ、神速のメルトシス。
エリンスとアグルエに近づいて来たのは、その二人だった。
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