霊山の裁き

聖岳郎

文字の大きさ
上 下
16 / 16

虹の彼方に

しおりを挟む
 月が替わった八月一日月曜日の午後、空木は愛車のミニバイクで浅見芳江のマンションに向かっていた。
 今日はこの夏一番の暑さとなり、セミも木から落ちるのではないかと思わせる程の暑さだった。
 芳江はクリーム色の膝下丈のパンツに淡いピンクのポロシャツ姿で空木を出迎えた。空木には、芳江の様子が以前より生き生きしているように見えた。
 空木の顔を見た芳江の顔がほころび、「お久し振りです。お元気ですか」と言って、部屋に招いた。空木がここを訪ねるのは六月二十五日以来であった。
 応接ソファーに座った空木は、改めて依頼された仕事の報告に来たことを芳江に告げた。
「奥さんもお元気そうで何よりです。依頼された調査の報告に一ヶ月以上もかかってしまい、申し訳ありませんでした。もう警察からお聞きになったと思いますが、ご主人を殺害した犯人は、伊村政人という男で、今年の三月までご主人と同じ東亜製薬に勤めていた男でした」
 と言った後、空木は淡々と浅見豊の仙台での出来事を報告した。
 およそ二年前、部下であった江島という男の紹介で知り合った仲内好美という女性との間で子供が出来た。妊娠を浅見豊が知ったのは、昨年の一月か二月と思われる。本人が異動を希望したのはこの後だった。その異動希望が叶い、名古屋へ転勤したのだと思われる。
 その仲内好美との間に出来た子が生まれたのは、昨年の十月で名前は育実という女の子だった。好美は、姉夫婦から養女にという申し出を受けたが、浅見豊が結婚してくれるという言葉を信じ、頑なに拒否した。
 浅見豊は好美の義兄から結婚しないのであれば、せめて認知するよう求められたが、お金を出しただけだった。それがあの五十万円だった。
 そしてあの三月十一日という日を迎えてしまった。仲内好美母子は、両親、姉とともに大震災による大津波に巻き込まれてしまい、行方不明となり未だに発見されていない。
 最後に、浅見豊を殺害した伊村政人という男は、実は仲内好美の義兄だった。と伝えた。
 これらの事を淡々と報告した。空木が話し終えた時、空はにわかに真っ黒になっていた。静かに聞いていた芳江は深々と頭を下げた。
 「空木さん、嫌なお仕事をお願いして申し訳ありませんでした。主人がしたことは、人として許されることではありません。主人があんな目に遭ったのは、好美さん母子の怨念なのではないでしょうか。もしも機会があれば、好美さん母子の墓前に、主人に代わってお詫びしたいと思います」
 芳江が話し終わるのに合わせるように、激しい雨音がし始めた。スコールのような夕立が降り始めた。
 「奥さんも、好美さん母子、そして家族が早く見つかるように祈ってあげてください」
 空木は、雨が止むまで居たらどうかという芳江の好意を辞して、浅見家を出た。
 愛車に跨った空木は、好きな場所である立川の国営公園に走った。六車線の大通りの上に架かった公園入り口の橋の上に空木が立った時には、もう雨は上がり、雲が切れ、また夏の陽射しが猛烈に地面を照らし始めていた。遠くに、丹沢の山々と奥多摩、奥秩父の山々がスカイラインを見せていた。そして見事な、大きな虹がかかった。
 空木は何故か、伊村の育った秩父両神の村に行って見たいと思った。

 その夜、空木と石山田は「さかり屋」の入り口をくぐった。「いらっしゃい」のいつもの声がした。その後にもう一つ「いらっしゃいませ」と透き通るような声がした。
 空木は「えっ、何で」と声を出した。空木は霊仙山の廃屋で死体を見た時よりも驚いた。それは山形の鳥鍋屋『おまつ』で会った、坂井良子だった。
 「空木さんでしたね。坂井良子です。今日からここで、叔父さんのところで働くことになりました。宜しくお願いします」
 良子は笑顔を見せながら、丁寧に頭を下げた。
 「健ちゃん、こんな偶然めったにないよ。山の神がくれた奇跡だ。大事にしろよ」石山田は言って、空木の背中を叩いた。
 空木はその夜、人生で何度もないであろう心地良い酔いを経験した。空木はその心地良い酔いの中で思った。人生には恨みも感謝も、哀しみも喜びもある。人間だからそれは仕方のない事だろう。思いの全て背負って精一杯生きて行くことが出来る人間でありたいと。
                              
                                           了                         
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

【完結】共生

ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。 ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。 隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?

【毎日更新】教室崩壊カメレオン【他サイトにてカテゴリー2位獲得作品】

めんつゆ
ミステリー
ーー「それ」がわかった時、物語はひっくり返る……。 真実に近づく為の伏線が張り巡らされています。 あなたは何章で気づけますか?ーー 舞台はとある田舎町の中学校。 平和だったはずのクラスは 裏サイトの「なりすまし」によって支配されていた。 容疑者はたった7人のクラスメイト。 いじめを生み出す黒幕は誰なのか? その目的は……? 「2人で犯人を見つけましょう」 そんな提案を持ちかけて来たのは よりによって1番怪しい転校生。 黒幕を追う中で明らかになる、クラスメイトの過去と罪。 それぞれのトラウマは交差し、思いもよらぬ「真相」に繋がっていく……。 中学生たちの繊細で歪な人間関係を描く青春ミステリー。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

処理中です...