霊山の裁き

聖岳郎

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杜の都の匂い

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 翌日の日曜日も予報通りの雨だった。
 空木と石山田は居酒屋「さかり屋」でいつもの通り、イカの一夜干し、エイひれ、ニラレバ炒めを肴に芋焼酎を飲んでいた。
 空木は石山田に、浅見豊の名古屋のマンションから見つかった通帳の事を話した。
 「浅見は五十万は何に使ったと思う。俺は女絡みではないかと思う。不倫を脅されていたか、女に貢いでいたか。巌ちゃんはどう思う」
「その辺りが臭いな。物を買う時はほとんどカードを使う男が、現金で五十万支払うというのだから、怪しい使い方だ。あと考えられるのは、女絡みかも知れないが借りていた金を返す、借金返済だ」
「借金だったら芳江に言うんじゃないか」
「カミさんには言えない中身ということさ。いずれにしても事件に関係している可能性はある。湖東警察署も興味を持っているよ」
 石山田はそう言って湖東警察署の捜査本部の動きを話した。
 東亜製薬では賞与の振込口座の分割制度があって、昨年の冬の賞与では、浅見豊はこの制度を使っていた。何故かは分からないが初めて使ったようであること。スナック『優』のママ、中島優子にも浅見と借金を含め、金銭、物品のやり取りが一月になかったかを聞いたが、全く身に覚えはないし、浅見豊は付けで飲むようなことはしなかったと言っていることを石山田は話した。
 空木は石山田の話を聞くと。
 「巌ちゃん、名古屋のそのスナックのママに会いに行かないか」と、思いついたように言った。
「何で俺が名古屋まで行くのさ。健ちゃんだってそこまでする必要はないよ。いくら事件に巻き込まれて悔しいって言ってもさ」
「いや、巌ちゃん実はね、俺、浅見芳江に調査依頼されたんだ。浅見豊は仙台時代に女性関係があった筈だ。それが事件に関わっているんじゃないかと。だからそれを調べてほしいって言うんだ」
 空木は煙草に火をつけた。
「それは初耳だ。女の感は確かだからね。でも、今までそんな事全然言わなかった芳江が、何で健ちゃんにそんな事言ったんだ。もしかしたら健ちゃん名古屋で何かあったか」
石山田はニヤニヤしながら言った。
「バカな事言うなよ。未亡人になったばかりの傷心の、それも年上の女性にそんな気が起きる訳がないよ」
「まあ、そうムキになるなって。しかし、そのママに会って浅見豊の仙台時代の話が聞けるかどうかは分からないよ。湖東警察だってその辺は承知の筈だ」
「そうかも知れない。でも浅見豊の仙台時代の友人として、客として行ったら、何か聞き出せるかも知れないよ」
 空木は焼酎を飲み干した。

 翌日、朝から降っていた雨が、午後になって上がった。
 空木は、名古屋に向かう新幹線に乗っていた。午前中に浅見芳江に連絡して名古屋のスナック『優』の名刺で住所を確認していた。
 名古屋に着いたのは、夕刻六時過ぎだった。駅前のホテルにチェックインした後、地下鉄に乗り栄で降りた。時間潰しに、登山用品を扱うイシダスポーツに行くことにした。イシダスポーツは、色付き眼鏡に帽子の男、つまり空木が霊仙山で尾行した男が、服、ザック、そしてロープを購入した店だった。
 空木は、登山用具、小物を見るのが好きだった。灰皿、ライター、ナイフ、食器、カラビナからコッヘルや小物まで、一時間ぐらいはあっという間に経ってしまう。
 ザイル、ロープ売り場の前に来た。紐のような3ミリザイルから太い20ミリザイルまで、色もカラフルだ。空木はその男は、どんな思いでこのロープ売り場の前に立ったのだろうと考えた。その男は、10ミリザイルを購入したという。購入したその十時間後位には、それで浅見豊を絞め殺している。どんな憎しみ、恨みがあったのか。空木には狂気としか思えなかった。犯人がどんな理由を並べようが、精一杯生きている人間の命を絶つことは、絶対に許されることではない。
 イシダスポーツを出た空木は、栄通りから錦通りに向かって歩いた。腹ごしらえをしてからスナック『優』を探すことにした。スナック『優』の住所は、錦三丁目アミューズビル8Fとなっていた。錦のスナックは山ほどある。探すのは容易ではないのは判っていた。
 空木は、錦にカレーショップのココイチがあるのを知っていた。ココイチはここ愛知県が発祥の地である。ココイチでビールを飲み、シーフードカレーで腹を満たした。
 午後の八時を回り、錦の街もネオンに彩られ活気付いていた。空木は小一時間歩いただろうか、やっとアミューズビルの看板を見つけた。その八階にスナック『優』の看板があった。
 店はボックス席が二つ、カウンター席が十席とこじんまりした、落ち着いた雰囲気の店だった。
 店は時間がまだ早いせいか、客は誰もいなかった。
 「いらっしゃいませ」
女性二人が声を上げた。
空木はカウンター席の左端に座り、ウイスキーの水割りを頼んだ。
「お客様、ここには初めてでいらっしゃいますね」
長身の年上と思える方の女性が声を掛けた。
「ええ、初めてです。昔、三年間程名古屋に住んだことはあるんですけど、この店は来たことはなかった。いい雰囲気のお店ですね」
空木は店内を見回しながら言った。
「ありがとうございます。中島優子と申します。この店のママをしております」
空木の前に名刺を出した。
 中島優子は、長身で色は白く日本美人だった。今日は和服ではないが、着物が良く似合いそうだと空木は思った。
 「お店の名前はママの名前から取ったんですね」
空木は白々しく言った。
「そうなんです。私の名前の一字を取りました。でもお客様に『優』を選んでいただいたのは、どなたかの御紹介ですか、それとも本当に偶々(たまたま)なのですか」
 優子は、水割りグラスをコースターとともに空木の前に置いた。
 「実は、浅見さんという方に以前紹介してもらったのですが、その方は最近亡くなってしまったんです。今日は仕事で名古屋に来たんですが、夜の時間が空いたので、浅見さんの供養のつもりでこの店を探して来ました」
 空木は精一杯考えた末の芝居をした。
 優子の顔が曇った。
 「浅見さんのお知り合いでいらしたんですか。浅見さんは酷(むご)いことになってしまいました。お客様は浅見さんとはどちらでお知り合いになられたのですか」
優子は空木のグラスを取りながら言った。
「知り合ったのは仙台です。会社は違いますが、同じ業界です。名古屋に来ることがあって、名古屋のスナックを教えて欲しいとお願いしたら、ここを教えてくれました」
 空木は新しく作られた水割りをぐいと飲んだ。
 「あら、仙台でのお知り合いなんですか。それで今日は仙台からお見えになったんですか」
「いえ、今は転勤して東京にいます」
「もし宜しかったら、お名刺頂戴してよろしいかしら」
「今日は生憎ホテルに名刺を置いてきてしまってすいません。空木健介と言います。空に木と書いて「うつぎ」と読みます」
 ここで探偵の名刺を出す訳にはいかなかった。
 「あらお珍しいお名前。空木様ですか。空木様、私もおビール頂戴しても宜しいでしょうか」
優子は甘えた声で言った。
「いいですよ。でもママ、様は止めてよ」
空木は言って、優子とグラスを重ねた。
 サラリーマン風の客が三人入ってきた。なじみ客の様だった。空木は東亜製薬の社員ではないかと聞き耳を立てたが、違うようだった。
 空木は、ウイスキーのキープボトルを入れることにした。ママの優子は喜んだ。
「空木さんありがとうございます。ゆっくりして行って下さいね」
優子は空木に新しい水割りを作った。
 また、サラリーマン風の客が二人入った。ほぼ同時に若い女の子が、ショルダーバックを提げて店に入ってきた。その子はカウンターの中に入り、バックを置くと空木の前に立った。
 「ユキです。宜しくね」と、いきなり空木の前のビールをコップに注ぎ、乾杯と言って一気に飲んだ。
「ユキちゃん、空木さんにちゃんとお断りしてから頂きなさい」
優子がそれを見て言った。
「あーごめんなさい。頂いちゃったけど、頂まーす。空木さん」
 今時の女の子だと空木は思った。
 「空木さんは、浅見さんの昔のお知り合いで、うちのお店にわざわざ来て頂いたのよ」
優子はユキに言った。
「そうなんですか。ママにモーレツアタックしていた浅見さんのお知り合いなんだ」
「ユキちゃん余分な事言わないの」
ユキは舌を出して首をすくめた。
 空木はサラミチーズを摘まみながら、水割りを三杯、四杯と飲んだ。
「空木さん、浅見さんの奥さんて、知ってますか」ユキが小さな声で聞いた。
「うん、知ってるけど、どうして」
「若いの?」
「いや、浅見さんより若いけど、四十半ば位かな。若いとは言わないな」
「そうなの。じゃあお嬢さんかな。お産の費用は、今はいくら位かなって私に聞いてきたことがあるの。奥さん妊娠したのって聞いたら、黙ってた」
「へーお産か。まさかママじゃないよね」
「いやだー、ママだったら大変。お店のお客さん来なくなっちゃう」
ユキは笑った。
 優子が空木の前に立った。ユキは他の客の前に立ち、ケラケラ声を上げて笑っている。
「浅見さんは名古屋でも女性と付き合っていたのかな。ママは知ってる」
空木は、何気ない振りをして優子に話しかけた。
「さあどうだったでしょう。仙台ではお盛んだったようですね」
「ママは浅見さんから仙台の話しを聞いたことあるの」
「はっきりとは分からないけど、出来ちゃったんじゃないかなって思ったの」
そう言って、お腹を手で触った。
「お産の費用だとか、養育費だとか言ってる時があったわ。奥様なのって聞いたら、違う違うって言ってたの」
「へえーそうなんだ」
空木は浅見芳江の感は当たっていると思った。
 四人の客が入り、ボックス席に座った。空木は名古屋に来た時は必ず来ると優子に言って店を出た。
 浅見豊は仙台に間違いなく親しい女性がいた。五十万はその女性に繋がっているのだろう。名古屋まで来た甲斐があったと空木は思った。
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