人形弟子の学習帳

シキサイ サキ

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3章 入居から入学まで

23話 首の無い使い魔と新しい住人

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(どうしよう………
 言われた通り、気を付けて、警戒していたつもりだったのに……)

あれから、どれほどの時間が流れてしまったのか
人形アレンは、既にそんな事も分からなくなってしまう程、目の前の存在に動揺していました。

全長6m程の、顔も体も持ちえない
正体不明の黒い靄で人の服を身にまとい、この屋敷に隠れ潜んでいた使い魔。

光も差し込んでいない、闇に包まれた屋敷の中ですら際立つ
影よりも深い闇を切り取ったような、不気味を体現させた存在を目の前にして

なすすべも無く、ここから逃げる行動すらもとれず
ただ、アレンがその場で出来た事と言えば、すべての行動を放棄する事だけでした。

そうして、得体のしれない謎の使い魔と向き合い続け、いくらかの時間が過ぎ去り
アレンが、自らの師匠への謝罪を、頭の中で考え始めた頃

人型の影をかたどったそれは

いとも簡単に、何事も無かったかのように
あっさりと、放心する人形の横を通り過ぎて行ってしまったのです。

「え………」

突然の使い魔の心変わりに
先程の恐怖とはまた異なる、得体のしれない怖さを感じたアレンは

固まっていた体を何とか動かして
どこかに向かって歩み始めた、使い魔の後ろ姿を目で追いますが

彼が最後に確認できたのは
一階に向けて伸びる屋敷の階段を、ゆっくりと下っていく使い魔の後ろ姿だけでした。

館内はこんなにも暗いのに、それでもあの使い魔はそれよりも暗いのか

そんなどうでもいいはずの事を、頭の片隅で考えながら
謎の使い魔が去った、音も光も無い廊下の隅っこで
取り残された人形は、ポツンとその場に立ち尽くします。

『ア………レン、………アレ……ン

 …………ア、レン、聞こえるか!?
 返事はできる状態か? 何か合図はできそうか!? 』

「あ………師匠」

『アレン! 良かった、声が出せるって事は意識はあるんだな!?
 何があった、相手から攻撃を受けたのか!?

 怪我とかは……』

「いえ、特に何もされていません
 寝室の扉を開けようとしたら、急に真横に現れて、すごく見つめられました

 今も、僕の横を通り過ぎて行ってしまっただけなので
 結果、僕はあの使い魔から何もされていません」

声を出さずに、合図だけで意思疎通を試みる。

そんな、当初の決め事も忘れたアレンは
放心し、その場にへたり込みながらも

通信機のスピーカーから聞こえる、師匠の声に反応し

なんとか、先ほど起こった出来事と
目撃してしまった、この屋敷に潜む使い魔の情報をライルに伝えます。

暗い屋敷の2階部分、誰もいなくなってしまった廊下の隅で
現状を整理した人形アレンと、通信機ごしの魔法師ライルは

とりあえず、この屋敷からの一時避難を最優先事項とする事に決めました。

しかし、ここで問題が一つ。

「師匠、さっきのあの使い魔
 1階の方へ移動していきましたよ? 」

『え!? じゃ、じゃあ、下に降りても鉢合わせる可能が高いのか

 どうしよう……、出入り口は
 1階の正面玄関と、同じく1階の裏口ぐらいしか無いみたいだし
 どっちみち1階に行ってみない事には、脱出自体が困難ではあるけど……

 アレン、本当に使い魔や屋敷のまじないからは
 まだ、何もされていないんだよな? 』

「はい、外傷、体内異常、精神異常、特に付与された形跡はありません

 先程、例の使い魔を目の前にして、動けなくなってしまったのも
 予想外の形状や大きさに、僕自身がうろたえてしまったからですし

 今のところ、このお屋敷に関わるまじないの類から
 何か僕に効果を発揮したものは確認できません」

『………、そうか、分かった

 ではアレン、怖いとは思うが、アレンもこのまま1階まで降りてみてくれ
 探索はもうしなくていい、今の一番の目的は、この屋敷からの脱出だ

 しかし、1階で使い魔を目撃したり、まじないの発動が確認されるような事があった場合

 危険だと感じた時は、その場からすぐ逃げろ
 その時はお前の身の安全を最優先にして、危険な事象からなんとしても身を守るんだ
 攻撃する事を考えるな、分かったな? 』

「はい、分かりました
 でも師匠、危険でない場合はどうしますか?

 1階にこれから降りて、出口である玄関を目指すのを最優先に動きますが
 もし、その先で、先ほどの使い魔を確認した場合に、危険な様子が無いと判断できる場合は……」

『……気は進まないが、その時は
 物陰に隠れての対象の観察に努めてくれ

 何もせず、ただ相手が何をしているか、どこへ向かうかを見て
 それで使い魔がどこかへ行った隙に、出口を目指して進むんだ

 現状は危害を加えられていないとはいえ、これからもそうとは限らない
 出来るだけ、相手に見つからない様に動く事を心掛けるんだ、出来そうか? 』

「はい、出来るように頑張ります
 あの方の目が、いったいどこにあるのか、僕には全く分かりませんが

 脱出を最優先で、師匠の言ったように動いてみます」

『あぁ、慌てなくていいから
 お前の無事と屋敷からの脱出、この2つを優先して、慎重に進もう

 俺も外側から、何か変化が見られないか、引き続き調べてみる』

その言葉を最後に、一度ライルとの通信に区切りを付けたアレンは
先程まで固まっていた体の、正常な動作が可能である事を再び確認し終えると

人外の使い魔が向かったであろう
魔女のまじない屋敷の1階に繋がる階段を目指して、歩き始めました。

少し長い階段を
音を立てないよう、ゆっくりとした足取りで慎重に降りたアレンは

棚や机、本棚や花瓶の物陰を渡り歩きながら
少しづつ、次の扉へと近づいていきます。

そして、既に開かれていた、木製の茶色い片開のドアを通り抜け
ダイニングへと足を踏み入れたアレンは

来た時とは異なる、部屋の中の大きな異変に気が付きました。

魔女屋敷の1階部分に設けられた、台所と隣り合わせの広いダイニング
そこには、この屋敷に住んでいた住人達が
かつてはこの場所で、食事をとっていいたであろうと想像出来る

大きく立派な作りをした、焦げ茶色のダイニングテーブルと
6席の椅子が置かれているのですが

テーブルの上、白いシーツが敷かれた、広い卓上のスペースに

花柄の装飾が愛らしい、ティーポットやカップをはじめとした
お茶を飲む為に使用する食器の類が、テーブルの上、一面に並べられていたのです。

アレンが行きに、ここを通りかかった際には
こんな物が並べられている事はありませんでした。

しかし、現状はこの有様。
正体不明の何かが、この部屋を使用しているという事実は確かでしょう

最初に来た時とは、大きく異なる状況となった部屋を見渡している時
ふと、台所とダイニングを繋ぐ扉の奥から、微かな物音が聞こえてきます。

慌てたアレンは、テーブルの近くに飾られた
きらびやかな調度品を収める為の、観賞用の大きな収納棚の影へと身を潜めました。

人形が慌てて隠れた、数秒後
ガチャリ、と音を立ててドアノブを回した使い魔が

その巨大な体を器用にくねくねと曲げながら
隣のキッチンから、こちらの広いダイニングへと侵入してきます。

その黒い霧状の手足にはめられた、人間用と思わしき形をした大きな手袋には
フォーク、スプーン、ナイフをはじめとした銀食器と

それらを手入れする為の、道具と思わしき物が握り込まれていました。

5年も無人であったはずのお屋敷にある、かつての住民に置いて行かれたはずの食器が
本来であれば、そんなにもピカピカと輝かしい見た目をしているはずは無いのですが

きっと、たった今
空っぽの体をフワフワとさせながら、ダイニングの椅子に腰を掛けた使い魔が
真っ暗な屋敷の室内にて続てきた、こまめな手入れを行ってきたおかげなのでしょう。

今、アレンの目の前で繰り広げられている光景のように、黙々と。

(………今、ここで手入れをはじめなくても、これじゃ次の部屋に進めません)

物陰に隠れ、小さく体を縮めた人形は
時折、通信機から聞こえるライルの安全確認の為の呼びかけに対して

小さな指先でのノックを数回行いながら
使い魔が続けている、いくつもの食器の手入れが終わるのを、ただ静かに待ちました。

一つ、一つ、丁寧に磨き上げられていく食器の数々
それらに付着するくもりや汚れなど、何ひとつとして残す事無く磨き上げようと
眼球も無い体で細かく確認しつつ、使い魔の懸命な清掃作業は続けられます。

そして、ようやく気が済んだのか
それらの作業を終えて、黒い使い魔が次の部屋へと移動したのは
かれこれ1時間弱が経過した後の事。

その間、不要な音を出して、相手に気が付かれては困ると
全く同じ姿勢のまま、体を小さく物陰の奥で縮めていた人形は

やっと、その狭苦しい空間から、出れたとばかりに飛び出して
そのまま、床板の上で、大きく猫の様な伸びを一度行い

再び、玄関の扉を目指して、次の部屋へと移動しました。

(これじゃあ、前にエコーさんとお城の庭園でやった
 だるまさんが転んだ、という遊びにそっくりです

 そして、使い魔さんの進んだ先は、また玄関側の部屋ですし……

 まさか、この流れ、あと数回繰り返されるなんてこと、無いですよね? )

長時間の体制維持に、多少ではありますが疲弊した人形は
思わず、愚痴にも似た嫌な想像を膨らませてしまうのですが

結果として、その予感は見事なまでに的中する事となります。

広いお屋敷、暗い部屋の数々

不運な事に、使い魔とアレンの進行方向は
全く同じという嫌なバッティングを果たしてしまったのです。

使い魔が次の部屋へ移動しては、何かしらの作業を行い、また次の部屋へ
アレンはその間、どこかに身を隠し、使い魔が去って少し間をおいてから、また次の部屋へ

そんな彼らの堂々巡りは、2階へつながる階段から玄関ホールまでの道中
時間にして約4時間半もの間、延々と続けられました。

(……やった、次で最後、……やっと玄関ホールです、長かった)

人形である為、疲労は無く
人形である為、痛覚も鈍いはずのアレンも

巨大な使い魔から隠れ続ける4時間は、流石に負荷が大きかったのか
慎重に扉を開ける動作こそ、最初とまったく変わってはいないものの

目隠しで半分ほど隠されている、その無表情で整った顔からでも
珍しく、多少の疲労を感じ取れるような、そんな雰囲気が伺えます。

何枚目かの扉を抜け、懐かしささえ感じる玄関ホールへと
姿勢を低くして、慎重に入室したアレンは

暗がりの他の部屋から比べると
玄関のステンドグラスから入ってくる、外の日差しの分
少しだけ明るくなっている空間を、まんべんなく見渡して

少しだけ、拍子抜けしてしまいました。

なぜなら、今まで散々、度重なる屋敷の手入れ作業にて
アレンを地味に苦しめ続けて来た、例の使い魔の黒い後ろ姿が

影も形も音も無く、忽然と姿を消してしまっていたから。

進行方向は、相変わらず同じであったはずなのに
今回もまた、今までのように
何かしらの、手入れ作業をしているものだとばかり思っていたのに

その予想はあっさりと裏切られ
夕方の日差しが少しだけ差し込む、屋敷の広い玄関ホールには

人っ子一人、使い魔の一匹も見当たら無い
がらんとした、無人の空間だけがあったのです。

(…………まあ、チャンスですよね、このまま帰りましょう)

低くしていた体勢から、すくっと立ち上がった人形は
張りつめていた警戒の糸を、ほんの少しだけ緩めると

夕日を浴びてオレンジ色に光る、ステンドグラスのはめ込まれた
木製の重たい扉へと進みました。

何かの罠があるわけでもなく、出会った時の様に、再びアレンの隣へ突如現れる事も無く
鍵のかかっていない扉をあっさりと抜けて

アレンは、お屋敷の外への脱出を果たします。

そして、その重い扉を閉めようと
彼が体の向きを変え、屋敷の中を少しだけ視界に収めた、その瞬間

隠れていたのか、ずっとそこに立っていたのかは分かりませんが
例の使い魔が、再びアレンの前へと姿を現しました。

何をするでもなく、何か言うでもなく、ただ影の様に音も無くそこにいる影。

玄関ホールの奥に設けられた階段の手前側

縦に長く、やたらと軽そうな体を、少しだけ前に傾けて
両手を前にちょこんと揃えた、お辞儀の様なそのポーズを取りながら

玄関の扉を閉めようとしている、人形アレンの方へと向き直っています。

「…………失礼しました」

部屋の隅から客人を見送る使い魔に、こちらも小さく頭を下げた人形は
最初と違い、特別音に気を配る事も無く

ごく普通にゆっくりと、重たい玄関の扉を閉めました。

「………そっか、そんな感じだったのか

 分かった、報告してくれてありがとう
 今日は特に大変だったな、お疲れ様、アレン

 スープとパンと、昼間の弁当の残りもあるから
 今晩はそれを食べて、早めに寝なさい

 明日は近くのカフェにでも行って、普通の朝食を食べに行こう」

真夜中、夜風がテントの外装をバタバタと揺らす深い夜
魔法式の虫よけと照明用の簡素なランプのみを点灯させた、薄暗いテントの中で

魔法師ライルは、これまでに弟子が集めてくれた調査結果と
自身が外側から集めた情報とを見比べながら、一度、深くため息を漏らします。

調査の出来た範囲は、お屋敷部分の2階の途中までですが
外側からも、動物型の玩具を改造して作った、即席使い魔での調査を続けていた為

敷地内の外構スペースに設けられた、小さな庭やガラス張りの温室
外観の守りに関するまじないについても
おおよその検討がついてしまうという所まで、彼らの調査は進んでいました。

しかし、日数の余裕としては、あと1日を残しています。

もう、探索目的であの屋敷の中に、アレンを送り込むつもりなど毛頭ありません。

今の時点で集まった情報だけでも、紙にまとめて冊子にすれば
充分な成果として、不動産側への交渉材料の効力を発揮する事でしょう。

しかし、彼はそれでも悩みます。

まだお城にいた頃も、なんなら戦場にて一人で密かに隠れ暮らしていた頃ですら
彼はずっと、様々な事に悩み続けてきたのですから

この、些細な事まで気にかけて
これからの決断を最後まで悩むという彼の性分は

もう魔法師ライルの生涯続くであろう
厄介な癖の一つだと、断言してしまってもいい頃合いでしょう。

年がら年中、いつもどこでもどんな事にでも、彼の頭を蝕む悩みは絶えません。

そんな彼が、いつ通り悩みに悩んで
混乱してきた頭を一度冷やす為

弟子のアレンが、寝袋にくるまって眠りについている横をするりと通り抜け
まだ少し風の冷たい、夜の公園へと顔を出しました。

這い出るように、先日購入したばかりのテントから外へと移動し
手入れの行き届いていない、雑草だらけの公園に設けられた遊具の一つへと
なんとなく腰を掛けて、あてもなくどこかを眺めてみます。

こんな時、煙草の一つでもたしなめれば
彼の悩む姿も、多少は様になったのかもしれませんが

生憎、酒も煙草も体がなかなか受け付けてくれなかった、この青年は
そういったストレス解消の方法で、辛い現実から逃げる事すら叶いません。

何をするでもなく、ただ、寂れた公園の中の錆びた遊具のうちの一つにまたがり
意味も無く、体をふらふらと揺らしながら、どこからか吹いてくる冷えた風にその身を任せます。

顔を上げれば欠けた月
少し視線を下げれば、古びた洋館がこちらを見下ろし
また少し目を凝らすと、そんな屋敷に設けられた、大きな窓の一つから

こちらを見つめる、頭の無い大きな人型の何か。

しばし、それを見つめながら、再び目をそらして月に向き直ります。


魔女の屋敷に多くのまじない

顔を持たない使い魔と今日のアレンへのあの態度

5年もの月日を無人で過ごし、尚且つ新たな住人を受け入れ無かった屋敷のまじない。


不動産屋のラックの話では
致命傷にこそなってはいないものの
数人ばかりの怪我人は出ている、という話ではありましたが

はたして、先陣を切ってくれた彼らが
いったいどのような手法で、この屋敷に挑み続けていたのか

予想や想像を立てる事は、比較的容易ではありましたが
考えても無駄だろうと、半ば悟ってしまっていた彼は、そこで思考を止めました。

天を仰いでいた頭の角度を元に戻し
また先ほどと同じように、大きな窓の方へと目を向けてみても

すでに、使い魔は姿を消した後。

昼間と違い、いつの間にやらカーテンの開け放たれたガラス窓からは
上品な作りをした、立派なお屋敷の内装の一部が
光の反射により、時折見え隠れするだけで、他の何かは見当たりません。

またもう一度、深く長く大きなため息をゆっくりと落としたライルは
いつも通り悩みながら、されど答えだけはちゃっかりと出して

「まぁ、せっかくもう1日余裕があるんだし
 魔法師らしくないやり方も試してみよう、ダメなら潔く諦めよう」

冷える夜風に身を震わせながら
彼は、そそくさとテントの中に戻っていくのでした。


そして、翌朝の早朝
すっきりと目を覚ましたアレンと、まだ眠たそうに眼をこすりながら起きてきたライルは

簡単な身支度と、テントをはじめとした道具一式の片付けを手早く済ませると
2日間お世話になった、手入れのされていない公園を後にします。

弟子との約束通り、朝早くからも店を開けてくれている近くのカフェにて
2日ぶり朝食らしい朝食をたっぷりとたいらげた彼らは

朝の道路を颯爽と走る、一台のタクシーを捕まえて
一度、学校側が取ってくれているホテルの宿泊室へと、荷物を置きに戻ります。

「このホテルに泊まらせてもらえるのも
 あと数日のことですね、その先はどうしましょうか? 」

「うん、その為にも、今日は話合いに行くんだよ
 荷物を置いたら、また出かけよう

 不動産屋のラックにも、さっき連絡を取ったから
 一度、近くの大きなデパートで買い物をして

 それからまた、あのお屋敷に向かおうと思う」

「買い物ですか? 魔法道具やそれの材料となるような類の物でしょうか? 」

「いや? 今日は何の変哲もない、ただの菓子折りを一つ買いに行く
 
 エコーが前に、先方へ挨拶に行く時は
 日持ちのする、小分け包装の菓子折りを持って行けって言ってたし

 せっかくだから、何か見栄えのいい物を持参して行こうと思ってな
 アレンも選ぶの手伝ってくれるか? 」

「はい! もちろんです」

そして一時間後
朝早くから、ライルの急な要望により叩き起こされた、営業担当の青年ラックが

相変わらず、少し古ぼけた塗装の車を走らせて

彼らの目的地である、ホテル近くの大きなデパートへと案内してくれます。

「ライルの旦那、本当に大丈夫なんすか?
 別に俺は、何もアンタらに無茶して欲しいとか、怪我するまで無理してほしいとか

 何もそこまでは思っちゃいないんすよ? 」

フィナンシェ、マドレーヌ、アーモンドクッキーをはじめとした
手頃なサイズ感の美味しそうな焼き菓子の詰め合わせを二つと

童話好きのアレンが選んだ、何かしらの物語をモチーフにブレンドされたという
可愛らしいデザインの茶葉を一缶、購入した彼らは

ラックの運転するボロ車にて
再び、例のまじない屋敷へと戻って来ていました。

ラックという厚かましさを体現したような青年が
赤の他人の身を、多少ではありながらも、珍しく心配して見せたのですが

その心配されている当の本人、魔法師ライルの方の反応はというと

やたらと重たい菓子折りの袋を、プラプラと片手で揺らしながら
雑草だらけの荒れた公園で、古びた遊具を興味深げに観察する弟子を眺めるばかりで

彼からの心配の声かけなど、気にする素振りもありません。

「そうだな~、確かに危ない賭けではあるけどな~

 でもな~、一度は引き受けちゃった事だし
 こっちも出来る限りの事は~しなきゃな~って」

本心なのか、虚言なのか。

無駄に謙虚に、されど健気に
とても上手とはいえないセリフを、間延びしながらも続けたライルは

「ま、夜までに俺達が屋敷から出てこなかったら
 魔女の屋敷に食われちまったとでも思って、救急隊でもなんでも呼んでくれ

 葬儀の手筈は任せるよ」

そんな縁起でもない冗談を言いながら
不安がるラックに、一つ余分に買っておいた菓子折りの袋を預け

弟子のアレンと、魔女の屋敷へ向かい歩いて行きます。

「あ、待ってくださいよ旦那! この一個多く買った菓子折りなんなんすか?
 冥土の土産とか、置き土産とか、そんな感じの奴っすか!?

 これ、俺が食べちゃっていいんすか!? 」

「いいわけあるか!

 屋敷から帰ったら、アレンとホテルで食う用なんだよ!
 美味しそうだったから、つい買ったんだ

 交渉してる間、邪魔になるかもだから、戻ってくるまで預かっといてくれ」

生きて帰ってくる気満々じゃないっすか。

不安と呆れで変な顔をしている
本日の昼食も奢ってもらっていた、不動産屋のラックを置いて

人形と魔法士は
錆付いた黒い門扉を潜り抜け、スズランの可愛らしい絵があしらわれた
ステンドグラス付きの重厚な玄関扉の前へと立ちました。

昨日、アレンが出て行ったままの状態であれば
扉の鍵は、誰にも施錠されず、開けっ放しになっているはずなので

本来であれば、そのような事をする必要はまったく無いのですが
ライルは、磨き上げられたドアノブに手を掛ける事はなく、かわりに

「ごめんくださーーーーーーーい」

呼び鈴の無い屋敷の扉に向けて
大きな呼び声と、数回のノックを試します。

「師匠、そんなに危ない場所ならば
 やはり、お屋敷の調査には僕だけが……」

「アレン、デパートに行く前にも話したけど
 今から屋敷に入る目的は調査じゃない、あくまで挨拶と話し合いだ

 見ろ、この豪華で立派な包装をされた菓子折りの姿を

 こんな手土産を持ってこられたら、さすがの俺だって嬉しくなると思う

 ならば、5年間も無人の屋敷で寂しく過ごした使い魔さんは
 きっとメロメロになる事間違いなし

 これで、最初の挨拶はばっちり決まりだぜ」

「……でも師匠、先程のラックさんとの会話では
 魔女のお屋敷に食べられるとか、なんとか」

「あー、あれね、聞いちゃってたのか」

少し距離の離れた場所にいたとはいえ
人形の体を持つアレンにとって、あの距離での会話を盗み聞きする事など容易なもの。

不安がる弟子の頭を優しく撫でながら
扉の向こう側から近づいてくる、床板の上を革靴で歩くような、軽い足音を聞きながら

魔法士ライルは、いとも簡単に答えて見せます。

「さっきの話、全部嘘だから」

ガチャリ

鍵のかかっていなかったはずの玄関扉は
大きな解錠音をたてて、重厚な造りの扉を開けました。

扉の隙間から除く室内の様子からは
もう、昨日までの様な暗闇に包まれた、薄暗い室内の様子は伺えません。

「じゃ、行くか、お邪魔します」

一人でに開いたように見えた扉を潜り抜け
魔法士ライルと人形アレンは

無人のまじない屋敷の中へと、足を踏み入れてゆきます。

錆付いた門扉の前で
不安げに彼らの背中を見送る、一人の青年を置き去りにして。

そして、お昼の一時から屋敷に入った彼らが
再び、不動産屋のラックの目の前に姿を現したのは

既に日も沈みかけ、さすがにもうこれ以上はまずいと
彼がこの都市で活動する、救急隊チームへ応援を要請しようとしていた頃の事。


「いや~大変だった、苦労した~
 こんなに危険が危ない探索は、俺の短い人生で初めての事だったな~

 しかし、その努力の甲斐もあり
 この魔女のまじない屋敷が抱える問題も、なんとかなりそうだ~

 あ~よかった、これで俺達が体を張って色々調べた努力が報われるぞ~」


屋敷に入る前と、全く変わらぬそのままの姿で
わざとらしいセリフをいかにも長々と、大きな声で叫ぶライルと

どこか満足げに、口の端にお菓子のくずを付けたアレン。

そんな彼らの、左手人差し指をよく見ると
おそろいの小さな指輪が1つづつ、それぞれの指に嵌められていました。

そんな物、お屋敷に入る前には、付けられてなどいなかったはずなのに。

「ライルの旦那、それは、どういう意味で………」

「というわけで! ラックさん!! 」

突然の出来事と、彼らの無事を確認した事による放心状態

そんなラックの様子を知ってか知らずか
ライル・クラフトは、もうやけくそだと言わんばかりに

今日一番、感情の籠った心からの言葉を彼に贈ります。

「この問題物件、かつての魔女が設計したという
 まじないだらけの不思議な屋敷、この魔法士ライルが購入します!

 調査費用と説明書の製作費用、迷惑料もろもろを込みにして
 そちらの提示してきた金額の、4割程を差し引いた値段で買わせて下さい! 」

目の前に困難が立ち塞がる度に一々悩み
日常の些細なトラブルですら頭を抱える。

悩み多き人生を送り続ける、ライル・クラフトという人物は

自身で悩んで出した答えにすら、長々と自問自答を繰り返してしまう
繊細でめんどくさい性格をしていながらも

厚かましさの権化ともいえる、不動産屋のラックですら
舌を巻く程の面の厚さを、同時に隠し持っていたようです。

こうして、彼らは無事、不動産屋との度重なる協議を得て

魔女のまじないで守られ続けて来た
郊外にひっそりと佇む、小さくも立派なお屋敷を一つ

当初の金額から2割を値引いた特別価格で、購入する事が出来ました。

日当たり良し、広さ良し
数多のまじないと不思議な使い魔付きの、お買い得価格な優良物件。

屋敷の鍵に契約の指輪、屋敷の登記簿を鞄にしまい
彼らは再び、仮住まいである白いホテルへと帰還しますが

誰も居なくなったはずの、無人の魔女屋敷の窓からは
あたたかな照明の光が、夜遅くまでカーテンの隙間から漏れていたと言います。

ガラスを磨いて、シーツを替えて、貰った茶葉の缶は食器棚の一番手前側に
新たな住民を迎える魔法のお屋敷に、眠る暇などありません。

5年ぶりに、忙しなく動き続ける、頭部の無い使い魔は
明後日からここに住むという、新たな屋敷の主人達の為

休む事無く、止まる事無く
夜通しで小さな屋敷の中を、楽しそうに駆け回っていくのでした。




(おまけ)

〔使用人の部屋に置いてある手紙より抜粋〕


親愛なる君へ


まず、今までの感謝をここで伝えさせてほしい。

君と、君の守るこの屋敷で過ごした数年間は
もう、平穏な日々など望めないと、半ば諦めていた私の中で
輝き続ける幸福な思い出の1ページとなった。

それ故に、初めから決まっていた事とはいえ
君を残し、この屋敷から出ていかなければならない現状が
心残りで仕方がない。

君に感情や心があったのか、数年を共に過ごした私にも
最後の最後まで、確かな事は分からなかったけれど

君の中ではどうであれ、私のこの思いが無かった事になるわけでは無い。

君や、この小さなお屋敷が
君達に相応しい、心根を持ち合わせた人物の手に渡る事を願うばかりだ。

今、この屋敷の管理を行っている不動産屋には
私も色々と世話にこそなったが

金次第で後ろ暗い奴らにも、住居や隠れ家を融通するという点から考えても
油断のならない相手である事は確かだろう。

もう、この国を離れなければならない私には
出せる口も打てる手も、あまり残されてはいないけれど

次にここへ住もうと望む
君達の新たな主人の候補達に対して、少しばかりの意地悪をするくらいならば
きっと、この屋敷を建てた魔女様にも、許してもらえるかもしれない。

書物は私が消していくけれど
君達の大切な指輪だけは、青いアネモネのタイルの奥に
きちんと隠しておくんだよ。

優しすぎて、愛が重たい
まじないだらけの縛られた生活を、最初は皆、窮屈に思うかもしれないが

いつかきっと、そんな君達との時間すら
愛おしいと感じてくれるような

奇特な誰かが、ここを訪れてくれますように。

最後にもう一度
国を追われたこんな私に、素敵な時間をありがとう。

人よりも長くあり続けていくであろう
君のような、作られた仮初の命にも

一つでも多くの祝福がありますように。


(この手紙はここで終わっている)
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