標識上のユートピア

さとう

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三章

六十六話

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 あの日を思い出す。光化学スモッグを彷彿とさせる、醜い雨の日。
翼と目が合った途端にすっかり気が動転してしまい、俺はただ「妻を愛している」とだけ言ったのだった。とても真実を伝えるどころではなかった。
いや、平静であったとしても真実を言うことはなかっただろう。
 
俺が憎まれた方がましだと思ったから?
息子が真実を知るのが怖かったから?

 今となっては分からない。 
本当は伝えた方がよかったのかもしれない。いや、いずれにせよ結果は変わらなかっただろう。
「浮気が発覚する少し前に妻は子供を産みました。本当に可愛い娘だった」
 浮気が発覚し、娘は娘でなくなった。明るかった家庭は、たちまち悄々たる奈落と化した。
自分と繋がりのない子供が家にいること。その事実に我慢ならなかった。
もはや血縁などどうでもよかった。妻の悪行の産物と同じ空気を吸いたくなかった。
協議の末、娘は浮気相手の元に引き取られることとなった。浮気相手の妻も、娘を育てることに合意した。
浮気相手には金がなかったので、こちらがある程度の援助をすることになった。相手の銀行口座は凍結されていた ため、金は終始手渡ししていた。
翼が見たのは、俺が浮気相手の奥さん……神崎東華に金を手渡したところである。今から考えれば、大いに誤解を与える場面であることは間違いない。
しかし、そこにやましい気持ちは一切なかった。
紛れもなくあったのは、互いへの憐憫、ただそれだけである。
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