標識上のユートピア

さとう

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二章

四十一話

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   帰宅すると、玄関に見覚えのある靴が増えていることに気付いた。紛れもなく父の物だ。
憂鬱になりながらもリビングに向かう。私服姿の父親が水を飲んでいた。今すぐぶん殴りたいところだが、そんなことをすれば厄介事にもつれるのは明白だ。
深呼吸をして前を見た時、机になにかが載せられているいることに気付いた。
 
激しく損傷したスマートフォン。
 
 かつて俺が使っていたものだ。カバンにしまっていたのを父に発見されたらしい。
父は無言で携帯を弄っていたが、こちらを向いて静かに尋ねてきた。
「母さんのお見舞いに行ったのか」 
 ストローで吸い上げられているのかと思うくらいに頭に血が上った。なけなしの理性をフル稼働させる。
「ああ。嘘、ついてたんだな」
 父は「母さんは軽い胃潰瘍だ」と俺に嘘をついた。「すぐ退院するから見舞いには来なくていい。母さんは勉強に専念してほしいと言っていた」とも。
父が険しい表情になる。
「それについては申し訳ないと思っている。しかし、母さんは本当にお前には心配かけたくないと言っていたんだ。それに、俺には……」
 父親の表情がふっと無になる。 
まただ。また、これだ。
父の顔全体が、空気に溶けていきそうなくらいに薄く見える。それとは真逆に、存在感を増していく唇。幾度となく蠢く。
しかし、結局それが言葉を形作ることはなかった。
「……なんだよ?」
 聞き返すが、父はまるで上の空だった。初めて来たとでもいいたげに家の隅々を見渡し、最後にその視線は俺に落ち着いた。
「……誰だ、こいつ?」
 俺が聞き間違えてなければ、確かにこう言った。
森閑が俺たちを包み込む。
ビルの屋上に立たされ、その上銃を突きつけられているような気分になった。冷たい風が吹いている。これから俺は生活の群れに飛び込んで、死という非日常を人々に植えつけることになるのだろう。
コンクリートに血が染み渡る。血が影となり、人々に手を伸ばす。 
おぞましい妄想から逃れるべく、俺は硬直を振りほどいた。壊れたスマートフォンを持ち出し、自分のポケットに入れる。そのまま自分の部屋に駆け込んだ。
しばらく布団にひきこもる。壊れたスマートフォンを取り出す。最後に見たときより、損傷が激しくなっている。
SDカードなどもなくなっていた。
動悸がする。厭な予感が、父の形をとって俺の気持ちを侵食する。
気のせいだ。そう思いたかった。とにかく今は父に会いたくなかった。
気を紛らすべく、今度はライムグリーンの携帯を開いた。
受信メール、十三件。
岸本からだろうか? それにしては多すぎる気もする。訝しく思いながらも開き、ホッと胸を撫で下ろす。そればかりでなく、嬉しい驚きもあった。
知らないメールアドレス。真っ先に見えた文字は、「板垣です」。
岸本の言った通り、俺の言葉が板垣に届いたのだろうか。
ちょっとした感動は、次の瞬間恐怖と化した。
残りの十二件。
全て、佐久間尊からだった。
件名もついている。「お前の父親」と。
見たくない。見たくない。
携帯を投げ捨て、布団を被る。視界が星のない夜に切り替わった。
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