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一章
十七話
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旧校舎から出ても人は殆どいなかった。つまり、敵はパーカーのみということか。
後ろから物音がした。振り返るが、誰もいない。どうやら全身の感覚が鋭敏になっているらしい。
物音を立てないように歩く。長い時間をかけて、職員室手前まで来た。明かりが漏れている。人がいるのかと思ったが、気配は感じられない。
思い切ってドアを開ける。予想通り人はいなかった。
教師が使用している机が目に入る。生徒のものより大きい。滑り込むようにして、机の下に潜り込んだ。鉄パイプを両手で持ったまま、じっと息を潜める。
廊下に誰かいる。闊歩する足音こそないものの、気配で分かる。
息を潜め続ける。息づかいすら感じられない職員室は、異常な雰囲気に満ち満ちていた。己の鼓動だけが、頭の中で響いている。
パーカーが職員室に入ってきたら、先手を打って殴ってやる。鉄パイプを持つ手に力がこもる。
しかし、ドアが開くこともなく気配は遠ざかっていった。拍子抜けして、鉄パイプを持つ力が緩む。
息をついた、寸秒後だった。
首が絞まるような殺気。
瞬時に机から出ると、鉄パイプを振り回す。厭な音がする。
下腹部に激痛が走った。前を見る。
赤いパーカーがこともなげに立っている。
鉄パイプは当たっていなかった。別の机を打っていたに過ぎなかった。
冷静でいるはずなのに、全身から冷や汗が吹き出す。死の恐怖がひしひしと歩み寄ってくる。
本能的に後退っていた。
パーカーが距離をつめてくる。フードのせいで顔は見えないが、全身から滲み出る狂気は明らかに常軌を逸していた。手にした刃物からは血が滴っている。
鉄パイプを振り回す。難なく避けられ、逆に武器をはたき落とされた。
その隙に職員室を飛び出す。無意識のうちに下腹部を押さえていた。
後ろを振り向かずに階段を上る。息が切れ、鉄の味が強くなっても走り続けた。
教室の一室に駆け込む。ドアを封鎖し、パーカーが見たとき悟られないように、内側から机を組み立て補強する。
念のため窓も閉めて、カーテンで覆った。
今できることはやった。外から音はしない。ひとまずパーカーを撒くことに成功したらしい。いや、成功したと信じたい。
壁に背をつけたまま、ずるずると床に滑り落ちた。
「くっ」
痛みのあまり声が出る。下腹部を刺されたらしい。幸いにも切れたのは皮膚だけで、内臓には到達していないようだった。シャツを破き、傷口に押し当てて圧迫する。廊下に血痕が残ってなければいいのだが。
教室のスピーカーからこもった音がした。アナウンスが流れる予兆だ。
今度ははっきりと聞こえた。
『覚悟ができてるんじゃなかったのか?』
悪意に満ちた声。おれを排除しようと嗤っていた声のひとつだとすぐに分かった。同時に、猥雑の中にあった声の主が初めて分かる。
岸本。
そんなはずはない。ヤツは死んだ。
背筋が凍りそうだ。
そうだ、これはパーカーの策略だ。おれを動揺させようという魂胆だな。かかってたまるか。
負傷箇所に気を付けながらしゃがむ。武器になりそうなものはないか。教卓のわきにモップがあった。決め手には欠けるが、ないよりはましだ。刃物よりリーチも長い。
直立不動の状態でしばらく時が過ぎた。何時間過ぎたか分からない。実は数分しか経ってないのかもしれない。
体勢を崩しかけたとき、廊下で足音が鳴り渡った。
自分の鼓動で心臓が破裂しそうになる。緊張感が鼓動を速めているに違いない。
置物のように膝を抱える。しかし、どこか様子がおかしい。
足音がやたらに速く遠ざかっていったのだ。つまり走っていた。
加えて、足音はひとつではなかった。
おそらくパーカーが何かを追いかけている。おれ以外の誰かを。
いや、それはない。ヤツの狙いはおれ一人だ。だからおれ以外は追いかけない。
おれ以外は。
…………厭な予感がする。
さっき凛奈に上着を渡した。紛れもなくおれのものだ。
恐ろしい可能性が浮かぶ。
……最悪の事態だ。嘘だろう。誰か嘘だと言ってくれ。
今すぐ教室を飛び出したい気持ちに駆られる。なけなしの自制心で堪えた。
もう一度落ち着いて考えてみよう。大丈夫だ。第一、凛奈がおれに変装できるはずがないのだ。確かにあの上着にはフードが付いている。だが上半身を誤魔化したところで背丈は誤魔化せない。
だから、凛奈に関しては何も心配いらないのだ。
――いや、よくよく考えてみろ。
もう一人の自分が語りかけてきた。
――お前は凛奈と一緒に来たわけじゃないだろ?
確かにそうだ。でもそれがどうしたというんだ?
――凛奈は下駄箱を通って来たかもしれない。
え?
もう一度聞き返す前に、おぞましい事実に思い当たった。
轟音が広がり、ぎょっとする。考える前に体が動き、バリケードの役割を果たしていた机をどかしてしまったのだ。
廊下に飛び出し、階段を降りる。怪我などどうでもよくなっていた。
おれは死んでもいい。凛奈さえ無事でいてくれれば。
何事もなく一階に着いたが、むしろ不安は加速するばかりだった。
真っ先に下駄箱を見に行く。
岸本のシークレットブーツを置いたはずの場所には、なにもなかった。
凛奈。
絶望が両手を広げておれを包み込んだ。
後ろから物音がした。振り返るが、誰もいない。どうやら全身の感覚が鋭敏になっているらしい。
物音を立てないように歩く。長い時間をかけて、職員室手前まで来た。明かりが漏れている。人がいるのかと思ったが、気配は感じられない。
思い切ってドアを開ける。予想通り人はいなかった。
教師が使用している机が目に入る。生徒のものより大きい。滑り込むようにして、机の下に潜り込んだ。鉄パイプを両手で持ったまま、じっと息を潜める。
廊下に誰かいる。闊歩する足音こそないものの、気配で分かる。
息を潜め続ける。息づかいすら感じられない職員室は、異常な雰囲気に満ち満ちていた。己の鼓動だけが、頭の中で響いている。
パーカーが職員室に入ってきたら、先手を打って殴ってやる。鉄パイプを持つ手に力がこもる。
しかし、ドアが開くこともなく気配は遠ざかっていった。拍子抜けして、鉄パイプを持つ力が緩む。
息をついた、寸秒後だった。
首が絞まるような殺気。
瞬時に机から出ると、鉄パイプを振り回す。厭な音がする。
下腹部に激痛が走った。前を見る。
赤いパーカーがこともなげに立っている。
鉄パイプは当たっていなかった。別の机を打っていたに過ぎなかった。
冷静でいるはずなのに、全身から冷や汗が吹き出す。死の恐怖がひしひしと歩み寄ってくる。
本能的に後退っていた。
パーカーが距離をつめてくる。フードのせいで顔は見えないが、全身から滲み出る狂気は明らかに常軌を逸していた。手にした刃物からは血が滴っている。
鉄パイプを振り回す。難なく避けられ、逆に武器をはたき落とされた。
その隙に職員室を飛び出す。無意識のうちに下腹部を押さえていた。
後ろを振り向かずに階段を上る。息が切れ、鉄の味が強くなっても走り続けた。
教室の一室に駆け込む。ドアを封鎖し、パーカーが見たとき悟られないように、内側から机を組み立て補強する。
念のため窓も閉めて、カーテンで覆った。
今できることはやった。外から音はしない。ひとまずパーカーを撒くことに成功したらしい。いや、成功したと信じたい。
壁に背をつけたまま、ずるずると床に滑り落ちた。
「くっ」
痛みのあまり声が出る。下腹部を刺されたらしい。幸いにも切れたのは皮膚だけで、内臓には到達していないようだった。シャツを破き、傷口に押し当てて圧迫する。廊下に血痕が残ってなければいいのだが。
教室のスピーカーからこもった音がした。アナウンスが流れる予兆だ。
今度ははっきりと聞こえた。
『覚悟ができてるんじゃなかったのか?』
悪意に満ちた声。おれを排除しようと嗤っていた声のひとつだとすぐに分かった。同時に、猥雑の中にあった声の主が初めて分かる。
岸本。
そんなはずはない。ヤツは死んだ。
背筋が凍りそうだ。
そうだ、これはパーカーの策略だ。おれを動揺させようという魂胆だな。かかってたまるか。
負傷箇所に気を付けながらしゃがむ。武器になりそうなものはないか。教卓のわきにモップがあった。決め手には欠けるが、ないよりはましだ。刃物よりリーチも長い。
直立不動の状態でしばらく時が過ぎた。何時間過ぎたか分からない。実は数分しか経ってないのかもしれない。
体勢を崩しかけたとき、廊下で足音が鳴り渡った。
自分の鼓動で心臓が破裂しそうになる。緊張感が鼓動を速めているに違いない。
置物のように膝を抱える。しかし、どこか様子がおかしい。
足音がやたらに速く遠ざかっていったのだ。つまり走っていた。
加えて、足音はひとつではなかった。
おそらくパーカーが何かを追いかけている。おれ以外の誰かを。
いや、それはない。ヤツの狙いはおれ一人だ。だからおれ以外は追いかけない。
おれ以外は。
…………厭な予感がする。
さっき凛奈に上着を渡した。紛れもなくおれのものだ。
恐ろしい可能性が浮かぶ。
……最悪の事態だ。嘘だろう。誰か嘘だと言ってくれ。
今すぐ教室を飛び出したい気持ちに駆られる。なけなしの自制心で堪えた。
もう一度落ち着いて考えてみよう。大丈夫だ。第一、凛奈がおれに変装できるはずがないのだ。確かにあの上着にはフードが付いている。だが上半身を誤魔化したところで背丈は誤魔化せない。
だから、凛奈に関しては何も心配いらないのだ。
――いや、よくよく考えてみろ。
もう一人の自分が語りかけてきた。
――お前は凛奈と一緒に来たわけじゃないだろ?
確かにそうだ。でもそれがどうしたというんだ?
――凛奈は下駄箱を通って来たかもしれない。
え?
もう一度聞き返す前に、おぞましい事実に思い当たった。
轟音が広がり、ぎょっとする。考える前に体が動き、バリケードの役割を果たしていた机をどかしてしまったのだ。
廊下に飛び出し、階段を降りる。怪我などどうでもよくなっていた。
おれは死んでもいい。凛奈さえ無事でいてくれれば。
何事もなく一階に着いたが、むしろ不安は加速するばかりだった。
真っ先に下駄箱を見に行く。
岸本のシークレットブーツを置いたはずの場所には、なにもなかった。
凛奈。
絶望が両手を広げておれを包み込んだ。
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