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第三章
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ヴィルヘルムの頬は僅かに赤らんでいて、それはまるで図星を指されて照れているように見えた。
けれど、凝視していたらヴィルヘルムは顔を逸らしてしまう。
──だからヴィルヘルムも、視線を彼に向けていたアシュリーも、気付かなかった。
ジェラルドが、口角を上げて何か企んでいるように笑ったことに。
「はい、隙あり」
「ひゃあっ!」
「っ?!」
ジェラルドは自身の体を引くと、アシュリーの体を前へ押した。バランスを崩した彼女の体は、前のめりに倒れようとする。
しかしそこにはヴィルヘルムがいて、すぐに状況を把握するとアシュリーに手を伸ばし、抱き留めてくれた。
「おっと、そう言えば俺は殿下から頼まれたお使いの途中だったんだ。それではアシュリー嬢、匿ってくれてありがとう。心配しなくても彼女たちには君が嘘を言ってくれたことは言わないし、ヴィルヘルムとのことも公になるまでは話さないから安心して?」
「……お気遣いありがとうございます」
すでにふたりから距離を取っていたジェラルドが、やり慣れたように片目を瞑ってウィンクした。その姿は、いかにも遊び慣れた、色男な風情を醸し出している。
できればもう関わりたくはないなと思いながら、アシュリーは辛うじて礼を言ったけれど、「それと」と続いた言葉に驚いた。
「婚約、おめでとう」
言われた言葉が予想外で、アシュリーは一瞬固まる。驚いたのはアシュリーだけでなくヴィルヘルムもだ。
だがヴィルヘルムが我に返るのは早かった。
「ありがとう、ジェラルド」
「っあ、ありがとう、ございます」
ヴィルヘルムの声に続き、アシュリーも礼を言う。
ローウェルに続いてジェラルドにまでおめでとうと言われて、実感がより増してきて、どこか気恥ずかしい。
そうして、ジェラルドという小さな嵐が去っていって、その場にはアシュリーと、彼女を抱き留めたままのヴィルヘルムが残された。
婚約の話が決まっているのだから慌てる必要はないのだけれど、誰かに見られたら、という気恥ずかしさがあって、アシュリーは体を離してもらうべく、ヴィルヘルムの逞しい胸元を押し返そうとした。
しかしアシュリーの行動とは反対に、ヴィルヘルムは抱擁する力を強めて、アシュリーをしっかりと抱き締めてくる。
「……もう少し、このままで」
耳元でそう囁かれたら、心臓の鼓動が早くなって、顔が熱くなってくるのは当たり前だ。
ますます早くなる心臓の音がヴィルヘルムに聞こえませんようにと、アシュリーは願った。
けれど、彼の胸元に押し当てた耳に届く鼓動も早まっていくのがわかって、アシュリーの緊張の糸が僅かに緩む。
「……アシュリー」
「は、い」
頭上から、低く静かな声で名前を呼ばれた。
まだ、心臓がどきどきしている。
腕の力が弱まったので、恐る恐る顔を上げると、目尻を僅かに赤らめたヴィルヘルムと目が合った。
「ジェラルドが言っていた、図書館はついでで、という話のこと、だが」
「え? あ……だ、大丈夫です。ちゃんと、ジェラルド様が勝手に言ってただけだって、わかってるので」
そうだったら嬉しいな、とは思ったけれど、わざわざ言うことではないと言葉を飲み込んで。
自分で否定して胸がちくりと痛んだが、その痛みを隠すために笑った──はずなのだが。
「いや、ジェラルドの言っていたことは間違いではなくて……せめて休憩のときぐらいはアシュリーに会いたくて図書館へ行こうとしていた、と言ったら、あなたを困らせてしまうだろうか」
見つめてくる瞳には、真っ直ぐで迷いのない光が宿っている。
伸びてきた指先が優しくアシュリーの頬を撫でてきて、ただでさえ熱を帯びている彼女の頬が、より赤みを増した。
返事を口にするよりも前に、アシュリーは首を横に振っていた。
──困るはずなんてない。だってそうであればいいのに、とアシュリーは思っていたのだから。
「良かった」
強張っていたヴィルヘルムの表情が柔らかくなる。
あまりにも優しい顔ばかりしてくるから、アシュリーの心臓はどきどきして仕方ない。
「……それとひとつ、頼みがあるんだが」
緊張を孕んだ面持ちで、ヴィルヘルムがそう切り出してくる。
アシュリーが首を傾げると、僅かに腰を抱く腕の力が強くなった気がした。
「アシュリーの休憩が終わったら、仕事で使いたい本を、一緒に探して欲しいんだ。だからそれまで、ここにいてもいいだろうか」
前者は仕事の話だったけれど、後者は間違いなく《デート》のお誘いで。
そして、休憩が終わるまでは、まだ少し時間があった。
「……はい、喜んで」
ヴィルヘルムを見つめながら、アシュリーは小さく頷く。
そして紅潮した頬を緩め、幸せそうな笑みを浮かべたのだった。
けれど、凝視していたらヴィルヘルムは顔を逸らしてしまう。
──だからヴィルヘルムも、視線を彼に向けていたアシュリーも、気付かなかった。
ジェラルドが、口角を上げて何か企んでいるように笑ったことに。
「はい、隙あり」
「ひゃあっ!」
「っ?!」
ジェラルドは自身の体を引くと、アシュリーの体を前へ押した。バランスを崩した彼女の体は、前のめりに倒れようとする。
しかしそこにはヴィルヘルムがいて、すぐに状況を把握するとアシュリーに手を伸ばし、抱き留めてくれた。
「おっと、そう言えば俺は殿下から頼まれたお使いの途中だったんだ。それではアシュリー嬢、匿ってくれてありがとう。心配しなくても彼女たちには君が嘘を言ってくれたことは言わないし、ヴィルヘルムとのことも公になるまでは話さないから安心して?」
「……お気遣いありがとうございます」
すでにふたりから距離を取っていたジェラルドが、やり慣れたように片目を瞑ってウィンクした。その姿は、いかにも遊び慣れた、色男な風情を醸し出している。
できればもう関わりたくはないなと思いながら、アシュリーは辛うじて礼を言ったけれど、「それと」と続いた言葉に驚いた。
「婚約、おめでとう」
言われた言葉が予想外で、アシュリーは一瞬固まる。驚いたのはアシュリーだけでなくヴィルヘルムもだ。
だがヴィルヘルムが我に返るのは早かった。
「ありがとう、ジェラルド」
「っあ、ありがとう、ございます」
ヴィルヘルムの声に続き、アシュリーも礼を言う。
ローウェルに続いてジェラルドにまでおめでとうと言われて、実感がより増してきて、どこか気恥ずかしい。
そうして、ジェラルドという小さな嵐が去っていって、その場にはアシュリーと、彼女を抱き留めたままのヴィルヘルムが残された。
婚約の話が決まっているのだから慌てる必要はないのだけれど、誰かに見られたら、という気恥ずかしさがあって、アシュリーは体を離してもらうべく、ヴィルヘルムの逞しい胸元を押し返そうとした。
しかしアシュリーの行動とは反対に、ヴィルヘルムは抱擁する力を強めて、アシュリーをしっかりと抱き締めてくる。
「……もう少し、このままで」
耳元でそう囁かれたら、心臓の鼓動が早くなって、顔が熱くなってくるのは当たり前だ。
ますます早くなる心臓の音がヴィルヘルムに聞こえませんようにと、アシュリーは願った。
けれど、彼の胸元に押し当てた耳に届く鼓動も早まっていくのがわかって、アシュリーの緊張の糸が僅かに緩む。
「……アシュリー」
「は、い」
頭上から、低く静かな声で名前を呼ばれた。
まだ、心臓がどきどきしている。
腕の力が弱まったので、恐る恐る顔を上げると、目尻を僅かに赤らめたヴィルヘルムと目が合った。
「ジェラルドが言っていた、図書館はついでで、という話のこと、だが」
「え? あ……だ、大丈夫です。ちゃんと、ジェラルド様が勝手に言ってただけだって、わかってるので」
そうだったら嬉しいな、とは思ったけれど、わざわざ言うことではないと言葉を飲み込んで。
自分で否定して胸がちくりと痛んだが、その痛みを隠すために笑った──はずなのだが。
「いや、ジェラルドの言っていたことは間違いではなくて……せめて休憩のときぐらいはアシュリーに会いたくて図書館へ行こうとしていた、と言ったら、あなたを困らせてしまうだろうか」
見つめてくる瞳には、真っ直ぐで迷いのない光が宿っている。
伸びてきた指先が優しくアシュリーの頬を撫でてきて、ただでさえ熱を帯びている彼女の頬が、より赤みを増した。
返事を口にするよりも前に、アシュリーは首を横に振っていた。
──困るはずなんてない。だってそうであればいいのに、とアシュリーは思っていたのだから。
「良かった」
強張っていたヴィルヘルムの表情が柔らかくなる。
あまりにも優しい顔ばかりしてくるから、アシュリーの心臓はどきどきして仕方ない。
「……それとひとつ、頼みがあるんだが」
緊張を孕んだ面持ちで、ヴィルヘルムがそう切り出してくる。
アシュリーが首を傾げると、僅かに腰を抱く腕の力が強くなった気がした。
「アシュリーの休憩が終わったら、仕事で使いたい本を、一緒に探して欲しいんだ。だからそれまで、ここにいてもいいだろうか」
前者は仕事の話だったけれど、後者は間違いなく《デート》のお誘いで。
そして、休憩が終わるまでは、まだ少し時間があった。
「……はい、喜んで」
ヴィルヘルムを見つめながら、アシュリーは小さく頷く。
そして紅潮した頬を緩め、幸せそうな笑みを浮かべたのだった。
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とてもキュンキュンさせられました~!
両片思い系が大好きで、この話は私の中でドンピシャでした。
また二人の夜のシーンも表現など素敵でした…!
もし続きがあるなら二人の結婚後の夜なども見たいですね!
無事にお互いの気持ちが通じ合ってよかった‼️
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2人のこの後がとても気になるのですが、書く予定はあるのでしょうか?
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!
最終話は本当に最後まで悩んだので、そう言ってもらえてほっとしています。
続きに関しましては、ぼんやりと構想は練っています。
ただ最近の更新速度の低下と私生活の面から、当分は難しいかなと思っております。
もし続きをアップした際には、良ければまた、お付き合い頂けたら嬉しいです!
ぐ…
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コメントありがとうございました!