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第三章
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確かに舞踏会の夜、ジェラルドはあの場にいた。けれど彼は何も知らされていなかったはずだし、関わりがただでさえ皆無だったのだから《シェリー》が《アシュリー》だとは結び付かないはずだ。
なのにジェラルドは、アシュリーとヴィルヘルムの関係を知っているような口ぶりだった。舞踏会の夜のことも知っていると言いたげで、どこまで彼が事情を知っているのかがわからず、アシュリーはぐっと言い返したい気持ちを飲み込んだ。
もしかしたら思わせぶりなことを言っているだけなのかもしれない。しかし今のジェラルドの表情からそれを見破ることはアシュリーにはできなかった。
「……わかりました」
考えた末に頷くと、ジェラルドは少しびっくりしたような顔をして、それから安堵したような笑みを浮かべた。
その裏表のなさそうな笑みにアシュリーが驚いていると、口の前で人差し指を立てた彼が廊下の方を指差した。
高い声と、ヒールが床を叩く音がする。
足音が近付いてきていることに気付いて、アシュリーは慌ててジェラルドから視線を外し、手元に持っていたクロワッサンを持ち直した。
その直後、鮮やかなドレスを着た令嬢がアシュリーの視界に映る。
「もう、ジェラルド様ったら足がお早いんだから。どこへ行ってしまったのかしら」
「この先には図書館しかありませんし……もしかしたら殿下からのご命令で、ローウェル様のところに行かれているのかもしれませんわ」
そう話しながら、数人の少女がアシュリーの視界の先──廊下をヒールの音を立てながら歩いていく。
このまま、こちらには気付かずに通り過ぎてくれればいい。そんな願いを込めたアシュリーだったけれど、現実がそう上手く行くはずがなく。
彼女たちのうち、ひとりの視線がベンチに座っているアシュリーに向いた。そのことで他の娘たちの視線も集めることになり、その迫力に思わず肩を揺らしてしまう。
「そこのあなた、ジェラルド様がこちらにいらっしゃらなかったかしら」
問い掛けられて、アシュリーはぎくりとする。
恐らく彼女たちの家の方が爵位は上だろう。それは遠目でも、身に付けているドレスの豪華さを見ればわかる。
女性を敵に回すのは恐ろしい。それはアシュリーが前世でも今生でも共通して知っている事実だ。
けれど脅されたとは言え、ジェラルドに了承の返事をしてしまったので彼を裏切ることはできない。
ただ理由はそれだけではなく、彼が浮かべた安堵の表情を思い出し、この場を何とか誤魔化そうと、アシュリーは口を開いた。
「ジェラルド様、ですか? ……ええと、さっき図書館の方へ向かって行った人がいたんですが、その方かな?ごめんなさい、ぼーっとしてたので顔まではちゃんと見てなくて……」
「その方は白い騎士服を着ていて?」
「……いたと、思います……けど」
「そう」
アシュリーの返事に彼女たちは顔を見合わせた。そしてもうアシュリーには興味がないと言わんばかりに、床と擦れ合うヒールの音を響かせながら図書館の方へ早歩きで去っていった。
ヒールの音と彼女たちの声が聞こえなくなって、アシュリーは肩の力を抜くように大きく息を吐く。
「……俺を匿ったことが知られたら、痛い目を見るのは君の方だ。それでも、知らないふりをしてくれたのはどうして?」
一見甘く聞こえるけれど、漂う雰囲気はけして甘いものではない。そのことを感じ取ったアシュリーはただ、その問い掛けにだけ淡々と答えた。
「誤魔化さないと、ヴィルヘルム様とのことを城中に話すと脅してきたのはジェラルド様です。……逆らえる余地はありません」
「そうだね。だけどそれだけじゃ、体を張る理由としては少し弱いんじゃないかな。例えば──」
背後から回ってきた手がアシュリーの顎を掴む。そして、覗き込んでくるジェラルドと目を合わせるように顔を横向きにされた。
ふわり、と甘い香水の香りが鼻を擽る。
「俺の気を引きたくて、匿ってくれたとか」
僅かに桃色がかった、きらきらと光る金髪。近くで見ると、碧眼の鮮やかさがよくわかる。その縁を覆う睫毛は長く、羨ましいぐらいに綺麗な肌。
確かにこの美貌なら、令嬢たちから人気だと言うのもよくわかる。
確かに一瞬ドキッとした。これだけの顔の良い異性に顔を覗かれれば、きっと誰だってそうなるはずだ。
だけど、それだけだ。アシュリーが好きなのはヴィルヘルムだけなのだから。
それどころか試すような目の色に、言葉に──ただでさえ関わりがなく皆無だった好感度が駄々下がりだ。
匿わずに、そのまま彼女たちに居場所を教えてしまえば良かったと思うぐらいに。
「……ご冗談を。わたしには、こん、婚約者が、おります。その方をお慕いしているので、ジェラルド様の気を引こうだなんて思ったことはありません」
力み過ぎて吃ってしまったが、ジェラルドは目を細めただけで大きな反応はしなかった。
「それに、気を引こうと思う程、あなたを好意的に思ったことはありませんので」
アシュリーはにっこりと笑みを浮かべてそう言った。先に失礼なことを言ってきたのは相手の方なのだからと自分に言い聞かせて、ジェラルドを睨み付けた。
なのにジェラルドは、アシュリーとヴィルヘルムの関係を知っているような口ぶりだった。舞踏会の夜のことも知っていると言いたげで、どこまで彼が事情を知っているのかがわからず、アシュリーはぐっと言い返したい気持ちを飲み込んだ。
もしかしたら思わせぶりなことを言っているだけなのかもしれない。しかし今のジェラルドの表情からそれを見破ることはアシュリーにはできなかった。
「……わかりました」
考えた末に頷くと、ジェラルドは少しびっくりしたような顔をして、それから安堵したような笑みを浮かべた。
その裏表のなさそうな笑みにアシュリーが驚いていると、口の前で人差し指を立てた彼が廊下の方を指差した。
高い声と、ヒールが床を叩く音がする。
足音が近付いてきていることに気付いて、アシュリーは慌ててジェラルドから視線を外し、手元に持っていたクロワッサンを持ち直した。
その直後、鮮やかなドレスを着た令嬢がアシュリーの視界に映る。
「もう、ジェラルド様ったら足がお早いんだから。どこへ行ってしまったのかしら」
「この先には図書館しかありませんし……もしかしたら殿下からのご命令で、ローウェル様のところに行かれているのかもしれませんわ」
そう話しながら、数人の少女がアシュリーの視界の先──廊下をヒールの音を立てながら歩いていく。
このまま、こちらには気付かずに通り過ぎてくれればいい。そんな願いを込めたアシュリーだったけれど、現実がそう上手く行くはずがなく。
彼女たちのうち、ひとりの視線がベンチに座っているアシュリーに向いた。そのことで他の娘たちの視線も集めることになり、その迫力に思わず肩を揺らしてしまう。
「そこのあなた、ジェラルド様がこちらにいらっしゃらなかったかしら」
問い掛けられて、アシュリーはぎくりとする。
恐らく彼女たちの家の方が爵位は上だろう。それは遠目でも、身に付けているドレスの豪華さを見ればわかる。
女性を敵に回すのは恐ろしい。それはアシュリーが前世でも今生でも共通して知っている事実だ。
けれど脅されたとは言え、ジェラルドに了承の返事をしてしまったので彼を裏切ることはできない。
ただ理由はそれだけではなく、彼が浮かべた安堵の表情を思い出し、この場を何とか誤魔化そうと、アシュリーは口を開いた。
「ジェラルド様、ですか? ……ええと、さっき図書館の方へ向かって行った人がいたんですが、その方かな?ごめんなさい、ぼーっとしてたので顔まではちゃんと見てなくて……」
「その方は白い騎士服を着ていて?」
「……いたと、思います……けど」
「そう」
アシュリーの返事に彼女たちは顔を見合わせた。そしてもうアシュリーには興味がないと言わんばかりに、床と擦れ合うヒールの音を響かせながら図書館の方へ早歩きで去っていった。
ヒールの音と彼女たちの声が聞こえなくなって、アシュリーは肩の力を抜くように大きく息を吐く。
「……俺を匿ったことが知られたら、痛い目を見るのは君の方だ。それでも、知らないふりをしてくれたのはどうして?」
一見甘く聞こえるけれど、漂う雰囲気はけして甘いものではない。そのことを感じ取ったアシュリーはただ、その問い掛けにだけ淡々と答えた。
「誤魔化さないと、ヴィルヘルム様とのことを城中に話すと脅してきたのはジェラルド様です。……逆らえる余地はありません」
「そうだね。だけどそれだけじゃ、体を張る理由としては少し弱いんじゃないかな。例えば──」
背後から回ってきた手がアシュリーの顎を掴む。そして、覗き込んでくるジェラルドと目を合わせるように顔を横向きにされた。
ふわり、と甘い香水の香りが鼻を擽る。
「俺の気を引きたくて、匿ってくれたとか」
僅かに桃色がかった、きらきらと光る金髪。近くで見ると、碧眼の鮮やかさがよくわかる。その縁を覆う睫毛は長く、羨ましいぐらいに綺麗な肌。
確かにこの美貌なら、令嬢たちから人気だと言うのもよくわかる。
確かに一瞬ドキッとした。これだけの顔の良い異性に顔を覗かれれば、きっと誰だってそうなるはずだ。
だけど、それだけだ。アシュリーが好きなのはヴィルヘルムだけなのだから。
それどころか試すような目の色に、言葉に──ただでさえ関わりがなく皆無だった好感度が駄々下がりだ。
匿わずに、そのまま彼女たちに居場所を教えてしまえば良かったと思うぐらいに。
「……ご冗談を。わたしには、こん、婚約者が、おります。その方をお慕いしているので、ジェラルド様の気を引こうだなんて思ったことはありません」
力み過ぎて吃ってしまったが、ジェラルドは目を細めただけで大きな反応はしなかった。
「それに、気を引こうと思う程、あなたを好意的に思ったことはありませんので」
アシュリーはにっこりと笑みを浮かべてそう言った。先に失礼なことを言ってきたのは相手の方なのだからと自分に言い聞かせて、ジェラルドを睨み付けた。
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