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第三章
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抱えていた本がなくなったことで、行きよりも身軽になった格好で、アシュリーは図書館への帰路を戻る。
頭の中で、戻ったらやるべき仕事に優先順位を付けていく。時間に追われるほどの忙しさではないが、やることに困らないぐらいの仕事はある。
図書館へ戻ると、いつも通り仕事をこなした。
返却された本を棚に戻したり、カウンターで貸し借りの手続きをしたり、本の場所を尋ねられたり……それに加えて、裏方の仕事もある。
やっているうちに、次から次へとやる仕事を思い出して、ひとつずつ消化していくうちにあっという間に時間が経っていた。
同僚が声を掛けてくれるまで、近々入ってくる新刊のリストとアシュリーは睨めっこをしていた。
基本、開館時間はカウンターに誰もいないということはないので、休憩を取る館員は交代制になる。
昼食は基本的に家から持ってくるか、使用人が利用できる食堂が解放されているので、そこで取ることが多い。
アシュリーも始めは食堂で昼食を取っていたのだが、噂話が好きな行儀見習いの令嬢や上位の貴族からの毒のある視線に耐えられなくなり、食堂で食事をすることはなくなった。
最近はそんな不躾な視線を寄越す人間はいないと言っていいが、始めのころの嫌な記憶が思い出されるので、食堂を使うのはやむを得ない場合の時だけだ。
幸いにも食堂へ行くと軽食ぐらいなら用意してあるので、アシュリーはその軽食を購入して、別のところで食べる、ということが多かった。
なので今日もアシュリーは食堂で、クロワッサンに野菜と茹でたチキンをスライスしたものを挟んだパンと、チョコチップの入ったマフィンを手に入れて、図書館に一番近い庭──ヴィルヘルムがアシュリーに一目惚れした場所だ──に向かう。
ひっそりと置かれたベンチには、その横に植えられた大樹の影が覆い被さっている。アシュリーがベンチに座ると、ちょうど木陰になっていて過ごし易かった。
さわさわと葉が擦れる音がする。
背もたれに背中を預けて、ぼんやりと青空を見上げる。
──これだけ天気が良いなら、何か読む本でも持ってくれば良かったかも。
そんなことを思いながら、先ほど食堂で受け取った小ぶりのバスケットからクロワッサンを取り出し、口元へ運ぶ。
そして齧り付こうとしていたら、乱れた足音が聞こえてきて、廊下の方へ続く通路から端整な顔立ちの青年が顔を覗かせた。
陽の光に照らされた金色が眩しい。陳腐な言葉だろうが、驚いたようにアシュリーに向けられた碧眼は宝石と見間違うばかりに美しい色をしている。
真っ白い騎士服は、王太子付きの者にのみ与えられる正装だ。
王太子の近衛騎士に会う機会は、アシュリーには滅多にない。
けれど一度だけ、あの夜会の日に彼とは顔を合わせている。すぐに視線を逸らしてしまったが、これだけ目立つ容姿をしていれば、忘れられるはずはない。
──王太子付きの近衛騎士、ジェラルド。
名前と容姿、彼の噂についてのことなら、アシュリーもよく耳にしていた。
お互いに目を合わせたまま固まって、しかしすぐに甲高い娘の声がそう遠くないところから聞こえてくると、先に我に返ったのはジェラルドの方だった。
戸惑いなくこちらに近付いてきたと思ったら、アシュリーの背後にある大樹の陰にさっと隠れる。
戸惑うアシュリーがジェラルドに視線を向けると、申し訳なさそうに片手を顔の前に立て、「ごめん」のポーズを作った。
「今から来る子たちに俺のこと聞かれたら、適当に誤魔化してくれる?」
そう言われて、アシュリーは尚更困り果てた。
先ほど聞こえてきた声のトーンから、彼が誤魔化せと言っている相手は女性──いつも彼のことを追っかけている子たちのことなのだろう。
だがジェラルドに想いを寄せる令嬢たちは派手な子たちが多く、押しが強い。嘘を突き通せる自信はなかった。
ハードルが高すぎると頬を引攣らせるアシュリーは首を横に振ろうとしたが、ジェラルドは先ほどまでの申し訳なさを潜め、どこか含みのある、それはもう爽やかな笑みを浮かべて言った。
「じゃないと口が滑って、君とヴィルヘルムの関係をうっかり人に話してしまうかもしれない。──あの舞踏会の日のことも含めて、ね?」
脅しとしか聞こえないその囁きに、アシュリーは目を見開いた。
頭の中で、戻ったらやるべき仕事に優先順位を付けていく。時間に追われるほどの忙しさではないが、やることに困らないぐらいの仕事はある。
図書館へ戻ると、いつも通り仕事をこなした。
返却された本を棚に戻したり、カウンターで貸し借りの手続きをしたり、本の場所を尋ねられたり……それに加えて、裏方の仕事もある。
やっているうちに、次から次へとやる仕事を思い出して、ひとつずつ消化していくうちにあっという間に時間が経っていた。
同僚が声を掛けてくれるまで、近々入ってくる新刊のリストとアシュリーは睨めっこをしていた。
基本、開館時間はカウンターに誰もいないということはないので、休憩を取る館員は交代制になる。
昼食は基本的に家から持ってくるか、使用人が利用できる食堂が解放されているので、そこで取ることが多い。
アシュリーも始めは食堂で昼食を取っていたのだが、噂話が好きな行儀見習いの令嬢や上位の貴族からの毒のある視線に耐えられなくなり、食堂で食事をすることはなくなった。
最近はそんな不躾な視線を寄越す人間はいないと言っていいが、始めのころの嫌な記憶が思い出されるので、食堂を使うのはやむを得ない場合の時だけだ。
幸いにも食堂へ行くと軽食ぐらいなら用意してあるので、アシュリーはその軽食を購入して、別のところで食べる、ということが多かった。
なので今日もアシュリーは食堂で、クロワッサンに野菜と茹でたチキンをスライスしたものを挟んだパンと、チョコチップの入ったマフィンを手に入れて、図書館に一番近い庭──ヴィルヘルムがアシュリーに一目惚れした場所だ──に向かう。
ひっそりと置かれたベンチには、その横に植えられた大樹の影が覆い被さっている。アシュリーがベンチに座ると、ちょうど木陰になっていて過ごし易かった。
さわさわと葉が擦れる音がする。
背もたれに背中を預けて、ぼんやりと青空を見上げる。
──これだけ天気が良いなら、何か読む本でも持ってくれば良かったかも。
そんなことを思いながら、先ほど食堂で受け取った小ぶりのバスケットからクロワッサンを取り出し、口元へ運ぶ。
そして齧り付こうとしていたら、乱れた足音が聞こえてきて、廊下の方へ続く通路から端整な顔立ちの青年が顔を覗かせた。
陽の光に照らされた金色が眩しい。陳腐な言葉だろうが、驚いたようにアシュリーに向けられた碧眼は宝石と見間違うばかりに美しい色をしている。
真っ白い騎士服は、王太子付きの者にのみ与えられる正装だ。
王太子の近衛騎士に会う機会は、アシュリーには滅多にない。
けれど一度だけ、あの夜会の日に彼とは顔を合わせている。すぐに視線を逸らしてしまったが、これだけ目立つ容姿をしていれば、忘れられるはずはない。
──王太子付きの近衛騎士、ジェラルド。
名前と容姿、彼の噂についてのことなら、アシュリーもよく耳にしていた。
お互いに目を合わせたまま固まって、しかしすぐに甲高い娘の声がそう遠くないところから聞こえてくると、先に我に返ったのはジェラルドの方だった。
戸惑いなくこちらに近付いてきたと思ったら、アシュリーの背後にある大樹の陰にさっと隠れる。
戸惑うアシュリーがジェラルドに視線を向けると、申し訳なさそうに片手を顔の前に立て、「ごめん」のポーズを作った。
「今から来る子たちに俺のこと聞かれたら、適当に誤魔化してくれる?」
そう言われて、アシュリーは尚更困り果てた。
先ほど聞こえてきた声のトーンから、彼が誤魔化せと言っている相手は女性──いつも彼のことを追っかけている子たちのことなのだろう。
だがジェラルドに想いを寄せる令嬢たちは派手な子たちが多く、押しが強い。嘘を突き通せる自信はなかった。
ハードルが高すぎると頬を引攣らせるアシュリーは首を横に振ろうとしたが、ジェラルドは先ほどまでの申し訳なさを潜め、どこか含みのある、それはもう爽やかな笑みを浮かべて言った。
「じゃないと口が滑って、君とヴィルヘルムの関係をうっかり人に話してしまうかもしれない。──あの舞踏会の日のことも含めて、ね?」
脅しとしか聞こえないその囁きに、アシュリーは目を見開いた。
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