52 / 64
第三章
(14)
しおりを挟む
少しずつ遠ざかる距離に、アシュリーは慌ててその後を追う。
ヴィルヘルムは前を見ているし、もしかしたら不意打ちを狙って逃げられるかもしれないと思ったが、そのたびにタイミングよく彼が様子を伺ってきて、アシュリーは考えるのを止めた。
そもそも仮に逃げられたとしても、騎士として鍛えているヴィルヘルムとは違い、アシュリーは働いているとは言っても体力勝負の仕事ではない。
そう遠く逃げないうちに、ヴィルヘルムに捕まるだろうことは目に見えていた。
それに城内の地図を把握しきれていないアシュリーがここでヴィルヘルムから逃げ切れたとしても、そのあと元の場所に戻って来られる自信はない。
──にしても、どこに行くんだろう……
場所を変えたいとは言われたが、どこに行くのかまでは言われなかった。
何度か通ったことがある道を抜け、アシュリーの知らない廊下をヴィルヘルムは迷いなく進んでいく。
あまり人とすれ違わなかったのは、人通りの少ない道なのか、それともたまたまなのか、アシュリーにはわからない。
まさかヴィルヘルムが暗がりに連れ込んで何かしてくる、ということはないと思うが、行き先がわからないままで、アシュリーは不安になる。
彼が何も喋らない、ということもアシュリーを落ち着かなくさせる理由のひとつだった。
足のコンパスが違うので、普通に歩いているヴィルヘルムとは違い、アシュリーはどうしても小走りになってしまう。
たまたま一緒に同じ目的地に向かうときに隣を歩くことがあったが、そのときにこんなことはなかった。
考えてみれば、わかることだ。恐らくヴィルヘルムがアシュリーに足の速さを合わせてくれていたのだろう。
「ラインフェルト副団長、待ってください……!」
女性としては決して足が遅い方ではなく、寧ろ早い方だと思っているが、さすがに追うのが辛くなってきて、アシュリーはヴィルヘルムに呼び掛ける。
同時に一旦足を止めて欲しくて、彼の羽織っている上着に手を伸ばし、控えめに引っ張った。
直後に、大袈裟に肩を震わせたヴィルヘルムが足を止め、アシュリーは彼の背中に軽くぶつかることになってしまう。
それほどの痛みはなかったので、ゆっくりと離れながら上目遣いがちに見上げると、恐る恐ると言ったように体を反転させて振り返るヴィルヘルムと目が合った。
一瞬の間があって、じわじわとヴィルヘルムの頬が赤く染まっていく。すぐに彼は視線を逸らしてしまったけれど、耳元まで赤くて、アシュリーの顔もつられて熱くなってしまう。
「す、すまない」
「い、いえ……こちらこそ、ごめんなさい」
それきりお互いに気まずくなり、会話が途切れてしまった。
傍から見れば、不思議な光景だっただろう。成人した男女がお互いの顔を見ないようにしながら真っ赤な顔をしているのだから。
だが、そのことを指摘する第三者が現れることはなく、ふたりは黙ったまま、赤くなった顔を隠すのに──心の中に感じた気持ちを押し留めるのに必死になっていた。
「──あの!」
このままでは駄目だと、先に静寂を破ったのはアシュリーの方だった。
「わたしたち、どちらへ向かっているんでしょう……?」
「っああ、騎士団の兵舎の……俺の執務室へ向かうところだ」
意を決して問い掛けると、一瞬肩を揺らしたヴィルヘルムは、まだ僅かに赤い顔をこちらに向けて、すぐに答えをくれた。
「ゆっくり話ができるところと言えば、そこぐらいしか思い付かなかった。男ばかりで、あなたにとってはあまり好ましくないところだと思うが……申し訳ない」
眉を下げて、ヴィルヘルムは言った。
彼の言葉に驚いて返事をできずにいると、何やら慌てた彼が言葉を続けてくる。
「兵舎の中に団員はいるが、執務室には俺とふたりになる。それが心配なら、あなたの信用に足る人物を付けてもらって構わない。何なら、ローウェルを呼ぶでもいい」
ローウェルの名前を出した瞬間、ヴィルヘルムの声音が若干強張った。
ヴィルヘルムは前を見ているし、もしかしたら不意打ちを狙って逃げられるかもしれないと思ったが、そのたびにタイミングよく彼が様子を伺ってきて、アシュリーは考えるのを止めた。
そもそも仮に逃げられたとしても、騎士として鍛えているヴィルヘルムとは違い、アシュリーは働いているとは言っても体力勝負の仕事ではない。
そう遠く逃げないうちに、ヴィルヘルムに捕まるだろうことは目に見えていた。
それに城内の地図を把握しきれていないアシュリーがここでヴィルヘルムから逃げ切れたとしても、そのあと元の場所に戻って来られる自信はない。
──にしても、どこに行くんだろう……
場所を変えたいとは言われたが、どこに行くのかまでは言われなかった。
何度か通ったことがある道を抜け、アシュリーの知らない廊下をヴィルヘルムは迷いなく進んでいく。
あまり人とすれ違わなかったのは、人通りの少ない道なのか、それともたまたまなのか、アシュリーにはわからない。
まさかヴィルヘルムが暗がりに連れ込んで何かしてくる、ということはないと思うが、行き先がわからないままで、アシュリーは不安になる。
彼が何も喋らない、ということもアシュリーを落ち着かなくさせる理由のひとつだった。
足のコンパスが違うので、普通に歩いているヴィルヘルムとは違い、アシュリーはどうしても小走りになってしまう。
たまたま一緒に同じ目的地に向かうときに隣を歩くことがあったが、そのときにこんなことはなかった。
考えてみれば、わかることだ。恐らくヴィルヘルムがアシュリーに足の速さを合わせてくれていたのだろう。
「ラインフェルト副団長、待ってください……!」
女性としては決して足が遅い方ではなく、寧ろ早い方だと思っているが、さすがに追うのが辛くなってきて、アシュリーはヴィルヘルムに呼び掛ける。
同時に一旦足を止めて欲しくて、彼の羽織っている上着に手を伸ばし、控えめに引っ張った。
直後に、大袈裟に肩を震わせたヴィルヘルムが足を止め、アシュリーは彼の背中に軽くぶつかることになってしまう。
それほどの痛みはなかったので、ゆっくりと離れながら上目遣いがちに見上げると、恐る恐ると言ったように体を反転させて振り返るヴィルヘルムと目が合った。
一瞬の間があって、じわじわとヴィルヘルムの頬が赤く染まっていく。すぐに彼は視線を逸らしてしまったけれど、耳元まで赤くて、アシュリーの顔もつられて熱くなってしまう。
「す、すまない」
「い、いえ……こちらこそ、ごめんなさい」
それきりお互いに気まずくなり、会話が途切れてしまった。
傍から見れば、不思議な光景だっただろう。成人した男女がお互いの顔を見ないようにしながら真っ赤な顔をしているのだから。
だが、そのことを指摘する第三者が現れることはなく、ふたりは黙ったまま、赤くなった顔を隠すのに──心の中に感じた気持ちを押し留めるのに必死になっていた。
「──あの!」
このままでは駄目だと、先に静寂を破ったのはアシュリーの方だった。
「わたしたち、どちらへ向かっているんでしょう……?」
「っああ、騎士団の兵舎の……俺の執務室へ向かうところだ」
意を決して問い掛けると、一瞬肩を揺らしたヴィルヘルムは、まだ僅かに赤い顔をこちらに向けて、すぐに答えをくれた。
「ゆっくり話ができるところと言えば、そこぐらいしか思い付かなかった。男ばかりで、あなたにとってはあまり好ましくないところだと思うが……申し訳ない」
眉を下げて、ヴィルヘルムは言った。
彼の言葉に驚いて返事をできずにいると、何やら慌てた彼が言葉を続けてくる。
「兵舎の中に団員はいるが、執務室には俺とふたりになる。それが心配なら、あなたの信用に足る人物を付けてもらって構わない。何なら、ローウェルを呼ぶでもいい」
ローウェルの名前を出した瞬間、ヴィルヘルムの声音が若干強張った。
0
お気に入りに追加
3,411
あなたにおすすめの小説

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

溺愛恋愛お断り〜秘密の騎士は生真面目事務官を落としたい〜
かほなみり
恋愛
溺愛されたくない事務官アリサ✕溺愛がわからない騎士ユーリ。
そんな利害が一致した二人の、形だけから始まったはずのお付き合い。次第にユーリに惹かれ始めるアリサと、どうしてもアリサを手に入れたい秘密を抱える騎士ユーリの、本当の溺愛への道。
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる