51 / 64
第三章
(13)
しおりを挟む
最後の利用者が図書館から出て行くと、扉には《閉館》の札が掛けられる。
そして館内の見回りをして異常がないかを確認すると、抱えている仕事がない職員は支度をすると帰っていく。
アシュリーもまた、いつもの倍の時間を掛けて支度をして帰ろうとしていたのだが、その心中では残業する口実がないかを必死に探していた。
ヴィルヘルムから告白されて、約束を取り付けられたのは今日の日中のことだ。それから閉館の時間である今まで、時間の進みが厭に早く、あっという間に経ってしまっていた。
いつもであれば、忙しい日でない限りはこんなにも時間の進みが早いだなんて考えることはないのに。
こういうときに限って残ってやる仕事も何もなく、このあと待ち受けていることを思うと、アシュリーの心がズンと重くなる。
幸いにも今、ローウェルの目はない。逃げ出すことも考えたけれど、もしもヴィルヘルムがアシュリーが出てくるまで待っていたらと思うと、実行には移せなかった。
女は度胸と気持ちを切り替えることもできず、ぐるぐると悩んでしまう。そうして、気付けば帰る支度を終わらせてしまっていた。
さてどうしよう、とため息を吐いたとき、先ほど出て行ったはずの同僚が戻ってきた。そばかすの出来た頬を僅かに赤く染めて、彼女はアシュリーの方に近付いてくる。
「アシュリーさん、裏口のところでラインフェルト副団長が待ってるけど、何かあったの?」
疑問符を浮かべて問い掛けられ、アシュリーは一瞬固まる。
彼女の口から出た名前に、僅かに部屋がざわつく。
「えっ、と……そうそう、館長のことで、ちょっと話があるって言われてたの!」
苦し紛れに出た理由だったが、どうやら納得してもらえたらしい。
ざわついていた空気は、次第に大人しくなっていく。
しかし、ここで時間が過ぎるのを待つという選択肢は取れなくなってしまい、アシュリーは逃げるように、お先失礼しますと言って、部屋を出た。
ヴィルヘルムがアシュリーに用があると言われてしまった手前、職員用出入り口へ向かわないわけにはいかない。
いつもよりも遅い速度で廊下を進み、恐る恐る扉に手を掛けた。
一気に開ける勇気は出なかったので、扉をなるべく静かに、少しだけ開けて、その隙間から顔を覗かせる。
──ヴィルヘルムが待っていると言った、彼女の言葉が実は嘘でありますようにと願いながら。
「……っ」
しかしヴィルヘルムの姿は、すぐに見つかった。
少し離れた壁のところに背中を預け、腕を組んで地面に視線を落としている。
自然と足が後退しそうになるのを堪え、アシュリーは目を伏せた。そして一呼吸して目を開くと、わざと音を立てるように扉を開ける。
視線を上げたら、真っ直ぐにこちらを見詰めるヴィルヘルムの深紫色の瞳と目が合った。
どこか安心したように、僅かに目元が和らいだように見えて、アシュリーは思わずヴィルヘルムを凝視する。けれどそう見えたのは一瞬のことで、彼は壁から背を離し、こちらへ向かってきていた。
「アシュリー嬢、疲れているところ、時間を取ってもらってすまない」
「いえ……こちらの方こそ……お待たせして、申し訳ありません」
「いや、この程度は待ったうちには入らない」
アシュリーの謝罪に、ヴィルヘルムが首を横に振る。
その返事に、アシュリーの胸が痛んだ。
支度に時間が掛かったのは少しでも現実逃避をするためで、故意的なものだったから。
何も言葉を返せずにいると、ヴィルヘルムの方が先に口を開いた。
「話をするのに、外では誰かに聞かれる恐れがある。少し場所を変えたいのだが、いいだろうか」
先に言葉が出ず、代わりに頷く。
ヴィルヘルムはどこか苦しそうな表情をすると──アシュリーには見えなかったが、手のひらを強く握り締めて──、踵を返して足を進めた。
そして館内の見回りをして異常がないかを確認すると、抱えている仕事がない職員は支度をすると帰っていく。
アシュリーもまた、いつもの倍の時間を掛けて支度をして帰ろうとしていたのだが、その心中では残業する口実がないかを必死に探していた。
ヴィルヘルムから告白されて、約束を取り付けられたのは今日の日中のことだ。それから閉館の時間である今まで、時間の進みが厭に早く、あっという間に経ってしまっていた。
いつもであれば、忙しい日でない限りはこんなにも時間の進みが早いだなんて考えることはないのに。
こういうときに限って残ってやる仕事も何もなく、このあと待ち受けていることを思うと、アシュリーの心がズンと重くなる。
幸いにも今、ローウェルの目はない。逃げ出すことも考えたけれど、もしもヴィルヘルムがアシュリーが出てくるまで待っていたらと思うと、実行には移せなかった。
女は度胸と気持ちを切り替えることもできず、ぐるぐると悩んでしまう。そうして、気付けば帰る支度を終わらせてしまっていた。
さてどうしよう、とため息を吐いたとき、先ほど出て行ったはずの同僚が戻ってきた。そばかすの出来た頬を僅かに赤く染めて、彼女はアシュリーの方に近付いてくる。
「アシュリーさん、裏口のところでラインフェルト副団長が待ってるけど、何かあったの?」
疑問符を浮かべて問い掛けられ、アシュリーは一瞬固まる。
彼女の口から出た名前に、僅かに部屋がざわつく。
「えっ、と……そうそう、館長のことで、ちょっと話があるって言われてたの!」
苦し紛れに出た理由だったが、どうやら納得してもらえたらしい。
ざわついていた空気は、次第に大人しくなっていく。
しかし、ここで時間が過ぎるのを待つという選択肢は取れなくなってしまい、アシュリーは逃げるように、お先失礼しますと言って、部屋を出た。
ヴィルヘルムがアシュリーに用があると言われてしまった手前、職員用出入り口へ向かわないわけにはいかない。
いつもよりも遅い速度で廊下を進み、恐る恐る扉に手を掛けた。
一気に開ける勇気は出なかったので、扉をなるべく静かに、少しだけ開けて、その隙間から顔を覗かせる。
──ヴィルヘルムが待っていると言った、彼女の言葉が実は嘘でありますようにと願いながら。
「……っ」
しかしヴィルヘルムの姿は、すぐに見つかった。
少し離れた壁のところに背中を預け、腕を組んで地面に視線を落としている。
自然と足が後退しそうになるのを堪え、アシュリーは目を伏せた。そして一呼吸して目を開くと、わざと音を立てるように扉を開ける。
視線を上げたら、真っ直ぐにこちらを見詰めるヴィルヘルムの深紫色の瞳と目が合った。
どこか安心したように、僅かに目元が和らいだように見えて、アシュリーは思わずヴィルヘルムを凝視する。けれどそう見えたのは一瞬のことで、彼は壁から背を離し、こちらへ向かってきていた。
「アシュリー嬢、疲れているところ、時間を取ってもらってすまない」
「いえ……こちらの方こそ……お待たせして、申し訳ありません」
「いや、この程度は待ったうちには入らない」
アシュリーの謝罪に、ヴィルヘルムが首を横に振る。
その返事に、アシュリーの胸が痛んだ。
支度に時間が掛かったのは少しでも現実逃避をするためで、故意的なものだったから。
何も言葉を返せずにいると、ヴィルヘルムの方が先に口を開いた。
「話をするのに、外では誰かに聞かれる恐れがある。少し場所を変えたいのだが、いいだろうか」
先に言葉が出ず、代わりに頷く。
ヴィルヘルムはどこか苦しそうな表情をすると──アシュリーには見えなかったが、手のひらを強く握り締めて──、踵を返して足を進めた。
0
お気に入りに追加
3,411
あなたにおすすめの小説

蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。


「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。

王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる