50 / 64
第三章
(12)
しおりを挟む
視線を上げると、不安げに揺れる瞳とぶつかる。
「仕事は定刻に終わるだろうか」
「……な、にもなければ……終わると思いま、す」
アシュリーが辛うじて絞り出した声は掠れてしまった。
「なら、その時間に迎えに来る」
「ラインフェルト副団長、わたしは……っ」
彼の告げてくれた言葉に対する回答は、もう出ている。けれど、出した答えを口にするより前にアシュリーはヴィルヘルムに腕を引かれ、抱き締められていた。
腰に腕が回り、力強いその温もりに舞踏会の夜を思い出して、体が熱くなる。
「まだあなたに、伝えていないことがある。告白の返事は、それをすべて聞いてから教えて欲しい」
目を見開いたアシュリーの耳に、ヴィルヘルムの囁きが落ちてくる。
抱擁はすぐに解かれて、掴まれていた腕の拘束もなくなると、そのことに少しだけ寂しさを感じてしまう。
冷静そうな口調だったので、てっきり涼しい顔をしているのかと思ったが、アシュリーが顔を上げた先に映ったヴィルヘルムの頬はまだ赤みを帯びていた。
「……引き留めて、すまなかった。また後で」
掛けられた言葉に戸惑いがちに頷くと、ヴィルヘルムは僅かに頬を緩ませてからアシュリーに背中を向けた。
彼が足を向けた先には、面白そうな顔でふたりのやり取りを眺めていたローウェルがいる。
「君たち見てると、お互い初めての彼氏彼女っていう中学生くらいの初々しいカップル見てるみたいで面白かったのに。とうとう丸く収まっちゃうのかと思うと、名残惜しいものがあるよね」
「……」
「そんな怖い目で睨まれたら、アシュリーちゃんにも怖がられちゃうと思うなあ」
「……お前とアシュリー嬢を一緒にするな」
揶揄するような口調で、ローウェルはヴィルヘルムに話しかける。その声は面白そうで、楽しげで、そしてどこか嬉しそうだった。
アシュリーは、ふたりの姿が館長室の方へ遠ざかっていくのを、ただぼうっと見つめる。
そして不意に、ローウェルが足を止めて、振り返った。
「アシュリーちゃん、一先ず難しいことは考えないで、気持ちのままに動いてみることも、たまには大事だと思うよ」
館長室の中にいたローウェルに、アシュリーとヴィルヘルムの会話は聞こえていないはずだ。聞いていたのは、仕事が終わってから会うという約束を取り付けたところのみ。
なのに彼は、話を聞いていたように適切な助言を寄越してくるのだから、恐ろしい。息を呑んだアシュリーに、ローウェルは口角を上げて楽しげに笑った。
「っ館長、助言ありがとうございます。まだ仕事がありますので、わたしはこれで……っ」
ヴィルヘルムが足を止めて振り返ろうとしているのが目に入り、アシュリーは慌てて、頭を下げる。
そして彼と目が合う前に踵を返し、その場に背中を向けた。
ローウェルがヴィルヘルムに何やら言っている声が聞こえたけれど、アシュリーの頭はただこの場から去りたい一心で、会話の内容までは聞き取れなかった。
もう数えられないほど通った廊下を、早足で歩く。
何も考えないように床を叩く自身の足音に意識を集中させるようにしたけれど、館長室から遠ざかり、受付カウンターへ続く扉が見えたところでひと息ついたら、先ほどの出来事を否応なしに思い出してしまった。
──ヴィルヘルム様に、告白、され、た……
真剣な眼差しで、緊張を孕んだような少し強張った声で、真っ直ぐに伝えられた告白を思い出して、反射的にアシュリーは両頬を押さえた。
嬉しくて心が弾むけれど、断るためにまた、ヴィルヘルムと会わなければならない。そのことがアシュリーの胸を苦しめる。
ローウェルが現れたのは偶然だったにしても、きっとヴィルヘルムはアシュリーの答えに気付いていただろう。その上で答えを保留にして、伝えたいこととは何だろう。
『また後で』
その言葉にアシュリーが頷いたら、嬉しそうに頬を緩めたヴィルヘルムの表情を思い出す。
「……ままならない、なあ……」
せっかく好きな人が自分のことを好きだと言ってくれたのに、それを断らなければいけない。
──人生はそう上手くはいかないと言うけれど、転生して二度目の人生を与えてくれたのなら、好きな人と結ばれるくらいの特典を与えてくれても良かったのに。
八つ当たりだとわかってはいるが、そんなことを思わずにはいられなかった。
「仕事は定刻に終わるだろうか」
「……な、にもなければ……終わると思いま、す」
アシュリーが辛うじて絞り出した声は掠れてしまった。
「なら、その時間に迎えに来る」
「ラインフェルト副団長、わたしは……っ」
彼の告げてくれた言葉に対する回答は、もう出ている。けれど、出した答えを口にするより前にアシュリーはヴィルヘルムに腕を引かれ、抱き締められていた。
腰に腕が回り、力強いその温もりに舞踏会の夜を思い出して、体が熱くなる。
「まだあなたに、伝えていないことがある。告白の返事は、それをすべて聞いてから教えて欲しい」
目を見開いたアシュリーの耳に、ヴィルヘルムの囁きが落ちてくる。
抱擁はすぐに解かれて、掴まれていた腕の拘束もなくなると、そのことに少しだけ寂しさを感じてしまう。
冷静そうな口調だったので、てっきり涼しい顔をしているのかと思ったが、アシュリーが顔を上げた先に映ったヴィルヘルムの頬はまだ赤みを帯びていた。
「……引き留めて、すまなかった。また後で」
掛けられた言葉に戸惑いがちに頷くと、ヴィルヘルムは僅かに頬を緩ませてからアシュリーに背中を向けた。
彼が足を向けた先には、面白そうな顔でふたりのやり取りを眺めていたローウェルがいる。
「君たち見てると、お互い初めての彼氏彼女っていう中学生くらいの初々しいカップル見てるみたいで面白かったのに。とうとう丸く収まっちゃうのかと思うと、名残惜しいものがあるよね」
「……」
「そんな怖い目で睨まれたら、アシュリーちゃんにも怖がられちゃうと思うなあ」
「……お前とアシュリー嬢を一緒にするな」
揶揄するような口調で、ローウェルはヴィルヘルムに話しかける。その声は面白そうで、楽しげで、そしてどこか嬉しそうだった。
アシュリーは、ふたりの姿が館長室の方へ遠ざかっていくのを、ただぼうっと見つめる。
そして不意に、ローウェルが足を止めて、振り返った。
「アシュリーちゃん、一先ず難しいことは考えないで、気持ちのままに動いてみることも、たまには大事だと思うよ」
館長室の中にいたローウェルに、アシュリーとヴィルヘルムの会話は聞こえていないはずだ。聞いていたのは、仕事が終わってから会うという約束を取り付けたところのみ。
なのに彼は、話を聞いていたように適切な助言を寄越してくるのだから、恐ろしい。息を呑んだアシュリーに、ローウェルは口角を上げて楽しげに笑った。
「っ館長、助言ありがとうございます。まだ仕事がありますので、わたしはこれで……っ」
ヴィルヘルムが足を止めて振り返ろうとしているのが目に入り、アシュリーは慌てて、頭を下げる。
そして彼と目が合う前に踵を返し、その場に背中を向けた。
ローウェルがヴィルヘルムに何やら言っている声が聞こえたけれど、アシュリーの頭はただこの場から去りたい一心で、会話の内容までは聞き取れなかった。
もう数えられないほど通った廊下を、早足で歩く。
何も考えないように床を叩く自身の足音に意識を集中させるようにしたけれど、館長室から遠ざかり、受付カウンターへ続く扉が見えたところでひと息ついたら、先ほどの出来事を否応なしに思い出してしまった。
──ヴィルヘルム様に、告白、され、た……
真剣な眼差しで、緊張を孕んだような少し強張った声で、真っ直ぐに伝えられた告白を思い出して、反射的にアシュリーは両頬を押さえた。
嬉しくて心が弾むけれど、断るためにまた、ヴィルヘルムと会わなければならない。そのことがアシュリーの胸を苦しめる。
ローウェルが現れたのは偶然だったにしても、きっとヴィルヘルムはアシュリーの答えに気付いていただろう。その上で答えを保留にして、伝えたいこととは何だろう。
『また後で』
その言葉にアシュリーが頷いたら、嬉しそうに頬を緩めたヴィルヘルムの表情を思い出す。
「……ままならない、なあ……」
せっかく好きな人が自分のことを好きだと言ってくれたのに、それを断らなければいけない。
──人生はそう上手くはいかないと言うけれど、転生して二度目の人生を与えてくれたのなら、好きな人と結ばれるくらいの特典を与えてくれても良かったのに。
八つ当たりだとわかってはいるが、そんなことを思わずにはいられなかった。
0
お気に入りに追加
3,411
あなたにおすすめの小説

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて
アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。
二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。
真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。
狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。
私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。
なんとか生きてる。
でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!
藤原ライラ
恋愛
ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。
ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。
解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。
「君は、おれに、一体何をくれる?」
呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?
強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。
※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

溺愛恋愛お断り〜秘密の騎士は生真面目事務官を落としたい〜
かほなみり
恋愛
溺愛されたくない事務官アリサ✕溺愛がわからない騎士ユーリ。
そんな利害が一致した二人の、形だけから始まったはずのお付き合い。次第にユーリに惹かれ始めるアリサと、どうしてもアリサを手に入れたい秘密を抱える騎士ユーリの、本当の溺愛への道。
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる