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第三章
(05)
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渡されたのはやはりアシュリーが昨日着ていたもので、体の痛みに堪えながら、のろのろとそれを身に付けていく。
着替え終わるとタイミング良く扉がノックされ、侍女が顔を覗かせた。
「少し髪の毛触らせて頂きますが、宜しいでしょうか?」
問い掛けられて頷くと、ドレッサーの前に案内され、絡まっていた髪を彼女が梳いてくれる。そして普段は動きやすさ重視で軽く纏めるだけの髪を、左右で編み込みを作って、後ろで編んでくれた。
普段とは雰囲気の違う自分にアシュリーは驚く。
では参りましょうか、と彼女に案内され、アシュリーはローウェルと朝食を取るための広間へとやってきた。
そこにはまだローウェルはおらず、アシュリーが席に着いてそわそわとしていると、
「アシュリーちゃん、おはよー」
と貴族とは思えない気楽さで、欠伸をしながら彼は現れた。いつも以上に軽装で、シャツのボタンも留め違えている。
「あ、立たなくていいよ。辛いでしょ」
立ち上がって挨拶をしようとすると、そう言って制止される。その言葉に、なるべく考えないようにしていたことを思い出されて、アシュリーは固まった。
ローウェルは知っている。もしかしたら断片的にかもしれないが、それでもアシュリーの身に何があったのかを。
考えれば当たり前だ。だって昨夜、アシュリーを迎えに来てくれた侍女はローウェルの屋敷で働いている人で、彼女はローウェルの指示で動いたと言っていたではないか。
羞恥心で、顔が熱くなっていった。膝の上で握った手のひらが震える。
──何か、言わないと。
そう思って頭に浮かんだのは、目が覚めたときに部屋にいなかったヴィルヘルムのことだった。
アシュリーが昨夜一緒にいたのはヴィルヘルムだけだ。ならば、こうなった理由が彼にあるのではと考えるのは当然の流れだ。
「っ館長、申し訳ありません。ですがあの方は悪くなくて、わたしが誘って、それで……っ」
言葉が上手く吐き出せない。溢れた声は震えてしまった。
視線を向けたその先には、ローウェルが座っている。普段は飄々とした表情で、どんなことを考えているのかわからない。けれど、今の彼の顔からは考えどころか感情すら伺えなかった。
──怖い。
アシュリーの心の中に、恐怖心が浮かぶ。呼吸するのが苦しくなってきて、思わず胸元を握り締めた。
「アシュリーちゃん、さあ」
静かな部屋に、ローウェルの声が響く。気付くと、広間にはローウェルとアシュリーだけになっていた。
びくりと彼女が肩を揺らすと、ローウェルは深くため息を吐く。
「ボクは君に忠告したよ。《間違っても婚約の話を白紙にしようとして他に婚約者を作ろうとしたり、貴族籍を抜けるために不祥事起こしたりしないようにね》って」
「っは、い」
「その上で、はっきりしておきたいから聞くけど、君は婚約者が誰か知らない。けど結婚するのは嫌だから、婚約の話を白紙にしようとしてヴィルヘルムを誘ったの? もしあのとき、ヴィルヘルム以外を相手に付けたとしても、君は同じことをした?」
真っ直ぐ視線を向けられて問われた言葉に、アシュリーはすぐに答えられなかった。
決してやましい気持ちがあったわけではなくて。
雰囲気に飲まれたことは確かだけれど、そんな考えはまったく浮かばなかったからだ。
好きだから、傍にいたかった。愛されたという記憶が欲しかった。それが例え、一夜だけの温情の愛でも。
だけどそれはアシュリーの身勝手な言い訳だ。
事情を知っているローウェルからしたら、婚約の話を白紙にするためにヴィルヘルムを誘ったと受け取られてもおかしくはない。
ただ、後者の問いにだけは、アシュリーは胸を張って否と答えることができる。相手がヴィルヘルムだったから、あんな大胆なことを口にしたのだ。
もし別の男性だったなら、当たり障りのない会話をして適度に切り上げるか、もしくは体調が悪いと言って、躱そうとしただろう。
着替え終わるとタイミング良く扉がノックされ、侍女が顔を覗かせた。
「少し髪の毛触らせて頂きますが、宜しいでしょうか?」
問い掛けられて頷くと、ドレッサーの前に案内され、絡まっていた髪を彼女が梳いてくれる。そして普段は動きやすさ重視で軽く纏めるだけの髪を、左右で編み込みを作って、後ろで編んでくれた。
普段とは雰囲気の違う自分にアシュリーは驚く。
では参りましょうか、と彼女に案内され、アシュリーはローウェルと朝食を取るための広間へとやってきた。
そこにはまだローウェルはおらず、アシュリーが席に着いてそわそわとしていると、
「アシュリーちゃん、おはよー」
と貴族とは思えない気楽さで、欠伸をしながら彼は現れた。いつも以上に軽装で、シャツのボタンも留め違えている。
「あ、立たなくていいよ。辛いでしょ」
立ち上がって挨拶をしようとすると、そう言って制止される。その言葉に、なるべく考えないようにしていたことを思い出されて、アシュリーは固まった。
ローウェルは知っている。もしかしたら断片的にかもしれないが、それでもアシュリーの身に何があったのかを。
考えれば当たり前だ。だって昨夜、アシュリーを迎えに来てくれた侍女はローウェルの屋敷で働いている人で、彼女はローウェルの指示で動いたと言っていたではないか。
羞恥心で、顔が熱くなっていった。膝の上で握った手のひらが震える。
──何か、言わないと。
そう思って頭に浮かんだのは、目が覚めたときに部屋にいなかったヴィルヘルムのことだった。
アシュリーが昨夜一緒にいたのはヴィルヘルムだけだ。ならば、こうなった理由が彼にあるのではと考えるのは当然の流れだ。
「っ館長、申し訳ありません。ですがあの方は悪くなくて、わたしが誘って、それで……っ」
言葉が上手く吐き出せない。溢れた声は震えてしまった。
視線を向けたその先には、ローウェルが座っている。普段は飄々とした表情で、どんなことを考えているのかわからない。けれど、今の彼の顔からは考えどころか感情すら伺えなかった。
──怖い。
アシュリーの心の中に、恐怖心が浮かぶ。呼吸するのが苦しくなってきて、思わず胸元を握り締めた。
「アシュリーちゃん、さあ」
静かな部屋に、ローウェルの声が響く。気付くと、広間にはローウェルとアシュリーだけになっていた。
びくりと彼女が肩を揺らすと、ローウェルは深くため息を吐く。
「ボクは君に忠告したよ。《間違っても婚約の話を白紙にしようとして他に婚約者を作ろうとしたり、貴族籍を抜けるために不祥事起こしたりしないようにね》って」
「っは、い」
「その上で、はっきりしておきたいから聞くけど、君は婚約者が誰か知らない。けど結婚するのは嫌だから、婚約の話を白紙にしようとしてヴィルヘルムを誘ったの? もしあのとき、ヴィルヘルム以外を相手に付けたとしても、君は同じことをした?」
真っ直ぐ視線を向けられて問われた言葉に、アシュリーはすぐに答えられなかった。
決してやましい気持ちがあったわけではなくて。
雰囲気に飲まれたことは確かだけれど、そんな考えはまったく浮かばなかったからだ。
好きだから、傍にいたかった。愛されたという記憶が欲しかった。それが例え、一夜だけの温情の愛でも。
だけどそれはアシュリーの身勝手な言い訳だ。
事情を知っているローウェルからしたら、婚約の話を白紙にするためにヴィルヘルムを誘ったと受け取られてもおかしくはない。
ただ、後者の問いにだけは、アシュリーは胸を張って否と答えることができる。相手がヴィルヘルムだったから、あんな大胆なことを口にしたのだ。
もし別の男性だったなら、当たり障りのない会話をして適度に切り上げるか、もしくは体調が悪いと言って、躱そうとしただろう。
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