上 下
39 / 64
第三章

(01)

しおりを挟む
 図書館の窓から見える空は、清々しいと言わんばかりの青空が広がっている。
 風も穏やかで暖かく、日向ぼっこをするには最適な天候だ。こんな日は明るい気持ちで過ごせるはず──なのだが。

「ねえアシュリー、わたくしの話、ちゃんと聞いてる?」
「……え?」

 強めの口調で声を掛けられて、アシュリーははっと我に帰った。途端に、窓から入り込んでくる太陽の光や人の足音、人がいる気配を感じ始める。
 ──今は仕事中で、この図書館の常連であり、恋愛小説をこよなく愛する貴族の令嬢である彼女と世間話をしていたのだった。
 読書を趣味とする女性は増えているが、それでも未だに本を読むのは男であって、女が読むものではないと言っている者も多い。彼女の両親はそう言ったタイプの人で、欲しいと思っても購入することができないため、貴族でありながらもこうして図書館にひっそりと通っていた。
 アシュリーは、どうやら彼女と会話をしている最中に、意識をどこかへ飛ばしていたらしい。
 ここのところは気候も安定していて、暖かい日が続いている。そんな日は気持ちが前向きになってくるはずなのだが、ここ数日の彼女は、こうしてぼんやりしていることが多かった。
 掛けられた言葉はどこか責めるような口調だったけれど、向けられた視線は心配げな色を含んでいる。

「最近のあなた、どこか変よ。熱でもあるの? 怒らないからわたくしに教えて?」
「ご、ごめんなさい、全然……大丈夫、です、はい」

 もし近くに誰か──例えば男の人だとかが──いたならば嫌味のひとつやふたつ言われそうだけれど、幸い、この恋愛小説の並ぶ本棚に男性が近付くことは、まずない。
 だが、極力声のボリュームに気をつけるようにしながら、アシュリーは彼女の問いに答える。

「なら、いいのだけれど……」

 そう言いつつも、彼女の表情は晴れていない。アシュリーは大丈夫だという意味を込めて、無理やりに笑みを浮かべた。
 恐らくこれ以上問い掛けてもアシュリーが話さないことがわかったのだろう。彼女はため息を吐いて、本棚から抜いた二冊の本を持つ。そして「机借りますわね」とアシュリーに言ってから、恋愛小説の並ぶ棚に隠れるように存在しているスペースの方へ向かっていった。
 そこには、読書するためのテーブルと椅子が用意されている。
 彼女を見送ると、アシュリーは仕事を再開するべく、返却された本の並ぶカートから本を抜き出す。そしてそれを、ジャンル別の棚のタイトルの並び順に戻していく。
 アシュリーは慣れた手つきでスペースを作り、本を差し入れた。早く済ませて、次の棚へ行きたい。そう考えて、指で背表紙をなぞっていたときだった。

「あ……」

 アシュリーの目にひとつのタイトルが飛び込んできて、途端に先日の出来事が脳裏に蘇ってきた。
 ──『一夜から始まる愛の行方』
 どきり、と胸が大きく鳴った。
 慌ててその隣に本を戻して、その場にはもう用がないと言わんばかりにカートを押す。

「……っ」

 自然と足が早足になって、仕事を回す速度が早くなった。
 考えたくないことがあると、アシュリーはすぐに仕事に走る。
 それが逃げだとはわかっていたけれど、今回のことに関して言えば解決策はどこにもないのだから、と自分に言い聞かせる。しいて言えば、きちんと割り切ることが、解決策だ。
 ──食事、食べられなかったな……
 舞踏会で食べられるはずだった美味しい食事は結局、上司のお守りで手一杯で食べられなかったし、手当ての件はあの夜の翌日、ローウェルから話があったけれど、アシュリーはそれを断った。結局、きちんと仕事を全うできなかったから。
 そしてヴィルヘルムとは、あの夜逃げるように別れたきり、会えていなかった。タイミングが悪いということもあるし、アシュリー自身が彼から逃げているということもある。
 次に会ったとき、どんな顔をすればいいのか。
 思わず考えて、アシュリーは慌てて首を横に振った。
 ──《シェリー》がわたしだって、ヴィルヘルム様は気付いてない。だから、普通でいれば、大丈夫。
 気持ちを逸らすために別のことを考えようとしたけれど、結局考えるのはあの夜のことで、ヴィルヘルムのことになってしまう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

隠された王女~王太子の溺愛と騎士からの執愛~

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
グルブランソン国ヘドマン辺境伯の娘であるアルベティーナ。幼い頃から私兵団の訓練に紛れ込んでいた彼女は、王国騎士団の女性騎士に抜擢される。だが、なぜかグルブランソン国の王太子が彼女を婚約者候補にと指名した。婚約者候補から外れたいアルベティーナは、騎士団団長であるルドルフに純潔をもらってくれと言い出す。王族に嫁ぐには処女性が求められるため、それを失えば婚約者候補から外れるだろうと安易に考えたのだ。ルドルフとは何度か仕事を一緒にこなしているため、アルベティーナが家族以外に心を許せる唯一の男性だったのだが――

【R18】副騎士団長のセフレは訳ありメイド~恋愛を諦めたら憧れの人に懇願されて絆されました~

とらやよい
恋愛
王宮メイドとして働くアルマは恋に仕事にと青春を謳歌し恋人の絶えない日々を送っていた…訳あって恋愛を諦めるまでは。 恋愛を諦めた彼女の唯一の喜びは、以前から憧れていた彼を見つめることだけだった。 名門侯爵家の次男で第一騎士団の副団長、エルガー・トルイユ。 見た目が理想そのものだった彼を眼福とばかりに密かに見つめるだけで十分幸せだったアルマだったが、ひょんなことから彼のピンチを救いアルマはチャンスを手にすることに。チャンスを掴むと彼女の生活は一変し、憧れの人と思わぬセフレ生活が始まった。 R18話には※をつけてあります。苦手な方はご注意ください。

騎士団専属医という美味しいポジションを利用して健康診断をすると嘘をつき、悪戯しようと呼び出した団長にあっという間に逆襲された私の言い訳。

待鳥園子
恋愛
自分にとって、とても美味しい仕事である騎士団専属医になった騎士好きの女医が、皆の憧れ騎士の中の騎士といっても過言ではない美形騎士団長の身体を好き放題したいと嘘をついたら逆襲されて食べられちゃった話。 ※他サイトにも掲載あります。

ハズレ令嬢の私を腹黒貴公子が毎夜求めて離さない

扇 レンナ
恋愛
旧題:買われた娘は毎晩飛ぶほど愛されています!? セレニアは由緒あるライアンズ侯爵家の次女。 姉アビゲイルは才色兼備と称され、周囲からの期待を一身に受けてきたものの、セレニアは実の両親からも放置気味。将来に期待されることなどなかった。 だが、そんな日々が変わったのは父親が投資詐欺に引っ掛かり多額の借金を作ってきたことがきっかけだった。 ――このままでは、アビゲイルの将来が危うい。 そう思った父はセレニアに「成金男爵家に嫁いで来い」と命じた。曰く、相手の男爵家は爵位が上の貴族とのつながりを求めていると。コネをつなぐ代わりに借金を肩代わりしてもらうと。 その結果、セレニアは新進気鋭の男爵家メイウェザー家の若き当主ジュードと結婚することになる。 ジュードは一代で巨大な富を築き爵位を買った男性。セレニアは彼を仕事人間だとイメージしたものの、実際のジュードはほんわかとした真逆のタイプ。しかし、彼が求めているのは所詮コネ。 そう決めつけ、セレニアはジュードとかかわる際は一線を引こうとしていたのだが、彼はセレニアを強く求め毎日のように抱いてくる。 しかも、彼との行為はいつも一度では済まず、セレニアは毎晩のように意識が飛ぶほど愛されてしまって――……!? おっとりとした絶倫実業家と見放されてきた令嬢の新婚ラブ! ◇hotランキング 3位ありがとうございます! ―― ◇掲載先→アルファポリス(先行公開)、ムーンライトノベルズ

黒豹の騎士団長様に美味しく食べられました

Adria
恋愛
子供の時に傷を負った獣人であるリグニスを助けてから、彼は事あるごとにクリスティアーナに会いにきた。だが、人の姿の時は会ってくれない。 そのことに不満を感じ、ついにクリスティアーナは別れを切り出した。すると、豹のままの彼に押し倒されて―― イラスト:日室千種様(@ChiguHimu)

【R18】仏頂面次期公爵様を見つめるのは幼馴染の特権です

べらる
恋愛
※※R18です。さくっとよめます※※7話完結  リサリスティは、家族ぐるみの付き合いがある公爵家の、次期公爵である青年・アルヴァトランに恋をしていた。幼馴染だったが、身分差もあってなかなか思いを伝えられない。そんなある日、夜会で兄と話していると、急にアルヴァトランがやってきて……? あれ? わたくし、お持ち帰りされてます???? ちょっとした勘違いで可愛らしく嫉妬したアルヴァトランが、好きな女の子をトロトロに蕩けさせる話。 ※同名義で他サイトにも掲載しています ※本番行為あるいはそれに準ずるものは(*)マークをつけています

ご主人様は愛玩奴隷をわかっていない ~皆から恐れられてるご主人様が私にだけ甘すぎます!~

南田 此仁
恋愛
 突然異世界へと転移し、状況もわからぬままに拐われ愛玩奴隷としてオークションにかけられたマヤ。  険しい顔つきをした大柄な男に落札され、訪れる未来を思って絶望しかけたものの……。  跪いて手足の枷を外してくれたかと思えば、膝に抱き上げられ、体調を気遣われ、美味しい食事をお腹いっぱい与えられて風呂に入れられる。  温かい腕に囲われ毎日ただひたすらに甘やかされて……あれ? 奴隷生活って、こういうものだっけ———?? 奴隷感なし。悲壮感なし。悲しい気持ちにはなりませんので安心してお読みいただけます☆ シリアス風な出だしですが、中身はノーシリアス?のほのぼの溺愛ものです。 ■R18シーンは ※ マーク付きです。 ■一話500文字程度でサラッと読めます。 ■第14回 アルファポリス恋愛小説大賞《17位》 ■第3回 ジュリアンパブリッシング恋愛小説大賞《最終選考》 ■小説家になろう(ムーンライトノベルズ)にて30000ポイント突破

【R18】婚約破棄されたおかげで、幸せな結婚ができました

ほづみ
恋愛
内向的な性格なのに、年齢と家格から王太子ジョエルの婚約者に選ばれた侯爵令嬢のサラ。完璧な王子様であるジョエルに不満を持たれないよう妃教育を頑張っていたある日、ジョエルから「婚約を破棄しよう」と提案される。理由を聞くと「好きな人がいるから」と……。 すれ違いから婚約破棄に至った、不器用な二人の初恋が実るまでのお話。 他サイトにも掲載しています。

処理中です...