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第二章
(08)
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手の甲にひとつ、口付けが落とされる。
触れた箇所から広がる熱に、アシュリーはどきりと胸を跳ねさせた。
だが同時に突き刺さる令嬢からの視線が鋭さを増して、アシュリーは現実に帰る。
例え変装して別人になりきってはいても、どこからシェリーがアシュリーの変装した姿だと漏れるかわからない。必要以上の接触は避けるのが最善だ。
口付けを落とされた手をそっと引く。
「ですが、そのような方にわざわざお相手をして頂くなんて申し訳なく思います。わたくしはひとりでも問題ありませんので、どうぞお仕事を続けてください」
やんわりと断りを口にしながら、アシュリーは無理矢理頬の筋肉を上げて、笑みを作る。
口にした理由も本当だ。彼が駆り出されたのは王太子の身柄を守る警備のためで、けして隣国から遊学に来た侯爵家の令嬢の相手をすることではないはずだ。
だがそれと同じぐらい、ヴィルヘルムには醜態を晒したところを見られたくなかった。彼に傍にいられたら、緊張で何を口にしているかわからなくなってしまうだろう。
今は演技を続けられているが、絶対どこかで化けの皮が剥がれるのが目に見えていた。所詮は張りぼてなのだ。礼儀作法を学んではいても、本当の意味での令嬢にアシュリーはなれない。
なのにヴィルヘルムは何故か眉を顰めて、どこか不機嫌そうな表情になる。
その表情の変化には気付いたが、一体どうすればいいのかわからなくて、アシュリーは困惑げな視線をローウェルに向けた──ら、その途端、ヴィルヘルムの眉間の皺もより深くなる。
「っふ、はは、いや……っ申し訳、ない。──シェリー嬢、私の警備のことは気にしないで欲しい。ジェラルドもいるし、いざとなればローウェルを盾にするから大丈夫だ」
王太子は楽しげに笑みを浮かべながら、アシュリーを安心させるための言葉を口にする。だが彼女にとっては、それは逆に不安でならなかった。
ジェラルドと言うのは、王太子付きの近衛騎士の名前だ。ヴィルヘルムに気を取られていたが、王太子の後ろにはピンクがかった金髪の、端整な顔立ちの青年がいた。公爵家の四男で、泣かされた令嬢は星の数ほどもいると噂の色男だ。
視線が合うと、自然にウィンクをされる。アシュリーにとって最も関わりたくない人種だったので、愛想笑いを浮かべて、そっと視線を外す。
しかし王太子にここまで言われてしまい、アシュリーは断りの言葉のレパートリーを失った。最後の砦と言わんばかりに上司に助けを求めたが、端整な顔立ちを愉快そうに緩めた彼は、アシュリーの希望をばっさりと切り捨てる。
「殿下もこう言ってくれてることだし、ヴィルヘルムなら万が一の心配もないから、エスコートされておいで」
ひくり、とアシュリーの頬の筋肉が引き吊った。
「じゃあヴィルヘルム、ボクの可愛いシェリーちゃんのこと宜しくね」
「……ああ」
「やだなあ。そんな怖い顔しなくたって──」
そう言って言葉を途切れさせたローウェルは、続きをヴィルヘルムの耳元でそっと囁く。何を言ったのかはアシュリーにはわからなかったが、ヴィルヘルムが目を見開いたことだけはわかった。
「ローウェル」
王太子に呼ばれたローウェルは、ひらひらと手を振って踵を返してしまった。
触れた箇所から広がる熱に、アシュリーはどきりと胸を跳ねさせた。
だが同時に突き刺さる令嬢からの視線が鋭さを増して、アシュリーは現実に帰る。
例え変装して別人になりきってはいても、どこからシェリーがアシュリーの変装した姿だと漏れるかわからない。必要以上の接触は避けるのが最善だ。
口付けを落とされた手をそっと引く。
「ですが、そのような方にわざわざお相手をして頂くなんて申し訳なく思います。わたくしはひとりでも問題ありませんので、どうぞお仕事を続けてください」
やんわりと断りを口にしながら、アシュリーは無理矢理頬の筋肉を上げて、笑みを作る。
口にした理由も本当だ。彼が駆り出されたのは王太子の身柄を守る警備のためで、けして隣国から遊学に来た侯爵家の令嬢の相手をすることではないはずだ。
だがそれと同じぐらい、ヴィルヘルムには醜態を晒したところを見られたくなかった。彼に傍にいられたら、緊張で何を口にしているかわからなくなってしまうだろう。
今は演技を続けられているが、絶対どこかで化けの皮が剥がれるのが目に見えていた。所詮は張りぼてなのだ。礼儀作法を学んではいても、本当の意味での令嬢にアシュリーはなれない。
なのにヴィルヘルムは何故か眉を顰めて、どこか不機嫌そうな表情になる。
その表情の変化には気付いたが、一体どうすればいいのかわからなくて、アシュリーは困惑げな視線をローウェルに向けた──ら、その途端、ヴィルヘルムの眉間の皺もより深くなる。
「っふ、はは、いや……っ申し訳、ない。──シェリー嬢、私の警備のことは気にしないで欲しい。ジェラルドもいるし、いざとなればローウェルを盾にするから大丈夫だ」
王太子は楽しげに笑みを浮かべながら、アシュリーを安心させるための言葉を口にする。だが彼女にとっては、それは逆に不安でならなかった。
ジェラルドと言うのは、王太子付きの近衛騎士の名前だ。ヴィルヘルムに気を取られていたが、王太子の後ろにはピンクがかった金髪の、端整な顔立ちの青年がいた。公爵家の四男で、泣かされた令嬢は星の数ほどもいると噂の色男だ。
視線が合うと、自然にウィンクをされる。アシュリーにとって最も関わりたくない人種だったので、愛想笑いを浮かべて、そっと視線を外す。
しかし王太子にここまで言われてしまい、アシュリーは断りの言葉のレパートリーを失った。最後の砦と言わんばかりに上司に助けを求めたが、端整な顔立ちを愉快そうに緩めた彼は、アシュリーの希望をばっさりと切り捨てる。
「殿下もこう言ってくれてることだし、ヴィルヘルムなら万が一の心配もないから、エスコートされておいで」
ひくり、とアシュリーの頬の筋肉が引き吊った。
「じゃあヴィルヘルム、ボクの可愛いシェリーちゃんのこと宜しくね」
「……ああ」
「やだなあ。そんな怖い顔しなくたって──」
そう言って言葉を途切れさせたローウェルは、続きをヴィルヘルムの耳元でそっと囁く。何を言ったのかはアシュリーにはわからなかったが、ヴィルヘルムが目を見開いたことだけはわかった。
「ローウェル」
王太子に呼ばれたローウェルは、ひらひらと手を振って踵を返してしまった。
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