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第二章
(02)
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満足げな表情で見送る女性たちにお礼を伝え、ローウェルとの待ち合わせ場所である玄関まで年輩の女性が案内してくれる。
そこにはすでに、正装した上司の姿があった。いつもは無造作な髪をきちんとセットし、ピシッとした正装に身を包んだローウェルは、普段のボサボサな髪と白衣のイメージからはほど遠い。
こつん、とアシュリーの履いているパンプスのヒールが床を叩く。その音で、ローウェルがこちらを見て、そして驚いたように目を見開いた。
「……ここまで変わるとは思わなかったけど、うん、よく似合ってるよ、アシュリーちゃん」
よく見れば、前髪が横に流されていて、普段は覆い隠されている琥珀色の瞳がきちんと見えるようになっていた。その姿につい見惚れて、言葉が詰まった。
似合いすぎている。そもそもこの人は本当に、アシュリーの知っているローウェル・カルヴァートなのだろうか。
そんな疑問すら浮かび始めたアシュリーの元に、こつこつとブーツの音を響かせてローウェルが近付いてくる。
「じゃあ今夜は宜しくね。あ、ちなみに今からアシュリーちゃんは、カルヴァート家の遠縁の娘で、隣国から遊びに来たダンフォード侯爵家の娘、シェリー嬢って設定だから」
「……は? いやいやいやいや、館長、ちょっと待ってください」
突拍子のない言葉に、アシュリーの反応が遅れた。何故そう言う大事な設定を、心構えをする時間を与える前に言ってくれないのか。
だがこれは間違いなく自分の知っている上司だと、再認識する。
「大丈夫だよ。アシュリーちゃん……じゃないね、シェリーならきっとできるってボクは信じてる」
「その根拠のない自信は一体どこから湧いてくるんですか、館長」
「あ、呼び方も《館長》だと気付かれる可能性があるから、そうだね……ボクのことはローウェルお兄様とでも呼んでよ」
「……帰っていいですか」
「だーめ。ほら、女性は度胸ってよく言うでしょ。潔く腹括って?」
──絶対に、この人は楽しんでいる。
ひくりと頬の筋肉が引き吊った。
だが、こんな状況まで作り上げられて、帰るという選択肢がもうないことは、アシュリー自身が一番わかっていた。そもそも三日前、招待状を渡す相手を自身に定められた時点で、アシュリーが逃げられないことは確定していたのだ。
それでも気持ちは抑えきれず、距離が縮まって視界に捉えることのできたローウェルの足の甲を偶然を装って思いっきり踏みつけてやった。端整な顔立ちが歪んだことに少しだけスカッとする。
そして申し訳なさそうな表情を作ると、普段のアシュリーとは正反対の令嬢を作り上げ、瞼を伏せた。
「も、申し訳ございません、ローウェルお兄様。実は足下に、大きな蜘蛛が見えたのです。もしも毒を持つ蜘蛛だったら恐ろしくて……」
蜘蛛なんていなかったし、目の前の上司なら嬉嬉としながら蜘蛛を生け捕りにして有毒採取に取り掛かろうとするだろう。前に教えられた情報によると、多量だと死に至るが、少量であれば治療のための薬になる。
「蜘蛛、ね……うん、だったら仕方がないよね。女の子は虫が苦手だし。でも次からは踏み潰そうとする前に、ボクに声を掛けてくれる? 蜘蛛の毒は凄いんだよ。量を調節すれば傷を治す薬になる。もちろん多量だと、人を死に至らせる劇薬になるんだけど」
そっと手を差し出しながら、そう言ってくるローウェルにアシュリーは驚いたような顔で、「そうなのですか?」と問いかける。
本当に驚いているかのように、自然にそう見えるように表情を作って差し出された手にそっと指先を預ける。ローウェルにエスコートされながら、アシュリーは公爵家の印の彫られた馬車に乗り込んだ。
そこにはすでに、正装した上司の姿があった。いつもは無造作な髪をきちんとセットし、ピシッとした正装に身を包んだローウェルは、普段のボサボサな髪と白衣のイメージからはほど遠い。
こつん、とアシュリーの履いているパンプスのヒールが床を叩く。その音で、ローウェルがこちらを見て、そして驚いたように目を見開いた。
「……ここまで変わるとは思わなかったけど、うん、よく似合ってるよ、アシュリーちゃん」
よく見れば、前髪が横に流されていて、普段は覆い隠されている琥珀色の瞳がきちんと見えるようになっていた。その姿につい見惚れて、言葉が詰まった。
似合いすぎている。そもそもこの人は本当に、アシュリーの知っているローウェル・カルヴァートなのだろうか。
そんな疑問すら浮かび始めたアシュリーの元に、こつこつとブーツの音を響かせてローウェルが近付いてくる。
「じゃあ今夜は宜しくね。あ、ちなみに今からアシュリーちゃんは、カルヴァート家の遠縁の娘で、隣国から遊びに来たダンフォード侯爵家の娘、シェリー嬢って設定だから」
「……は? いやいやいやいや、館長、ちょっと待ってください」
突拍子のない言葉に、アシュリーの反応が遅れた。何故そう言う大事な設定を、心構えをする時間を与える前に言ってくれないのか。
だがこれは間違いなく自分の知っている上司だと、再認識する。
「大丈夫だよ。アシュリーちゃん……じゃないね、シェリーならきっとできるってボクは信じてる」
「その根拠のない自信は一体どこから湧いてくるんですか、館長」
「あ、呼び方も《館長》だと気付かれる可能性があるから、そうだね……ボクのことはローウェルお兄様とでも呼んでよ」
「……帰っていいですか」
「だーめ。ほら、女性は度胸ってよく言うでしょ。潔く腹括って?」
──絶対に、この人は楽しんでいる。
ひくりと頬の筋肉が引き吊った。
だが、こんな状況まで作り上げられて、帰るという選択肢がもうないことは、アシュリー自身が一番わかっていた。そもそも三日前、招待状を渡す相手を自身に定められた時点で、アシュリーが逃げられないことは確定していたのだ。
それでも気持ちは抑えきれず、距離が縮まって視界に捉えることのできたローウェルの足の甲を偶然を装って思いっきり踏みつけてやった。端整な顔立ちが歪んだことに少しだけスカッとする。
そして申し訳なさそうな表情を作ると、普段のアシュリーとは正反対の令嬢を作り上げ、瞼を伏せた。
「も、申し訳ございません、ローウェルお兄様。実は足下に、大きな蜘蛛が見えたのです。もしも毒を持つ蜘蛛だったら恐ろしくて……」
蜘蛛なんていなかったし、目の前の上司なら嬉嬉としながら蜘蛛を生け捕りにして有毒採取に取り掛かろうとするだろう。前に教えられた情報によると、多量だと死に至るが、少量であれば治療のための薬になる。
「蜘蛛、ね……うん、だったら仕方がないよね。女の子は虫が苦手だし。でも次からは踏み潰そうとする前に、ボクに声を掛けてくれる? 蜘蛛の毒は凄いんだよ。量を調節すれば傷を治す薬になる。もちろん多量だと、人を死に至らせる劇薬になるんだけど」
そっと手を差し出しながら、そう言ってくるローウェルにアシュリーは驚いたような顔で、「そうなのですか?」と問いかける。
本当に驚いているかのように、自然にそう見えるように表情を作って差し出された手にそっと指先を預ける。ローウェルにエスコートされながら、アシュリーは公爵家の印の彫られた馬車に乗り込んだ。
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